第一回高度育成高等学校ゆるキャラ選手権。
試験開始から八日目。
全クラスの代表キャラクターが正式に決定した翌朝、
高度育成高等学校の試験専用ページには、新たな通知が掲載されていた。
『代表キャラクター合同動作確認会のお知らせ』
学園祭一週間前に予定されている本格的なゆるキャラ交流会とは異なり、
今回行われるのは、完成途中の着ぐるみを使用した安全確認と、
各クラスの進捗状況を把握するための試験運営側主催の練習会だった。
着ぐるみを着た状態で歩けるか。
階段や段差を安全に越えられるか。
他のキャラクターと接触した際、互いの身体や装飾品が引っかからないか。
子供を想定した低い位置へ手を振ったり、握手をしたりできるか。
着用者が疲労や異常を感じた場合、どのような合図で補助員へ伝えるか。
それらを確認するため、全クラスの代表キャラクターと、
着ぐるみ制作や演技に関わる生徒たちが、
放課後の第二体育館へ集められることになった。
一之瀬クラス。
ほなわん。
坂柳クラス。
ありすぽーん。
龍園クラス。
ぶっくまる。
堀北クラス。
きよぽん。
四体の代表キャラクターが、初めて同じ場所で動く。
試験運営側が想定しているのは、あくまで事務的な動作確認である。
安全性を確かめ、問題点を記録し、それぞれの教室へ戻って修正する。
それだけの予定だった。
だが、この学校において。
一之瀬。
坂柳。
龍園。
堀北。
四人のクラスリーダーが一堂に会し。
さらに。
長谷部波瑠加。
森下藍。
伊吹澪。
石崎大地。
神室真澄。
軽井沢恵。
その他、多数の生徒が着ぐるみを巡って動く以上。
何事もなく終わる可能性は。
最初から、ほとんど残されていなかった。
◯
朝のホームルーム前。
堀北クラスの教室では、正式代表となったきよぽんの改良作業が続けられていた。
昨日まで、ほりぽんときよぽんへ、人員も材料も二分されていた。
今は正式代表が決まり、クラスの中心となる作業はきよぽんへ一本化されている。
それによって制作速度が上がると思われた。
実際。
昨日までほりぽん側で作業していた松下や平田たちも、
きよぽんの衣装や宣伝計画へ加わっている。
堀北は制作全体の進捗を管理し。
幸村は内部構造と安全確認。
三宅はフレームと着用補助。
佐倉は表情と外装の細部。
長谷部は企画と演出。
軽井沢や佐藤は広報。
オレは主な着用者。
それぞれの役割が決まった。
ただし、作業が効率化されたことで。
オレが着ぐるみへ入る回数まで、以前より明らかに増えていた。
「右へ三歩」
幸村の声が教室内へ響く。
オレは乳白色の丸い胴体フレームを着用したまま、右へ移動した。
頭部は被っていない。
制服姿の頭部。
きよぽんの胴体。
何度見ても不自然な状態だった。
「一」
一歩。
「二」
二歩。
「三」
三歩。
右足の外側が、きよぽんの大きな足の内側へ僅かに触れる。
転倒するほどではない。
だが長時間動けば、同じ場所へ負担が集中する可能性がある。
「右の足部を一センチ外へ広げた方がいい」
オレが言う。
幸村がしゃがみ、足元を確認する。
「歩幅は変えずに?」
「ああ。内側の布を薄くするだけでもいい」
「だが、外から見た時に左右の太さが変わる可能性がある」
佐倉が少し離れた位置から、きよぽんの身体を見ていた。
「右だけ細くなったら、ちょっと変かも」
「外側へ綿を追加すれば、見た目は揃えられる」
幸村が答える。
三宅は床に膝をつき、右足部分の留め具を外した。
「これ、昨日より内側へ寄ってないか?」
「縫い付けた時に、布が引っ張られた可能性がある」
オレが確認する。
フレーム自体の位置は変わっていない。
その上から被せた外装が、右側だけ少し強く固定されている。
「外装の問題だな」
「縫い直し?」
佐倉が尋ねる。
「一度全部外す必要はない。内側だけ切り離して調整できる」
三宅が作業へ入る。
以前は材料を運ばされることへ不満を口にしていた。
今も文句は言う。
だが制作そのものには慣れてきたらしく、工具の扱いも速くなっていた。
「みやっち、上手くなったね」
長谷部が感心する。
「誰のせいで毎日やってると思ってるんだ」
「きよぽんのおかげ」
「波瑠加のせいだよ」
「でも少し楽しくなってきたでしょ?」
三宅の手が一瞬止まる。
「どうだろうな」
「否定が遅い」
「完成するまでは気になるだけだ」
「それを愛着って言うんだよ」
「言わない」
三宅は作業へ戻ったが、強く否定することはなかった。
「清隆くん」
佐倉が近づいてくる。
手には小さな布の袋。
乳白色。
青い紐。
表面には、眠そうなきよぽんの顔が刺繍されている。
「何だ、それは」
「冷却材を入れる袋」
きよぽんの着ぐるみ内部は、送風機を取り付けても熱がこもる。
特に首元。
背中。
肩。
今日の合同動作確認会では、十五分以上連続して着用する可能性があった。
そこで佐倉は、薄い冷却材を首の後ろへ固定する袋を作ったらしい。
「外からは見えないけど、きよぽんの顔を付けたのか」
三宅が尋ねる。
佐倉は少し恥ずかしそうに頷く。
「何もないと、誰のものか分からなくなるかもしれないから」
「名前を書けばいいだろ」
「可愛い方がいいと思って」
「それなら仕方ないな」
三宅は簡単に納得した。
長谷部が袋を受け取る。
「愛里、すごく可愛い」
「ありがとう」
「これ、グッズにもできない?」
「冷却材を入れる袋を?」
「小物入れとして」
「内部用品までグッズ化するのか」
オレが尋ねる。
「きよぽんは、休むことも大事にするキャラでしょ?」
長谷部は袋を掲げる。
「冷たいものを入れて休憩する袋。設定にも合うよ」
「用途が限定的すぎる」
「夏は使える」
「冬は?」
「温かいものを入れる」
「素材を変える必要がある」
幸村が真面目に検討し始める。
「現在の布は保温用ではない。グッズ化するなら、内側へ断熱材を入れた方がいい」
「ゆきむー、採用」
「まだ採用とは言っていない」
「可能性を話した時点で半分採用」
「決定権は堀北にある」
全員が堀北を見る。
堀北は教壇近くの机で、合同動作確認会の資料を確認していた。
視線に気づく。
「何?」
「きよぽん冷温袋」
長谷部が説明する。
「名称からして分かりにくいわ」
「冷たいものも温かいものも入れられる」
「保冷保温ポーチでしょう」
「普通すぎる」
「商品の用途は分かりやすい方がいいわ」
「きよぽんのぬくひえ袋」
「さらに分かりにくくなったわ」
軽井沢が会話へ加わる。
「きよぽんのひとやすみポーチでいいんじゃない?」
教室内が少し静かになる。
「それ、いいかも」
佐藤が言う。
「冷たい飲み物でも、温かいカイロでも入れられる」
「小物入れにもできるね」
松下も頷く。
「キャラクターの設定にも合っているわ」
堀北が資料へ書き込む。
「三つ目の公式グッズ候補として検討しましょう」
「採用!」
長谷部が喜ぶ。
「候補よ」
「堀北が検討するって言った時は、大体採用」
「勝手な分析をしないで」
代表決定後。
ほりぽんを支持していた堀北も、きよぽんの完成度を上げることへ遠慮しなくなっている。
むしろ、長谷部が思いつきで出した案を、実用的な形へ整える役割を担い始めていた。
「ところで」
堀北は資料から顔を上げる。
「今日の合同動作確認会について、もう一度確認するわ」
教室内の会話が止まる。
「第二体育館への集合は午後四時。着ぐるみ本体、
補修用具、飲料水、タオル、予備の冷却材を忘れないこと」
「ヨーグルトは?」
池が尋ねる。
「不要よ」
「きよぽんの好物なのに?」
「動作確認中に食べる予定はないわ」
「第二形態を見せないのか?」
「今日は安全確認が中心よ」
長谷部が不満そうに手を挙げる。
「でも他クラスの前で、きよぽん第二形態を初披露するチャンスだよ」
「合同説明会で画像は見せたでしょう」
「実物は初めて」
「両手に容器を持たせると、握手や転倒時の受け身ができなくなる」
幸村が指摘する。
「安全確認が終わってから、短時間だけならいいんじゃない?」
佐藤が提案する。
堀北は少し考える。
「担当教師の許可が下りた場合だけよ」
「やった」
「まだ許可は下りていないわ」
長谷部はすでに、空のヨーグルト容器を二つ用意し始めていた。
「それから」
堀北はオレと三宅を見る。
「着用者は最初に綾小路くん。十五分を目安に三宅くんと交代する」
「俺も今日入るのか?」
三宅が聞き返す。
「交代担当でしょう」
「本番までに練習するとは聞いたけど、今日からだとは聞いてない」
「今日練習しなければ、いつするの?」
「もう少し心の準備が」
「着ぐるみに必要なのは、心より体調管理よ」
「少しくらい心も考えてくれ」
「みやっちなら大丈夫」
長谷部が軽く言う。
「何を根拠に」
「きよぽんへの愛」
「ない」
「今の間は?」
「言葉を選んでただけだ」
長谷部は三宅の否定を信じていない。
「動作の統一も必要だ」
オレが言う。
「オレと三宅で歩き方が変われば、中身が交代したことが分かる」
「お前まで真面目に進めるのかよ」
「引き受けた以上、必要な準備はするべきだ」
「清隆くん、完全にきよぽん役者になってるね」
佐倉が少し嬉しそうに言う。
「役者ではない」
「着ぐるみ俳優?」
長谷部が尋ねる。
「どちらでもない」
「スーツアクター」
池が言う。
「少し格好よくなった」
「きよぽん・スーツアクター綾小路清隆」
「外部へ名前を出すな」
「じゃあ正体不明」
「それでいい」
答えた後。
長谷部が笑った。
「きよぽんも正体不明だもんね」
「意図した答えではない」
だが。
着用者を非公表にするなら。
正体不明のきよぽんの中に、正体不明の人間が入っていることになる。
設定としては一貫していた。
認めたくはないが。
◯
昼休み。
教室での準備を一度止め。
オレは長谷部、三宅、幸村、佐倉と共に食堂へ向かった。
綾小路グループ。
この数日、きよぽん制作のために集まる時間が増えた。
以前のように、ただ雑談をするだけの関係ではない。
話題の大半が。
布。
発泡材。
縫い目。
送風機。
ヨーグルト帽子。
きよぽんの歩き方。
それらになっている。
だが、全員で一つのものを作ることで。
以前とは別の形で。
また同じ場所へ集まる時間が増えていた。
「今日、他のクラスの着ぐるみも来るんだよね」
佐倉が尋ねる。
「ああ」
幸村が資料を見せる。
「代表キャラクター四体。各クラスの補助員と制作担当者。
試験運営担当の教師三名。保健室からも一名来る」
「本格的だね」
「着ぐるみの中で体調を崩した場合、外から気づきにくい。安全管理は必要だ」
「ありすぽーん、大丈夫かな」
佐倉は合同説明会での実演を思い出しているらしい。
森下が試作衣装へ入り。
転倒し。
四十七秒かけて起き上がった。
「今日までに、起き上がりやすい形へ改良しているはずだ」
オレは答える。
「森下さん、また百回転ぼうとしない?」
三宅が尋ねる。
「止める役として山村さんが同行するらしい」
幸村が参加者一覧を見る。
「山村が止められると思うか?」
「難しい」
全員が同じ結論に達した。
山村は森下の行動を心配している。
だが強く止めることは苦手だ。
「白石さんもいるなら大丈夫じゃない?」
佐倉が言う。
「白石さん、穏やかだけど、森下さんの扱いに慣れてそう」
「神室さんも来る」
幸村が続ける。
「なら、最終的には神室が止めるだろう」
「坂柳さんは?」
「声と演出の担当。今日は着ぐるみに入らない」
ありすぽーんの中身。
森下。
補助。
神室。
山村。
白石。
坂柳は全体を指揮する。
非常に不安の残る組み合わせだった。
「ほなわんは誰が入るんだろ」
長谷部が尋ねる。
「一之瀬じゃないのか?」
三宅。
「本人が入った方が、雰囲気は合うよね」
佐倉も同意する。
「でも、ほなわんは抱きつく設定でしょ?」
長谷部がオレを見る。
「何だ」
「きよぽん、抱きつかれるよ」
「拒否する」
「キャラクター同士の交流だよ」
「きよぽんは人との距離を取る設定だ」
「ほなわんは誰とでも友達になる」
「設定が衝突しているな」
幸村が真剣に考える。
「ほなわんが近づく。きよぽんが一歩下がる。ほなわんが止まる。
少し離れた位置で手を振る。この流れなら、双方の性格を保てる」
「抱きつかないの?」
長谷部が不満そうに尋ねる。
「きよぽんが嫌がるなら、ほなわんも無理に抱きつかないはずだ」
「一之瀬なら理解するだろう」
オレは答えた。
「でも、一回くらい抱きついた方が写真映えするよ」
「写真のために設定を曲げるな」
「仲良くなった後なら?」
「その時考える」
長谷部が笑う。
「また、考えるって言った」
以前なら。
拒否。
それだけだった。
今は。
条件や相手の動きを考え。
キャラクターとして自然な行動を選ぼうとしている。
「清隆くん」
佐倉が少し遠慮がちに言う。
「きよぽんとして、どう動くか考えるの……嫌じゃなくなった?」
「嫌ではないとは言っていない」
「前よりは?」
「必要な作業だと理解している」
「清隆らしい答えだな」
三宅が笑う。
「でも実際、前より協力的だよな」
「代表になったからだ」
オレ自身が投票した。
クラスの正式代表へ選ばれた。
ならば。
中途半端な状態で他クラスの前へ出すべきではない。
「主担当の責任」
幸村が言う。
「そういうことだ」
「格好いいね、きよぽん」
長谷部。
「オレの話だ」
「同じ」
「違う」
「きよぽんが勝手に?」
「今日はその言葉を使わない」
「どうして?」
「代表決定後は、クラス全体で作ることになった」
オレは昨日口にした言葉を思い出す。
きよぽんが勝手に。
ではない。
「今はオレたちが勝手に、だ」
テーブルが静かになる。
長谷部が少しだけ笑う。
「その台詞、やっぱり公式にしたい」
「断る」
「二つ目の決め台詞」
「一つ目もオレが決めたわけではない」
「でも流行ってる」
「流行したことと、公式にすることは別だ」
「今日、他クラスの前で言ったら公式になるかも」
「言わない」
「絶対?」
「絶対だ」
長谷部は何かを企んでいる顔をした。
午後の確認会で。
発言する予定はない。
着ぐるみの中から声を出さなければ。
何も問題は起きないはずだった。
◯
放課後の第二体育館。
普段は部活動や、雨天時の体育授業に使用される施設。
今日は床の中央へ、複数のマットや障害物が設置されていた。
低い段差。
幅の狭い通路。
カラーコーン。
子供の身長を想定した小型パネル。
握手練習用の人形。
休憩スペース。
着ぐるみを脱ぐための簡易更衣区画。
体育館の壁際には、各クラス専用の作業スペースが区切られている。
一之瀬クラス。
オレンジ色の布や、お友達カード。
坂柳クラス。
白い円筒形の身体と大きな王冠。
龍園クラス。
茶色い熊の頭部、丸眼鏡、本型の小道具。
堀北クラス。
乳白色のきよぽん。
そして。
簡易的に仕上げられたほりぽんの頭部も、友達キャラクターとして持ち込まれていた。
「代表だけじゃなかったの?」
神室が、ほりぽんを見る。
「動作確認には参加させないわ」
堀北が答える。
「きよぽんの展示や、設定説明に必要だから持ってきただけよ」
「どこへ行くにも一緒なんだね」
白石が穏やかに微笑む。
「親友ですから」
「堀北さんが認めると、説得力がありますね」
白石の言葉に。
堀北は僅かに反応した。
自分が作ったほりぽん。
正式代表にはなれなかった。
だが、きよぽんの親友として残った。
「ありすぽーんにも、お友達はいるんですか?」
佐倉が尋ねる。
坂柳が答える。
「現在、検討中です」
「森下さんでは?」
橋本が言う。
「中の人だろ」
神室が突っ込む。
「では山村さん」
白石が提案する。
山村は、自分が話題に出たことで驚く。
「わ、私ですか……?」
「ありすぽーんの影から見守る役でしたよね」
「それは裏方という意味で……」
「影の妖精にしましょうか」
森下が言った。
「勝手に増やさないでください……」
山村は困っている。
「山村さんをモチーフにした、姿の見えないキャラクターです」
「見えないなら、制作費がかかりませんね」
白石が納得する。
「そこに利点を見つけるのかよ」
橋本が笑う。
「み、見えないキャラクターなら、私でも……」
山村が僅かに前向きになる。
「山村、乗らなくていいから」
神室が止めた。
坂柳は少し考えている。
「姿の見えない友達という発想は、悪くありませんね」
「坂柳まで採用しようとするな」
神室の負担が増えていく。
「綾小路くん」
森下がオレの前へ来た。
「きよぽんの本体は、どちらですか」
「どちらとは?」
「あなたと、あちらの着ぐるみです」
「着ぐるみは着ぐるみだ」
「では、あなたが本体ですか」
「違う」
「着ぐるみが本体?」
「どちらも違う」
「本体の存在しないキャラクターなのですね」
「結論がおかしい」
森下は真剣に端末へ記録する。
「きよぽんは概念」
「書くな」
「違いますか」
「違う」
「きよぽんが勝手に?」
長谷部が横から会話へ入る。
森下の目が輝く。
「公式マネージャー」
「今日から公認だから」
「誰に公認されたのですか」
「クラスのみんな」
「綾小路くんも?」
長谷部がオレを見る。
「企画担当であることは認める」
「マネージャーは?」
「自称だ」
「半分公認」
森下は記録を書き換える。
『長谷部波瑠加。きよぽん半公認マネージャー』
「半分ではありません」
長谷部が不満を示す。
「では、私も半公認研究員を名乗ります」
「駄目」
「権限は同じです」
「私は最初から作ってる」
「私は他クラスからの客観的研究です」
「研究しなくていい」
二人の争いが始まる。
オレはその場を離れた。
関わるほど長引く。
「逃げました」
森下が言う。
「きよぽんは争いを好まないから」
長谷部が答える。
「生態と一致しています」
「生態って言わないで」
オレがいなくても話は続いていた。
◯
体育館の反対側。
龍園クラスの作業区画。
ぶっくまるの準備が進んでいる。
代表となったぶっくまる。
茶色い熊。
丸眼鏡。
胸元には小さな本。
背中に鞄。
耳には栞。
ひよりを中心に作られたデザインは、試作品の段階でも高い完成度を持っていた。
着ぐるみの中へ入るのは、最初の十五分がひより。
交代担当は石崎。
「本当に俺も入るのか?」
石崎が、ぶっくまるの大きな頭部を見ながら言う。
「ひよりだけにやらせる気か?」
龍園が答える。
「俺はりゅうまる担当だったんすけど」
「負けた後はぶっくまるを手伝うって言っただろ」
「言いましたけど」
「なら入れ」
「簡単に言うなあ……」
石崎は頭部を持ち上げる。
眼鏡越しのぶっくまると目が合う。
「俺がこれに入ったら、絶対歩き方で分かるぞ」
「練習すれば大丈夫です」
ひよりが言う。
「ぶっくまるは、ゆっくり歩きます」
「俺、そんなゆっくり歩けるかな」
「本を落とさないように歩けば、自然とゆっくりになります」
「着ぐるみの中から本を持つのか?」
「外側の腕へ固定します」
「なら落ちないだろ」
「落ちる心配をしている気持ちで歩いてください」
「難しいな」
伊吹が腕を組む。
「今やってみたら?」
「着ぐるみなしで?」
「熊のつもりで」
「嫌だよ」
「龍園の前では、りゅうまるの真似してたじゃない」
「あれはやらされたんだ」
石崎は伊吹に対して、普段通りの口調で返している。
龍園が見る。
「今やれ」
「龍園さんまで言うんすか」
「ぶっくまるの歩き方を確認する」
石崎は周囲を見る。
逃げられないと判断。
胸元へ本を抱える真似をする。
歩幅を狭く。
ゆっくり。
少し前傾。
「それだと、本を盗んだ熊みたい」
伊吹が言う。
「どう歩けば正解なのよ!」
「もっと穏やかに」
ひよりが実演する。
両腕に本。
一歩ずつ。
足音を立てない。
時々、周囲を見る。
誰かへ本を渡したいが。
声をかけるか迷っている。
そういう雰囲気だった。
「同じことできる?」
伊吹が尋ねる。
「無理だろ」
「練習してください」
ひよりは微笑む。
石崎は断れなかった。
「ぶっくまるの中、椎名だけでいいんじゃないか?」
龍園が言う。
「体力的に難しいです」
「石崎」
「やりますよ!」
石崎は諦めた。
「だからその目で見るのやめてくださいよ、龍園さん」
「どんな目だ」
「使えねぇなって目っす」
「分かってるじゃねぇか」
「ひでぇ!」
龍園クラスの周囲へ笑いが広がる。
代表がぶっくまるへ決まった後も。
りゅうまるを支持していた石崎が、制作から外れることはなかった。
むしろ、選ばれなかったりゅうまるの設定をぶっくまるの物語へ加え。
ひよりと一緒に、二体の関係を考えている。
龍園のクラスでも。
代表決定によって陣営は消え。
一つの制作班へ変わり始めていた。
◯
一之瀬クラス。
ほなわん。
四体の中で。
最も着ぐるみらしい着ぐるみだった。
オレンジ色の丸い犬。
大きく垂れた耳。
胸元のハート。
首には色鮮やかなスカーフ。
大きく開いた口。
常に笑っている。
一目で親しみやすい。
構造も比較的単純。
翼も王冠もヨーグルト帽子もない。
ただし。
大きな垂れ耳が、歩くたび左右へ揺れる。
人や物へ当たりやすいという問題があった。
「耳を短くする?」
神崎が尋ねる。
一之瀬は首を振る。
「ほなわんの大事なところだから、できれば残したい」
「では、内部へ軽い芯を入れて、後ろへ流れる形へ固定する」
「動かなくならない?」
「完全には固定しない。根元だけ角度を変える」
「耳が揺れるの、可愛いんだよね」
一之瀬は実際に頭部を持ち、少し動かす。
大きな耳が柔らかく揺れる。
「でも、きよぽんのスプーンに引っかかったら危ないかも」
長谷部が言う。
いつの間にか、ほなわん区画へ来ていた。
「きよぽんのスプーンも短くする?」
一之瀬が尋ねる。
「それは駄目」
「ほなわんの耳も駄目だよ」
二人が互いの装飾を守ろうとする。
「両方、接触しない距離を取ればいい」
神崎が言う。
「キャラクター同士の距離を、最低五十センチ確保する」
「握手は?」
「正面から近づけば、耳とスプーンは当たらない」
「抱きつく時は?」
オレが聞く。
一之瀬がこちらを見る。
「きよぽん、抱きついてくれる?」
「キャラクターの話をオレに聞くな」
「中に入るんだよね?」
「最初だけだ」
「じゃあ最初にお友達の挨拶しよう」
「握手でいい」
「ほなわんは、ぎゅってするのが挨拶なんだけど」
「設定を変更してくれ」
「きよぽんだけ特別に、少し離れて手を振る?」
「それがいい」
一之瀬はすぐに受け入れた。
無理に距離を詰めるのではなく。
相手に合わせる。
ほなわんの友達作りは。
一方的なものではない。
「でも」
一之瀬は少し笑う。
「仲良くなったら、いつか抱きしめさせてね」
「きよぽんの判断だ」
「綾小路くんの判断じゃなくて?」
「別だ」
「じゃあ、きよぽんに聞く」
一之瀬は着ぐるみの方へ顔を向ける。
「いつか、ぎゅってしていい?」
動かないきよぽん。
当然返事はない。
長谷部がオレを見る。
「どうする?」
「なぜオレが答える」
「監修者」
「最低限だ」
「きよぽん、少し考えるって」
一之瀬は満足したように頷いた。
「待ってるね」
きよぽんの人間関係が。
オレの意思とは関係なく、少しずつ増えていく。
◯
午後四時。
担当教師が中央へ集合をかけた。
各クラスの生徒たちが作業を止める。
着ぐるみの着用前。
まずは全体説明。
「本日は、代表キャラクターの合同動作確認を行う」
床へ置かれたコース。
スタート地点。
直線歩行。
幅一メートル二十センチの通路。
高さ五センチの段差。
方向転換。
握手用人形。
他キャラクターとの挨拶。
最後に、指定位置へ座る。
「競争ではない。速さを競う必要はない」
教師は特に龍園を見る。
「何で俺を見る」
「速さを競わせそうだからだ」
「ゆるキャラレースも面白そうだな」
「やらない」
「体育祭で使えるぞ」
「今後も行わない」
「検討くらいしろ」
「しない」
龍園は本気で提案したように見える。
「着ぐるみ内部で異常を感じた場合、各クラスで決めた中断合図を使用すること」
ほなわん。
両手を頭へ載せる。
ありすぽーん。
右手を三回振る。
ぶっくまる。
本を胸元へ二回当てる。
きよぽん。
右手を三回上下させる。
「転倒した場合、着用者だけで
無理に起き上がろうとするな。補助員の指示へ従うこと」
森下が手を挙げる。
「質問があります」
「何だ」
「自力で立ち上がれる場合も、待つ必要がありますか」
「安全確認が取れるまで待て」
「経験値は?」
「上がらない」
担当教師も、森下への対応を学び始めていた。
「非常に残念です」
「残念がるな」
神室が小声で言う。
「接触確認では、相手を強く押す、引っ張る、抱きつく行為は禁止する」
一之瀬が手を挙げる。
「軽いハグも駄目ですか?」
「本日は駄目だ。衣装同士が引っかからないことを確認した後、改めて許可する」
「分かりました」
一之瀬は少し残念そう。
オレにとっては助かった。
「それでは各クラス、着用準備を開始しろ」
生徒たちが散る。
いよいよ。
四体の代表キャラクターが。
同時に動く時が来た。
◯
堀北クラスの簡易更衣区画。
オレは制服の上着を脱ぎ。
きよぽんの胴体フレームへ入った。
三宅が支持具を肩へ下ろす。
幸村が留め具を確認。
佐倉が首の後ろへ、冷却材入りのひとやすみポーチを固定する。
「冷たすぎない?」
「問題ない」
「直接肌に当たってない?」
「シャツの上だ」
「痛くなったら言ってね」
「ああ」
長谷部は頭部の外見を確認している。
頬。
目。
ヨーグルト帽子。
スプーン。
全て固定。
「今日から正式代表のきよぽんだよ」
「昨日も代表だった」
「他クラスと会うのは今日が初めて」
「合同説明会で会っている」
「着ぐるみの姿では初めて」
長谷部は嬉しそうだった。
「何か緊張する」
「中に入るのはオレだ」
「マネージャーも緊張するんだよ」
「半公認だろ」
森下の表現を使う。
長谷部が驚く。
「半公認って認めた?」
「森下の記録上だ」
「じゃあ今日、完全公認にして」
「しない」
「少しくらい」
「段階制ではない」
三宅が笑う。
「もう半分くらい公認してやればいいだろ」
「お前はどちらの味方だ」
「早く始めたいだけだ」
胴体。
腕。
脚。
最後に頭部。
長谷部と幸村が持ち上げる。
オレは屈む。
頭部が下ろされる。
視界が狭くなる。
送風機の弱い音。
冷却材の冷たさ。
「聞こえる?」
長谷部。
オレは右手を一度上げる。
会話を減らすため。
着ぐるみ中の通常合図も決めていた。
右手一回。
問題なし。
右手二回。
聞き返し。
右手三回。
中断。
「動いてみて」
一歩。
二歩。
足元。
問題なし。
方向転換。
身体全体を使う。
「きよぽん、今日も可愛い」
長谷部の声。
オレは反応しない。
「無視された」
「設定通りだな」
三宅が言う。
「そろそろ行くぞ」
堀北の指示。
オレは更衣区画の幕を出る。
体育館中央。
まだ他の着ぐるみは出ていない。
教師。
他クラスの生徒。
多くの視線が集まる。
完成に近い全身きよぽんを。
他クラスへ見せるのは初めてだった。
「来ました」
森下の声。
「公式きよぽんです」
森下が近づこうとする。
神室が制服の襟を掴んだ。
「確認中だから行かない」
「一メートル離れます」
「そのまま動かないで」
「観察が」
「後で」
山村は神室の後ろから、きよぽんを見ていた。
目が合ったように見える。
だが。
きよぽんの視界がどこにあるか、外からは分からない。
山村は少し迷い。
小さく手を振った。
オレは右手を上げる。
ゆっくり。
山村へ振り返す。
山村が驚く。
自分へ返されたと思わなかったらしい。
顔を伏せる。
それでも。
もう一度。
小さく手を振った。
「山村さん、きよぽんとお友達になりましたね」
白石が優しく言う。
「そ、そんな……」
「手を振り合いました」
「た、たまたまです……」
「きよぽんは、静かな人と相性が良いそうですよ」
「そうなんですか……?」
山村が少しだけ、こちらを見る。
「はい」
白石は何の根拠もなく断言した。
だが。
設定上は間違っていない。
きよぽんは。
人混みや騒がしい場所が苦手。
一人でいる者の近くへ静かに座る。
山村とは相性が良いかもしれない。
「記録しました」
森下が言う。
「きよぽんは山村さんを認識」
「勝手に記録しないでください……」
山村の声は弱い。
だが以前より、森下へ言い返していた。
その時。
別の更衣区画の幕が開く。
最初に出てきたのは。
ほなわんだった。
オレンジ色。
大きな耳。
胸元のハート。
歩くたび、左右の耳が柔らかく揺れる。
中に入っているのは一之瀬。
動きだけで分かる。
体育館へ出た瞬間。
両手を大きく広げ。
全員へ手を振る。
明るい。
きよぽんとは正反対だった。
「ほなわん!」
一之瀬クラスから歓声。
ほなわんはその声へ向け、身体全体で反応する。
右。
左。
後ろ。
どこから呼ばれても、すぐに振り返る。
耳が大きく揺れる。
「やっぱり帆波だな」
神崎が小さく言う。
着ぐるみの中でも、一之瀬らしさは隠せていない。
ほなわんが、きよぽんへ気づく。
動きが止まる。
顔は常に笑っている。
だが身体の向きで。
喜んでいることが伝わる。
両腕を広げる。
抱きつこうとしたらしい。
直後。
補助員の神崎が肩へ触れる。
「今日は抱擁禁止だ」
ほなわんは腕を下ろす。
少し残念そうに首を傾げる。
その動きが大きい。
耳も一緒に垂れる。
周囲から「可愛い」という声。
その後。
ほなわんは。
きよぽんから一メートルほど離れた位置で止まり。
両手を胸元へ。
少し前へ差し出した。
握手のつもりだろう。
オレは一歩近づく。
きよぽんの短い右腕を伸ばす。
ほなわんも伸ばす。
オレンジ色の丸い手。
乳白色の短い手。
先端が触れる。
握ることはできない。
軽く重ねるだけ。
体育館に拍手が起きる。
「ほなわんときよぽん、初対面!」
長谷部が喜ぶ。
「設定上は友達になっていた」
幸村が訂正。
「着ぐるみで会ったのは初めて」
軽井沢は撮影している。
ほなわんが手を離す。
次に。
自分の胸元を指す。
ほなわん。
その後。
オレを指す。
きよぽん。
最後に両手で大きなハートを作ろうとする。
耳が前へ落ち。
自分の腕へ引っかかった。
ほなわんの動きが止まる。
神崎がすぐに耳を外す。
「やはり、前へ垂れすぎる」
「根元の角度を修正する必要があるな」
一之瀬クラスの制作担当が記録する。
最初の問題点が見つかった。
ほなわんは耳を直される間。
きよぽんへ向け。
片手だけで小さなハートを作ろうとする。
指が動かない丸い手。
形にはならない。
それでも。
何をしたいかは伝わる。
オレも同じように。
片方の短い腕を曲げる。
二体で半分ずつ。
合わせればハートになるかもしれない。
近づく。
ほなわんの右手。
きよぽんの左手。
互いの身体が太いため。
中央へ届かない。
手の間に大きな隙間。
「届いてない!」
佐藤が笑う。
「友達となら大きな丸を作れるけど、ハートは作れないんだ」
長谷部が言う。
「新しい苦手なことだな」
三宅。
「追加しよう」
幸村が記録する。
「追加するな」
オレは着ぐるみの中で呟いた。
外には聞こえなかった。