黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

84 / 92
02_29 噂

 ポレシャ居留地における副保安官は現在五名。保安官助手が九名。他に有事の際や人手が足りない状況においては、臨時の保安官助手が任命される事もある。パートタイム保安官だが、普段から無法者追跡や居留地防衛の経験者なり腕利きなりがリスト化されている為、混成しても質が落ちることはない。

 

 正規の保安官は大半が居留地の市民階級か、古くからの居住者の家系で、ほぼ全員が防壁内に暮らしている。一方で居留地の人口は、市民と出稼ぎ労働者を合わせて五百人から六百人。近場の廃墟や農村を含めれば、ポレシャ一帯には優に千人以上が暮らしている。

 

 僅か十四名の職員で広範な地域の治安を守るのは至難の業にも思えるが、防壁を守るための傭兵。ゾンビや変異獣、家畜泥棒、コヨーテや野犬への対応を任された狩人も雇用されている。有事に動員される民兵も存在し、予備役も含めれば六十名近くにも達する。強固な防壁に加えて、市民が武装を保有していることを考えればポレシャは常時、百人からが武装した堅固な居留地で、中小の略奪者《レイダー》徒党さえ襲撃を躊躇うだろう。

 

 さて、ポレシャの武装保安官は十四名。兼業ではあるが事務や経理、補給係に渉外担当者なども含めれば、保安官事務所の関係者は十八名となる。彼らの家族や親しい友人を含めれば、保安官関係者と身内で八十人は下らない。居留地の内部で一部の者が中傷を流布し続けていれば、標的とされた組織が気づくのも時間の問題ではある……ただし、流言を察知できるかと、中傷を流している実行者たちを特定、捕捉できるかはまた別の問題でもあったのだが。

 

 

 フェリクス・ヴィクス副保安官は、中央広場へと足を踏み入れた。元の保安官事務所は、巨大蟻の侵入の際に破壊されており、今も生々しく焼け跡が残されている。為に現在は古い建物を臨時の事務所として使っている。元の保安官事務所は再建中だが、資材が足りずに工事がなかなか進んでいない。どこの居留地でもそうだろうが、ポレシャも常に資材不足や予算に頭を悩まされている。

 

 臨時の事務所は、まるでマカロニウエスタンの舞台からそのまま切り取ってきたかのような木造建築物だった。荒々しい風合いの木材や歳月を感じさせる風化した外壁の多くは、古い建物を解体した際の資材を再利用したものだが、資源や資材は常に限られており、建築技術や工具も多くが喪失している。ゾンビや変異獣が彷徨う旧警察署跡から持ち帰った鉄格子を覗いて、金属は殆んど使われていない。木材と幾らかの煉瓦で作られた建物は防御力に欠けているだろうが、深い庇は日差しを和らげてくれる。

 

 間に合わせで取り付けた古びた木製扉が激しく軋んだ。

「おい、壊れないだろうな」フェリクスは不安そうに呟いた。入った瞬間、埃っぽい空気が鼻をくすぐる。漆喰の壁には時代を感じさせるシミやひびがあり、ガラス窓から差し込む陽光が、かろうじて室内を明るくしていた。

 

「ヴィクス副保安官。今日は休みじゃありませんでしたか?」フェリクスを見掛けた部下の一人が書類を前にペン廻ししながら挨拶をしてきた。

「おはよう、エヴァンス副保安官はいるか?」キャシディの居場所を聞いた。

「いつも通り事務室《オフィス》です。あ、取調室かも知れません、今日はお客さんが来てるようで」手を振って部下に応えると、フェリクスは廊下の奥へと向かった。

 

 正面から見れば広くもない保安官事務所だが、それなりの奥行きはある。木造の柱と梁がむき出しになった廊下をフェリクスは好んでいた。19世紀の北米人が試行錯誤の末に築き上げた米国西部の建築様式(オールド・ウェスト・スタイル)は素朴だが機能的だ。残された技術と僅かな資源、土地特有の気候や気象風土を鑑みれば、曠野の自然環境ではきっと最適解の一つだろう。

 

 キャシディ・エヴァンス副保安官が籠っているだろう取調室前の廊下で、保安官助手であるコーデリアとシェリーがベンチに腰かけていた。フェリクスが近づくと二人とも、さりげなく鋭い視線を向けてきた。

(警戒しているな……だれを?何故だ?)フェリクスは、戸惑いながらも立ち止まった。

「エヴァンス副保安官に会いたいんだが……」告げたフェリクスに、敬礼しながらコーデリアが立ちはだかった。

「ヴィクス副保安官。エヴァンス副保安官は、ただいま来客と会談中です。重要な用件でしょうか?」

 言われて、フェリクスは口籠った。新聞に誤報が掲載され、良くない噂を町中で幾度か耳にし、母まで口にした。エヴァンスに知らせようと思い立ったものの、これだけ噂が流布しているのであれば態々、自分が知らせる必要もないかも知れない。

「町で妙な噂を耳にして一応、耳に入れておこうと……確かに、それほど重要な要件ではないかもな」

 フェリクスの困ったような表情を見た二人の保安官助手は、逆に顔を見合わせた。

「少しお待ちを」とシェリーがノックしてから部屋に入って、僅かな話声がぼそぼそと聞こえてくる。

 扉の隙間から、室内で座っているシエル・ガライが見えて一瞬、フェリクスは気まずい表情を浮かべた。シエルは居留地でも有力な家系の一つ、ガライ家の娘でエヴァンス副保安官とそれなりの親交を持っている。顔を見せても不思議ではないが、シエルを見る度、フェリクスは胸中に奇妙な後ろめたさと苦い悔恨が沸き上がっている。

 

「オフィスで待っててくれと」扉から顔を出したシェリーが頷くと、コーデリアが先に立った。

「案内しますよ」場所は知ってる、と言いかけたフェリクスは、自分を一人でエヴァンス副保安官の事務室に入れたくはないのだと気づいて苦笑した。

 コーデリアとシェリーはともに保安官助手だが、ともすれば、その忠誠心は組織ではなくエヴァンス個人へと向いている向きがある。治安組織にとって良い傾向ではないが、気心の通じた部下を持てないでいるフェリクスの僻みかも知れない。いずれにしても、警戒するほどの事ではないだろう。今はまだ。

 

 事務室に足を踏み入れて暫く待つと、キャシディ・エヴァンス副保安官が姿を現した。普段はあまり見せない鋭い目つきを向けてきたキャシディだが、やや憔悴しており、目の下に深い隈が刻まれている。行儀悪く机に腰掛けるとエヴァンス副保安官は煙草を咥えた。「……ん」それからフェリクスにも箱の一本を差し出してくる。

「どうも」礼を言って、フェリクスは煙草を胸ポケットに入れた。

「ああ、そう言えば吸わないんだったか」思い出したようにエヴァンスが小さく呟いた。以前は、滅多に吸ってる姿を見掛けなかったエヴァンスの新しい箱は、すでに半分ほどに減っている。都市製の煙草は安いものでは無いが、どうやら相当にストレスが溜まっているようだ。

 

 シエルとの会話内容が気になったが、フェリクスは個人的な好奇心を押し殺した。ガライの娘は彼に興味を示す様子もなかったし、まず何よりもエヴァンス副保安官に要件を伝えなければならない。

「一々、知らせるべきかとも悩んだが一応、報告はしておくべきだろう」話を切り出したフェリクスに対し、「どうぞ」とエヴァンス副保安官が苦笑で応じた。

「……すでに他の者からも聞いているかも知れないが、嫌な噂が流れている」とフェリクス。

「内容はおおよそ想像がつきます。わたしが、チェスターの足を引っ張ったと。あべこべに……でしょう?」確認するように告げたエヴァンス。

 最初に知らせたのは、シエル・ガライだろうか。頷いたフェリクスが噂の内容を報告して新聞を手渡すと、記事に目を通したエヴァンスはやや神経質そうにクスクスと笑った。

 

 エヴァンスは、二十《はたち》を幾つか過ぎた年齢の筈だ。年下の娘だが、フェリクスに同僚への偏見は無かった。或いは、フェリクスの薄い偏見をあっさりと越えるだけの有能さをこれまでのエヴァンスは示してきた。流石に略奪者《レイダー》の戦闘部隊との交戦などはないにしても、今まで馬泥棒や盗賊団《バンディット》と幾度も銃撃戦をし、一度も部下を死なせていなかった。しかし、それでも、エヴァンス副保安官はまだ若かった。不特定多数の悪意に晒される状況には、いささか参ってるようだ。

 

 中傷が堪えている様子のエヴァンスに、フェリクスは同情の眼差しを向けた。

「ヴィクス副保安官。貴方が何時、誰から如何な内容を聞いたか。正式な書面にして頂けますか?」

「了解した、エヴァンス副保安官」フェリクスが頷くと、キャシディは机から地図を出して、数字を割り振った小さなピンを刺した。

「……どの程度に広がっているのかな」とエヴァンスは呟いた。この質問はフェリクスに向けられたものではなかった。エヴァンス副保安官は、自分自身に疑問を投げかける癖があった。今も指を顎に当て、考え込んでいる。

 

「いずれにしても、噂が広がるのが早すぎるな」エヴァンスの吐き捨てるような言葉に、フェリクスは眉を顰めた。

「誰かが意図して流してると考えているのか?」

「十中八九、ね。どう思う?」と肩を竦めるエヴァンス。

 酷い話だ、と思ったが、エヴァンスは、そう言う感想を求めている訳ではないだろう。

「組織的な工作、と睨んでいるのか?」深刻そうな口調でフェリクスは尋ねた。

「流している者がいるとして、果たして誰の仕業かな?」エヴァンスは冷たい笑みを浮かべて尋ねた。

「民兵隊と保安官の間に疑心暗鬼をもたらすために、無法者どもが工作してると……」フェリクスの返答に、エヴァンスは呆気にとられたような表情を浮かべ、それから唐突に笑い出した。最初は静かな笑い声だったが、次第にその笑いはヒステリックに大きくなり、廊下に響き渡る程になった。

 

 エヴァンスは我慢できないと言った様子で涙を浮かべながらも笑い続け、何事かとシェリーとコーデリアが飛び込んでくるほどだった。それでもエヴァンスは笑い止まず、フェリクスが憮然として佇んでいる中、二、三分も笑い続けた後に涙を拭きながら、ようやく口を開いた。

「し、失礼……いや、そう言う考え方もあるか」何故か親しげにフェリクスの肩をやや馴れ馴れしく叩いてきた。

 

 同僚が笑い続けている間、フェリクスも一連の絵図について考察してはいた。

「よく分かった……つまり君は、民兵隊が敢えて仕掛けた権力争いの一環だと考えているんだな」純朴さを笑われて傷つき、腹立たしく思ったフェリクスが立腹を隠せずにやや乱暴な口調で確認すると、エヴァンスは皮肉っぽくほほ笑んで言った。

「民兵隊かも知れないし、無法者かも知れない。民兵の陰謀としても、保安官に対して地位を高めたい全体の動きか。或いは、個人の野心的な動きか」

 エヴァンスの言にため息を吐いてから、フェリクスは尋ねた。

「……君のことだ。誰が糸を引いてるか見当はついていて、ある程度は確証もあるんだな?」

 エヴァンス副保安官は、同僚の問いかけに直截的には応えなかった。

「目に見えない敵に対抗するのは難しい。或いは、無法者の陰謀の方がマシかもね。政治ごっこに現を抜かす余裕なんてポレシャにはないのだから」エヴァンスは辛辣にそう吐き捨てた。

 

 

 フェリクス・ヴィクスが立ち去った後、コーデリアとシェリーはキャシディのオフィスに残っていた。静かな部屋に、コーヒーの香りが漂っていた。

「ヴィクス副保安官はどの程度、信用できるのかな?」コーデリアがコーヒーを啜りながら尋ねた。

「分からない。ただ、あの人は良識的」棚の上のクッキーの缶に手を伸ばしてながら、シェリーが言った。

「そうかな?」コーデリアは懐疑的だった。

「少なくとも内通者とか言うオチはない」背伸びしながらシェリーが呻いた。

「……良識?」とコーデリア。

「良識的だろう。民兵との対立の可能性を無意識に排除している程度には」二杯目の珈琲に大量の砂糖をぶち込みながら、キャシディが淡々と告げた。

「疑うべき理由はない。今のところは」と椅子を棚の前に運びながら、シェリーが結論する。

 

「しかし、六人目か」キャシディは小さな笑いを漏らした。

「六人目?」コーデリアが眉をひそめた。

「同様の報告を行った者が既に五人いるということ」クッキーの缶を開けながら、シェリーが答えた。

「私の人望も捨てたものじゃないな」複数人が警告してきたなら、確かにキャシディ・エヴァンスには人望があるに違いない。しかし、乾いた口調には若干の疲れが滲んでいた。

「笑い事じゃない。それだけ広がっていると言う事なんだから」とコーデリアは諫めた。それからピンを刺された地図とメモ帳を見比べて考え込んだ。

「……多分、意図的に流されてる。それも一人じゃないな」キャシディの言にコーデリアは、舌打ちした。

「噂の広がりといい、早さといい、尋常じゃない。明らかにキャスを的に掛けられてる。どうする?」心配そうに尋ねるコーデリアだが「どうしたものかね」とキャシディも途方に暮れたように首を振った。

 

 

 噂が流布されたのは主に渡り人(オーキー)や労働者の間だが、かと言って座視は出来なかった。ポレシャは小さな居留地である。市民や正規居住者と言っても、労働者や渡り人(オーキー)との生活空間が隔絶している訳ではない。店舗持ちや自作農などは自然、雇われた労働者との関わり合いも増える。農場で何年も働いているうち、長期契約や小作農として誘われる事もある。下層民に広がった噂は、いずれ市民階層にまで浸透するのだ。

 

「……一番、最初に教えてくれた子の話だと、帰還したその日のうちには、私たちがチェスターの足を引っ張って敗走した噂が広がっていた」キャシディの説明にシェリーがクッキーを呑み込んでから、呟いた。

「チェスターかな」

「多分ね」コーデリアがつまらなそうに呟いた。

「チェスターはあれで百戦錬磨だ。二十年の勤務で伝手もあるし顔も広い。長期戦となれば、今回のような噂をまた仕掛けてくるかも知れない」二人の部下の顔を見回しながら、キャシディは言葉を続けた。

「今回だけなら、命とりにはなるまいが、幾度も流れたら……」

 目を掛けてくれている幾人かの参議や有力市民たちは、まだキャシディを信じている。しかし、悪評が流れ続ければ考えが変わる者も出るかも知れない。

「命取りになりかねない、か」シェリーが嫌そうに言い、コーデリアが唸った。

「……手強いな。何らかの形で反撃したいけど……」

 

「あと、忘れてはならないのは、先任の保安官たちや議会の動きだ」ャシディは重要な点を強調して二人に注意を促した。

「間違いなく、民兵隊と揉めるのはいい顔はしない。下手に動けば、平地に波瀾を起こそうとしてると見られる」キャシディは政治的状況に関して説明する。

「民兵が悪意を持って、中傷してるとは考えたくないでしょうね」とシェリー。

「話の持っていき方次第では、解任されかねない」とキャシディ。

「なんたるハードモード。明るい条件はないんですかね?」天を仰ぎながら、コーデリアがぼやいた。

 

「いつ、誰から聞いたのか。書面に纏めてはいるが糾弾するには足りない」キャシディは書類の束をデスクに投げ出した。

「最初に教えてくれたニナと、次いで知らせてくれたシエルは、聞いた時間と場所、そして相手を教えてくれた。しかし、ニナは証言に重みのない渡り人(オーキー)、かつ未成年だし、市民階層であるシエルも私と親しい間柄なので証人としては弱い」告げてから、ため息をついたキャシディは窓の外を見つめた。外には居留地の清閑な景色が広がっている。だが、静けさの裏には悪意を持った陰謀が隠されていた。

「……チェスターめ」キャシディは忌々しげに競争者の名を吐き捨てた。自分が工作の標的にされている現状には、流石に幾らかの不安を覚える。

 或いは、決めつけだろうか?チェスター以外の可能性もありえるのか?チェスターの背後に他の民兵隊の幹部、或いは参議の誰かがいるかも知れない。 しかし、噂の流布はチェスターの仕業に違いないとキャシディは半ば確信している。

 キャシディも、二十歳を過ぎたばかりの小娘。悪意に晒されて平然としていられるほどに神経は太くなかった。取りあえずはチェスターに的を絞って調べるべきだと考えていたが、しかし、既に先手を打たれてるのだ。

 

 中傷でじりじり追い詰められる叫び出したくなるような不安は、戦闘では覚えたことのないストレスで、キャシディの気質には巨大蟻に逃げ場なく包囲されていた時の方が、まだ気持ちが楽だった。いっそ負けを認めて逃げ出そうかとも弱気が過ぎる時もあるが、しかし、チェスターの稚拙な指揮を思い出せば到底、あんな口先野郎に居留地防衛を任せることなんて出来ないと心の奥底で負けん気と危機感が湧いてくる。

(……駄目だ。あいつに任せたら、最悪、ポレシャが滅びる)

 しかし、戦うと言っても味方はどれだけいるだろうか。

 

 市民権の保有者ではあるが、キャシディの一家は、平凡な庶民だ。僅かばかりの農地を耕し、木工職人として生計を立てている両親は穏やかな性格で、人と争うことなど考えられない。

 

 コーデリアにシェリーは、確実に味方してくれる。参議と有力市民の幾人かも、今はまだキャシディを信頼している。多分、シエルも当てにできるだろう。

 マギーはどうだろうか?ニナを痛めつけたチェスターの支持者たちにはいい感情を抱いていないだろうが、キャシディと距離を取りたがっているような素振りも見せている。他は?残念ながら、まだ若いキャシディには伝手は少ない。

 

 それでも、戦えるだけ戦うとキャシディは覚悟を決めた。負けても最悪、自分と家族が殺されるくらいだ。その場合、両親には冥府で詫びるとしよう。

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。