黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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02_17 弱くて惨めで力が欲しい

「ありゃ、おかえ……?」路地裏の塒へと帰ってきたマギーは、竈の前にいたニナに背中から抱き着いた。

「火の近くだと危ないよぅ?」ニナが呟いても止めない。大型犬が親しい相手に匂いを擦り付けるように、ニナの首筋に鼻の頭で触れては、獣のように唸ったり、少し痛いほどに手を握ったり、また呻いたり、十分以上をそうした。

 

 調理中であったニナだが、されるがままに犬か猫よろしく抱きすくめる扱いを受け入れた。途中、薪が燃え尽きるが、どうせお粥。また暖め直せばよろしい。

 数時間前に居留地に帰ってきた民兵の数人は、酒場へ転がり込むようにしてしけ込んでいる。二階で女を買ったのだろう。残りの民兵も、ゲームやら、爆睡やら、広場のベンチで酔い潰れているものも見掛けた。女性民兵も似たようなものだ。もう少し慎み深く振舞うよう求める年配者たちが顔を顰めもしたが、生き死にの境を潜り抜けてきた者からすれば勝手な言いぐさにしか聞こえまい。病院へ担ぎ込まれた負傷者もいたし、居住者からも戦死者が出たとも囁かれていた。

 民兵のチェスター中尉に助けられた流浪民たちは今、彼の勇敢さと献身を大いに触れ回っていた。一方で帰還した民兵の二、三人。特にケニー伍長は、口を極めてキャシディ副保安官の無能を罵っている。ちなみに中尉という階級は、大抵の軍制で百人から二百人を指揮する中隊長を務めるが、事務員や兼業のパートタイム歩兵を除けば十人少しの居留地民兵隊の最高位が大尉なので、まあ、名ばかりの中尉である。

 

 ニナ自身は、ケニー伍長のいささか一方的な物言いに反感を覚えたし、作戦失敗の噂が早々に流れるのはどうにも作為的に感じたが、雰囲気に逆らってまで声を上げはしなかった。

(事務所に詰めてる保安官助手たちが町に出てきたら、きっと互いにただでは済まないぞ)と考えて、キャシディに好感を抱いているだけに良くない流れだと懸念もしたが、それよりもマギーが心配でならなかった。

 

 今、無事に戻ってきてホッとしていたが、何時もよりもマギーは体温が低かった。死線を潜った直後も普段と変わらず過ごせるものは兵士でもごく一部だろう。しかし、常のマギーは割と神経の太い方で銃火に晒されても落ち着き払っている。そのマギーが僅かに震えていた。野外で走る屍者(ランナー)や変異獣《ミュータント》に襲われたり、危険な廃墟を探索した後でも平然としている。腕利きの放浪者《ワンダラー》たちと殺し合った直後でも、こうまでの緊張は見せなかったマギーがだ。

 

 尋常ではないことがあったと悟って、ニナは軽く唇を噛んだ。よっぽどの強い緊張《ストレス》に晒されたに違いあるまいと、「んしょ」強引に振り返ったニナは互いの額をそっと接して体温を共有した。ようやくに落ち着いた様子となりつつあったマギーが、深々とため息を吐いた。二度、三度と。眉間の縦皺が薄くなる。恐怖と緊張が抜けて平常に戻ったと見て、食事を作ってやろうとニナは動こうとするも、マギーは中々に離そうとしない。

 

「……手ごわかった」マギーはポツリと呟いた。

「はい」マギーの背中に手を廻しながら、ニナは頷いた。

「死ぬかと思った。まあ、それは何時もの事だけど。あと、人を見捨てました」

 特に躊躇するでもなく、マギーは淡々と言葉を続けた。

「特に罪の無さそうな小娘でした。要求されて、無法者《アウトロー》に引き渡した。美少女だったので、きっと高く売れるでしょうね」

 聞きようによらずとも酷い事を口にしてるマギーだが、ニナの顔を掌で固定するとじっと見つめてきた。ニナの頬が紅潮する。

「ニナも気を付けて。顔が整っているのは必ずしもいい事ばかりとは限らない。ちょっと気を抜いただけで、誰かの所有物として生涯過ごす羽目に陥るのだから」語られる言葉には実感が籠っていた。脅えや卑屈さは見えないので元奴隷の体験がある訳でも無さそうだが、しかし、マギーにしても生まれた時から強かった訳でもあるまい。脅かされた時代があったかも知れない。少なくとも碌でもない光景を多く目にしてきたと濁った眼差しが語っていた。

「うん」素直にニナが頷いていると、マギーは深々とため息を吐いた。

「……どうすれば良かったんでしょうね。分かりませんよ、そんなの。わたしだって余裕があれば助けたかったけど、継戦能力は無かった」自分に言い聞かせるような言葉なのを理解した上で、ニナはマギーに抱き着いて慰めるように撫でてやった。

「そうだね」ニナは、マギーの言い分を肯定しながら、その首筋に顔を埋めた。

「英雄じゃないんだから。でも、マギーは時々、人助けしてるし。襲ってきた野犬やゾンビをやっつけて子供助けたり、怪我や病気で困窮した渡り人(オーキー)仲間の一家に施しもするし。偉いよ、偉い」本気でそう思いながらニナは慰めた。共依存と言わば言え。弱い人間たちが今日明日を生きる為、傷を嘗めあって気力を保つことの何が悪い。

 

 マギーが泣いた。顔を歪めず、平然としたまま、しかし、一筋だけ涙が頬を零れ落ちた。

「だって仕方なかったじゃないですか。死にたくないし、勝ち目は小さいし」

 マギーは長々と自己憐憫に浸る性格でもない。一息吐くと気持ちを立て直したようだが、最後に言い訳するように小さく誰かの名前を呼ばわった。

 ニナには、生憎と聞き取れなかった。聞き直さなかった。過去の男か、或いは女かも知らないが、知りたくもない。(マギーはわたしだけ見てればいいのだ)との妙な独占欲が湧いてくるも、それはそれでよろしくない。視野や思考を狭めて破滅に到る道だと自戒する。しかし、マギーの未来を共に支えるのはニナであるべきだとも思う。

 

「本当に……弱いと言うのは、惨めで嫌《や》だね。せめて自分と身の回りだけでも守れるようになりたいものだけど」愚痴ったマギーは英雄願望。さもなくば、それに近い何かしらを抱えている節があった。それ自体は悪くない。むしろ人間的な魅力を増しもするし、時に命取りにもなりかねない。しかし、ニナは否定もしなかった。マギーは独りではないし、いずれはニナも成長する筈だからだ。

「マギーなら、何時か、なれるよ。きっと、なれる。用心深く振舞えばね。それくらいは手が届くと思う」慰めと願いを込めながら、ニナはマギーにそう繰り返し囁いた。

 

 

 

 翌日の涼し気な初春の午前。先日の一件の後始末をするべく、マギーはキャシディと連れ立って、民兵の少年ジョナス君の邸宅へと向かっていた。無法者との銃撃戦の際、少年は自前の高価な装備を喪失し、さらには味方に撃たれている。どうにもジョナスの実家は民兵のお偉いさんとの事で、一連の経緯に関して説明をしておいた方が後々拗れないで済むだろうとのキャシディの考えにマギーも従ったのだ。

 

「ヘルナルは、ポレシャがちっぽけな集落だった頃、纏まった物資を持って合流した家系で今も居留地でそれなりに影響力がある。つづりはHellner。Lは二つね」ポレシャ居留地でも比較的に内部に位置する街路を歩きながら、キャシディは傍らのマギーにつらつらと説明した。ヘルナル家はジョナス君の家名である。

「投資が成功したって事かな?羨ましいことで」マギーの言葉にキャシディは首を捻った。

「当時は生き残るのにお互いが必要だったんでしょう。二百年ほど前には、曠野も今よりずっと荒れていたそうだし」

 今以上に治安が悪い土地というのが、マギーにもちょっと想像し辛い。

「ほむほう」マギーは、適当に相槌を打った。

「なんだね、その頷き声」と首を傾げつつ、キャシディが言葉を続けた。

「兎も角、ヘルナル家の三代か、四代前のご当主が、さらに町を略奪者《レイダー》から守るのに活躍されたそうで、それ以来、ヘルナル家は民兵隊でよい地位を得てた、んだよね」

 へえ、と頷きつつも(末裔があれではね)とジョナス君の短絡的な行動を思い浮かべたマギーは内心、肩を竦めている。

 

「一応、ジョナス坊やのお父さんは、それなりに話しの分かるお人だし。早めに話しておいた方がいいと思ったんだけど……気が進まないなら、無理にとは言わない」前を歩くキャシディ副保安官の言葉。

「嫌な話は、早めに済ませておいた方がいいからね。態々、骨を折ってくれて」礼を述べるマギー。

 

 一帯は古い家屋が多く、閑散とした雰囲気が漂っている。二百年前の家と言われても納得できるような、崩れかけた無人の廃屋も多かった。

 二人が通り過ぎる街路には人けが少なく、昨年の巨大蟻侵入による痕跡がいまだに残っていた。破壊された窓、崩れた壁に侵入しかけて死骸と化した巨大蟻と突き刺さった槍。中ほどからへし折れた銃剣付きの銃が床に転がっている。

「ヘルナル中尉だけど、どうにも病気がちでね」キャシディ副保安官の憂うような言葉。

「で、次があの坊や?」マギーは肩を竦める。

「お姉さんがいたけど、旅のキャラバンについて行っちゃって。お兄さんはゼラー市の大学に学びに出たきり音信不通。風の噂だと、そちらで役所に就職したとか」

 マギーやその同類の流れ者からすれば、充分に魅力的なポレシャ市民の暮らしも、より安全で豊かな都市での暮らしと比較すれば、色褪せて見えるものだろうか。姉の方は、一生を防壁内で過ごす閉塞感に耐えかねたかも知れないが。

「ポレシャはいい所だけど、都市と比べたらね」

「田舎町には、戻ってこない、と?わたしなんかは、ポレシャで生涯を過ごすに不満はないけど」キャシディは淡々と、しかしつまらなそうに言った。上の二人に対して面白くない感情を覚えてるのは明白だったので、マギーは受け流すように頷いた。

 

「名家と言っても、まあ、高は知れてる。都市のそれみたいに私兵団抱えてとか、そんな規模じゃない」

 カウボーイハットを弄りながら、キャシディはポレシャの名家について説明してくれた。

「就職にちょっと顔が効くとか、隊商への依頼リストに一品、二品、載せやすいとか、パーティーで美味い肉を切り分けられるとかそんなもんよ」

 数千の人口を擁する都市で、役人にまでなったのならば、都市生活の方がずっと快適だし安全でもあった。

 

「それでも私やマギーよりは家柄が上だからね。やっぱり。それなりに礼儀を払って対応してね。言うまでもないけど」副保安官は念を押してくる。

「わたしよりは、大分上って気もするが。キャシディにしてからが……」マギーはぼやいた。

「わたしは庶民だよ。まあ、流れ者よりはいい立場だけど。マギーも定住できると良いね」呑気に言うキャシディに、マギーは少しだけムカついて黙り込んだ。

 

 

「チャンスが無いと思ってる。だからそんなに腹を立てる」数瞬の沈黙に滑り込ませて、キャシディが謡うように言った。

「……そんなに分かりやすかったかな」一瞬、頬を痙攣させたマギーは、苦い表情を浮かべたものの特に否定しなかった。

「わたしは、居留地の為に働いてくれた人には、チャンスがあって然るべきだと思ってるよ」キャシディは薄いそばかすの上、穏やかな目つきをそっと細めた。

「評議会の斥候任務を何回受けても、部屋一つ借りれるとも思わないけど」とマギー。

「評議会の任務はそうだろうね。評議会のはね」とキャシディ。

「ふむん、副保安官の為に働いて、渡り人(オーキー)になにかいい事はあるかな」

 

 閑散とした通りの曲がり角に、白いペンキが色褪せたカフェが寂しげにあった。

「この先に売店はない。向こうの話が長引くかもしれないし、腹ごしらえして行こう」問いかけには応えずに足を止めたキャシディが、奢るよ、と丸椅子《スツール》に腰かけた。

 

「予め言っておくと、金銭的な見返りは期待しないで欲しい」キャシディは宣った。くたびれたエプロンの女性が運んできたコーヒーとサンドイッチを手に持ちながら、マギーが胡散臭いものを見る目となるが、キャシディ副保安官は落ち着け、と目で促がした。

「居留地の土地を借りたり買うには、必要なものが二つ。信用の強い通貨と、ジジババたちによる審査」指を折りながらのキャシディの言葉に、トマトと胡瓜のサンドイッチを咥えながら、ほむ、とマギーが頷いた。

「審査の方で推すことは出来る」とキャシディの言葉だが、それだけだとやや魅力に乏しいとマギーも首を傾げる。

 

 防壁内にあばら家を買うのに商業ギルド通貨で5000クレジット。小さな土地で2000クレジット。防壁に面した外側の土地で800から1000で、テントを建てるだけの土地なら300から500クレジット。多少の上下はあるけど、とおおよその相場を上げたキャシディ曰く、法律的には居留地から半世紀単位で土地を借りる扱いだと説明する。人口の希薄な荒廃世界でポレシャの地価が安いか否かは、マギーには判断つかなかった。

 

「よその金持ちに土地を買い占められても困るし、不動産バブルになっても不況に陥っても小さな居留地では致命傷だからね」とキャシディ。

 よい土地は順番待ちになっている、そこに利権が発生するかとも思ったが、参事会でのやり取りには金銭は動かないそうだ。崖っぷちとまでは言わないにしても、常に存亡に晒されているポレシャ居留地は、参事会も危機感が強いのだろう。

 

「……良い土地ほど伝手が無ければ買えない?」マギーの問いかけ。

「評議会は、市民を増やすのに慎重になってる」とキャシディ。

 マギーは軽く計算してみた。手持ちの伝手では、麦5キロと引き換えに60ギルド・クレジットを入手できた。古来より、1ポンド(450ℊ)という重量単位は人ひとりの一日の食料を目安として作られた。大体10日分で60ギルド・クレジット。

 

 季節によって相場も変動するし、輸送に時間も手間暇も掛かるが、色々省いた単純計算では、およそ1000日分の食料で防壁内にあばら家を買える計算となる。ちょっと安全な防壁近くにテントを建てるだけなら食料50日分。渡り人(オーキー)にも手が届かない金額ではない。

 

「なるほどね……なるほど」サンドイッチを口に放り込んだマギーは、遠くの空を眺めて呟いた。

「キャシディの事は好きだよ。主体的ではないにしろ、ついて行ったのは私の意志だし、使い捨てとも思ってない」それからマギーは、きまり悪そうに頭を掻いて言った。

「ただ、斥候仕事で長生きできるとも思えない」

 

「巻き込まれたと思ってるのかな?」キャシディは問いかけた。

「あの作戦。わたしの乏しい経験……いや、それなりに歴戦と自負してる。チェスターの裏切りが無かったら十二分に上手くいってた」露骨に話を逸らしていたが、マギーは出来るだけ本音で喋っていた。

「キャシディは悪くない。誰がなんと言おうと」とマギー。

 町でよくない評判が流れてる副保安官にとっては、ご機嫌取りでも嬉しい言葉ではあった。

「真顔で言うか」キャシディが、へっと笑った。

 取りあえず、素直に受け取ってキャシディは機嫌を直すことにしたようだ。

 

 

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