群青の空の下、渺茫たる曠野が果てしなく広がっていた。茸のように奇妙な形をした岩塊が野に隆起し、その周囲には険しい丘陵が連なる。そんな内陸の道を、二十人ほどの小さな隊商がゆっくりと進んでいた。都市から都市を結ぶ大規模な隊商とは異なり、この小規模な一団は、居留地から近隣の居留地へと移動する行商人や農夫、旅人などが集まって構成されていた。
日差しは強く、乾いた風が砂埃を巻き上げている。赤茶けた大地は乾いた土と岩で覆われ、彼方には山々が薄紫色に霞んで見えた。幌の付いた荷車を牛に牽かせているのは、老いた行商人だった。隊商の先頭で幌車に座り、穏やかな表情で古い民謡を口ずさんでいる。護衛を兼ねた
「ズールから半日。隊商の者たちとは次の居留地ミトでお別れですね。そこで加わる者もいるかも知れませんが……一応、同時に離脱するものには警戒してください」農民たちの列に紛れながら、マギーが雇い主に小さく囁いた。
「……了解」隊商に加わったスタンフィールド氏は頷いた。
本来、二人は自由都市ズールからポレシャまで直帰する経路を行く予定であったが、依頼人スタンフィールド氏は、いささか遠回りをしても街道筋の様子と他の居留地を見ておきたいと要望した。
賊徒や怪物の動向を調べるつもりか。或いは、有力者の伝手を得ようというのか。建築資材の相場を調べるのかも知れない。スタンフィールド氏は、何かしら心に期するものがあるようだが、マギーは聞かなかった。依頼人が事情を説明しないならば、安全確保以外の理由で深堀するのは護衛の仕事ではない。無理のない範囲の要望かつ、依頼人が日当を追加で支払ってくれるのであれば、マギーには否やはなかった。
マギーの行動指針は一見、人間不信にも思えるほど慎重だ。殆んど常に周囲を警戒し、注意深く丘陵などにも視線を向けている。気を抜いているように見える時も、よく見ればそれとなく同行者たちの動向を観察していた。全員を疑う性質は、信頼すべきものと信じてはいけないものを見分けなくてはならないビジネスには向いていない。しかし、その用心深さは護衛としては心強いもので、スタンフィールド氏も信頼しているし、安全な経路を選んだからか。殆んど怪物とも遭遇しなかった。
曠野の隊商には、大きく分けて三種が存在している。まず都市と都市、あるいは複数の都市を含む商業圏を結ぶ大規模隊商で、広範な地域間の生産品の交換や物流を担い、複数の商会や大商人が多数の車両や腕利きの護衛を仕立てて構成されている。大規模隊商は膨大な財貨を保有しており、長距離を移動し、大量の商品を運ぶ為に、道中での盗賊団や略奪者《レイダー》徒党の襲撃、或いは荒天などに常に備えている。
もう一つは、物流の中心である都市と近隣の居留地や農村を結ぶ一般的な隊商だった。こちらの隊商は、主に地域内での短距離の商品交換や資材の供給を担っており、小規模な商会や複数の隊商、地元の手工業者などが集まって形成される事が多い。
最後にある程度の市場を持つ消費地と近隣の小さな農場などを巡る小規模な隊商がある。これは行商人、農民や職工などが集まって形成されることが多い。いずれにしても、隊商は日々の生活必需品や地域特産品を運び、市場での交易や商売を行うことで地域経済を支えていたが、曠野や孤立する街道での襲撃は、常に隊商を悩ませていた。盗賊団の出没する街道筋を避け、無謀にも人跡未踏の荒野に踏み込んだ挙句、変異獣の群れやゾンビの大集団と遭遇して呑み込まれた隊商も少なくない。
為に隊商を抱える商会などは、常に熟練した斥候や腕の立つ護衛を求めている。いずれにしても、近場の農民や行商人は他所の街へ出かける際、こうして定期ルートを巡る小規模な隊商に加わることは珍しくない。僅かばかりの金を出すことで、信頼できる同行者が増え、護衛まで付くので、懐に多少の余裕のある旅人なども良く利用している。複数の隊商が時節を合わせて同行するのもよくある事で、同行者が増えれば、怪物や賊徒に易々と襲われる事も避けられる。そんな中、斥候として売り込めば料金を割り引いてもらえたかもしれないが、マギーは金を払って隊商に加わり、スタンフィールド氏の護衛に徹していた。
共に平凡な行商人を装った二人は、数千枚の銀貨を運んでる驢馬の背嚢に、需要の高そうな古着を何着か載せることで積み荷の偽装もしていた。
「……近いうちにもう一度、ズールを訪れようと考えている」スタンフィールド氏は囁くような声で明かした。マギーは一瞬だけ、唇に斜めに人差し指を当てた。誰が聞いてるか分からないと言いたげに咎めてくる。
予定。特に時間と経路《ルート》を把握されれば、襲撃を受けやすくなるとマギーは考えている。確かに、人目のない街道筋で旅人相手の強盗や追剥を裏稼業としている村人やら農民も世にはいて、しかし、周りにいるのは罪の無さそうな農民だけで、あまりにも神経質だとスタンフィールド氏は軽く笑った。市場で収穫物を高く売ることで頭が一杯の働き者たちにそんな二面性があるとは到底、思えなかったが、それでもマギーの忠告に従い、具体的な名詞は避けて話を続ける。
「近いうち、先方にもう一度顔を出したいが、その時も付き合ってもらえるかな?」
しかし、マギーは、少し口籠ってから囁いた。
「……実は、先約がありまして」
ミトは、自由都市ズールの北北東に位置している。街道筋に位置する居留地だが、むしろ宿場町としての色合いが強い。簡素ながらも堅実な木柵と木板の壁に囲まれており、外壁には高くそびえる櫓が立っている。鉄製クロスボウを携えた自警団員が、いつ襲撃があっても対応できるよう丘陵を監視していた。
此処《ミト》から先、南東のポレシャに向かって岸壁も連なる険しい丘陵地帯を細い道で抜けることになる。腕利きの案内人であるマギーが同行者でなければ、地元民スタンフィールド氏もあまり一人で進みたいとは思わない危険地域である。変異獣や巨大昆虫の棲息する丘陵地帯ほどではないにしろ、荒野を越えてきた旅人は、やはり危険な旅の緊張から多少なりとも神経をささくれ立たせているものだ。しかし、居留地を目にし、防備に安堵の念を覚えたのか。陰気に押し黙っていた幾人かの旅人も、今は笑顔を浮かべて、疲れを癒すためにくつろいでいる。
複数の街道が合流するミトには、外の荒野の厳しさを感じさせないほどの長閑な光景が広がっていた。各家庭の庭園には果樹が生い茂り、子犬を連れた子供たちの笑い声が路地に響き渡っていた。隊商目当ての商売用だろうか、焼きたてのパンの香ばしい香りが鼻をくすぐり、井戸端では農婦たちが談笑している。
「素敵な村だな」スタンフィールド氏は伸びをしながら言った。
「短期間の滞在にミトはお勧めです。物価は少し高いですが、治安が良く、村人は善良。街道筋なのでなにかあってもすぐに逃げられるのが高ポイントですね」半長靴を脱ぎながら、マギーは足の指を塗れ雑巾で丁寧に拭いている。水虫恐い。
「変異獣なら飛び越えられそうな堀と、ゾンビの体当たりですぐにも破れそうな木の壁が好印象だ。略奪者《レイダー》が押し寄せてきても五分くらいは持ちこたえられそうな自警団も心強い」雑巾を受け取ったスタンフィールドも足を拭きながら、村の防備に関してイギリス人のように率直に褒めたたえた。
「これくらいで充分なんですよ。でかい群れは都市軍が対処してくれるし、縄張りの徒党には……ここら辺だと
「おおぅ。略奪者《レイダー》に税金納めてるのか?」スタンフィールド氏は眉を顰める。
「自由都市に近いので、恐らくは軽いみかじめ料くらいで済む金額を……けしからんとか言わんでくださいよ。ポレシャだって略奪者と麦の取引してるんですから」道先案内人としてのマギーは、小さな居留地住人の気持ちを代弁するかのように答えた。
「それは……ああ、うむ」不承不承と頷いたスタンフィールド氏。大きな声で言えないが、鉄壁を誇るポレシャも数代前の頃は略奪者に頭を下げていたと聞いている。
改めて村の防壁を見回すと「しかし、この防護で大丈夫なのかね?」
「少なくとも村人にとっては。防備は金も手間も掛かる割、普段は役立ちませんからね」ため息を吐いたマギーが、ほろ苦い微笑を浮かべて結論する。
「変異獣の群れか略奪者《レイダー》の徒党が攻め寄せてきたら、二時間持たないでしょうね」
「俺たちが滞在してる時、イベントが発生しないように祈ることにしよう」スタンフィールド氏は肩を竦めた。それでも曠野での野営や木の囲いくらいしかない村落よりは随分とマシで、少なくとも寝てる間に巨大蟻のおやつにされる不安は覚えないで済むだろう。同行してきた幾人かの旅人も、今日はまともな寝床にありつけるぞと露骨な喜びを隠せずにいた。
兎も角も、中継点《ミト》にたどり着いたスタンフィールド氏とマギーは、そのまま隊商に別れを告げると、その足で居留地をぶらついてみた。
どうやらお祭りらしい。祭日に合わせて複数の隊商が訪れているようだ。
広場に面した文明崩壊前の広い建物は、備品や使えそうな金属など剝ぎ取られて、がらんとしていたが、交易所や休憩所としても用いられており、隊商に参加している旅人や行商人たちは思い思いに広がって憩いのひと時を楽しんでいる。
村人や他の隊商の者らと噂を交換する商人らもいれば、農民や隊商から材料を買って調理したり、出来合いのものを持ち寄って食事をしている旅人たちもいた。金を出し合って豚を丸ごと買ってる
※村人たちも、居留地発行の通貨は持っている。
この場合、外貨は都市発行通貨などの広域通貨を指す。
遊び場の多い宿場町の浮かれた祭気分に、旅人の財布の紐も緩んだか。荷物多めの隊商一行など、見れば、運の悪い数人の下働きを見張りに残して随員たちが三々五々に散っていた。彼らの商品の売り先はミトではなく、もっぱら北にあるツァリオあたりだろうか。北方交易の中継地として栄えている居留地だ。いずれにせよ、自由都市《ズール》よりは物価も安くて、治安も悪くないミトの飲食店や酒場、賭博場に売春宿などは、気晴らしに格好の盛り場なようだ。
「小腹が空いた。荷物を見ててくれるか?」今朝の朝食は、昨日の残りのリゾットだった。味は悪くないがスタンフィールド氏には物足りないようだ。
「街道沿いですから、何かしら売ってると思いますが……」とマギー。
「街道筋か。何か面白そうなものもあるかも知れないな」楽しげに予備の財布も取りだすスタンフィールド氏に、息抜きしたいのかな?と首をかしげつつも「此処で驢馬を見てます」マギーは頷いた。
(……もしかしたら、長くなるかもしれないな)そう思いながら、マギーは空き時間で、言い訳程度の商売に励むことにした。行商人を自称しながら、商売しないのも不自然である。自由都市の古着屋を巡って仕入れた積み荷をシーツの上に広げて露店にすると、余りやる気が無さそうに道行く若い女や主婦たちに声を掛け始めた。
幸いにスタンフィールド氏はすぐに帰還してきた。「此処のホットドッグは悪くないぞ」言いながら帰ってきたスタンフィールド氏だが、意外な光景に足を止めた。
「おぉ、なんてこった」
カモフラージュ用にマギーが買い込んだ衣服に村のお姉さんたちが食いついていた。人が群がって大盛況という程ではないが時折、若い娘が足を止め、態々、家から財布を持ってくる程度には魅力的な品揃えなようだ。
「……わぁ、素敵」「お姉さん、これ幾ら?!」
値段の割に縫製がしっかりしてますし、布の品質も良いです。中古も丁寧に繕ってます。ポレシャでも確実に売れますわ。さらに儲けられますわ。そう、賢いマギーちゃんがお勧めしてくれた衣服が、村のご婦人方の目を惹いてしまったようだ。
(流石の目利きだな。マギーちゃん。どうするですか?)
「お目が高い。実は、顧客であるポレシャ市民のお嬢さま方に頼まれた品なんですよ。ですが当然、多めに仕入れてあります」立て板に水を流すように店員マギーちゃんは、自然な笑顔で上手いこと接客していた。誰だ、お前?スタンフィールド氏は思った。
「元は隊商の一員ですよ。まかせんしゃい。との言葉に嘘はなかったな」感慨深げに頷いたスタンフィールド氏。腕組みしながら、後方ヒモ面で手伝わない。雇い主の権限を持って接客の全てをマギーちゃんに一任している。
「わたし。まかせんしゃいとか言ってないです」突っ込みを入れながら接客するマギー。結局、ポレシャに持ち帰る予定だった予備の服飾を驢馬から荷卸ししながら、三時間後。帯のブランドがどうたら、染色の材料が云々。最近、都会で流行の形式が。寒い日の着こなし~~。延々と喋り続けて十二点の服飾品が売り切れた。残りは、カモフラージュ用に取っておくが、雑多な貨幣や物々交換で利益を上げたマギーちゃんは、相当に疲れたようだ。露店に座り込んで呻いていた。
マギーちゃんは、増えた所持金の分だけ怒りを貯め込んでいるようだ。
「自由都市銀行の手形でも持っていた方が(より本物の商人)らしかったでしょうかね」重くなった商人用の財布を手に言いながら、まったく手伝わなかったスタンフィールド氏を恨めし気に見つめている。
「そんな顔をするなよ。君にとっていい臨時収入になっただろう」誠心誠意、宥めるスタンフィールド氏。
「仕入れは、必要経費で貴方持ちですし、護衛料は前払いでもらっています」紙と計算機で計算してから、利益をスタンフィールド氏に全額押し付けてくるマギー。
マギーの行動はスタンフィールド氏にも意外だったので、押し付けられた財布を返そうとする。
「顧客を安心させてくれよ。同行してる時、護衛にも利益がある方が安心できる」親しげに言うも「原則を崩したくありません」マギーは頑なだった。
流石に金を受け取らないのは、金銭での取引を重視するスタンフィールド氏には理解できない。
「……変な子だな。職業意識が高いにしても。
今さら君が俺を殺して金を奪うとは疑ってないが……」
「職業的な護衛として、出来る限りの信頼に応えさせていただきます」マギーは淡々と告げた。ただ、そのスタンスに合点がゆかないと雇い主が見つめてくるので、降参したようにマギーは肩を竦めた。
「優先度の問題です。生き残るための」マギーの言葉に、ふむん?スタンフィールド氏が首を傾げる。
マギーが言うには、表面を取り繕っているだけで、商人としてずっと生業に出来るほどの知識も伝手もない。偶々、上手くいったあぶく銭で自分の判断基準や歯車が狂う方が恐いと説明してきた。
「期せずして懐に転がり込んだあぶく銭です。同行中に利益を出せるとなれば、普段から欲が出るかも知れない。気を取られる事になる」感情を感じさせない静かな瞳をスタンフィールド氏に向けて、マギーは淡々と告げた。
「軸がぶれると死に易くなる」想像以上に過酷な生き方をしてると察せられる台詞に、スタンフィールド氏は怯みを覚えた。
「優先順位ね……商人でも充分やっていけるように思えるが」スタンフィールド氏の声は小さかった。
「……他人が聞けば、妙に思うかも知れません。僅かな護衛料を踏み倒されて、殺し合ったこともありますし。ゲン担ぎのようなものだと思ってください」
「分かった……今は預かって置く」
少し考えてからスタンフィールド氏は折れて、重たい財布を懐に仕舞い込んだ。
臨時収入にもボーナスを求めないマギーだが、一方で報酬を払い渋ったりすればきっと雇い主も殺しに掛かるだろう。自分なりの掟を頼んで生きている危険な人物だが、使い方次第では役に立つ。人を使う立場としてマギーを道具に分類しつつも、人情家としてのスタンフィールド氏は、過酷にしか生きられない若い娘を哀れに思った。
(……まあ、今はこの金を預かっておくさ。君が他の生き方をしたいと思える時が来るまではな)
気が付けば、太陽も中天に近づいていた。
「ひと稼ぎして腹も空いたな」なにもしてないけど演技用人格のスタンフィールド氏がそう言って、マギーから受け取った財布を振ってから尋ねた。
「何か旨いものでも買って来よう。なにがいいかね?」
「買っていただけるなら、なんでも」マギーが応えた。
携帯用の飯盒に麦粥。豆と野菜と肉の煮込み。小麦パンに豚のソーセージ、そして玉ねぎとレタスを挟んだホットドッグを抱えたスタンフィールド氏が戻ってみれば、マギーは隊商の下働きの一人の小僧に口説かれていた。
今のマギーは、何時もの動きやすいジャケットとカーゴパンツではなく、商人たちが好む白くてぶかぶかの安い服を纏っている。顔にはドーランではなくナチュラルメイク。肌に刻み込まれた刀傷や弾痕、お腹のシックスパックも隠されて、蛇の入れ墨も見えないとなれば、傍目には若くて綺麗な働き者の女商人である。しかも驢馬持ち。下働きの小僧がのぼせ上がるのも無理はない。
口説いてる小僧曰く、自分は正直な働き者で有り、所属している隊商に僅かばかりの給料の前借りをしているが、それさえ払って貰えば、喜んで新しい雇い主の為に働くとのことだ。さらに言えば、自分には素晴らしい商才があって、何処で何を安く仕入れられるかを隊商の誰よりも熟知しているのみならず、弁舌を持って誰よりも高く売ってみせると豪語している。さらには、もし、自分を見込んで投資してもらえるのなら将来、自分の隊商を持てた暁には五倍、十倍にして返すとまで唯一神と先祖の名掛けて誓ってみせた。
機械的に受け流しているマギーの方から、小僧を揶揄ったり、粉を掛けたと言う事はないだろう。スタンフィールド氏は合点しながら、一緒に商売しようとかき口説いている小僧と相棒の間に身体を割り込ませた。
「素晴らしい将来設計だな。そんなに素晴らしい才能を持っているのに、なぜこんな小さな隊商でくすぶっているんだ?」マギーにホットドッグを押し付けながら、スタンフィールド氏は皮肉っぽく冷淡な物言いで小僧を窘めた。夢中になってマギーに喋っていた小僧だが、大人の男に割り込まれた途端、怯んだように口籠った。
「それは……今までチャンスが巡ってこなかったから」それでも蚊の鳴くような声で小僧が反論する。
「誰もその才能に気づかないなんて、よっぽど運が悪いんだな。だが、君の雇い主も、きっと今の弁舌を聞けば感動して投資してくれるだろうぜ」流石に、スタンフィールド氏の皮肉に気づいたのだろう。小僧の顔が赤くなり、悔しげに俯いて何事かを呟いた。マギーは我関せずと、淡々とホットドッグを齧っている。
スタンフィールド氏は、ホットドッグをひとつ小僧に押し付けた。
「夢みたいなことを言ってないで、真面目に働け。お前が嫌いな連中も皆そうしてる」と、窘められた小僧が悔しげに睨みつけてきた。
「……紐の癖に」
なんとなくマギーがスタンフィールド氏の肩に抱きついてみると、小僧は泣きそうな表情をして離れていった。
情緒を破壊された丁稚小僧を見送って、スタンフィールド氏は肩を竦めた。
「……確かに弁の立つ小僧だったな」スタンフィールド氏は評価した。淡々とホットドッグを齧っていたマギーが、意外そうに見てきた。
「肌に暴力の跡があった……苦労してるんだろ」気の毒そうなスタンフィールド氏の言に、マギーは肩を竦めた。
「その割に、手厳しい態度を取られたように見えましたが……」
「窘められて潰える夢なら、遅かれ早かれ潰れる」やや嫌な気分になりながら、スタンフィールド氏は言った。
「ああいう立場の少年少女は存外、逞しいものです。それに貴方は否定するだけでなく、道を示しました。優しいですよ」とマギー。慰めだろうか。
「生まれつき実家が太い市民階級の癖、這い上がろうと必死な少年に偉そうな事ほざいてやがるとか思ってない?」スタンフィールド氏は尋ねた。
「……男の人はロマンチストですね」一つ目のホットドッグを嚥下してからのマギーの返答に、どういう意味だろうか、とスタンフィールド氏は頭を悩ませた。
「さあ、折角、色々買ってきたんだ。何時までも喋ってないで食事にしよう」
丁稚たちの未練がましい視線を感じつつ、マギーとスタンフィールド氏は、空いている場所に腰を下ろして麦粥やパン、煮込み料理などを広げた。
周囲では旅人や行商人たちは様々な噂話を交わしているが、特に秘密の儲け話や商売の話でもない限り、誰が聞き耳を立てようが気にしないようだ。
情報交換の場を兼ねた取引所などでは、色々な噂が耳に入ってくる。噂話が思わぬ真実を含んでいる事もあれば、ふと耳に挟んだだけの噂が旅人にとって命綱になることもある。いずれにしても危険な土地には近づかないのが一番で、その為には略奪者《レイダー》の徒党や、盗賊団の出没するルートなど、最新の動向を常に把握しておかなければならない。
時折、興味深い話題が聞こえてくると、話の輪に加わったり、反論する者も現れ、場はかなり賑わっている。熟練の旅人が集まっている一角でも、隊商に雇われた護衛が食事を取りつつ、噂話に興じている。隣に屯っていた隊商護衛の傭兵らの囁くような低い声は、少し離れれば聴きづらかっただろうが偶々、近くにいた幾つかのグループの耳には充分に届いてくる。
建物の柱の影で傭兵の一団が食事しながらうわさ話に興じていた。
「マルヴァの話、聞いたか?」年長の護衛が低い声で囁いた。
「マルヴァになにかあったのか?」若い傭兵が問い返す。
「変異獣に襲われたそうだ。それこそ数千匹が津波のように押し寄せてきて一溜りも無かったと」年長の男は目を伏せ、ため息をついた。
「……生き残りはいないのか?」話し相手の若い傭兵が息を吞んでから尋ねた。
「公民館に避難して七日を持ち堪えたそうだが、最後には弾も尽き、バリケードも破られてな」
「生き残りがいないなら、どうして七日持ち堪えたと分かる?」若い傭兵が指摘した。
「廃墟漁りが公民館で日記を見つけたそうだ……顔色が悪いぞ」
「妹がマルヴァに嫁いでいた」若い傭兵が蒼白の表情で力なく呻いた。
傭兵たちと柱を挟んで、入り口から反対側の席。
「どうにも、私は燃費が良くないです。動いてると腹が空いて」
言い訳するように大麦の粥を二度お代わりしたマギーが、食事の手を止めたスタンフィールド氏を見つめた。
「……マルヴァはかなり強力な居留地だな」地図を脳裏に思い浮かべながら、スタンフィールド氏が告げた。
「噂とは総じて無責任なものです。ズールやポレシャが滅びたなんて噂も二、三度は耳にしました」随分と離れた居留地の噂であり、真偽も疑わしい。マギーは淡々とそう告げたが、しかし皮肉っぽい笑みを浮かべて言葉を続けた。
「仮に噂話が本当だとしても、数千匹は無いと思います。曠野で何を食べているんだと言う事になりますから」
「数百匹ならありえるかな?」スタンフィールド氏の口にした疑問に、マギーは無言で肩を竦めた。
察したスタンフィールド氏は、何とも言えない表情を浮かべてから手を組んだ。
「マルヴァが滅びるなら……ポレシャが滅びる事もあり得るだろう」
考え込んでからスタンフィールド氏が切り込んできた。
「君の先約は、キャシディか?」
「……申し訳ありません。他の依頼に就いては口外できません」マギーは頑なに沈黙を守った。
「おぉ、凄く忠実……よく知ってるだけに参るな」スタンフィールド氏は頭を掻いてから、身を乗り出した。
「ポレシャの防壁を早めに修繕しておきたい。資材を手配する為に、早めに商談に入っておきたいんだ」
マギーも困ったように沈黙し、後ろめたそうに視線を逸らした。