黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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02_37 曠野の王たち

 曠野に点在する居住地は、その大半が数家族で構成される小集落である。為に銀行のような高度な金融機関は殆んど存在していない。そもそもが曠野の地においては通貨の信頼性がかなり低く、家畜や作物主体の物々交換の比重が大きい。資金の流動性も乏しい小規模農村経済では、銀行が運営される実利的な理由がほとんど存在していない。

 

 ポレシャは例外的に大きな居留地のひとつで、最新の統計で人口は公称四百。これは市民や技術者、自由農民などの正規居住者だけの人数で、防壁外の区画に暮らす職人や自由労働者、小作人にその家族も含めれば実数は七百に迫ると見られている。他にも定期的に滞在するキャラバン、傭兵、牧童、季節労働者もいれば、不定期に訪れる行商や鉱夫、流しの芸人。旅人に説教師、巡礼、漂泊者も比較的に頑丈な廃墟などに寝泊まりしている。

 

 それら流動人口に近隣から作物や商品を持ち込んで取引を行ったり、生活必需品を購入したりする農場や農村、小村落や隠れ家の住人たち。ポレシャの市場や交易所を利用することで経済圏に組み込まれているが、物理的な居住地は離れてる周辺人口も含めれば、ポレシャ経済圏の人口は優に千人を越えている。

 

 1 ポレシャは、豊富な水源と肥沃な土地を所有している。

 2 小麦の産地として名高いポレシャは、小麦の兌換紙幣を発行している。

 3 都市と取引を行うポレシャには、貴重な外貨と機械部品が流入している。

 4 ポレシャの麦兌換紙幣は、それなりの信用度を保って周辺に流通している。

 5 ポレシャの防衛力は、かなり高い水準に保たれている。

 

 これは例えば、西部開拓時代の町銀行や中世における貸金業者など初期段階の金融機関を成立させるに十分な条件であろうとスタンフィールド氏は判断している。にも拘らず、ポレシャに銀行が存在していないのには、幾つかの理由があった。

 

 

 防壁の方角から断続的に、だが、絶えることなく銃声が響いてきている。

「……意外と長引いてるな」商用で町の広場に赴いていた市民の青年モージス・ベンソンは、嫌そうに呟いた。

 ポレシャの防衛力はけして侮れない。生半な盗賊団や変異獣の群れなど容易く蹴散らせるだけの戦力を抱えているにも関わらず、既に一時間近くも交戦は続いているようだ。

屍者の群れ(ゾンビホード)だ。どうにも防壁の他にも二、三カ所に押し寄せてきてるとさ」隣を歩いているキャロル・スタンフィールドが聞いた噂を口にする。

「そりゃ拙いな、拙いね」ベンソンは眠たげな眼を瞠って、そう繰り返した。

 屍者の群れ(ゾンビホード)は、曠野において侮れない脅威だ。変異獣《ミュータント》の暴走《スタンピート》や人狩り(マンハンター)の襲撃《ライド》に並んで、集落滅亡の原因として最たるものであった。百を越える屍者《ゾンビ》の襲来には、ポレシャと同規模の居留地が沈んだ事例すら無くはないのだ。

 

 防壁は腕利きの傭兵に守られているし、保安官の練度も高い。にも拘らず、未だ戦闘が続いている。とすれば、屍者の数とて二桁では利くまいとベンソン氏は舌打ちする。

「これほどでかい群れ(ホード)は何年ぶりかね?町外れ……下手すりゃ門前だって呑み込まれるかも知れんぜ」友人の危惧に対して、しかし、スタンフィールド氏は鼻を鳴らした。 

「脳みそもない屍者《ゾンビ》相手だ。幾らいようがエヴァンスなら後れをとるまいよ」

「お前さんがそんなに評価するのか? 下手糞な指揮で怪我までさせられたってのに」 

 エヴァンス副保安官への評価を聞いたベンソン氏が、意外そうにそう言うと、スタンフィールド氏はため息を吐いた。

「モージス・ベンソンにしてからがそんな認識か。と、なるとエヴァンスの置かれた立場はちと厳しいな」

 

「しかしね、ゾンビは増えるからなあ」旅人から度々、噂を仕入れているベンソン氏は、遠い記憶を掘り起こすような仕草をしてから続けた。

「ルッソの噂を聞いたか?交易路を通り抜けようとした隊商が度々、呑み込まれて、今は、数百体のゾンビが彷徨っている。屍平原と呼ばれてるそうだ。欲の皮を突っ張らかせた商人や鉱夫連中の成れの果てにしても悲惨だよ」言ってベンソン氏は背筋を震わせた。

「屍者《ゾンビ》の百や二百、なんとでもなるさ。問題は……」淡々と告げたスタンフィールド氏は、しばしの沈黙の後、ぽつりと呟いた。

「ぶっ殺してやりてぇな」友人の物騒な吐露に、善良な市民ベンソン氏は眉を顰めた。

「なんだよぉ?突然?!……俺、お前に何かしたか?」

「曠野の王だよ」とキャロル・スタンフィールドは、反吐を吐きそうな口調で小さく吐き捨てた。

 

 大きな徒党を束ねる無法者の頭目や幾つもの隊商を抱える豪商、集落を支配する有力者が「曠野の王」を名乗ることは珍しくない。名だたる略奪者《レイダー》の頭目にも、曠野の王や統治者を自認する者が幾人かいる。そして中には、比較的にポレシャに近い領域を縄張りに有する王もいるのだ。

 

 スタンフィールド氏と大して年齢の違わないモージス・ベンソンは、小さく咳払いしてから、映画の老賢者のようなしわがれ声で賢しらげに嘯いた。

「若きスタンフィールドよ。一つ忠告しておくが王たちの耳は曠野に何十と散らばっておる。乞食や旅芸人の姿を借りていることも珍しくないぞ」先刻まで指輪物語を見ていたから、影響されてやがる、とスタンフィールド氏は思った。

「……あるいは、酒場の片隅に腰掛ける旅人か、道端で物乞いをしている老人かもしれんな」スタンフィールド氏は路傍の乞食たちを眺めながら陰気に相槌を打った。

 

 防壁内の乞食は乞食の許可証を発行されてる。行儀の悪い新参者が入り込むのを防ぐ為の行政側の妥協案だが、古参の幾人かは参議や有力市民に飼われて市内の噂を報告してるに違いない。だが、彼らが他にも雇い主を持ってないとどうして言えよう。

 略奪者《レイダー》の徒党でも、脳みそと組織力を兼ね備えた大手組織となれば、当然に密偵を送り込む。町や隊商は勿論の事、商売敵のレンジャーや都市警備を買収もすれば、同業の盗賊や無法者の徒党にまで浸透してるとの話もあった。

 

 乞食や旅芸人、或いは巡礼や坊主、豚飼いに露天商。密偵は誰にでも化け、何処にでも入り込んでいる。曠野で流れ者やよそ者に対して油断できない理由のひとつだ。漂泊者が盗賊団や略奪者の物見を務めたり、或いはそこまで悪質でなくても、町や商人の競争相手に情報を売るのは珍しくもない。ある町で耳にした噂が、次の町で小銭に代わり、競争相手の命を削る刃となりもする。 

 

 羽振りの良い隊商や交易で潤う町々に対し、大規模な略奪者《レイダー》徒党は時折、「貢物」を要求する。幾人かの略奪者《レイダー》「王」は、自由都市ズールでさえ侮れない兵力を誇っていた。中でも【曠野の王】の兵は曠野の砂粒のごとく数え切れず、軍勢の規模は、影が刻々と形を変えるように全貌を掴ませることはないと恐れられていた。動員できる兵も百や二百では利かず、たとえそれら全てを失ったとしても、王は何ら痛痒を感じないと言われている。自由都市『ズール』は『王』たちに懸賞金を懸けていない。商会連は疎か、密輸同盟すらも『王』たちとの直接対決は慎重に避けている節がある。【曠野の王】との対決を恐れないのは、西方の商業都市連盟《リーグ》や北の軍閥といった領域国家くらいだろう。とは言え『王』たちの力が自由都市を上回っているとまでは流石に断言できないが、王の要求を蹴った場合、強固な防壁を持つポレシャさえ存亡の危機に陥るやも知れない。

 

 『王』たちの存在は、辺土のポレシャに直接に絡んでくる訳ではない。しかし、かなり大きい居留地のポレシャが銀貨や銅のインゴッドをそれほど貯め込んでいない理由のひとつにはなっていた。ポレシャは毎年、小麦を売って外貨と引き換えている。そして先年、巨大蟻の襲撃によって小麦畑は損害を受け、労働者に支払う賃金や取引先への支払いに外貨が足らなくなるかもしれない。つまりデフォルトだ。

 

 旧街区(ポレシャ)へと街路を進む二人の青年は、共に居留地の市民階級で、モージス・ベンソンは自由労働者や金のない旅人向けの簡易宿泊所を経営しており、キャロル・スタンフィールド氏はささやかな両替業を営んでいる。モージス・ベンソンは経営する宿の薄壁越しに耳にした無数の噂話をノートに纏めているが、そこには、曠野の王たちに抗った隊商の運命や、背信者の末路を描写したぞっとするような逸話も混じっている。スタンフィールド氏も、ベンソン氏も、表面では慎重さを装いながらも、曠野に根を張る闇の力を相手にする危険性を骨の髄まで知っていた。それでも理不尽な現状に憤懣ならない想いを抱くのが若さであった。

 

「……忌々しい略奪者《レイダー》どもめ」遠く離れた目に見えない力が居留地の発展を阻害している。それがスタンフィールド氏には腹立たしい。

「全くその通りだが、声が大きい。キャロル」

「いずれ真の王スタンフィールドの軍勢が貴様らを粉砕してくれるぞ」指をわきわきさせて、道の真ん中でそう宣告する。

「おっと、そうくるのか。議会共和制の信奉者としては、聞き捨てならないぜ」

 

「今回の話も、銀行あれば色々と拗れずに動けるんだが」銀貨や大振りの銅貨、広域紙幣など大金が詰まった鞄を見下ろしてスタンフィールド氏は呟いた。

「お前さんも、うちの町が金を貯め込めない理由くらい知ってるだろう」ベンソン氏の言に、スタンフィールド氏は、無言のまま苦々しい表情で片目を瞑った。

「ベンソン君。スタンフィールド王国設立の第一歩として銀行作りたいんだが、乗らないか?」

「スタン卿。肥えた鶏はキツネに狙われやすいですぞ」ベンソン氏が顰め面して続けた。

「クソ……銀行を(←此処まで小声)(大声で→)作りてぇ!」スタンフィールド氏が両手の拳を突き上げて叫んだ。

「なんなんだよ、さっきから?!ちょっと情緒安定させろよ」

「オデ……銀行作りてぇ。辺土に銀行作って皆を笑顔にしてぇ」

「そして僕の財布も厚くしたい」とベンソン氏にまぜっかえされる。

「男の子だからなぁ。野望は抱くさ」二人組の青年は、いい歳して気の抜ける口調で会話を続けた。

「うちの保安官や民兵は確かに装備の質も悪くないし、腕利きもいる。或いは、小物の王の一人、二人なら撃退してのけるかも知れんが……よしんば王を倒せたとしよう。別のもっと大きな略奪者《レイダー》徒党が空いた縄張りに越してきたら元の木阿弥。狼を除いて虎を得る顛末もあり得るぜ」

 ベンソンの忠告を聞くまでもない。そして実際には、略奪者《レイダー》の王たちは、誰一人とっても並みならぬ相手だった。誰もが首に数千GC(ギルド・クレジット)もの賞金を懸けられながら、その顔触れは歳経ての世代交代以外で殆んど変わっていない。

 怒れるまま天に抗議するかのように左拳を突き上げたスタンフィールド氏だが、変なポーズで暫く固まったのちに長々とため息を漏らして、拳を下ろした。

「……つまらん世の中だぜ」世界が巨大な檻に閉じられていくかのような閉塞感は青年たちにとって腹立たしい限りだが、略奪者の(レイダー)王たち(キングス)は、一介の市民スタンフィールド氏の手には余る。或いは、中世都市国家市民が封建領主たちに抱いていた苛立ちと腹立たしさも、このような感覚だったのかも知れないなとスタンフィールド氏は皮肉っぽく思った。

 

 

※※

 

 

 ポレシャ居留地の西地区は一部、小高い丘陵となっている。略奪者《レイダー》や変異獣、屍者《ゾンビ》が猖獗を極めていた数世紀前、丘陵には小さな集落がひっそりと営まれていた。旧ポレシャである。

 

 かつては防衛に有利な地形によって勃興期の住人たちを支えた丘陵だったが、交通の便と水利の悪さから、今は殆んどの住人が麓へと移住し、古い居住区はほぼ無人と化していた。野生動物やゾンビ、浮浪者が住み着かないように警邏が時折、見回りに訪れるものの、かつての賑わいは完全に失われて今は無人の静寂が町並みを支配している。

 

 その旧ポレシャへと続く人気のない街路をベンソン氏とスタンフィールド氏は、しばし歩き続けた。防壁内でも旧居住区と呼ばれる、ポレシャがもっと小さく、防壁も低かった時代の跡地へと足を踏み入れると、入り口付近の石壁に2名の兵士が佇んでいた。

 

 

 壁を遮蔽物として射撃しやすい位置に陣取って来訪者を見張っていたようだ。目つきは鋭く、油断のない身のこなしに、防壁に配備されている徴募兵たちとは明らかに雰囲気が異なっていると感じられた。民兵の腕章を身につけてはいるが、ヘルナル中尉直属の精鋭、というよりはヘルナル家の私兵を民兵に編入したのだろう。

 

 しかし、兵士たちの動作には少しだけ緩慢さが漂っていた。近づいてみれば、髪に白いものが混じった老兵たちだった。初老の兵士の手にはマシンガン……いや、拳銃か。一人は、ロングバレルとストックを付けたモーゼルC96。もう一人は、スタンフィールド氏の知識には無い自動拳銃を携えている。スライドではなく、バレルとリコイル機構が固定された奇妙な形状をしている。

 

 文明崩壊後の世にも大きな都邑の技術・工業力は、産業革命期の水準を保っている。謎めいた銃は別として、モーゼル拳銃は、1896年製造。大量生産は到底及ぶところではないにしても、職人が少数の修理・生産を行うのは不可能ではない。

 

 ストック付きのモーゼルC96は、それなりの精度と威力を兼ね備えながら、サブマシンガンに比して弾薬の消費を抑えつつ、ボルトアクションライフルやレバーアクションライフルよりも連射性に勝っている。

 もっと精度に優れた銃器も、連射性に勝るマシンガンも流通しているが、市街で用いるならば、それほど悪い選択肢ではないかも知れない。あくまで、妥協の産物としては悪い選択肢ではないと言うだけだが。

 

 スタンフィールド氏も、自由農民として若干の農地を所持しているが、老兵たちは市民の集まる民会でも、自由農民の寄り合いでも見た覚えのない顔ぶれだった。

 有力市民の家系。特に富裕な農場主がパトロンとして零細農民や小作農、あるいは使用人や召使いから私兵を育てるのは、大きな居留地には珍しい話ではない。裕福な一族が何代にも渡って彼らの面倒を見ていく中、議会共和制を謳うポレシャにも、貴族と家臣めいた主従関係を結び始めている者たちもいるのだ。

 

 しかし、一方では、そうした封建制の萌芽が根付くことを警戒している有力市民もいた。果たして、これは小さな共和国であるポレシャでの共和制の揺らぎを意味しているのだろうか?封建制度の台頭と伝統的な共和制の価値観との衝突が起こるのかは、面白い思考実験でもある。スタンフィールド氏は興味深い眼差しを以て注視している。

 

 初老の兵士たちも、多分にヘルナル家に深く結びついた存在に違いない。スタンフィールド氏が顔を知らないからには、恐らく小作人から選ばれたのか。

 しかし、老兵たちを大事な取引に連れてくるようでは、世代交代が進んでいないのかも知れない。或いは、ヘルナル中尉がそれだけこの老兵たちに特別な信頼を置いているのか。

 

 兵士の一人が胸元に手を当てた。

「……ベンソンが来ました。隣にはスタンフィールド。金を運んでいる模様です」

「……二人きりか?」無線機から声が響いた。

「他には見当たりません。二人きりです」

「不用心な事だ。通せ」

「了解」応答してる兵士の傍ら、「おや、ま、無線機だよ」とスタンフィールド氏が珍しそうにのぞき込んでいる。文明崩壊後の世には、あまりお目に出来ない道具だ。巨大蟻襲来の際にも見かけなかったから、ヘルナル中尉も、随分と用心深いお人だと肩を竦める。

 

 もっとも、ベンソン氏もスタンフィールド氏も、実際には信用できる仲間に背後を守らせていた。今も、距離を取ってメリッサとベンソン氏の弟が後ろを影のように追従している。ポレシャは比較的に治安のよい土地だが、それでも大金抱えてひと気のない旧市街の一角を進むのはやはり恐い。スタンフィールド氏が青いハンケチを持って手を振ると、離れた街路の一角でメリッサたちから赤いハンケチが降られた。二人には此の侭、旧市街への街路に近づくものを見張ってもらう。ヘルナル中尉の歩哨たちに護衛の存在を知られても問題ない。元々、仲間たちは、取引相手を用心しての備えではなかったからだ。

 

 

 ポレシャには銀行はないが商工会議所は存在している。ただし、居住者や労働者の殆んどは、商工会議所の存在も知らず、大半の市民もその場所を知らない。

 旧市街の一角に佇むヴィクトリア様式の重厚な屋敷は勿論、崩壊前の旧文明の遺産であった。館の半分が崩壊しているものの残りの部分は修繕の手が施され、なおも美しく威厳と荘厳さを保っている。

 治安の悪化した崩壊世界。大金を用いた取引は秘匿するに越したことはない。居留地に影響を及ぼす大きな土地取引の際など、日によって旧市街にある数カ所の建物のいずれかが使われる。盗賊除けのケチな小細工とみるか、精一杯の工作とみるかはその人次第だろう。石の外壁とゴチックの装飾に囲まれた扉を議会の兵が守っているこの館が【今日】の商工会議所だった。

 

「こちらです」メイドさんに案内されて廊下を進み、重厚な扉を開ければ、部屋にはすでに数名が待機していた。立ち合いの公証人としてスーツ姿の参議が二人。スタンフィールド氏はあまり付き合いのないガライ家の娘が静かに座っており、雑貨屋の爺さんはうろうろ歩き回っていたが、失礼なことにスタンフィールド氏を見るや、嫌そうに顔を顰めた。

 

 少し離れた場所には、会計士の姿もあった。中年の男で、眼鏡をかけ、金属の計算機を前に置いている。やや緊張した様子で取引の数字と土地面積を何度も確認していた。食料の不足しがちな文明崩壊《ポストアポカリプス》の世に、肥沃な土地は貴重だった。働き者の渡り人(オーキー)が襤褸布の天幕《テント》を張る為に、猫の額ほどの空き地を買うのとは訳が違う。一万GC(ギルドクレジット)相当の銀貨や紙幣に、それだけの不動産価値を持つ果樹園の売買契約。莫大な金額が動く取引でミスは許されない。間違いがあれば、有力市民同士の板挟みに責任を問われるだけでは済まないこともある。

 

 そして、正面には仕立ての良い服を纏ったヘルナル中尉。白のクラバットにビクトリア朝スタイルのテーラードスーツを上品に着込んだ中尉は、ソファに腰掛け、値踏みするように静かな眼差しでベンソン氏を見据えていた。

「ようこそ。ベンソン氏。お互いに実りある取引になることを祈っている」

 

 

 

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