03_01 蚤の市 Z_273年
自由都市の路地裏の奥に座り込んだ老人は、眠るように目を閉じたまま、蓄えた白い髭の先まで凍り付いていた。
友人でも誰でもない。ただ、時々、顔を見掛けた程度の相手でしかなかった。だから、マギーは、老人の目を閉じさせてから踵を返した。私もいずれはああなるだろうか。畏れるでもなく、諦めるでもなく、ただ淡々とそう思い耽った。
マギーが通り過ぎてから、物陰に隠れていた浮浪児たちがひょっこりと顔を出した。周囲の様子を窺いながら、歩み寄った死体から衣服や道具を争って奪い始める。怒鳴り合いや威嚇には、目の前の獲物を奪い取ろうとする必死さが漂っていた。浮浪児たちにとっては貴重な現金収入になる筈で、しかし、屍者の傍らに見慣れぬよそ者がいたので警戒していたのだろうか。
マギーは
元々は古代北米で生まれた言葉で、オクラホマ生まれを指していたと言われているが、今では、安寧の地を求めて大地を流離う人々を意味している。スタインベックの怒りの葡萄に描かれた流浪する人々のイメージが由来だろうか。
家族連れや仲間、或いは犬を相棒に、
御多分に漏れず、マギーの暮らしもさほど楽ではないが、先だって多少の臨時収入を得られた為、ほんの少しだけ懐に余裕もあった。
なので今は、生活の糧になりそうな金づちや釘などとか、或いは高く売れそうな服とか、掘り出し物を自由都市の蚤の市を巡って物色していた。金づちを他人に借りる度に借り賃で小銭が無くなるのだ。いい加減、己の金づちが欲しかったが、蚤の市には滅多に売ってない。売ってる時には売ってて店舗の半額から三分の一程度で買えるのだが、欲しい時に限って見掛けられないのは、どうしたことだろうか?
「ねえ、マギー。見て!これ安かった!」マギーの相棒は、年下の少女ニナだった。一緒に暮らしている。ニナは多分、十三、四歳か。廃墟の出で、マギーと出会い、そのまま付いてきた。栄養不足の為に小柄でやや発育が遅いが、五感に優れて運動神経も悪くない。そのニナが嬉しげに示したのは、どこで売りつけられたのか。錆びかけた猫型の缶切りだった。
「君が稼いだ金で欲しいものを買うなら、何も言わないけれどね」
相棒の観る目の無さに、マギーは思わず天を仰いだ。
巨大な自由都市《ズール》には、ほぼ連日のように複数の市場が開かれている。豪奢な衣装を纏った富裕層が立ち寄る洒落た仮設建物や美麗な天幕の集まりから、食うや食わずの乞食や浮浪者がひしめく路地裏の市場まで――もっとも、崩壊世界の大半は貧しい人間たちで構成されているのだが。
盗賊や密輸業者が暗躍する怪しげな裏市もあれば、安い仕事を求めてたむろする労働者たちが集まる広場もある。そして、
そこには、ありとあらゆるものが売られている。打ち捨てられた廃墟から掘り出された、腕の悪い
市場は騒々しい。放浪者や浮浪者が値切りの喧嘩を始めれば、傍で若い盗人が隙を見て一枚の布を引き抜く。遠くから漂う香辛料や腐りかけの肉の匂いが混ざり合い、鼻が麻痺しそうになる悪臭が充満している。喧騒の中を、やせ細った子供たちが手癖の悪い手を屋台の肉に伸ばしては、店主の怒号に追われて逃げ散っていく――そんな混沌とした空間だった。
蚤の市は、荒廃した世界の縮図だった。狭い路地に並べられた商品は、ほとんどが使い古され、ぼろぼろの布や錆びた工具、欠けた陶器など、誰もが見向きもしなければ、無価値に思えるような品々だった。店主たちはしつこく呼び込み、売り物を並べ直している。下層民や放浪者たちが集まる蚤の市でも、必要に迫られた者たちの欲望が交錯していた。
自由都市でも隅に近い蚤の市の一帯は、巨塔の影が差して日差しが薄く、空気には土と腐敗した匂いが混じり合っていた。テーブルの上には、乾ききった果物や焦げた肉片のようなものが並び、材料や味を想像するだけで胸が悪くなった。誰かがそれを買うたびに、他の者たちは目を背け、或いは手に取って吟味していた食べ物をそっと元に戻していた。
「これ、いいもんだぜ」と声をかけてきたのは、顔に痣を作った年老いた男だ。売っているのは古びた布切れと、壊れた道具……置時計?だけだが、男の目はどこか誇らしげだった。
傍らの露店では、錆びた金属の塊を手に、荒んだ眼の廃墟漁りが荒っぽく客引きをしていた。ひときわ大きな声での強引な客寄せに文句を言いながらも、結局何も買わずに立ち去る客も多い。露天商たちは生活の糧を得るために、どんなものでも買い叩き、引き取ろうとしている。しかし、何もかもが粗末で、取引の殆んどは無価値な品物が次々と人から人の手に渡るだけだった。
腹を空かせた乞食や鋭い目つきの浮浪児たちが辺りをうろうろと歩いている。金銭のやり取りが行われる中で、餓えた者たちの目は金や食い物を手に入れたくて仕方ないとぎらついていた。薄暗い物陰で交わされる低い囁きや窺うような視線に一部の客たちが警戒心を呼び起こされたのか、武装に手を掛けながら、仲間内で耳打ちし合っていた。屋台の店主の背後では、幼い子供らが、使い古された毛布の中から顔を覗かせて、取引を見守っているのを見かける。
ひどくボロボロになった布が、荷物として積まれているのも目に付く。多くは家や衣服を修理するための端切れだろう。時折、誰かがそれを手に取って値段を交渉し、手から手に鉛や鉄の貨幣が渡される。
隅の方では靴を修理する者、鍋や鎌を直す鋳掛屋、服を繕う婦人などが小さな天幕を立てて、顧客たちと交渉していた。娘が恋人らしい若い男と顔を寄せ合っては、色取り取りの服を見てクスクスと笑っている。
マギーは多少、服を観る目を持っていた。昔、隊商に属していた頃、雇い主が扱っていた品のひとつで色々と叩きこまれた。服飾は流行か、製法はしっかりしているか、材質は何が使われているか。専門業者や製造者ほどの知識はないが、誰が何を欲しがり、何を喜びそうなのか、売れそうな筋は一応、抑えていた。
中には、安く仕入れて他所で高く売れそうな服も幾らか並んでいたが(……元手がない)のであった。服も確実に売れるとも限らない。ある程度の数を揃えて、七割、八割が売れれば、それなりに利益が見込める、程度の値段帯だ。今の手持ちの金銭で服を買い込めば、どうしても一か八かの賭けとなる。
元手がないと、大きくは稼げない。五分以上に成功の見込みがあっても、失敗して余剰が無くなれば、一気に困窮しかねない。貧しい
結局、自分の器なり、産まれた星の定めなりは、地道に行くのがあっているのだろう。
「今を生きるのが精一杯です――まあ、なんとか今日も生き延びられました」前向きに捉えて、マギーは苦くほほ笑んだ。
「どうにも金づちは無さそうだね」マギーは諦めたように、帰ろう、と傍らにしゃがみ込んで、パッケージに猫がイラストされた空き缶を真剣に値踏みしていたニナに声を掛けた。
「そうだね、行こう。もう見るべきものも見た」空き缶を放って立ち上がると、ニナはなんか格好良く言い放った。
二人が普段、暮らしているのは、ポレシャの居留地だ。自由都市ズールからは、徒歩で一日。見て回るのは蚤の市でも、露天商や屋台だけで時間も掛からない。昼頃に出発しても、急げば日が沈む前に到着できるが、然程急ぐのでなければ、日の出とともに出立してゆっくりと進んだ方がいい。
曠野には変異獣や三つ目狼、巨大蟻などの怪物が棲息しており、レイダーや追剥なども獲物を探して彷徨っている。廃墟にはゾンビが潜み、好戦的な部族は縄張りに入るものを容赦しない。偶々、襲われて道に迷ったり、時間を浪費すれば、日没後の曠野は、命の危険を孕む地へと変貌する。一部の怪物たちは闇夜を活発に動き回り、ゾンビたちは生者の匂いを嗅ぎ分けて、獲物を探し当てると言われている。自由都市ズールとポレシャを繋ぐ道は、日中こそ比較的安全だが、それでも絶えず危険が付き纏う。街路上に旅人が泊まれる居留地や集落、農場、宿駅などがない訳ではないが金が掛かるし、必ずしも友好的な人々や土地ばかりではない。
なので二人は、都市防壁の外にある空き地――比較的、貧しい旅人たちが集まって夜を過ごす宿営地へと足を向けた。宿営地も幾つかあるが、時間があるのでよさげなところを探して廻った。
防壁の外は勿論、危険だ。しかし、木柵やら土嚢やらの一応のバリケードがしっかりと張り巡らされ、クロスボウや火縄銃、弓などを手にした男たちと幾人かの女が入り口を守り、そして武器を持たない子供も見張りを担っていた。
「此処がよさそうだわい」呟いたマギーが歩み寄っていくと、顔見知りはいなかったが、代表者らしき入り口の男に礼儀正しく挨拶した。幾ばくかの小銭を渡して一晩を過ごさせてもらいたいと頼むと、男は金額を確かめてから無言で頷き、小僧を呼んで火の傍へ案内するよう言いつけた。宿営地に入れば、周囲ではすでに旅人たちが焚き火を囲んで座り込んでいる。顔見知り同士で談笑している者もいれば、疲れ果てて無言のまま食事を摂っている者もいた。
雲海の彼方では黄金に輝く落日が沈みつつあった。火の近くに腰を下ろす。マギーは背嚢から毛布を取り出し、二人で包まった。食べ物も売っているようだが、黒パンとチーズを取り出し、分け合って食べる。宿営地の岩を背に、うとうとと舟を漕ぎながら、交替で眠ってはどちらが起きて警戒を行った。盗みを警戒するだけではなく、野営の実地訓練となるように、ゾンビの群れが押し寄せてきても、変異獣が雪崩れ込んできても、すぐに逃げられるように。時々、こうして比較的に安全な野営地で休息と警戒を繰り返し取りながら、一昼夜程度を過ごすことはよくある。かつて、マギーが隊商に属していた時期にも、同じように警戒と休息を交互に繰り返していたが、あの頃は人数が多かった分、もう少し安心感があった。今でも、移動する際、顔見知りの小さな隊商に加わることはあるが、大抵は二人きり。油断すれば最後となりかねない。
宿営地の火の周りには、他の旅人たちが集まり、それぞれに小さな声で話し合ったり、静かに食事を取っている。中には、物を修理したり、取引をしている者たちもいるようだ。中には親子らしき二人組や、やけに警戒心が強そうな傭兵風の男、そして何かを隠すようにコソコソと動く若者の姿もあった。誰もが警戒心を保ちつつ、静かに夜を過ごしていた。
遠く変異獣の遠吠えが幾重にも響いてきた。帯電するように微かな緊張が宿営地を覆った。時に数十匹、或いは数百匹の変異獣の群れが大地を駆ける事もある。行く手にあるものは居留地であろうと、武装した徒党のキャンプであろうと、長くは持たない。自由都市そのものは、一千規模の変異獣の襲撃でもない限り、余裕で持ち堪えるだろうが、或いはどこかの宿営地が襲われても、夜の間には城門を固く閉ざして助けることはない。共同体は、常に屍者《ゾンビ》の感染拡大を恐れているからだ。
変異獣は果たして、何匹だろうか?数匹、或いは十数匹なら、宿営地の防備でも持ち堪えられるかも知れない。しかし、数十匹となると火縄銃やクロスボウの数人では手に余った。逃げの一手しかない。宿営地に入った時から、一応、避難時の経路は見定めておいたが、四方八方からの大群の襲撃には、それほど当てになるものでもない。バットやナイフ、多少の体術が使えようが、どうにもならない。運否天賦に身を委ね、一心不乱に逃げるしかない。それでも手元の荷物を纏め、いつでも逃げられるようにしてから、マギーはニナを引き寄せると、毛布の中で肩に手を廻して抱きしめた。ニナが頭を預けてくる。
「恐いね」ニナがそっと耳打ちしてきた。
「……見ているから、今は休んでいなさい」
夜の彼方に漂う濃密な死の気配を感じながら、マギーはニナにそう囁いた。
朝は遠かった。
食事代 自由都市では、主に雑穀粥。
日に3~5クレジット
最低の食事が2クレジット。まともな食事には5クレジット
安い
日当 3~5ポレシャポンドの日当を主に下位貨幣で。
(小麦兌換紙幣よりも若干、多めに受け取れる)
自由労働者の日当は、15~25クレジット相当。
日雇い仕事は文字通りに日雇いである。
数日続く事もあれば、単日で終わってしまう事もある。
求人のある居留地でも、
必ずしも毎日、仕事に有りつけるとは限らない。
酒 安いエールやビール、それに密造酒《ムーンシャイン》など。
私鋳銭《トークン》の2~3枚で飲めるものから、
居留地紙幣や都市紙幣12~3クレジットの瓶ビールまで買える範囲。
煙草 吸いさしを解した煙草草を小銭で買い、
パイプ草に混ぜて吸っている。
身体にはよくない。でも、ゾンビを見掛けるとストレスが溜まる。
コーヒー タンポポの珈琲。本物も売ってるけど、
外側の方の蚤の市では中々、手に入らない。