黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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02_28 フェリクス・ヴィクス

 ポレシャの若い副保安官フェリクス・ヴィクスは、母と弟妹の家族五人で慎ましく暮らしている。父を早くに亡くし、その後は母と二人で小さな畑を耕して生計を立てていた。フェリクスにとって、小さな畑は父の遺した唯一の遺産だが、それだけでは十分に暮らしが成り立たない。地主のガライ家からも土地を借りて耕作に励んでいた。

 

 形式上は自作農でありながらも、実際のところは小作農に近い生活を余儀なくされていたが、しかし、フェリクスは己の境遇を嘆くでもなく、日々の労働に励みながら少しずつ生活を築き上げていた。ポレシャにおける小作農の生活も、それほど困窮したものでは無いことも理由にあった。

 

 随分と年の離れた弟妹たちに充分な教育を与えてやりたいし、誕生日にケーキを食べさせたい。肉を食べて身体を作ってもらいたいし、偶には継ぎ接ぎのない服を与えてやりたい。農業だけでは現金収入に乏しいので居留地内で仕事を探して見つけたのが、保安官助手の仕事だった。時に犯罪者を追跡して銃撃戦にもなるし、場合によっては郊外の農家を襲った変異獣や人擬きなどの怪物と殺し合いになる事もある。誰がどうみても危険な仕事なので、保安官助手の職は常に人手が足りず、求人が絶えることはない。

 

 母のジーナは浮かない顔をしたが、求人に募集したフェリクスは人手が足りない際の臨時雇いとして採用された。防壁内に暮らす古い家系ヴィクス家で唯一の男手、かつ十代半ばのフェリクスは当初、比較的に安全な内勤を割り振られた。主な業務は事務処理で、実際の治安維持には殆んど関わっていなかったが、それも居留地の安全を支える大事な役割と考えて手を抜くことはなかった。

 

 倉庫の整理や荷運び、木工所など時節ごとに様々な仕事で一家の生活を支えながら、繁忙期にはちょくちょくと保安官事務所に顔を出して、フェリクスは裏方を手伝った。そのうちに信頼を得たのか、犯罪者の記録や追跡の報告書の整理も任されるようにもなった。荒れた丘陵地帯や夜の曠野での危険な追跡の報告書に目を通しながら、時折、フェリクスは直接関わることのない世界に思いを馳せた。内勤の安全な環境にいる自分と危険な現場に立つ同僚たちの違いを比べつつも、役割の違いを受け入れてもいる。

 

 状況が変化したのは働き始めて三年目の秋。年配の保安官助手二名が退職し、新たに同数を正規職員として本採用することとなった。保安官助手は危険な割に賃金も安く、冒険好きな若者以外には人気の薄い職業だが、正規職員ともなれば毎月の固定給が保証されるため、仕事の限られている居留地では成りたがる者も幾らかはいる。

 

 ただし、そのうち一枠は、キャシディ・エヴァンスでほぼ決まっていた。少女の頃から保安官事務所に出入りしていた保安官の秘蔵っ子で、十四の時には単身、馬泥棒の一味を追跡して捕縛していた。弱冠十六歳だが、家畜泥棒や人攫いの追跡に参加した回数は両手の指の数でも足らない。冷静な判断力と果敢な行動力は、既に大人たちからも一目置かれていて、保安官助手に採用されても身贔屓と捉える人物はいなかった。いずれは副保安官に。そしておそらく保安官になると衆目一致で評されている。キャシディが保安官助手に採用されるのはほぼ確実で、実質的にはもうひとつの採用枠を数人の希望者で争う事になる。

 

 有力な候補者の一人は、デイヴィッド・ハッカー。フェリクスと同じく古い家系の最後の一人で、中年に差し掛かった独身男は、これまでも度々、保安官事務所に雇われていた。勇敢とは言えないが、真面目な働きぶりで計数に強く、特に繁忙期などには重宝されている。保安官事務所が事務処理を求めるなら、恐らくは彼だろう。

 

 もう一人の有力候補リーナ・シンプソンは、かなりの銃の使い手だった。雇われ狩人の子として、幼い頃に親に連れられて居留地へと移り住んできた。十余年をポレシャの為に働いた父親が変異獣に利き腕を嚙み砕かれて働けなくなった後も、居留地は狩人親子に小さな住居を提供し、水・食料の配給を捨て扶持として与えていた。父親に隻腕でも出来る仕事をしながら育てられたリーナにとって、今回の採用は絶対に落とせないものだろう。

 

 正規職員ともなれば、現場に出ることも求められる。保安官助手は危険な仕事な上、兼業では出世もそれほど期待できないが毎月、安定した給料が貰えるなら随分と生活は楽になるし、万が一、死んでも多少の年金が出るのは心強かった。纏まった金があれば、下の子たちを都市の学校に行かせたり、持参金なり独り立ちなりに牛の一頭も持たせてやれるかもしれない。よしんばそこまで上手くいかなくても、肥土や肥料を購入し、畑を広げることは出来る。どうみてもその他有象無象の候補者の一人に過ぎなかったが、駄目で元々。フェリクスも募集に応募した。

 

 

 ※※

 

 

 早朝の微かな明かりが窓から差し込み、朝の匂いが漂う中「兄ちゃん!」「兄ちゃん!」と元気な声が響くと同時に、突然の衝撃がフェリクスを襲った。双子の妹S(たち)がベッドで寝ていた兄に突撃してきたのだ。

 

 大柄なフェリクスだが、寝ているところに不意打ちされては流石に堪らない。

「人が寝ているところに体当たりしてくるのは止めなさい。それと頭に昇るな」と注意するも、妹たちは兄にまとわりついたり、小猿のように頭まで登ろうとしてくる。

 フェリクスは両手に双子を腰のベルトで掴んで持ち上げると「離さないと……こうだ!」言いながら振り回した。双子の妹たちはきゃうきゃうと笑いながら、楽しそうに兄にしがみついてくる。

 

 やがて妹たちが満足したのを見計らって一緒に顔を洗い、それからパジャマを着替えさせて全員で食卓に向かうと、フェリクスを見た母が目を丸くした。

「あら?今日は久しぶりのお休みじゃなかった?」

「悪戯っ子共に起こされたのさ」苦笑したフェリクスに妹たちがふたたび這い上がろうとしていた。

 食卓の背の高い椅子に二人を乗せて大人しくさせると、フェリクスは新聞を手に取った。と言っても、ルインズ・プレスは、隔週で近隣居留地の出来事に名士の誕生会や著名な農場主の訃報なども載せているローカル紙に過ぎない。隔週の薄い新聞も、今の時代は貴重で値の張る情報源で、経費で採れるのは副保安官となった役得だろう。

 

 記事に目を通していたフェリクスが眉を顰めた。新聞の社会面でポレシャ居留地の民兵チェスター中尉が賞金首3名を仕留めたと記事になっている。誤報だ。

「エヴァンス副保安官の名前が載ってない。マギーもか……よくないな。これ」チェスター中尉に助けられた難民の子のインタビューと共に成果が載せられていて、エヴァンス副保安官が敗走したことが事実のように書かれている。フェリクスは事実を知っている。しかし、何も知らない人間は新聞の誤報を信じるだろう。誤解が広がりかねないが、ルインズ・プレスの発行元は、広大な廃墟の何処かに潜んでいてすぐには連絡を取る事さえ難しい。

 

 拙いんじゃないかな、と首を傾げてるフェリクスに、先に席についていた弟のピエールが声を掛けてきた。

「兄さん、青空市で数学の教科書売ってるのを見かけたんだ」

「幾らだ?」フェリクスは財布から紙幣を取り出し、数えてからピエールに渡した。ポレシャの麦兌換紙幣はそれなりの信用を有しており、近隣の村や農場でも流通していた。 それだけに贋札には常に警戒が必要で、先代保安官が在任中にも二度、流通したが、いずれも発行元を突き止めて解決に導いていた。

 

 そして現在、三度目の偽造紙幣流通の兆しに、議会は神経を尖らせている。フェリクスが調査を担当しているが、先日も議会に呼ばれて詰問されたばかりだ。ポレシャが小さな居留地であった頃には無縁であった悩みに、フェリクスはため息を漏らした。こればかりは先人の記録を漁っても適切な解答は出てこない。

 

 浮かない表情の息子を見て、母が冷蔵庫から取り出した冷たい牛乳にシロップを入れて、ミルクセーキを作ってくれた。酒より甘いものが好きなフェリクスの好物だ。

「ミルクセーキぃ!」「ミルクセーキぃ」兄の前に置かれた甘い飲み物を目にして、双子が騒ぎ出した。

「おい、これは兄さんの……」苦言を述べるピエールの気持ちを嬉しく思いつつ、フェリクスは苦笑すると、三人のコップに少しずつ分けてやった。

 

 ポレシャはそれなりに豊かな居留地だが、さすがに電気の恩恵を受けることができるのはほんの一握りの市民だけで、殆んどの居住者は電化製品には縁のない生活を送っている。それでも自然の力を用いた風車や氷室など、便利な仕組みや工夫は生活の随所に組み込まれていた。旧世界の地下施設を利用した巨大な空間を氷の貯蔵庫として用いることで、それなりに廉価な氷を用いた冷蔵庫が一般家庭にも普及している。防壁内の家庭では冷蔵庫はそれほど珍しい代物ではないが、春先であれば氷も特に安い。それでもヴィクス家が冷蔵庫を買えたのは、つい最近だった。

 

 苦労は絶えないが、家族の幸せを考えれば、なにほどの事でもない。フェリクスは、穏やかな顔で口元を泡で濡らしている妹たちを見守った。

 

 使い古した木製の皿を並べ、オレンジと黒パン、そしてオムレツが食卓に並ぶ。

「おぅ!卵だ!久しぶりだな」ピエールが食卓に並べられた卵料理に驚きの声を上げた。妹たちもはしゃいだ声を上げる。食品全般が随分と値上がりしてるが、卵は特に価格統制の品目に含まれていなかった筈だ。

「今、高くなってるんじゃ?」フェリクスが言うと、母が微笑んだ。

「レストンさんに売ってもらったの。手に入ったのは三つだけど、以前通りの価格で買えたわ」その言葉にフェリクスは頷いた。巨大蟻襲撃で居留地の畜産は大打撃を受けたが、レストン一家は鶏を籠に入れて自転車+リヤカーで逃げ回っていた。今は笑い話で済むが、一つ間違えば一家全滅だった。

 母は続けて、「貴方によろしくって」と言った。

「卵をもらえるなんて、兄さんが副保安官に出世してくれたおかげだな」嬉しそうにピエールが応じた。

 

 フェリクスは微笑みながらオレンジを手に取り、一口かじって新鮮な味わいを楽しんだ。マッシュルームとチーズを混ぜたプレーンオムレツの朝食を取っているフェリクスに、母のジーナが心配そうな表情で話しかけた。

「フェリクス、最近よくない噂を聞いたの。町で何かが起こっているみたいで、あなたの仕事が心配でならないのよ」

 毟った黒パンにオムレツを乗せていたフェリクスは優しく微笑むと、母親の手をそっと握りしめた。

「心配しないで、母さん。僕の仕事は主に書類整理と記録管理だから、危険なことはあまりないんだ」つい先日にも無法者追討の任に就いたことをおくびにも出さず穏やかに慰めるフェリクスだが、不安は消えないようで母はさらに言葉を続けた。

「でも……その。噂では最近、町外れで人攫いが現れたとか、保安官たちが何人もやられたと言ってるのよ。略奪者《レイダー》がうろついているとも聞いたわ。もしそんな連中が町に入ってきたら……」

 母の言葉に、フェリクスは少し顔を曇らせた。

「エリスは残念だった。ただ、あれは……」

「折角、保安官が世話をしてくれたのに無下にするのは申し訳ないけど、他にも仕事はあるでしょう」フェリクスは沈黙した。畑を広げた今であれば、保安官事務所を辞職しても、生活は成り立つだろう。変異獣《ミュータント》がバリケードを越えて青空市に雪崩れ込んできた時にも、幼い我が子を抱きかかえて決して離さずに守り通した母親に対して、どうにも頭が上がらない。

「不安なのよ。フェリクス。貴方は無理をしがちだから」ジーナは頭をフェリクスの肩に預けてきた。母親から見れば、フェリクスは何時まで経っても可愛い坊やかも知れない。しかし、賢明なジーナは、普段は干渉しすぎることもなく、息子のすることを静かに見守ってきたのだ。

 

 フェリクスも、母親の言葉を無下にする気にはなれずに、困ったような表情を浮かべる。

「それに新しい保安官も決まっていないみたいだし……エヴァンスさんだと議会も不安だって」困ったような顔をしていたフェリクスが、その母の言葉に怪訝そうな表情を浮かべた。

「……母さん。その話、誰に聞いたんだい?」

「誰って……誰かしら?」尋ねられたジーナが首を傾げる。

「思い出せないかな?少し気になってね」

「大事なことなの?」おっとりと呟いたジーナは、困ったように頬に手を当てながら考え込んだ。

「ええっと……お買い物に行った時に、定期市で聞いたんだと思うわ。確か、そうよ。隣で立ち話してる夫婦がいて」

「どんな人たちか分かるかな?」フェリクスが真剣な表情で尋ねる。

「御免なさいね。あまり見ない顔だったわね。そんなに悪い身なりでも無かったから、門前町の人かしら?」 

 そのジーナの言葉に頷いたフェリクスが上着を着込んだ。

「ちょっと事務所に行ってくる」

「今日は、お休みじゃなかった?」

「うん。野良仕事は帰ってきてからやるよ」言ってフェリクスが、カウボーイハットを被った。

 

「危ない事はないわよね」ジーナが息子を見つめながら、心配そうに尋ねた。

「母さん、わかってる。でも、この仕事も大切なんだ。町の安全を守るために、誰かがやらなければならない。僕がいなくても、誰かがその役目を引き受ける。でも、それが本当に正しいことなのか……」フェリクスはつぶやくように言った。

「フェリクス……」母親は息子の顔をじっと見つめ、静かに言った。「あなたが決めたことなら、私は応援するわ。ただ、どうか無理だけはしないで」

「大丈夫、無事に帰って来るよ」フェリクスは約束した。

「気をつけてね。あなたが無事でいてくれることが何よりも大切なんだから」フェリクスはジーナに頷きながら、出勤の準備を整えた。

「兄ちゃん!いってらっしゃい!」妹たちの声に応えながら外に出ると、朝の冷たい空気が頬を撫でた。

 

 デイヴィット・ハッカーは現在、無職の鼻つまみ者となっていた。それでも市民階級として水と食料の配給を受けられるので喰うには困ってない。時折、半端仕事をして日銭を稼いでは、酒場でくだを巻いている。若い頃から商人になりたかったようだが、遂に纏まった金も作れず、好機を掴む機会にもまた恵まれなかった。フェリクスは酒場で一度見掛けたが、保安官助手は腰掛けのつもりだった。落ちて清々したと宣っていた。一般に保安官助手になりたいものはもっと若い頃から志すものなので、実際には採用は厳しかったとは後で知った。

 

 リーナ・シンプソンの採用に関しては、かなり意見が割れたらしい。有力候補はフェリクスとリーナだが、共に家族を養っている若者で能力や忠誠心に関しては充分に採用基準を満たしていた。保安官事務所のうちでは、実戦経験のあるリーナを推す声もかなりあったようだが、最後の決め手となったのは地主の意向。なにくれとなく目を掛けてくれたガライ家の刀自《とじ》が働きかけてフェリクスの本採用が決定した。家族を養う為、フェリクスは保安官助手を喜んで引き受けたが、一方でリーナが選ばれなかったことに対して、引け目も覚えていた。

 

 フェリクスが広場に差し掛かると、煉瓦造りの酒場の二階バルコニーでリーナが手を振ってきた。胸の見えそうなドレスを着て薄化粧をしているリーナは、誰が見ても魅力的な女性だろう。

 あの後、正規採用試験に落ちたリーナは職を転々としてから、酒場勤めに落ち着いた。夜には娼婦として働くこともあると噂で耳にした。怨まれているのではないか。本当はリーナの方が相応しかったのではないか。そんなフェリクスの疑心暗鬼に気づいているのか、いないのか。リーナが好意的に振舞うので、なおさらに辛かった。

 

「おはよう、フェリクス!」リーナは明るく声をかけてきた。フェリクスは微笑みを返しながらも、心の中に重いものを感じた。

「おはよう、リーナ。今日も元気そうだね」と返事をしたが、副保安官の声にはどこかしらの躊躇と硬さが感じられた。

 リーナはそんなフェリクスの様子に気づいたのか、少しだけ微笑みを曇らせた。しかし、すぐに元の明るさを取り戻し、「ありがとう。おかげさまでね。今日は忙しいの?」と続けた。

「うん、少しね。でも、いつものことさ」とフェリクスは答えた。

「それなら、無理しないでね。お仕事、頑張って」とリーナは優しく言い、バルコニーから姿を消した。

 リーナを見送ったフェリクスの胸中には、感謝と罪悪感が渦巻いていた。引け目を感じつつも保安官事務所へと向かうフェリクスの心には、家族を養うための責任感と、リーナへの負い目が混在していたが、それでも家族を養うために、そして町を守るために前に進むしかない。

 

 

 

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