王冠の隣へ置かれたヨーグルトは、
本来なら撮影用に用意された空の容器に過ぎなかった。
ありすぽーんの王冠を拾おうとしても、きよぽんの短い腕では床まで届かない。
だからオレは、何もしないまま戻るよりはましだと考え、
手に持っていたヨーグルトの容器を王冠の隣へ置いた。
撮影中の判断に、それ以上の意味はなかった。
ところが完成した短編動画が公開されると、
その一場面は予想以上の反響を集めた。
王冠を一人にしなかった。
自分の大切なものを、相手の大切なものの隣へ置いた。
役に立てなくても、隣にはいられる。
動画を見た生徒たちは、オレが考えてもいなかった意味を次々に加えた。
その結果として生まれたのが、
坂柳クラスと堀北クラスによる共同グッズ企画だった。
ありすぽーんの王冠。
きよぽんのヨーグルト。
本来なら何の関係もない二つの意匠を、一つのキーホルダーや缶バッジへまとめる。
第十二話の翌朝、坂柳有栖は森下藍、山村美紀、
白石飛鳥、神室真澄を連れて堀北クラスの教室を訪れ、
企画書と簡単な試作品を堀北の机へ置いた。
表紙には、整った文字で題名が記されていた。
『ありすぽーん×きよぽん 王冠とヨーグルトの友好セット』
その題名の下では、小さな王冠とヨーグルト容器が一本の紐で繋がれている。
「昨日の動画は、両クラスにとって大変良い宣伝になりました」
坂柳は穏やかな笑みを浮かべながら、堀北へ企画書を差し出した。
「一時的な話題で終わらせず、
来場者が形として持ち帰れるものへ変えてみてはいかがでしょう」
堀北は、すぐに賛成も反対もしなかった。
机の上へ置かれた試作品を手に取り、
王冠とヨーグルト容器の大きさ、紐の長さ、接続部分を一つずつ確かめていく。
長谷部は堀北の横から試作品を覗き込み、すでに目を輝かせていた。
「可愛い。これ、本当に山村さんが作ったの?」
「は、はい……。まだ形を確認するためのものなので、
細かい部分は整っていませんが……」
山村は坂柳たちの少し後ろに立ち、落ち着かない様子で両手を重ねていた。
試作品には、手作業らしい僅かな歪みが残っている。
しかし、王冠の輪郭はありすぽーんのものへ正確に寄せられ、ヨーグルト容器にも、
きよぽんの頭部へ載っているものと似た蓋の模様が描かれていた。
「十分きれいだと思う」
佐倉が近づき、試作品を壊さないよう慎重に受け取る。
「王冠の先が丸くしてあるから、鞄に付けても引っかかりにくそう」
「尖った形のままだと、服や他の物を傷つけるかもしれないと思って……」
「安全性まで考えたんだね」
「森下さんが、本物と同じ形にするべきだと言ったのですが……
神室さんが止めてくださって……」
山村が小さな声で説明すると、神室が腕を組んだまま森下を見る。
「止めなかったら、王冠の先端を本当に尖らせるつもりだったのよ」
「象徴性が損なわれると考えました」
森下は悪びれる様子もなく答えた。
「ありすぽーんの王冠は、クイーンを目指す意志の象徴です。
先端を丸くすれば、その意志まで丸くなる可能性があります」
「グッズで怪我人を出すくらいなら、意志は少し丸くていいのよ」
「非常に現実的ですが、ロマンが不足しています」
「安全性が足りないよりましでしょ」
二人の会話を聞きながら、白石は柔らかく微笑んでいた。
「尖った王冠も素敵だと思いますが、
持ち歩いていただくものですから、
山村さんの形が一番良いと思います。
丸みがあっても、ありすぽーんらしさは十分に残っていますよ」
「白石さんがそう言うなら……」
森下は完全には納得していないものの、それ以上反対はしなかった。
坂柳クラス内で、森下の突飛な発想を神室が止め、
白石が角を立てずにまとめ、山村が実際の形へ落とし込む。
四人の役割は、この試験が始まった頃よりも明確になっていた。
「ヨーグルト容器の形はどう?」
長谷部がオレを見る。
「なぜオレに聞く」
「設定監修者だから」
「最低限だ」
「最低限でも、監修者は監修者」
長谷部が試作品をオレの前へ差し出す。
断っても、誤りがあれば後で気になる。
オレは仕方なく受け取った。
容器の形。
蓋。
側面。
大きな問題はない。
ただし、実際にきよぽんが頭へ載せている容器と比べると、蓋の色が少し明るすぎる。
「蓋の青を、もう少し落ち着いた色にした方がいい」
山村の肩が僅かに揺れる。
「す、すみません……」
「責めているわけではない。今のままでもヨーグルト容器には見えるが、
きよぽんへ近づけるなら修正した方がいい」
「分かりました。色を確認します……」
山村は端末へすぐに記録した。
佐倉が試作品ときよぽんの頭部を見比べる。
「私も一緒に色を選んでいい?」
山村は驚いたように佐倉を見る。
「佐倉さんが、ですか……?」
「きよぽんの顔や布の色を決めた時、何種類も比べたから。
似た色を探すのは少し慣れてると思う」
「お願いします……」
二人の間で、自然に共同作業が決まった。
人前で強く主張することが得意ではない佐倉。
集団の中で目立つことを避け続けてきた山村。
二人とも、自分から大きな声を上げる性格ではない。
その代わり、目の前の細かな違いを見落とさず、必要な作業を丁寧に積み重ねる。
この共同グッズは、二人の相性が最も表れやすい仕事になるかもしれなかった。
「では、共同制作に賛成ということでよろしいですか?」
坂柳が堀北へ尋ねる。
「まだ条件を確認していないわ」
堀北は企画書を開く。
制作費。
材料。
販売予定数。
利益の分配。
両クラスの名前をどの順番で載せるか。
在庫が残った場合の扱い。
共同グッズが一般投票へ与える影響。
堀北は一項目ずつ目を通し、数ページ進んだところで指を止めた。
「売上と評価点は、両クラスへ均等に加算されるの?」
「共同制作として申請すれば、
グッズ部門の得点は双方へ同率で加算されるそうです」
坂柳が答える。
「ただし、購入者アンケートで、
どちらのキャラクターを目的に買ったかという項目は残るとのことです」
「実質的な人気は分かるのね」
「ええ」
坂柳は笑みを崩さない。
だが、その答えの奥には、競争相手としての意識がはっきりと存在していた。
合同動画の反響では、きよぽんの場面が最も多く話題にされた。
共同グッズが売れた場合でも、購入理由の中心がきよぽんになれば、
ありすぽーんは添え物のように見られる可能性がある。
表面上は友好を示す企画であっても、人気の比較から逃れることはできない。
「面白い条件です」
坂柳は静かに続けた。
「共同で利益を得ながら、どちらがより多くの人を引きつけたのかも分かる。
協力と競争を同時に行えるということです」
「あなたらしい考え方ね」
堀北は坂柳を見る。
「友情を形にする企画だと言いながら、勝負するつもりでしょう」
「もちろんです」
坂柳は即答した。
「私たちは同じ作品を作りましたが、同じクラスになったわけではありません。
ありすぽーんが、きよぽんの付属品になるつもりもありません」
教室の空気が僅かに変わる。
長谷部も笑顔を止めた。
「付属品だなんて思ってないよ」
「長谷部さんがそう思っていなくても、購入する方々がどう見るかは別です」
「動画では、ありすぽーんが主役だった」
「それでも、最も切り取られたのはきよぽんの場面でした」
坂柳の口調は穏やかだが、指摘は正確だった。
森下が企画書の後ろから顔を出す。
「坂柳さん。ありすぽーんときよぽんは、すでに付属関係を超えています」
「どういう意味?」
神室が警戒した。
森下は試作品を両手で持ち上げる。
「王冠とヨーグルトは既に一つの生命体です」
教室が静まり返った。
神室はすぐに森下の肩を掴んだ。
「始まった」
「まだ何も説明していません」
「説明しなくていい」
「必要です」
森下は端末へ用意していた画像を表示した。
そこには、ありすぽーんの円筒形の身体と、
きよぽんの丸い身体が融合した、正体不明のキャラクターが描かれている。
頭には王冠。
王冠の中央にはヨーグルト容器。
片目はありすぽーんの大きな目。
もう片方はきよぽんの眠そうな目。
身体の片側は白。
もう片側は乳白色。
片手にはスプーン。
もう片手には小さな杖。
「名称は、ありきよぽんです」
「却下」
神室の返答は早かった。
「説明前です」
「見れば十分よ」
「二つの人気を一つへ統合すれば、付属品という問題は消えます」
「両方が消えて、別の何かになってるでしょうが」
「新しい生命です」
「作らない」
森下は坂柳を見る。
「坂柳さん」
「今回は神室さんに賛成です」
坂柳も即座に断った。
「ありすぽーんときよぽんは、別々の存在だからこそ互いを補えます。
合体させてしまえば、動画で生まれた関係そのものが失われるでしょう」
「非常に残念です」
「それに」
坂柳は画像を拡大して確認した。
「見た目があまり可愛らしくありません」
教室から笑いが起きる。
森下は画面を見直した。
「美的調整が必要ですか」
「存在そのものを取り下げて」
神室が画像を閉じさせる。
「ありきよぽんは、今日で終わり」
「試作段階で封印された存在として記録します」
「記録もしなくていい」
長谷部は、森下の画像が消えた後も少し笑っていた。
「でも、きよぽんを一番理解してるのは私だから、合体させるなら先に相談して」
「合体させない」
神室が訂正する。
森下は長谷部へ顔を向ける。
「理解度については異論があります」
「何?」
「私は、きよぽんの行動を継続的に観察し、
王冠とヨーグルトの象徴的関係を研究しています」
「私はきよぽんを最初に作った」
「最初に描いたことと、現在の理解度は同じではありません」
「私が設定を考えた」
「設定外の行動を最も多く発見したのは私です」
「勝手に解釈してるだけでしょ」
「長谷部さんも勝手に設定を増やします」
二人の視線がぶつかる。
公認マネージャー。
自称研究員。
どちらも、きよぽん本人が認めていない時期から
勝手に役割を名乗り始めた点では似ている。
長谷部がオレを見る。
「どっちがきよぽんを理解してる?」
「オレに聞くな」
「監修者として」
「最低限だ」
森下もオレを見る。
「公平な判定をお願いします」
「判定しない」
「では質問形式にします」
森下は端末を操作する。
「きよぽんが最も好むヨーグルトの温度は?」
「問題が細かすぎる」
長谷部が言う。
「理解度を測るには重要です」
「冷蔵庫から出してすぐより、少しだけ温度が上がった方が味は感じやすいよね」
長谷部が先に答えた。
森下は頷く。
「私は発酵終了直後の温度を想定しました」
「それは完成前でしょ」
「きよぽんは作る工程にも関心があります」
「食べる時の話だよ」
二人が同時にオレを見る。
「保存状態と種類による」
オレが答えると、長谷部と森下は揃って黙った。
「具体的には?」
森下が尋ねる。
「撮影や展示で使う場合は、食べるための温度ではなく衛生管理を優先する。
実際に食べるなら、冷えすぎて味が分かりにくい状態より、少し置いた方がいい。
ただし長時間常温へ置くべきではない」
長谷部が笑う。
「やっぱりきよぽんが一番詳しい」
「設定監修者です」
森下も認めた。
「勝負は?」
「引き分けでいいだろ」
「私が公認マネージャーだから、少し上」
長谷部が言う。
「私は研究成果で上回ります」
「終わりにして」
神室が二人を止める。
「共同グッズを作りに来たんでしょ。きよぽん理解王決定戦をしに来たんじゃないのよ」
「王ではなく研究主任です」
「どうでもいい」
白石は、神室の疲れた様子へ気づき、穏やかに話を戻した。
「王冠とヨーグルトを別々に作り、並べた時に一つの絵になる形はいかがでしょう。
単体でも使えて、二つを揃えると動画の場面を再現できます」
堀北と坂柳が同時に白石を見る。
「それなら、ありすぽーんがきよぽんの付属品には見えにくいわ」
堀北が言う。
「王冠だけを選ぶ人も、ヨーグルトだけを選ぶ人もいる。両方買えば繋げられる形ね」
「販売方法も分けましょう」
坂柳は企画書へ書き込む。
「王冠単体。ヨーグルト単体。二つを繋ぐ友好セット。三種類を用意します」
「セットだけ少し安くすれば、両方を選んでもらいやすい」
幸村が加わる。
「ただし単品価格との差を大きくしすぎると、
セット販売へ誘導したと見なされる可能性がある。試験運営へ確認が必要だ」
「グッズの台紙も、半分ずつ使えばいいんじゃない?」
佐倉が提案する。
「左にありすぽーん。右にきよぽん。真ん中に王冠とヨーグルト」
山村も小さく頷く。
「二体の名前を、同じ大きさで入れます……」
長谷部は一度きよぽんを大きくした四天王ポスターで注意を受けている。
今回は自分から言った。
「どっちも同じ大きさにしよう。きよぽんだけ目立たせるのはなし」
坂柳は長谷部を見た。
「公認マネージャーとして、学習されたようですね」
「ちゃんと他クラスへ確認するようになったよ」
「以前は確認されなかったのですか?」
「最初の四天王ポスターは少しだけ」
「ほなわんの耳と、ありすぽーんの王冠と、ぶっくまるの眼鏡が見切れていた」
オレが答える。
坂柳の笑みが僅かに深くなる。
「非常に大胆な宣伝でしたのね」
「今は直したから!」
長谷部が慌てる。
共同制作は、こうして正式に始まることになった。
ただし。
友好グッズという名称の裏では。
ありすぽーんときよぽん。
どちらがより多く単品で選ばれるか。
セットを買った者が、どちらを主な購入理由として挙げるか。
両クラスは、同じものを作りながら互いを測ろうとしていた。
◯
共同グッズ制作の作業場所には、堀北クラスの空き教室が使用された。
窓側の長机では、佐倉と山村がキーホルダーの色や形を調整する。
中央では、長谷部と森下が台紙の説明文を巡って言い争う。
廊下側では、幸村と神室が材料数や費用を計算し、
白石が両方の意見を聞きながら必要な修正をまとめていた。
堀北と坂柳は、少し離れた位置で販売計画と宣伝方針を確認している。
オレは、きよぽんのヨーグルト容器へ関する部分だけを確認するつもりだった。
だが長谷部と森下が、数分おきに質問を持ってくるため、
ほとんど作業から離れられない。
「台紙の文章なんだけど」
長谷部が紙を持ってくる。
『ありすぽーんが大切な王冠を落とした時、
きよぽんは自分の大切なヨーグルトを隣へ置きました。
二つを並べれば、一人ではないことを思い出せます』
「長い」
オレは答えた。
「どこを削る?」
「後半だけでいい」
「物語が分からなくならない?」
「動画を見ていない者へ全て説明するなら、台紙では狭い。
二次元コードで動画へ誘導すればいい」
幸村が聞きつける。
「それが合理的だ。台紙は短くし、裏面へ動画ページの二次元コードを載せる」
森下が別案を出す。
「『王冠とヨーグルトは孤独を共有する』」
「意味が分からない」
長谷部が否定した。
「非常に短いです」
「短ければいいわけじゃない」
「では『王権と発酵の同盟』」
「もっと分からない」
「象徴的です」
「グッズを買う人が困るよ」
「理解できる者だけが購入すればよいのでは?」
「売る気ある?」
二人の争いは続く。
白石が間へ入った。
「『大切なものを、隣に』はいかがでしょう」
長谷部と森下が同時に白石を見る。
短い。
動画の場面を知る者には意味が伝わる。
知らない者にも、完全に意味不明ではない。
「それがいい」
長谷部が先に認めた。
森下も少し考えた後、頷く。
「研究的説明は裏面へ回します」
「載せないで」
神室が遠くから止める。
佐倉と山村の作業は、二人の性格と同じように静かだった。
複数の青い布。
青緑。
濃紺。
少し灰色がかった青。
机の上へ並べ、きよぽんの頭部と見比べる。
「これが一番近いと思う」
佐倉が一枚を指す。
「でも、小さいグッズにすると少し暗く見えるかもしれない」
山村は窓から入る光へ布を持ち上げる。
「照明の下と、自然光で違いますね……」
「学園祭では室内で売るから、教室の照明に合わせた方がいいかな」
「持ち帰った後は、いろいろな場所で見ます……」
「じゃあ、中間くらい」
二人は色見本を重ね、僅かな差を比べ続ける。
会話は小さい。
作業も目立たない。
だが完成品の印象を決める重要な部分だった。
「佐倉さん」
山村が慎重に尋ねる。
「きよぽんの頬の色は、どうやって決めたんですか……?」
「清隆くんの顔に似せるより、少しだけ優しく見える色にしたの」
「本人より優しく……」
「ち、違うよ。清隆くんが優しくないって意味じゃなくて」
佐倉は以前と同じように慌てる。
山村は小さく笑った。
「分かります……。表情が動かないから、少し柔らかく見える方がいいんですよね」
「うん」
「ありすぽーんは、森下さんが入ると動きが予想できないので……
顔だけは落ち着いて見えるようにしました」
「森下さん、大変?」
山村は少し考えた。
「大変です……。でも、前より何をしようとしているか、少しだけ分かるようになりました」
「仲良くなった?」
「そういう言い方をされると……」
山村は困ったように俯く。
「でも、補助を任せてもらえるのは、少し嬉しいです」
佐倉は穏やかに頷いた。
「私も、きよぽんの横を歩く役を任せてもらえて嬉しかった」
「中にいるのは、綾小路くんですか……?」
「清隆くんか、みやっち」
「二人いるんですよね……」
「うん。でも外からは一体のきよぽん」
「不思議です……」
二人の会話は、そのまま共同グッズの形にも反映されていく。
ありすぽーんの王冠。
きよぽんのヨーグルト。
別々のもの。
別々の人間が作る。
それでも繋げた時には、一つの場面になる。
「単品でも寂しく見えないようにしたいね」
佐倉が言う。
「でも、並べた時はもっと良く見える」
「はい……。一人でも大丈夫だけど、二人だと少し嬉しい形にします……」
その言葉を聞いた森下が、すぐに端末へ記録しようとした。
「名言です」
「き、記録しなくて大丈夫です……」
「共同グッズの理念になります」
「恥ずかしいので……」
「山村さんの発言として掲載します」
「やめてください……」
山村は珍しく少し強い声を出した。
森下は動きを止める。
「では匿名にします」
「そういう問題では……」
白石が二人へ近づき、山村の肩へ優しく触れる。
「山村さんが嫌がることは載せない方がいいですね」
「承知しました」
森下は素直に引いた。
山村が困っていると、以前よりはっきり分かるようになったのだろう。
それも、ありすぽーん制作を通じた変化だった。
◯
共同グッズの試作品が形になり始める頃、
他の二クラスも独自の宣伝物を完成させていた。
一之瀬クラスが作ったのは、『ほなわんのお友達カード』の正式版だった。
合同説明会で配られた簡易版とは異なり、学園祭用は丈夫な紙で作られ、
表面には笑顔のほなわん、裏面には名前や好きなものを書ける欄がある。
一枚だけでは完結しない。
友達同士でカードを交換し、互いの名前を書き込むことで完成する。
カードの端には小さな穴が開いており、複数枚を紐でまとめれば、
自分が出会った友達の記録として持ち歩ける。
一之瀬は完成品を持って、各クラスへ説明に回っていた。
「学園祭で、ほなわんと写真を撮ってくれた人に渡す予定なの」
堀北クラスへ来た一之瀬は、オレたちへ一枚ずつ見本を配る。
「名前を書きたくない人は、
好きな色や好きな食べ物だけでもいいし、何も書かなくても大丈夫」
「友達カードなのに、名前を書かなくてもいいのか」
オレが尋ねる。
「うん。ほなわんは、相手の全部を知らなくても友達になれるから」
一之瀬らしい考えだった。
無理に踏み込まない。
それでも、関わりを拒絶しない。
きよぽんとは方法が違うが、相手の距離を尊重する点では似ている。
「きよぽんにも一枚」
一之瀬は、すでに名前が書かれたカードを差し出す。
表面。
ほなわん。
裏面。
『おともだち きよぽん』
「本人の同意がない」
「合同練習で握手したよ」
「握手と署名は別だ」
「じゃあ、きよぽんに聞いて」
長谷部がオレを見る。
「何でオレが」
「着用者兼監修者」
「最低限だ」
一之瀬はカードをきよぽんの頭部の前へ置いた。
「きよぽん、友達カード受け取ってくれる?」
当然、返事はない。
長谷部がきよぽんの短い腕を持ち上げようとする。
「勝手に動かすな」
「手を伸ばしてる」
「お前が動かしている」
一之瀬は笑った。
「今度、着ぐるみの時に渡すね」
「背中のポケットへ入れるなら問題ない」
答えてから。
長谷部の表情が変わる。
「受け取った」
「保管方法を話しただけだ」
「友達成立!」
「すでに設定上は友達だ」
「認めた!」
何を言っても、結論は変わらない。
一方、龍園クラスが完成させたのは、『ぶっくまるの四天王図鑑』だった。
ひよりが文章を作り、石崎と伊吹がイラストや見出しを選び、
葛城が全体の構成と内容を確認した。
厚さは薄い。
子供でも持ちやすい冊子。
見開きごとに、ほなわん、ありすぽーん、ぶっくまる、きよぽんが紹介されている。
ぶっくまるのページだけが少し多い。
龍園クラスの宣伝物なので当然だった。
「ほなわん」
誰とでも友達になれる犬。
得意なこと。
話しかけること。
苦手なこと。
友達が一人で抱え込むのを見守ること。
「ありすぽーん」
何度転んでも立ち上がるポーン。
得意なこと。
失敗しても続けること。
苦手なこと。
王冠が重い。
「ぶっくまる」
本を通じて人と人を繋ぐ熊。
得意なこと。
本を探す。
苦手なこと。
乱れた本を放置する。
「きよぽん」
ヨーグルトを頭へ載せた謎の生き物。
得意なこと。
隣にいる。
苦手なこと。
大きな丸を一人で作る。
そして、欄外には小さく。
『第二形態ではヨーグルトが一個増えるが、特に強くはならない』
と書かれていた。
「誰がこれを書いた」
オレは図鑑を持ったまま尋ねる。
石崎が答えた。
「龍園さん」
「俺じゃねぇ」
龍園はすぐに否定する。
「伊吹だ」
「私じゃない」
伊吹も否定。
ひよりは少し申し訳なさそうに手を挙げた。
「私です」
意外だった。
「合同練習での説明が、とても分かりやすかったので」
「本に残す必要はない」
「皆さんが最も気になる部分だと思います」
「椎名の判断は正しい」
龍園が笑う。
「ヨーグルトが増えるだけなのに、わざわざ第二形態と呼ぶ。そこが一番面白い」
「お前たちの図鑑に、きよぽんの弱さを強調する必要はない」
「事実だろ」
「弱さではなく個性です」
ひよりが優しく訂正する。
「何も強くならなくても、二つ持っていることに意味があります」
「何の意味だ」
「誰かと分けられます」
その答えなら、設定として成立する。
オレが黙ると、長谷部が横から図鑑を覗く。
「第二形態、良い説明に変わったね」
「今までは?」
「手が塞がって弱くなる」
「それも事実だ」
長谷部は少し考えた。
「両手が塞がるくらい大切なものを、誰かと分ける形態」
「勝手に詩的にするな」
「図鑑に追加してもいいですか?」
ひよりが尋ねる。
「必要ない」
「でも素敵です」
「きよぽんの説明だけ長くなる」
「人気だからな」
龍園が言う。
「少し削れ」
「自分のクラスのぶっくまるを増やすため?」
堀北が龍園へ尋ねる。
「当然だ。これはぶっくまるの図鑑だからな」
「四天王図鑑と名乗っているでしょう」
「表紙を見ろ」
表紙の中央。
ぶっくまる。
その周囲に三体。
四天王ポスターで長谷部が最初に行ったことと同じだった。
「ぶっくまるだけ一・三倍大きい」
幸村が正確に測る。
「一・二倍じゃないの?」
長谷部が尋ねる。
「お前のポスターを超えるためだ」
龍園は平然と答えた。
「張り合う場所がおかしい」
オレは言った。
宣伝合戦は、すでに四クラス全体へ広がっていた。
ほなわんのお友達カード。
ありすぽーんときよぽんの共同グッズ。
ぶっくまるの四天王図鑑。
それぞれのクラスが、代表キャラクターの個性へ合わせた形で
一般来場者へ訴えようとしている。
堀北クラスにも。
きよぽん単独のグッズが必要だった。
共同グッズだけへ頼れば、
ありすぽーんとの組み合わせがなければ魅力を出せないように見える。
その懸念を最初に口にしたのは、堀北だった。
◯
共同グッズの最終確認を終えた日の放課後。
堀北は堀北クラスの制作メンバーだけを教室へ残した。
坂柳クラスはすでに戻っている。
机の中央には。
王冠型キーホルダー。
ヨーグルト型キーホルダー。
友好セット。
共同缶バッジ。
四種類の試作品。
どれも完成度は高い。
山村と佐倉が色と形を調整し、白石が台紙の文章をまとめ、
長谷部と森下の意見を神室が整理した。
坂柳と堀北は価格と販売数を決めた。
問題は、完成度ではなかった。
「共同グッズは成功する可能性が高いわ」
堀北は机を囲む生徒たちへ言った。
「動画の反響が続いている間に販売できれば、相当数が売れるでしょう」
「良いことじゃん」
軽井沢が言う。
「うちにも得点が入るんでしょ?」
「ええ。ただし、きよぽんの人気が、
ありすぽーんとの関係へ依存していると思われる危険もある」
長谷部は腕章を整えながら考える。
「きよぽん単体のグッズも増やす?」
「増やせばいいという話ではないわ」
堀北は共同グッズと、既存のきよぽんグッズを並べる。
ステッカー。
小型クリアファイル。
ひとやすみポーチの試作品。
「現在、きよぽんが人気を集めている理由は大きく三つある。
綾小路くんとの関係。ヨーグルトを被った外見。
合同動画で見せた、無理に問題を解決せず隣にいる性格」
「きよぽんとの関係が一番?」
長谷部が尋ねる。
「試験開始直後はそうだったでしょうね」
堀北はオレを見る。
「今は、それだけではない。
けれど内輪向けの冗談として始まった印象は、まだ完全には消えていないわ」
「きよぽん本人を、もっと表に出す?」
「中身の綾小路くんではなく、キャラクターとしてね」
堀北は続ける。
「共同動画では、ありすぽーんが困っていたから、
きよぽんの役割が分かりやすくなった。
学園祭本番では、他のキャラクターがいなくても、
きよぽん単体で何を提供できるか示す必要がある」
「きよぽん休憩所」
幸村が答えた。
「騒がしい学園祭の中で、話しかけられずに休める空間を作る。
キャラクター設定と実用性が一致している」
「それを中心にしましょう」
堀北は頷く。
「共同グッズは販売する。ただし、宣伝の中心には置かない。
あくまで動画から生まれた記念品として扱う」
「ありすぽーんの付属品にも、きよぽんの付属品にも見せない」
長谷部は坂柳の言葉を思い出していた。
「そういうことね」
「分かった」
公認マネージャーになった長谷部は、
以前より自分のキャラクターだけを目立たせることへ慎重になっている。
「共同グッズも大事。でも、きよぽんは一体でも大丈夫って見せる」
佐倉が言う。
「一体でも大丈夫だけど、誰かが隣に来たらもっといい」
山村と話していた言葉。
長谷部が笑った。
「それ、きよぽんの新しい紹介文にしたい」
「短くするなら悪くない」
オレが答えると、全員がこちらを見る。
「何だ」
「清隆くんから採用が出た」
「設定として矛盾がないだけだ」
「本人監修」
「最低限だ」
いつもの返答。
ただし。
きよぽんの見せ方について。
オレ自身も、以前より多くの意見を出している。
否定するだけではなく。
どうすればキャラクターとして成立するか。
何が設定に合い。
何が違うのか。
考えることが増えていた。
「では、学園祭前の最後の全体リハーサルで、
休憩所から合同ステージまでの流れを確認するわ」
堀北は全員へ向き直る。
「本番まで、残り一日。明日のリハーサルで問題が見つかれば、
修正できる時間はほとんど残っていない。全員、気を抜かないで」
「明日はみやっちが最初に入るんだよね」
長谷部が確認する。
三宅が反応する。
「俺か?」
「本番では、午前の一部をみやっちが担当する予定だから」
「清隆が先じゃないのか」
「主担当に頼りすぎない練習よ」
堀北が答えた。
「綾小路くんは補助側から動きを確認して。
中へ入っている時には分からない問題を見つけてほしい」
合理的だった。
三宅は諦めたようにきよぽんの頭部を見る。
「明日は俺が本物扱いされるのか」
「きよぽんは一体だ」
オレは答える。
「中身で本物と偽物を分ける必要はない」
三宅が少し驚く。
「前より言い切るようになったな」
「設定を安定させるためだ」
「分かってる」
三宅は僅かに笑った。
「でも、悪い気はしない」