次に体育館へ姿を現したのは、龍園クラスの代表キャラクターであるぶっくまるだった。
茶色い熊を基調とした丸みのある身体に、
大きな丸眼鏡をかけ、両腕では一冊の本を大切そうに抱えている。
中へ入っているのはひよりであり、その性格を反映しているのか、
歩幅は小さく、動作の一つ一つも静かで慎重だった。
ぶっくまるは体育館へ入ってきても、
ほなわんのようにすぐ全員へ手を振ろうとはしなかった。
最初に足元へ視線を向け、床に落下物や足を取られそうなものがないかを確かめる。
その後で左右へ身体を向け、周囲に他の着ぐるみや補助員が接近していないか、
安全な距離が確保されているかを確認した。
最後に正面へ顔を向ける。
そこには、先に体育館へ入っていたほなわんときよぽんが並んでいた。
二体へ気づいたぶっくまるは、
抱えている本を落とさないよう身体の中央へ寄せたまま、ゆっくりと頭を下げた。
角度は深すぎず、およそ十五度。着ぐるみの重心を崩さずに行える、
安全な範囲のお辞儀だった。
オレも、ぶっくまるへ応じるように身体を僅かに前へ傾ける。
一方のほなわんは、嬉しさを全身で示そうとしたのか、大きく頭を下げようとした。
しかし、長い耳が前方へ垂れ、床へ接触しそうになったため、
補助役の神崎がすぐに背後から身体を支えた。
「一之瀬、十五度までだ」
ほなわんは注意を受けて上体を戻した後、
今度は先ほどよりも小さく、慎重にお辞儀をする。
三体がそれぞれ異なる方法で挨拶を交わしたことへ、
見守っていた生徒たちから拍手が起こった。
「三体とも、性格がまったく違って見えますね」
白石が三体を順番に見ながら、穏やかな口調で言った。
「ほなわんは明るくて、ぶっくまるは丁寧です。きよぽんは……少し眠そうですね」
「眠そうというのは性格なのか?」
橋本が疑問を口にすると、少し離れた場所にいた森下が当然のように答えた。
「生態です」
「お前は黙ってろ」
神室がすぐに止めた。
森下の説明が正しいのかどうかは分からないが、
きよぽんが常に眠そうな表情をしていることだけは事実だった。
挨拶を終えたぶっくまるは、両腕に抱えた本を落とさないよう、
ゆっくりときよぽんへ近づいてくる。
距離が縮まると、本の表紙に書かれた文字が見えた。
『はじめてのヨーグルトづくり』
以前、ひよりが話していた通りの本だった。
ぶっくまるがきよぽんへヨーグルト作りの本を渡す。
単なる会話の中で生まれた案を、本当に交流場面として実現するつもりらしい。
きよぽんの正面まで来たぶっくまるは、本を両手で持ち直し、こちらへ差し出した。
オレも受け取ろうとして、きよぽんの短い両腕を前へ伸ばす。
しかし、腕そのものの長さが足りない上に、本の横幅も広かった。
手の先端だけで本を挟もうとしても、十分に固定することができない。
本が斜めへ傾き、床へ落ちそうになる。
ぶっくまるはすぐに腕を伸ばし、下側から本を支えた。
オレも身体を一歩近づけ、胸元と両腕で本を挟み込む。
完全に持てているわけではないが、床への落下だけは避けることができた。
「きよぽん、本が持てないじゃない」
伊吹が率直に指摘した。
「ヨーグルト以外のものも持てるようにしないと駄目だろ」
石崎も同意しながら、きよぽんの短い腕と本を見比べている。
幸村はすぐに構造上の問題として考え始めた。
「腕の内側へ、小さな面ファスナーを付けるべきだな。
小道具側にも同じ素材を付ければ、挟む力が弱くても固定できる」
「握手をする時に邪魔にならないかな?」
佐倉が心配そうに尋ねる。
「手の表側ではなく、内側へ隠すように付ければ問題ない。
使用しない時には布で覆える構造にしてもいい」
「ぶっくまるの本にも、同じものを付けましょう」
ひよりの補助役として近くへ立っていた石崎が提案した。
龍園へ話しかけているわけではないため、いつもの普通の口調だった。
「きよぽんが持っている間だけ固定できれば、落とす心配も減る」
伊吹が石崎を見た。
「お前、もう着ぐるみ制作の話を普通にできるようになったわね」
「毎日やらされてるからな」
「愛着が出てきた?」
「違う」
「否定するのが少し遅かったけど」
石崎は、以前の三宅とほとんど同じことを言われていた。
本人たちは否定しているものの、自分たちが制作へ関わったキャラクターに対して、
少なからず愛着を持ち始めているのだろう。
補修方法についての話し合いが続く中、
ぶっくまるは本をきよぽんの胸元へ預けるように置いた。
オレは本がずれないよう、両腕と丸い身体の間へ挟み込む。
外側から見れば、きよぽんが大切そうに本を抱えているように見えるらしい。
体育館の見学者たちから、楽しそうな歓声が起こった。
本を渡し終えたぶっくまるは一歩だけ下がると、僅かに首を傾けた。
本を読んでくれるかと尋ねているような動きだった。
オレは、その意図へ応じるように一度頷く。
ぶっくまるは両手を胸元へ寄せ、小さく身体を上下へ揺らした。
喜びを表す動きとしては控えめだったが、その静かな反応はひよりらしかった。
「ぶっくまるときよぽん、相性がいいね」
佐倉が、並んだ二体を見ながら言った。
「どちらも静かなキャラクターだからな」
三宅も同意した。
「ヨーグルトの本があれば、きよぽんもぶっくまると話すかもしれない」
長谷部が言う。
幸村はすぐに設定上の矛盾へ気づいた。
「きよぽんは、基本的に喋らない設定ではなかったか?」
「ヨーグルトの話になると、少しだけ饒舌になるの」
「本人監修です」
遠くから森下が補足した。
「なぜお前が説明する」
頭部の中で言った声は、今度も外まで十分には届かなかった。
◯
最後に登場するのは、坂柳クラスのありすぽーんだった。
しかし、更衣区画を仕切る幕が開く前から、
その内部では何かが何度もぶつかる音がしていた。
「王冠が扉に引っかかっています」
幕の向こうから、森下のくぐもった声が聞こえる。
「少し屈んで」
神室が指示する。
「屈むと前が見えません」
「今もほとんど見えていないでしょう」
「左へ三センチほどお願いします……」
山村の小さな声も続いた。
「森下さん、ゆっくり動いてくださいね」
白石は、いつものように柔らかな口調で注意している。
「経験値を獲得する好機です」
「転ばないでください」
「一度だけなら」
「駄目です」
ありすぽーんが姿を見せる前から、幕の中ではすでに混乱が起きていた。
数十秒後。
最初に大きな王冠だけが幕の外へ現れた。
続いて、白い円筒形の身体、短い腕、黒い脚がゆっくりと姿を見せる。
以前の試作衣装よりも、身体部分は少し細く作り直されていた。
下部には足を動かしやすくするための切り込みが入り、王冠も軽量化されている。
顔を露出したまま被る簡易的な衣装ではなく、
頭部まで完全に覆う正式な着ぐるみへ改良されていた。
ただし、最大の問題である王冠は、今もかなり大きい。
しかも少し斜めにずれており、ありすぽーんの片方の目を隠している。
中へ入っている森下は、その状態のまま体育館へ一歩踏み出した。
全員が息を潜めて見守る。
二歩目。
三歩目。
以前よりは安定している。
四歩目を踏み出したところで、王冠がゆっくりと右側へ傾き始めた。
ありすぽーんは、自分で王冠の位置を直そうとしたのか、身体ごと右へ傾く。
その結果、重心がさらに右側へ移ってしまった。
「森下さん、その場で止まってください」
白石の声を聞き、ありすぽーんは右へ傾いた姿勢のまま静止した。
補助役の神室が近づき、王冠を正しい位置へ戻す。
「勝手に自分で直そうとしないで」
「自力で問題を解決した方が、経験値を多く得られると考えました」
「経験値なんて上がらないって、何度言われたら分かるのよ」
「将来的に仕様変更が行われる可能性があります」
「ありません」
坂柳が、優雅な笑みを浮かべたまま断言した。
着ぐるみの中の森下は、明らかに落胆したように肩を下げた。
王冠を直されたありすぽーんは、改めて体育館の中央へ向かって歩き始める。
そこには、ほなわん、ぶっくまる、きよぽんの三体が並んでいた。
小さなポーンを模したありすぽーんは、自分よりも大きな三体を見上げる。
王冠を両手で押さえながら、一歩ずつ慎重に近づいてくる姿は、確かに可愛らしかった。
「王冠を押さえながら歩く動きを、通常の動作にしてもよいかもしれませんね」
白石が提案した。
神室はすぐに問題点を指摘する。
「両手が塞がったら、握手ができなくなるわ」
「片手だけで王冠を押さえればいいんじゃないか?」
橋本が言う。
「右手で王冠を押さえて、左手で握手する」
「相手が右手を出してきた場合は?」
「ありすぽーんだけ、左利きの設定にする」
「今ここで決めるの?」
神室が呆れる。
坂柳は意外にも、橋本の案を真面目に検討し始めた。
「左利きという設定自体は悪くありませんが、
着用者が交代した時にも、動作を統一する必要があります」
「本気で検討するのかよ」
提案した橋本本人が驚いていた。
ありすぽーんは、最初にほなわんの前へ立った。
ほなわんが大きく手を振る。
ありすぽーんも応じようとして、王冠を押さえていた手を離した。
その瞬間、王冠が僅かにずれ、視界の一部を隠す。
ありすぽーんは気づかないまま一歩前へ進んだ。
ほなわんも嬉しそうに近づいてくる。
二体が正面から衝突しそうになったところで、
神崎と神室が同時に間へ入り、それぞれの身体を止めた。
「視界を確保してから動け」
神崎がほなわんへ注意する。
「森下、見えていない時は絶対に止まってくれ」
神室もありすぽーんへ言う。
「友情が私を前へ進ませました」
森下は真面目に答えた。
「止まれって言ってるの!」
一度二体を下がらせ、ありすぽーんの王冠を正しい位置へ戻す。
今度は互いの距離を確認しながら慎重に近づき、ほなわんとありすぽーんが手を重ねる。
握手は無事に成功した。
ほなわんは嬉しそうに身体を左右へ揺らした。
ありすぽーんも同じ動きを返そうとする。
しかし、ほなわんとは身体の構造が違う。
円筒形の身体を左右へ揺らすと、想像以上に揺れ幅が大きくなった。
左へ傾く。
次に右。
もう一度左。
身体の動きへ遅れるように、大きな王冠も左右へ揺れる。
重心が崩れた。
ありすぽーんの身体が、ゆっくりと後方へ倒れ始める。
「森下さん!」
山村の声が体育館へ響いた。
神室が支えようと腕を伸ばしたが、間に合わない。
ありすぽーんは、後方へ敷かれていた体育館のマットへ背中から倒れた。
柔らかな音が響く。
マットがあるため大きな怪我には繋がらなかったが、
衝撃で王冠が外れ、床の上を転がっていった。
体育館全体の動きが止まる。
ほなわんの中から、一之瀬が「大丈夫?」と言いかけたが、
声を出さないという約束を思い出したのか、途中で止めた。
倒れたありすぽーんは右手を上げ、一度、二度、三度と動かした。
幸村たちが使っている中断合図とは違う。
そのまま森下の声が聞こえた。
「経験値を三ポイント獲得しました」
「獲得してない!」
神室の叫びが体育館へ響いた。
張り詰めていた空気が崩れ、周囲から笑いが起こる。
担当教師も、困ったように額へ手を当てた。
「補助員は起き上がりを支援しろ。着用者だけで無理に立たせるな」
白石、神室、山村の三人が、ありすぽーんの周囲へ集まった。
白石が最初に安全を確認する。
「森下さん、頭は痛くありませんか?」
「問題ありません」
「気分は悪くないですか?」
「良好です」
山村も心配そうに近づく。
「自分で立てそうですか……?」
「自力で試してみます」
「試さないでください……」
以前の合同説明会では、山村は森下の言動を遠くから見守り、
困っていても小さな声を出すだけだった。
しかし今日は、自分から森下の腕を掴んだ。
「一人で起きようとしたら、また転んでしまうかもしれません」
森下の動きが止まる。
「山村美紀は、私を心配しているのですか」
「し、しています……」
「非常に嬉しいです」
「今は喜ばなくていいですから……」
白石と山村が左右から腕を支え、神室が背後から身体を押さえる。
三人は、ありすぽーんを一気に引き起こそうとはせず、
途中で傾かないよう少しずつ身体を起こしていった。
円筒形の外装は大きく、姿勢を戻す途中で再び横へ傾きかける。
小柄な山村にとっては、着ぐるみを支えるだけでもかなりの力が必要なはずだった。
それでも手を離さない。
三人の協力によって、ありすぽーんは再び両足で立つことができた。
床へ転がった王冠は橋本が拾い、坂柳へ渡す。
坂柳は自らありすぽーんへ近づき、王冠を頭部へ戻した。
「よく立ち上がりましたわね」
「レベルは上がりましたか?」
「上がっていません」
「やはり判定が厳しいです」
「ですが」
坂柳は、ありすぽーんの隣で腕を支えている山村へ目を向けた。
「山村さんからの助けを、きちんと受け入れることはできました」
森下は少し黙った。
「私から助けを求めたわけではありません」
「それでも、拒まずに受け入れたでしょう」
「それも成長に含まれますか」
「ええ」
「では、経験値は獲得できますか?」
「比喩的な意味であれば、一ポイントですわ」
ありすぽーんの身体が、明らかに嬉しそうに揺れた。
「獲得しました」
「調子に乗らないで」
神室はすでに疲れた様子だった。
山村は、ありすぽーんの隣へ立ったまま、王冠が再び傾いていないかを確かめている。
「つ、次はゆっくり歩いてください……」
「承知しました」
今度は、森下も素直に答えた。
変わり者で、自分の興味を優先しがちな森下。
人前へ出ることを避け、集団の中で陰に隠れがちな山村。
おっとりした態度で周囲を支える白石。
森下の暴走へ強く突っ込む神室。
そして優雅に全体をまとめる坂柳。
ありすぽーんは、坂柳一人のキャラクターではなく、
この五人の関係そのものを映す存在へ変わり始めていた。
◯
こうして、四クラスの代表キャラクターが体育館中央へ揃った。
左から、ほなわん、ありすぽーん、ぶっくまる、きよぽん。
外見も、身体の大きさも、動き方も、四体はまったく異なっている。
大きな耳を揺らし、誰に対しても明るく手を振るほなわん。
王冠を押さえながら、一歩ずつ慎重に進むありすぽーん。
本を胸元へ抱え、静かに周囲を観察するぶっくまる。
眠そうな顔のまま、必要がなければほとんど動かないきよぽん。
担当教師が全体へ指示を出した。
「代表キャラクター四体を、床の指定位置へ並べろ。
装飾品同士が接触しないよう、補助員が必ず確認すること」
床には、四体ごとに色の異なる印が付けられていた。
きよぽんは青。
ぶっくまるは緑。
ありすぽーんは白。
ほなわんは橙。
長い耳や王冠、本、スプーンなどが互いへ触れないよう、一メートルずつ間隔を空けて並べる。
「最初に、一体ずつ直線歩行を確認する」
歩行順は、ほなわん、ありすぽーん、ぶっくまる、きよぽんとなった。
「ほなわん、開始」
教師の合図を受け、一之瀬が中へ入ったほなわんが歩き始める。
歩幅はやや大きい。
長い耳も身体の動きに合わせて左右へ揺れる。
直線歩行そのものは安定していた。
ただし、見学している生徒たちへ手を振りすぎる。
右側へ手を振るたびに身体も僅かに右へ向き、少しずつ進路が中央線からずれていった。
「前を見ろ」
補助役の神崎が注意すると、ほなわんは身体を正面へ戻した。
数歩進んだ後、今度は反対側の見学者へ手を振ろうとする。
「一之瀬」
神崎の声が先ほどよりも強くなる。
ほなわんは両手を身体の前へ揃え、少しだけ俯いた。
叱られた犬のように見えたため、体育館から笑いが起こる。
神崎は記録用紙へ改善点を書き込んだ。
「愛想を振りまきすぎるのも問題だな。
歩行中に手を振る場合は片手だけにして、三歩以上続けないこと」
ほなわんは神崎へ振り返り、敬礼のような動きをした。
その拍子に片方の耳が顔へかかる。
「敬礼も不要だ」
神崎の声には、すでに諦めが混じっていた。
次は、ありすぽーんの直線歩行だった。
森下は先ほど転倒したこともあり、山村から言われた注意を忠実に守ろうとしていた。
一歩進む。
その場で止まり、王冠を確認する。
もう一歩進む。
再び止まり、王冠を確かめる。
転倒する危険は低い。
ただし、あまりにも遅かった。
十メートルの直線を進むだけで、かなりの時間がかかっている。
「歩くたびに止まる必要はない」
担当教師が言った。
「ですが、毎回確認すれば転倒を防止できます」
森下は真面目に答える。
「王冠の確認は、三歩に一度でいい」
「三歩ですね」
ありすぽーんは再び歩き始めた。
一歩。
二歩。
三歩。
そこで止まり、王冠を確認する。
問題がなければ、また三歩進む。
先ほどよりも速度が上がり、重心も安定していた。
「改善していますね」
白石が嬉しそうに言った。
「先ほど転んだ経験を、きちんと活かせています」
「経験値です」
「学習と言いなさい」
神室は、森下の言葉遣いを訂正することだけは諦めていないらしい。
続いて、ぶっくまるが歩行確認へ入る。
ひよりの歩き方は非常に安定していた。
本を両腕で胸元へ抱え、小さな歩幅で中央線に沿って進む。
左右へずれることもなく、身体の揺れも少ない。
問題があるとすれば、速度だった。
ありすぽーんよりは速い。
それでも一般的な歩行速度と比べれば、かなりゆっくりしている。
「設定には合ってるな」
龍園が言った。
「ただし、ステージ上の移動には時間がかかる」
葛城が現実的な問題を指摘する。
石崎は、ぶっくまるが歩いている様子を見ながら答えた。
「登場位置を中央に近づけた方がいいと思う。
歩いている間も、本を探している演技として見せれば、遅さを間として使えるし」
「あんた、ちゃんと考えてるじゃない」
伊吹が感心したように言った。
「俺だって考えるよ」
「褒めてるのよ」
「その言い方、絶対に褒めてないだろ」
龍園クラスの中にも、制作を通じた自然な役割分担が生まれていた。
最後は、きよぽんの歩行確認だった。
教師の合図を受け、オレは床の中央線に沿って歩き始める。
大きすぎない歩幅で、一歩ずつ進む。
丸い身体が不自然に固まって見えないよう、僅かに左右へ揺らす。
視界は狭いが、足元に引かれた線は確認できる。
歩く速度は、ぶっくまるより少し速く、ほなわんよりは遅い。
方向も大きくずれない。
「きれいに歩いています」
森下の声が聞こえた。
「やはり本物です」
「中身が綾小路だからな」
橋本が言う。
「だから本物なのです」
「同じ話を繰り返すな」
神室の突っ込みが入る。
オレは直線の終点へ到着すると、その場で止まり、ゆっくり身体を反転させた。
「きよぽん、完璧!」
長谷部が声を上げる。
オレは手を振らない。
「無視された」
「設定通りです」
森下が代わりに説明した。
長谷部は警戒するように森下を見る。
「森下さん、きよぽんの理解度が高すぎない?」
「研究していますので」
「半公認だからね」
「本日中に完全公認を目指します」
「駄目」
歩行確認そのものよりも、長谷部と森下の公認争いの方が騒がしくなっていた。
◯
直線歩行の次は、低い段差を越える訓練へ移った。
用意された段差の高さは五センチほどで、一般的な階段よりもかなり低い。
しかし、足元が見えにくい着ぐるみにとっては、十分に転倒の原因となり得る。
最初に挑戦するのはほなわんだった。
神崎が横から「段差」と声をかける。
一之瀬はすぐに歩みを止め、足先で位置を探るように確認した後、
右足からゆっくり段差を越える。
続いて左足。
大きな耳が前へ流れることもなく、無事に通過した。
次はありすぽーん。
神室と山村が左右へ立つ。
「段差があります」
山村の声を聞き、森下は足を上げる。
しかし、円筒形の衣装の裾が段差へ僅かに触れた。
以前なら、そのまま力任せに進んだ可能性がある。
今回は動きを止め、補助員の指示を待った。
白石が裾の位置を確認する。
「裾を二センチほど上げる必要がありますね」
神室が外側から少し持ち上げると、
森下は慎重に足を運び、転倒することなく段差を越えた。
ぶっくまるは、本を抱えて両腕が塞がっているため、
石崎が背中側から近い距離で誘導する。
「段差」
石崎の声を聞き、ひよりはその場で止まった。
右足を上げる。
続いて左足。
無事に越えることはできたが、足元を確認しようとして身体を少し屈めた時、
本の下側が腹部へ当たった。
「本の位置が少し低いな」
龍園が言った。
「胸元へ三センチほど上げた方がいいと思います」
ひよりは着ぐるみの中にいるため、石崎が代わりに改善案を伝える。
最後はきよぽんだった。
三宅が横へ付き、段差までの距離を伝える。
「段差まで四十センチ」
オレは歩幅を調整し、段差の直前で止まった。
足元の隙間から位置を確認し、右足を上げる。
大きなきよぽんの足が一度段差へ触れたため、少しだけ高く持ち上げて越える。
次に左足を動かした。
その時、頭頂部に付いたスプーンが僅かに後方へ揺れた。
「スプーン!」
長谷部が声を上げる。
幸村はすぐに固定部分を確認した。
「外れてはいない。ただし揺れが大きい。安全性を考えて柔らかくしすぎた」
「硬くしたら、誰かへぶつかった時に危なくない?」
佐倉が心配する。
堀北は、きよぽんのスプーンと、ほりぽんの翼の構造を見比べた。
「根元を太くして固定し、先端部分だけを柔らかくするべきね。
ほりぽんの翼と同じように、動かす部分と支える部分を分けるの」
「ほりぽんの技術を使うんだね」
長谷部が言う。
「友達に助けてもらった形になるわ」
堀北は静かに答えた。
きよぽんの頭部には、ほりぽんの制作を通じて得られた技術が、少しずつ取り入れられていく。
正式代表と友達キャラクター。
役割は分かれても、二体の制作が完全に別々になるわけではなかった。
◯
次に用意されたのは、幅の狭い通路だった。
床へ二本の柔らかなポールが立てられ、その間隔は一メートル二十センチ。
着ぐるみの身体そのものだけではなく、耳や王冠、鞄、
スプーンといった装飾品が接触しないように通過する必要がある。
ほなわんは長い耳を後ろへ流し、身体を真っ直ぐにしたまま問題なく通過した。
続いてありすぽーんが挑戦する。
大きな王冠の横幅が広いため、正面を向いた状態では通ることができない。
身体を斜めにする必要があった。
森下は左側を向き、一歩進む。
しかし、王冠の高くなっている部分が右側のポールへ当たった。
ポールは柔らかいため、倒れることも王冠が壊れることもない。
山村がすぐに指示する。
「反対です。王冠の高い方を、広く空いている側へ向けてください」
ありすぽーんは一度後ろへ戻り、向きを変えた。
今度は王冠を接触させずに通過できた。
「山村美紀」
森下が着ぐるみの中から呼ぶ。
「はい……」
「非常に頼りになります」
山村は返事に詰まった。
「そ、そうですか……」
「ありすぽーんの目になっています」
山村は少しだけ頬を赤くし、視線を伏せた。
「次も段差や障害物があったら、伝えます……」
「お願いします」
以前であれば、森下が一方的に話し続け、
山村が戸惑いながら離れていくことが多かった。
しかし、ありすぽーんの補助を通じて、
二人の間には明確な役割と信頼が生まれ始めている。
ぶっくまるは、身体の横幅だけなら問題なく通ることができた。
ただし、背中に付いた鞄が片側のポールへ触れた。
石崎がすぐに気づく。
「鞄が後ろへ出すぎてる」
西野が尋ねる。
「もっと背中へ密着させる?」
「本を取り出す設定があるので、完全に密着させると手を入れにくくなります」
ひよりの補助役である石崎が、制作時の事情を説明した。
葛城が鞄の構造を見ながら提案する。
「上側だけを固定し、下側を柔らかくすればいい。
障害物へ当たった時には潰れ、通過した後に元へ戻る構造にする」
「採用しましょう」
龍園が即座に決めた。
「葛城、お前が直せ」
「なぜ俺が担当する」
「案を出した責任だ」
「そういう制度ではない」
最後はきよぽんだった。
丸い胴体の幅は、二本のポールの間隔に対してかなりぎりぎりだった。
正面を向いたまま進むと、左右の布が軽くポールへ触れる。
通過できないわけではないが、摩擦が強く、布が引っかかる可能性がある。
「少し身体を斜めにしてみろ」
横に付いた三宅が言う。
オレは右肩を前へ出し、左肩を後方へ下げた。
ほとんど横向きに近い姿勢を作り、一歩ずつ慎重に進む。
頭部のスプーンは前後方向へ流れているため、ポールへ触れない。
丸い身体の最も広い部分も、斜めにすることで通路を抜けることができた。
「きよぽん、カニ歩きもできるんだ」
佐藤が楽しそうに笑った。
「新しい特技にする?」
長谷部がすぐに反応する。
「特技ではない」
頭部の中から答えた声は、今度は外へ少し聞こえたらしい。
「喋った!」
森下が反応した。
「カニ歩きについて、どのようにお考えですか?」
「質問するな」
「特技であることは否定されませんでした」
「否定する必要がないだけだ」
「では、プロフィールへ登録します」
「するな」
体育館に笑いが広がった。
担当教師まで、笑いを堪えるように僅かに顔を逸らしていた。