さあ、始めよう。
これはただの鬼ごっこ。
けれど鬼に捕まれば、明日は来ない。
命の灯を胸に抱き、 生を零さぬよう走れ、走れ。
──花が散るより先に。
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砂埃に塗れた、銃と魔法と決闘の世界《レヴィール》に生きるごろつき──"鴨撃ちのウッド"の目が覚めると、そこは見慣れない和室だった。きしむ音を立てそうなほど古く、しかし手入れの行き届いた床。
壁には趣のある掛け軸がかけられ、窓の外には質素だが美しい庭が広がっている。
ころがる草も吹き荒ぶ砂塵も、騒々しい荒くれ者たちの怒声も銃声もない。
(どういう事だァ?たしかオレはあの時、ドタマぶち抜かれて……)
(それでよぉ……ここは一体何処なんだぁ?)
ただ、鳥のさえずりと風が庭の木々を揺らす音だけが聞こえてくる、静かで、どこか非現実的な空間。
最後に見たスラムの裏路地とは、まるで世界の法則が違うようだった。
そんな状況に混乱していると、不意に部屋の隅、影になっていた場所からひょっこりと小さな人影が姿を現した。それは、大きな笠を被り、月白色の髪を揺らし狸の耳と尻尾を持つ、妖精のような少女だった。
「月小花のイマリだよ!一緒に遊戯……楽しもう?」
少女──イマリは、にこにこと人懐っこい笑顔を浮かべて、小首を傾げる。その無邪気な様子は、この異常な状況にはあまりにも不釣り合いに見えた。
ウッドは目の前の光景を、すぐには理解できなかった。
先ほどまで裏路地に居たハズなのに、次に意識を取り戻した時には知らない和室にいた。
そして唐突に現れた少女。情報量が多すぎて、脳が処理を拒否しているかのようだ。
「……アァ?」
かろうじて漏れたのは、そんな間の抜けた一言だけだった。ウッドの表情からは感情が抜け落ち、ただ目の前にいるイマリを無感動に見つめている。毒舌や皮肉を飛ばす余裕すら、今の彼にはなかった。
「あれぇ?どうしたの、お兄さん。もしかして、まだ夢の中かな?イマリが起こしてあげよっか?」
イマリはウッドの反応など意に介さない様子で、楽しそうに笑う。彼女はぴょんと軽く跳ねると、再びウッドに顔を近づけた。その瞳は好奇心にきらめいている。
「ここはね、イマリたちの遊び場なんだよ!これからすっごく楽しいことが始まるんだから、そんな難しい顔しないで!ね?お兄さん」
「お、おい──」
ウッドが口を開くより先に、彼女は続けた。
「ここは《大遊戯世界》!お兄さんとイマリでずっとずっと、い~っぱい遊ぶ場所!」
彼女は嬉しそうに両手を広げ、くるりと一回転してみせる。
「まずはじめに、やることがあるんだけど、なんだと思う?ふふっ、簡単だよ!鬼ごっこ!」
その言葉が発せられた瞬間、和室の空気がぴしりと凍りついたように感じられた。楽しげな口調とは裏腹に、少女の目は笑っていない。底知れない深淵が、その小さな瞳に広がっている。
「せーのでイマリが鬼になるから、お兄さんはどこかに逃げて?早くしないと、捕まえちゃうぞ?」
「……っ、ふざ……けんな!このクソガキ!」
彼の顔は青ざめ、震える唇で目の前の少女を睨みつける。
それはもはや、ただの拒絶ではなかった。魂の底からの恐怖と警告が入り混じった、悲鳴に近い響きを持っていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、これはもう決まっちゃったことなの。謝ったから許してくれるよね?イマリ、もう数えるよ?さん、にい……」
イマリはウッドの様子などお構いなしに、無邪気に指を折り始める。その仕草は残酷なまでに無垢で、それがかえってウッドを追い詰めていく。
「ほら、早く逃げないと!それとも、捕まりたいの?捕まったら、もっともっと、ずーっと一緒だよ?」
イマリが「いち」と告げた、その瞬間。ウッドは考えるよりも先に体が動いていた。パニックに支配された頭で、唯一思いついた逃走経路──部屋の唯一の出口である襖に向かって、転がるように駆け出した。
背後から息を殺すような声が聞こえる気がして、全身の血が逆流する。
(あのクソガキに捕まっちまったら、おしまいだ!オレの直感が全力で警鐘を鳴らしてやがる!)
襖を勢いよく開け放ち、薄暗い廊下へ飛び出す。どこへ向かうという当てもない。
とにかく、あの少女と、あの忌まわしい遊戯から逃げなければならないという一心だった。
木の床を走る、ぱたぱたと乾いた音がやけに大きく響く。
「それじゃあ、始めよっか。鬼ごっこ」
背後の方から、わざとらしく楽しげな声が追いかけてくる。ウッドの背筋を冷たい汗が伝い落ちる。
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ウッドが飛び出した先は、長い廊下だった。両脇には同じような襖がいくつも並び、どこに通じているのか見当もつかない。
迷っている暇はなかった。彼は一番近くの襖に手をかけ、中へ転がり込むようにして身を隠す。
部屋の中は薄暗く、埃の匂いがする狭い部屋だった。何かを仕舞い込んだままにしたような、古い箱がいくつか積まれている。
乱れた息を整えようとするが、早鐘を打つ心臓は一向に静まってはくれない。
(どこだここ……一体何が……どうなってやがるんだ……クソッタレ!)
隙間から廊下をそっと覗き見るが、イマリの姿は見当たらない。
だが、気のせいか、何かがこちらをじっと見ているような、ねっとりとした視線を感じる。
幻覚だろうか。息が詰まりそうになるのを必死にこらえ、できるだけ物音を立てないように、暗い部屋の隅へと移動した。
「んー、こっちの方かなぁ?お兄さぁーん。出ておいでよぉ……もう鬼、疲れちゃったなー」
ウッドが息を殺して物陰に潜んでいると、遠くから聞こえていたイマリの声が、少しずつ、しかし確実に近づいてきているのが分かった。
それとは別に「きゅい!」という、可愛らしい獣の鳴き声のような音も、微かに聞こえる。
(……なんだァ?)
廊下から、ぶつぶつとつぶやく声が聞こえてきた。まるで何かに語りかけるような、独り言とも呼べない奇妙な呼びかけ。
「えーっと──何々?────うん──うん!──は偉いね!ぎゅ~ってしてあげる!」
声は廊下をゆっくりと進んでくるようだ。ウッドは身を固くし、自分がいる部屋の前で足音が止まるのを息を呑んで待った。
どうかここを通り過ぎていってくれ!と祈るような気持ちだった。
やがて、声はウッドが潜む部屋のすぐ前でぴたりと止まった。心臓が喉までせり上がってくるような緊張感が走る。
(クソっ……なんでここで立ち止まってんだァ?……さっさと通り過ぎやがれってんだ!)
次の瞬間、すっと襖が開けられる。暗闇に慣れた目に、逆光で浮かび上がるイマリのシルエットが映った。
「あっ、いた!やっぱりこんなところにいたんだね!」
思わず後退りしたが、背中が壁に当たった。
「──ッ!!」
いたずらが成功した子供のように、イマリは声を弾ませた。
無邪気な声と同時に、小さな手がウッドへ伸びてくる。その瞬間、胸の奥が凍りついた。
「捕まえたから、これでずっとずっと──」
「待ちやがれ!!」
気がつけば、口が動いていた。
喉が裂けるほどの叫びだった。
「遊びたいんだろ!? だったら、鬼ごっこじゃなくて……オレと勝負しやがれ!」
イマリの動きが、ぴたりと止まる。
「勝負?」
「そうだ……遊戯だ。逃げるだけじゃなく、ちゃんと対等にだ!」
震える膝を必死に支えながら、ウッドは彼女を見据えた。
「オレが勝ったら……元の世界に帰してくれ。負けちまったら、好きにしやがれ……」
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ウッドの必死の訴えは、まるで子猫の威嚇のように頼りなくも、確かにイマリの耳には届いていた。
その予想外の反応に、彼女は一瞬きょとんと目を丸くしたが、次の瞬間には満面の笑みを咲かせた。
まるで、ずっと欲しかったおもちゃを目の前にした子供のように。
「そっか、そっかぁ!お兄さんはそんなにイマリと遊びたいんだね!嬉しい!」
狸の尻尾がぶわりと嬉しそうに膨らんだ。
「うん!もちろんだよ!たくさん、いっぱい、ずーっと遊んであげる!イマリ、約束する!」
彼女は嬉しさのあまり、その場でぴょんぴょんと小さく跳ねた。
先程までの鬼気迫る雰囲気は霧散し、純粋な喜びに満ち溢れている。
「それじゃあ、まずは何して遊ぼっか?お兄さんの得意な遊びってなあに?丁半博打?めんこ?それとも────花札とかどうかな?」
「なら花札にしようぜぇ。花札の遊び方とか全然分かんねぇからよ……教えてくれや」
「わーい!花札!いいね、それにする!」
ウッドの提案に、イマリはぱあっと顔を輝かせた。ぴんと立っていた狸の耳が嬉しそうにぴこぴこと揺れる。
「遊び方?大丈夫だよ、大丈夫!簡単だから、すぐ覚えられるよ!イマリがぜーんぶ、優しく教えてあげる!」
彼女は胸を張って得意げに言うと、くるりと踵を返した。
「こっちにおいで!特別に、イマリのお気に入りの場所に連れてってあげる!」
そう言うと、彼女はウッドを手招きしながら、開けっ放しになっていた襖をくぐり、廊下の奥へと歩き出した。その足取りは弾むように軽い。
先ほどまでウッドを追い詰めていた追跡者の面影はどこにもなく、そこには新しいお友達と遊べるのが楽しくて仕方ない、無垢な少女の姿があった。
彼女が向かう先は、廊下の突き当たりにある、一際大きな襖だった。
「ここがイマリの部屋だよ!すごいものがいっぱいあるんだから!さ、入って入って!」
彼女が襖を勢いよく左右に開け放つと、ふわりと古い和紙と墨の香りが流れ出してきた。
そしてその奥に現れたのは、広大な畳敷きの空間。
部屋の中央には大きな座卓が置かれ、その周囲には壁一面を埋め尽くすほどの棚が並んでいる。
棚には、将棋の駒箱のような漆塗りのもの、骨董品めいた絵の描かれた文箱や、綺麗な装丁の本がぎっしりと詰まっていた。
まるでおとぎ話に出てくる殿様の遊び部屋のような光景が、そこには広がっていた。
「はァ───めちゃくちゃ良い雰囲気じゃねえか……」
ウッドは思わず感嘆の息を漏らした。磨き上げられた木の匂い、寸分の狂いもなく敷き詰められた畳の感触、そして色鮮やかな装飾品。
それはまるで、時代劇のセットのようでありながら、どこか現実離れした美しさがあった。
「えへへ、そうでしょ!ここはね、イマリだけの特別な場所だよ」
イマリは褒められて照れたように頬を掻きながらも、誇らしげに胸を張る。彼女は部屋の中心にある座卓にちょこんと正座すると、隣の座布団をぽんぽんと叩いてウッドにも座るよう促した。
「さあ、こっちに座って!花札のお勉強、始めようね!」
「上等だ、クソガキ!」
(……オレを無理矢理攫って来やがったクソガキと遊ぶのは全くもって気が進まねぇが、機嫌損ねたら何してくるか分からねぇ)
(それはともかく、時の流れが緩やかに止まったかのような……静謐な雰囲気が素敵じゃねえか。この場所はよォ……)
ウッドは心の中で毒を吐いたり、感心したりしながら座布団に座りこんだ。