ニナとマギーお姉さんは、しがない
廃墟と廃墟に挟まれた小さな路地裏を住処として定めた二人だが、兎も角も、生きる為には稼がねばならない。マギーは、移住してきた翌日から働きに出た。壁街の広大な耕作地で頑丈なシャベルを用いて溝を掘ったり、雑草を刈り取る野良仕事に従事する。荷運びもあれば家や壁の修理など二、三時間で低賃金の仕事が多いものの、それでもポレシャでは仕事に困ることは余りなかった。小さな居留地では求人が全くない事も珍しくない。機械力が希少で、畜力も限られている時代とは言え、その点でもポレシャは流れ者にとって暮らしやすい土地と言えよう。野良仕事の現物報酬に人参や玉ねぎ、ジャガイモ、レタスにキャベツなどを受け取ることも多い。居留地発行の麦兌換《ポレシャポンド》紙幣でも受け取れるが、どのみち、幾らかは食べ物を買うのに費やすのだ。
小さな部落や集落に比べれば比較的に安全で、仕事もあり、食べるにも困らないとなれば、移民に溢れそうな印象があるが、曠野にはポレシャよりも仕事が多く、物資に溢れ、軍事力に守られた自由都市ズールが強烈な存在感を放っている。
自由都市と近隣で繁栄する交易の街ツァリオの存在に、麦の産地とは言え一居留地の影はどうしても薄くなる。なにより僻地で丘陵地帯に囲まれた地勢もあれば、近隣の小さな集落や部落から幾らか人を惹きつけようが、地域そのものの人口も高が知れている。かくしてぽつぽつと人口が流入すれども、慢性的に人出が足りない、骨身を惜しまぬ働き者にとっては、ある意味、理想的な売り手市場がポレシャでは維持されていた。
日々を労働に費やすマギーに対し、ニナは生活を楽しんでいた。言い訳させてもらうなら、当初は働こうとしたのだが、保護者のマギーが子供は学ぶのと遊ぶのが仕事と主張した。かくして日がな一日、遊んだり、勉強したり、運動している。掃除や料理と言った家事の大半を行い、小さな浄水装置を作り、時にマギーの仕事について行って駄賃仕事をこなしもするが、今まで廃墟で暮らしていた孤独な歳月を埋めるかのように、居留地に来て数日で友人も出来、かつてなく楽しい日々を送っている。
それでも、時に路地裏暮らしには厳しい日も訪れもする。路地裏の壁は風を防いでくれたし、急に冷え込んだ寒空にも、ニナとマギーは抱き合い、二人で同じ毛布にくるまって寒さを凌いだりもした。しかし、特に通り雨に晒される深夜など、屋根のある廃屋に避難せざるを得ないのは、やはり辛かった。ポレシャの年間降水量は1000ミリに届かない程度。かつ、秋から冬に掛けてが雨期なので今の時期には僅かな小糠雨で身体を濡らす程度で済んだけれど、やはり屋根と壁のあった廃墟での暮らしが恋しくなる時もニナにはあった。
そうして居留地にやってきてから何日か経ったある日。マギーが改めてニナに向き直った。
「最低限のお金が溜まりました」
「うん」ニナは疑問の色を浮かべたまま、頷いた。
「家を買いたいと思います」路地裏の瓦礫に座りながら、そう告げた。
「はい?」ニナの『はい』は肯定の言葉ではなく、疑問詞であった。
「土地を買ったり、借りたりするお金なんかありません」とマギー。
「そうだよね」とニナ。どうやらマギーは、寝ぼけたり酔っぱらったりしてるわけでも無さそうだ。
「だから家を買います」
「???」ニナはわけがわからないよと言いたげな顔をする。
「近所の人に聞きましたが、ビルの一室に※家屋《いえや》『いえや』があるそうです。今から見に行きましょう」※家屋《かおく》ではない。念のため。
「いえや?不動産屋ではなく?」ニナは首を傾げた。
「ああ、そっか。映画や漫画で社会常識覚えたけど、現代の暮らしは知らなんだか」マギーはようやく食い違いに気が付いた。
少し考えこんでから、同居人に質問を投げかける。
「家を建てるのに一番安価な建材はなんだと思う?」
少し考えこんでから、ニナは答えた。
「木材……石、煉瓦。違うな。土……かな」
「土や粘土の家は、何年か働かないと無理かな」とマギー。
「藁とか?土を混ぜたり、屋根の建材に」三匹の子豚の童話を思い出しつつ、そう答えるニナ。
「中世の知識から回答を導き出そうとするのは、良いアイディアです」
褒めたたえつつ、マギーは答えを告げた。
「正解は、紙」
文明崩壊後の世界で立派な一軒家を建てるのは、ある意味、中世よりも難易度が高いかも知れない。なにしろ森は愚か、集落の少し外に出るだけでも人を襲う怪物が彷徨っているのだ。変異獣一つとっても狼よりも狡猾で知性が高い上、群れを為して襲ってくる。大抵の変異獣は、狼より戦闘能力は劣るけれども、群れを為すのは同じだし、戦いにおいては油断ならない存在だ。
お馴染みのゾンビや変異獣を除いても森には危険な怪物が潜んでいる。狼や熊は言うに及ばず、それら肉食獣の変異体。ゾンビ化した熊や狼、そしてビーバー。
有毒を持ち、かつ高速で空を飛ぶ巨大蜂。強力な腐食性を持ち、接触した金属や有機物を迅速に溶解させるブロブなど。さらには同じ人間でさえ油断できない。悪意に満ちた盗賊や排他的な部族が縄張りにしている事もある。
怪物の脅威を抜きにしても森や山岳と言った危険な環境で建材を調達し、一軒の家を建てることは至難の業である。木材を切り出すにしても、石を運ぶにしても、常に危険と隣り合わせの状況で、人力や駄獣に頼らざるを得ない。怪物に襲われるリスクを冒しながらの作業は、命がけと言っても過言ではない。だからこそ、貧しい自由労働者や
再生可能な資源としての紙や布、廃材などは、安価で手軽な建材だった。紙製の建材や簡素な布のシェルターは、少なくとも一時的な住まいとして有用である。また、廃材をうまく再利用することで、必要最低限の資材で住居を構築することも可能になる。ポストアポカリプスの世で、人々は限られた資源を最大限に活用しながら、なんとか安全な生活空間を確保しようと試行錯誤を続けている。
家を売るという触れ込みのハウス・ストアは、門前町でも一番上等な場所である防壁出入り口のすぐ外に店を開いていた。廃墟ビルの一階を使った、案外こじんまりとした店構えだったが、それでも一見して分かる良い店構えだった。入口の看板はペンキでピカピカ。店内は清潔で掃除が行き届き、明るく電灯が照らしていた。
「いらっしゃいませ」と丁寧に迎え入れた店員のお姉さんが、制服を着込んでいることに、まずニナは驚いた。マギーもびっくりしている。居留地中心地の店舗の店員でさえ、殆んどが上等ではあっても私服だった。町外れでは、中世のような服装や襤褸布をまとった露天商も珍しくない。なのに店内は清潔であり、店員が制服を着込んでいることで、ニナは漫画や映画で見た21世紀の世界にタイムスリップしたような錯覚を覚えた。
「どのようなお家をお探しですか?」見すぼらしい服装の二人組なのに、店員が親切な態度で声を掛けてくるのに再び驚かされた。
それでも、やはり品揃えは崩壊世界の常識を越えられず、木材や煉瓦、トタン板などは回収品や再生品が殆んどではあったが、ニナも、マギーも、興味津々で店内を見渡した。
大きな棚には、プラスチックケースに紙や布が積み込まれ、壁には様々な種類の設計図やサンプルの建材が所狭しと並んでいる。
古新聞にカーテン、段ボールにブルーシート。ニスやペンキの缶に釘や金槌。紙製の簡易住宅や布製のシェルター、リサイクル廃材を使った家具など、ポストアポカリプスの世界に予算の乏しい顧客がまさに欲しがるだろうラインナップの商品が揃っているようだ。サンプルや設計図を隠さないでいいのかしらん、とニナは思った。だって、これを見た者たちは、資材さえあれば、設計図などを買わないで自分たちで組み立ててしまうだろうから。
保護者にそっと考えを耳打ちすれば、考え込んでからマギーは頷いた。
「もしかしたら、居留地の役所とかから補助を受けてるのかも知れないね」
「うん?」ニナが興味深そうに尋ねると、マギーは続けた。
「利益は二の次……はないかな。資材の売却が主な事業で、設計図やサンプルを公開してるのは、流れ者たちがまともな暮らしを営めるように仕向けてるのかも知れない」マギーの曰く、有料と謳って壁に貼れば、貪欲な移民が餌に釣られるに違いないとの事である。ニナは考え込んだ。善良な陰謀ってあるのかしらん?
果たして、古のプロイセンはフリードリヒ2世が、貧しい民衆の食料事情を改善するために、ジャガイモ畑に見張りを付けたような深謀遠慮であろうか?新大陸から持ち帰った得体の知れない植物に触れようともしない農民たちにジャガイモを普及する為、フリードリヒ2世は畑を兵士に守らせ、夜には帰らせてわざと盗ませたと伝わっている。おお、18世紀プロイセンの農民の性格の悪さよ。
ポレシャが普通に設計図を配るのは愚策である。ただで配られた紙切れは焚き付けにしかねない。いや、必ずする。ポストアポカリプス社会で生きる貧しい人々には、そんな負の信頼感があった。
公開して閲覧無料としても、見るものは少ない。根の部分で政府を信じてないので、ポレシャの善良な政府が写していいよと宣おうとも、無料で働かされた挙句、取られるんじゃないかなど疑うに違いない。
しかし、値段を付けたものを壁に張り付けておけば、『考えてみれば価値がある情報だわい、今ならただで写せる?』と貪欲でずる賢い移民は、自らの抜け目なさを湛えつつ、紙とペンを買って書き写すだろう。
後先考えない奴が盗みをしないかって?すぐ目と鼻の先に完全武装の居留地警備兵の分隊が屯っているのに?斬新な自殺方法である。兎も角も、民度において18世紀ドイツの農民に劣るであろう現代のポレシャ移民たちは本来、有料である設計図をおのれの抜け目なさで無料で得ることに大きな喜びを抱くには違いない。
(マギーは人間不信かな?それとも、私が世間を知らないだけかな?)保護者の意見に白目を剥いたニナを他所に、店員に話し掛けられたマギーは少し緊張した様子を見せつつ、メモを見て具体的な要望を伝えた。
「実のところ、予算が限られているんです。できるだけ安くて、雨風をしのげるのなら小さくても贅沢は言いません」
店員はにっこりと笑うと、安心させるように頷いた。
「もちろん、お任せください。こちらには、手頃な価格で丈夫な家がいくつかございます。特にこの紙製の家は、お手軽に組み立てられて、耐久性も十分です」
マギーとニナは、店員の説明に耳を傾けながら、展示された家を幾つか見て回った。どれも驚くほど実用的で、ニナやマギーの期待を超えるものばかりだった。
例えば、紙を使った家屋の建設は、貧しい流れ者には一般的な方法になっている。新聞紙を重ねて紐で縛り、壁材として利用することも出来た。簡素だが、意外としっかりしていて、風や雨を防ぐことができる。布も同様に、シェルターの屋根や壁として使われ、寒さや熱から身を守る役割を果たせる。廃材を組み合わせて家具や家の骨組みを作ることで、より快適な生活空間を作り出しているのだ。こうした生活の知恵や工夫は、他の居留地でも知られているが、兎も角も、ポレシャでは古い建材やテントの材料が比較的に良心的な価格で手に入るようだ。
家と言っても恒久的な家屋ではないが、一時的な天幕として半年や一年は持つし、ある程度の風雨を凌ぐには充分な代物でもあった。そして貧しい人間からすれば、それでも無いよりはあった方がずっとマシなのだ。
「これなら、手が届きそうだね」とニナは目を輝かせた。
「ええ、本当に」対する、何故かマギーは冷や汗を掻いていた。実際のところ、マギーは、冷やかしの気分で家を見に来ていた。
幾らかの金が貯まったとは言え、毛布やら食器に鍋など他に揃えるべきと考えていたのだが、ニナはすっかり買う気になっている。まずった。思いつつ、視線を彷徨わせていたマギーは一番、安そうな天幕へと目を止めた。
「これくだしゃい」散財せざるを得ない事に涙目になりながら、マギーは一番、安い古新聞のテントを噛みながら注文した。
「一番安いのを」そう言う訳でマギーとニナは、新聞紙と紐とテープ。そして設計図を買った。
新聞紙を丸めて骨組みの棒を作り、或いは三角に追って布地を作り、それをテープで張り付ける。小柄なニナは十枚ほどで。大柄なマギーは三十枚ほどの新聞紙を使って、仮設テントを作った。新聞紙のテントである。
勿論、長持ちはしない。大事に使っても数か月か、半年持てば上等だろう。それでも、限られた資源や材料しかないポストアポカリプスの世の中では、古新聞も安価で手軽な建材として重宝されていた。
多少のニスやペンキを塗ったものの、防水性にはさして期待できないだろう。それでも、断熱性は悪くないし、風だって防いでくれる。雨が降っても直撃は避けられるだろう。濡れネズミになる前に、ほんのわずかな猶予は得られるし、持ち運びも簡単なので、持って避難すればいい。何より壊れても簡単に修繕できるし、代わりを作るのもそう難しくなかった。他の素材と組み合わせれば、もう少しマシにもなるに違いない。残った新聞も、浮浪者《ホーボー》などは毛布代わりにしている程には暖かく、寝る時に少しは足しになるだろう。
完成した古新聞のテントだが、こんな代物でさえニナは興奮してはしゃいでいた。
「素敵だねぇ、暖かいし、風も遮るし」寝転びながら、ご満悦の猫のように丸まっている。寝ているところに雨を浴びるのが、実は相当に応えていたようだ。
思ったよりも大きな出費をしてたマギーだが、まあ、いいかと苦笑した。
「そのうち、屋根も買おうね」
「わっ、楽しみだね」ニナは満面の笑顔を浮かべた。