「見舞いに来て開口一番それか」渋い表情のスタンフィールド氏に、ベンソン氏は見舞いの品だと林檎の入った紙袋を差し出した。
「おい、真面目な話だぜ、大事な話でもある」そう言うモージズ・ベンソンは居留地の名士だ。近隣で一番大きな簡易宿泊所……本人に言わせれば、ホテルを経営している。仕立てのいいコートを纏っているように金回りも悪くない。
「俺に金があるように見えるか?」ベッドの上のスタンフィールド氏が諧謔を飛ばすも、ベンソン氏はなおも話題を続けた。
「妙なガラクタを買うくらいなら、俺に投資しろよ」椅子に座りながら、話を続けようとする。これは女にでも入れ込んだか。
「……気になる女でもできたか」そうスタンフィールド氏が言うと、ベンソン氏は肩をすくめた。友人の反応に、これはどうも違うらしいわい、とスタンフィールド氏は片目を閉じて気難しく表情を歪めた。
「簡易宿泊所の経営拙いのか?」
「いんや、順調だ」とベンソン氏。
「じゃあ、なんでさ」問われたベンソン氏はメリッサをちらりと一瞥。
内密の話を求めるかと察したスタンフィールド氏。
「メリッサ、済まないが」と言うと
「リンゴ剥いてくるね」メリッサが紙袋を持って立ち上がった。
メリッサが廊下へと出て、二人きりとなったのを確認すると「あの娘。メリッサか、大きくなったな」そんなことを言いつつ、ベンソン氏は身を乗り出してきた。
「此処だけの話だぞ。いいな。約束しろ」囁くような声だった。
「分かった。分かった。約束してやるよ。さっさと言え」スタンフィールド氏は、聞きたくねえ、と露骨に態度で示しながらも面倒くさそうにうなずいた。
「ヘルナル家さ。中尉殿がやってきてな。果実畑買わないか打診された」ベンソン氏の発言は、スタンフィールド氏に驚きと当惑をもたらした。
「果樹園て、南東の果樹畑か」スタンフィールド氏は、真顔になった。
貴重な林檎やオレンジを実らせる南東の果樹畑は、収穫は乏しいにしろ重要な農地のひとつだ。なにより小さいが井戸がある。
「おう、農業用水の割り当て込みでだ」とベンソン氏。
「そりゃ、魅力ある買い物だな」スタンフィールド氏は頷いた。
果樹はポレシャ居留地でも貴重で、まず売れ残ることはがない。利益は大きくないが手堅い商売だった。ヘルナル家が手放す理由が分からない。
「で、金が足りない」
「幾らだ」とスタンフィールド氏。
「向こうの言い値は、8000。ギルドクレジットでだ」
「そりゃ高いな。都市に家が買える」スタンフィールド氏の言に、ベンソン氏が頷いた。
都市で庶民のふつうの食事が日に5~7クレジット。三年から四年分の食費で畑を買えるなら一見、安いようにも思えるが、自由労働者が一日働いた賃金が8から15クレジット。或いは、食事と寝床付きで3~6クレジットが相場である。食べ物や衣服などの形での現物支給も多く、しかも毎日、仕事にありつけるとも限らない。過酷な日々を酒や煙草もやらず本や映画、他の娯楽を楽しむ事もなく、十年の歳月を働き続けても果樹畑や都市の家を買うには手が届かない。八千ギルド・クレジットとは、そんな金額だった。
居留地市民であれば手の届かない金額ではないが、それはあくまで諸々の財産や資産を含めればの話だ。特に外貨であるギルドクレジットの現金で八千を所有している人物は、市民にも多くはないだろう。
渋い顔のベンソン氏に「分割は?」とスタンフィールド氏が尋ねた。
「ダメだ。即金以外、受け付けないと。しかも、ギルド銀貨のみ。無理なら、他の奴に声を掛けると」ベンソン氏は渋い顔で首を振った。
「……新しいライフル調達かな。に、しても、中尉が金に困っているとは思えないが」ふむん、と首を傾げつつ、スタンフィールド氏は友人に向き直った。
「幾ら用立てて欲しいんだ?」
「3000。そしたら、なんとか5000は集められそうだ」ベンソン氏が算段を告げた。
「5000も持ってるの?お前?」驚いたような声に簡易宿泊所の経営者が頷き返した。
「稼ぎのいい
スタンフィールド氏は、呆れたように首を横に振った。
「南東の果樹畑だもんなぁ。あー、俺なら一万二千は出すわ。金があれば、だが」
居留地の人口と市場が限られている以上、事業を拡大できる余地はない。一定の収入を約束してくれる果樹畑は、良い買い物だった。五年もしないうち元も取れるに違いない。
「見てきたが、虫も病気もない。立派なもんだ」ベンソン氏の言葉にスタンフィールド氏も頷いた。
「金額が大きいからな。退院してからでいいか?2~3日中には、家に帰れるそうだ」
「……勝手な話だが、出来るだけ早い方がいい。向こうもなにやら急いでいてな。他に話しを持っていかれる前に決めたい」気まずい顔をして図々しく要求するベンソンに、スタンフィールド氏は露骨に舌打ちしつつも、結局は友人に融資を約束してやった。
無論、ただではない。それでも資金の目途が付いたことに安堵したのか。ベンソン氏は、ホッと胸をなでおろした。
「利子は貰うぞ。最初に一割、単利で年一割」とスタンフィールド氏の言葉に、明日にでも契約書を作成することになった。
うむ、と頷いたベンソン氏だが、首を傾げて呟いた。
「しかし、8000ねえ……なんに使うやら」
「傭兵団雇ってどこぞの廃居留地の奪還……なんてタマでもなかろう」スタンフィールド氏も、そう云って顎に手を当て考え込んだ。
ヘルナルは、ポレシャ居留地きっての旧家だった。派手さには欠けるが安定した事業を営んでる。一家の暮らしぶりも慎ましく堅実な生活を送っている。
難事業だが当たれば大きい。そんな博打めいた冒険や征服を試みる人柄でもない。
友人と揃って首を傾げていたスタンフィールド氏の脳裏を、少年と美しい少女の姿が過ぎった。軽く呻いたスタンフィールド氏に「なにか、心当たりでも?」ベンソン氏が訝しげな視線を向けた。
「いや……まさかな」些か浪漫主義に過ぎる。自嘲するように軽く首を振りつつも、スタンフィールド氏の脳裏からは、どうしても二人の面影が離れなかった。
ポレシャの出稼ぎ労働者たちが住み始めた事から『街外れ』と呼ばれている一帯は、廃墟と化した旧市街地の片隅にあった。居留地にやや近いことを含めても他所と変わらない文明の残骸だが、かつては賑わっていた商店街か、住宅街の一角だったに違いない。建物も風化し、再利用できそうな資材も枯渇した今は、朽ち果てた大型建造物だけが灰色の廃墟群に過去の墓標のように佇んでいる。
『街外れ』は、さらに幾つかの小区画に分類できるが、廃墟や路地に暮らすのは、いずれも貧しい
滅多にない事だが、時にバリケードや簡易防壁を乗り越えて『街外れ』に怪物や野生動物の群れが入り込んでくることもある。終末世界における夜は、人の領域ではない。夕暮れと共に『街外れ』の一帯に通じる狭い街路などは木箱やドラム缶などが積み上げられ、木製の格子扉は閉鎖される。外に備えた木製バリケードの傍らで焚かれるドラム缶の炎と武装した不寝番たちの影だけが街路に揺らめていた。
路地裏に冬の名残を残した冷たい夜風が吹き抜ける。辺りには不穏な静寂が漂っていた。
ニナとマギーの暮らす路地裏の塒も『街外れ』の外れに位置していた。夜が深まる中、マギーは焚火のそばに座り、傍らで呻くニナの手を握りしめていた。水で冷やしたタオルをニナの患部に優しく当て、毛布で彼女を包んだけれど、すぐに苦痛に気づかされた。
呻き混じりの一部始終を途切れ途切れに聞きながら、マギーは無表情で薪を絞り、火の傍で薪を足していった。時折、発汗で水分を欲してると見て、蜂蜜を混ぜた暖かな牛乳などを口に含ませた。ニナは痛みに耐えながら呻き続いている。近所のあばら家で幼い双子を育ててる老人から、予備の解熱剤を買ってきてニナに飲ませもした。些か高額な出費であったかも知れないが、マギーはそれを気にしなかった。
ニナは、痛みに喋ることも出来なくなっていた。ひゅー、ひゅーと辛そうな呼吸が聞こえた。ニナが苦しみながら息をする中、マギーは彼女が助かると信じてるし、十中八九は大丈夫と見込んでもいたが、同時に、もしも、を恐れていた。この死の近い世界で、居留地の安全を信じていたにも関わらず、ニナは袋叩きにあってしまった。
マギーは、頭がぐらぐらとした。危険な状況に直面していても冷静さを保てるはずが、感情を抑えることが出来ない。ニナの手を握ると、熱い熱が伝わってくる。涙が頬を零れ落ちた。マギーもまだ若かった。年齢を重ねていても、気持ちにはまだ繊細な心の襞が残っている。
過去に仲間を失って深化していた絶望が、理性を食い破ろうとしている。それを理解していても、荒れ狂う怒りを制御できそうになかった。兎も角も、ニナのために最善を尽くそうと手を動かしながらも、心の奥底では失ったらきっと自分は狂うだろうと直感している。
「治らなかったら、責任を取ってもらわないと」とそう静かに呟いた。関わった全員を殺そう。逆恨みでも構わない。そう決めた瞬間、内面の憤怒が静かに収まった。多分、不可逆の心理的変化が起きたのだろうが、マギーにはどうでもよかった。ニナの傍らを片時も離れずに、一睡もせずに手当てを続けた。
(……キャシディに近づきすぎたのが間違いだったのだろうか?)しかし、柵を避けることはできなかった。他に手があったとも思えない。苦悩しながらも、ニナの手を優しく握りしめて、少しでも安らぎを与えようとしている。
何時間、経過しただろうか。ニナの寝息が少し穏やかになった頃、空気の匂いが変わった。少しだけ瑞々しい香りに夜明けを近づいたことに気づいたマギーは、手近なところにあった投げナイフを手に取った。其の儘、玄関口の小さなバリケードの方へ声を掛ける。
「まだ、夜明け前ですよ。バリケード内でも、出歩くのは感心ませんね」とマギーが淡々と話し掛けると、路地裏の前で立ち止まった人影がカンテラを持ち上げながら、低く笑った。
「……君に頼みたい仕事があってな。悪い話ではない」
スタンフィールド氏は退院すると決めた。医療所のグレイ医師は担当医として一応の制止をしたものの、患者の意志が固いと見ると痛み止めと予後の経過についての警告を幾つか与えてからスタンフィールド氏を見送ることにした。
「モルパインください。肩が痛いんです」杖を突いたスタンフィールド氏は、哀れっぽく訴えてみた。
「あれはもっと深刻な容態の患者に与えるものだよ。君にはこれで充分だ」勝手な退院に腹を立てたのか。グレイ医師は鼻を鳴らすと小さな膏薬の缶を置いた。
「ジプシー婆さんの薬じゃないか。便所の傍でベラドンナ摘んでるの見たぞ。大丈夫なのか」
「痛んだら、それでも塗ってたまえ。なに死にはせんよ」グレイ医師のなおざりな対応に憤慨を見せつつも、スタンフィールド氏は呼んでもらった馬車へと乗り込んだ。
先祖伝来の邸宅へと帰宅したスタンフィールド氏は、庭を囲んだ槍柵フェンスに衣服の一部が引っ掛かっているのを見て、にんまりと笑った。
隣人も少ない居留地外れの物件だが、盗人に入られたことは一度もない。匂いを嗅いでみると、古くて臭い。きっと
スタンフィールド氏が門に入ると、その足音を聞きつけたのか。庭の彼方此方から三頭の犬が駆け寄ってきた。角があったり、尻尾が蠍みたいに針が付いている。犬たちの頭を撫でながら、スタンフィールド氏が目を細めた。
「ようし、よーし、いい子だ。アキレウス、バッカスも。おぅ、余り舐めるなケイロン、ちょっと痛いから」栄養状態もよさそうだ。メリッサや近所の出戻り幼馴染に世話を頼んでいたが、良く面倒を見てくれたようである。
茂みの影で倒れた人間が見えたような気がしたスタンフィールド氏は、一瞬、硬直してから見なかったことにした。あくまで気のせいだ。犬たちの口元が赤いのにも気づかない。上機嫌の犬たちと遊びながら、スタンフィールド氏は玄関の鍵を開けた。
ポレシャ市民であるスタンフィールド氏は、手持ちの現金を複数の外貨へと分散させている。遊牧民の連合が保証してる
所有している通貨の全てをギルドクレジットに両替すれば、優に二万は越えるだろう。もしかしたら三万に届くかもしれない。
退院して家に帰ったスタンフィールド氏は、かるく計算してから改めて貯めた金額に驚愕した。しかし、問題は銀行や両替屋、為替市場などがポレシャ居留地に一切存在していないところにある。両替するには一々、手持ちの通貨の発行元か、発行元と取引している連中のところへと持っていって、この通貨を引き取ってくれませんか?と持ち掛けねばならない。
「両替屋がないなんて、中世以下だ」愚痴りながら、紙幣や貨幣を種類や額面、そして実質的な価値に合わせて分類し整理してみるスタンフィールド氏だが到底、一日や二日では作業が終わりそうもない。ちょくちょく両替しては利益を食っていたが、相場の変動と言うよりは、手数料で利益を上げていた割合の方が大きい。状況によって一気に換えると損をするのは、崩壊前の世界と変わらない。両替取引を一種のゲームと見做してるスタンフィールド氏だが、時間を掛ければ利益を上げられるのに、損をするのはどうにも気が進まなかった。
両替屋がいないとは言ったが、言ってみればスタンフィールド氏がポレシャ居留地の両替商のようなものだ。他所からやってきた旅人や行商人を相手に、相場を読みつつ通貨を両替して稼いでいたスタンフィールド氏だが、他の市民の誰が外と取引していて、誰が通貨を蓄えているか。実のところ、詳しくはなかった。
他に外と取引していて通貨を持っていそうな人物となると、まず思い当たるのは雑貨屋の爺さんであるが、以前に科学実験の爆発に巻き込んで怒らせてからは、スタンフィールド氏と話もしてくれない。不幸な事故だった。
先祖伝来の邸宅の庭をガラクタ置き場にしたスタンフィールド氏だが、両替を求めて見慣れぬよそ者や外国人が度々、訪れてくる為に一部市民からはかなり胡散臭い人物と見做されてる節もあった。
そもそも現物が強くて物々交換がかなりの主体を占める崩壊世界の商取引では、現金は通貨の一種に過ぎず、好まない取引相手すら少なくない。
都市の商会などは現金取引を好んでいるが、遊牧民や放浪民の鍛冶など、取引相手によっては割高の支払いを求められることもある。銃弾や酒、食料、衣服、金属製品、食器などを持っている方が、分限者と見られる世の中で、だから若輩のスタンフィールド氏が両替商として食い込めたのだが、短時間で通貨を両替できそうな伝手となるとまったく途方に暮れてしまう。
「俺は歴史を追体験している。貨幣誕生の黎明期はこうだったに違いない」知的好奇心で自らを鼓舞しようと試みたが、面倒くさいものは面倒くさい。傷も痛むし、疲れるしで、集中力の途切れたスタンフィールド氏は、ソファに横になると格子窓から外の景色を眺めた。足元にじゃれついていた犬たちが、ソファの下で尻尾を振っている。
「通貨に詳しく、隊商とかにいて信用できそうな人物とか、おらんかな?」どこまでも都合のいい妄想を呟きつつ、スタンフィールド氏は大あくびを噛み殺した。