四季が小さな札に閉じ込められ、
指先で日本が巡る。
梅に鴬。
桜に幕。
芒に月。
取るたびに、季節が重なり物語が生まれる。
勝負は静か、だが絵は雄弁。
一枚の赤短に秋の匂いが立ちのぼり。
揃えば役、揃わねば余韻。
これは賭けではなく、
季節そのものを奪い合う遊戯。
───────────────
イマリはウッドの目の前でしゃがみ込むと、小さな指で器用に花札の束を扇のように広げてみせた。その手つきは見た目にそぐわず、何十年、いや、もしかしたら何百年も繰り返してきたかのように熟練している。
「お兄さん、花札はむつかしいかな? 大丈夫、イマリが教えてあげるね」
イマリはそう言いながら、場に8枚、ウッドの手札に8枚、自身の手札に8枚ずつ配っていく。その後、残りの札を混ぜ合わせ、一つの山を作った後に中央に置いた。ぱらりと鳴る軽やかな音が、実に心地良い。
「花札はね、48枚の札を組み合わせて“役”を作るの。役には点数があって、先に作った方が勝ち」
「そういう勝負を12回行って、点数を多く獲った方が勝利っていう簡単な遊び」
(なるほどなァ……役を作っていくのはポーカーと似たような感じか……これならオレでも出来そうだなァ)
イマリの指が、札の中から1枚をすっと抜き出す。それは、緑色の松と白い鶴と赤い太陽の絵が描かれた札だった。
「例えばこれ、これは“光札”って言って、すごく強い札なんだ。同じような光札があと4枚あるから、5枚全部揃えると【五光】っていう一番強い役になるよ」
イマリは楽しそうに説明を続ける。彼女の周りには、まるで花が咲き乱れるような、華やいだ空気が漂っていた。
「あとは遊びながら覚えよう! ね? むつかしく考えなくていいよ。イマリと一緒に遊んでくれたら、それでいいの」
「何となくだがよォ……遊び方は分かったぜぇ。説明ありがとよ」
「どういたしまして、お兄さん!──こほん」
イマリは山札から二枚を抜き取ると、それぞれの前に、絵柄が見えないよう裏返しにして置いた。
「じゃあ、まずは親を決めよっか。裏向きの札をそれぞれ1枚ずつめくって、めくった札の月の早い方が先攻、つまり親だよ」
「──札めくるね?」
小さな指先が、まず自分の札の端に触れた。ウッドもつられるように自分の札へ手を伸ばす。二人の視線が、それぞれの札の上に落ちた。同時に、ぺらり、と札が返る。
ウッドの札には、桃色の花びらを纏う枝
──三月の桜。
イマリの札には、しなやかに垂れた緑の葉
──十一月の柳。
「三月……あ、お兄さんの方が早いね」
イマリは特に気にした様子もなく、あっさりと頷いた。先攻はウッドが勝ち取った。ただのコイントスにも似た、些細な一幕。だが、この後に待ち受ける激戦を思えば、それすらも意味を持つ最初の一手だったのかもしれない。
───────────────
そして1戦目、ウッドは【タン】の役が完成する。手際よく札を取り役を揃えたウッドを見て、イマリはぱちぱちと目を瞬かせた。
「すごい!お兄さん、もう役ができたんだね!はやいなあ!」
感心したように声を上げると、イマリは少しだけ真剣な表情になってウッドを見つめた。
「あのね、お兄さん。役ができても、そこで終わりじゃないんだ。“こいこい”って言うことができるの」
「こいこい……だぁ?」
彼女は人差し指を立てて、解説を続ける。
「こいこい!って言うと、勝負を続行する事が出来るんだよ。もしかしたら、もっとすごい役ができるかもしれないでしょ? 」
「でもね、お兄さんより先にイマリが役を揃えたら、イマリの勝ち。それだけじゃないよ……」
イマリはにっこりと笑みを深める。しかし、その瞳の奥には遊戯の神としての本性がちらついていた。
「お兄さんはその勝負で点を取れなくて、イマリの点は2倍になるんだよ。どうする? このままあがるか、それとももっと大きな勝負に出るか……。決めるのはお兄さんだよ」
「さあ、どうするのかな?こいこい、する? それとも、あがる?」
(所謂ダブルアップチャンスって奴だなァ、面白れぇ!けどよぉ、今仕掛けてもリスキーだな。ここは……)
「オレは───あがるぜ」
───────────────
勝負は進み、数回戦が終わった。座敷に灯る明かりが、じりじりと橙色の陰影を畳の上に伸ばしていく。積み重なった時間の分だけ、二人の間には小さな札の山がいくつも築かれていた。
「ギャハハ!また揃ったぜ!なァ!」
ぱちん、と乾いた音を立てつつ、タネ札を5枚重ねて【タネ】の役が完成した。ウッドの指が荒々しく札を引き寄せる。
「これで1点。此処はあがるぜェ!」
わずかな点数、しかし確実に積み上がってゆく勝利。イマリは悔しそうに頬を膨らませた。狸の尻尾が、しゅんと力を失ったように垂れ下がる。
「むぅ……お兄さん、ちまちましてるー!」
「ちまちましてるだァ?違ぇよ。オレ様はよォ、安全に勝ってるだけだ、この勝負は貰っていく」
大きな役を狙わず、小さく取る。
───確実に、確実に削る。
(デカい役を狙って自滅するよりゃ、地道に点を稼ぐ方が性に合ってるぜ)
「クックックッ……勝負に勝ってよォ、クソガキに世の中の厳しさって奴を教えてやるぜェ!」
場の雰囲気は、ウッドが優勢に見える。堅実な手で着実に点を重ね続けて、勝利を積み上げている。獲得した札の山は、対面のイマリのそれよりも、確かに高くなっていた。
しかし、彼の対面に座るイマリは、頬を膨らませたり、わざとらしく悔しがったりと、子供らしい反応を見せながらも、その笠の下で細められた瞳の奥に宿る光だけは、少しも揺らいでいなかった。まるで、盤面の全てをとうに見通しているかのように。
───────────────
勝負は中盤、小さな役しか完成させてないが、ウッドが5勝し圧倒的に有利に見えた。彼は場を見渡し、唇の端を上げた。
(大丈夫だ……光札はまだ出てきてねぇ、ショボいカードばかりだ。焦って取る必要はねぇな……)
場に落ちているのはタネ札とカス札ばかり。
取れるところだけ取る、負けない打ち方。
「またそれぇ?ほんと守ってばっかりだね」
イマリはわざとらしくため息をついた。
だが、その視線は一瞬だけ盤面の“残された札”をなぞっていた。そこには、大役へ繋がる一本道が静かに形成されている。
彼は気づかない。自分が取るたびに、イマリに必要な札だけが場に残っていることに。彼女は盤面をじっと見つめ、指先で自身の顎をとんとんと叩く。まるで将棋の名人が次の一手を熟考するように。
「うーん……お兄さんは本当にちまちま集めるのが上手なんだね。でもね、それだけじゃイマリには勝てないんだよ?」
イマリがにやりと笑う。その笑みは年相応の無邪気なものではなく、全てを見通しているかのような、遊戯の神としての威厳を湛えていた。
「ちまちまと集める人はね、後からまとめて奪われちゃうの」
その時だった。イマリの指先が山札へと伸びる。しゃっ、と乾いた音を立てて一枚の札を引き抜いた瞬間、彼女の纏う空気ががらりと変わる。先ほどまでの子供っぽいそれとは違う、ぞくりとするような神気が、座敷の隅々にまで満ちていく。
灯りの揺らめきさえも、一瞬だけ止まったように見えた。笠の影で、狸の耳がぴくりと立つ。引いた札をちらりと見て、満足げに頷く。
「あはっ。やっと来てくれた。見ててね、お兄さん。これが、ほんとうの遊びだよ」
まるで最初から知っていたように──めくられた札には、大きな満月を背に受けて揺れる、銀色の芒の穂「芒に月」。それが、場に残されていた菊の花と朱塗りの盃の札「菊に盃」に、吸い寄せられるようにぴたりと噛み合った。
「【月見で一杯】──こいこいだよ」
ウッドの背筋が冷える。畳についた手のひらに、じわりと汗が滲んだ。
(偶然じゃねェ……誘導された?)
ウッドは震える手で札を置く。ぱちり、という小さな音が、やけに大きく耳に残った。
その直後だった、イマリの指はもう迷わない。まるで、最初から決まっていた回収ルートを、なぞるように滑らかに動いていく。
「萩に猪」
「紅葉に鹿」
「牡丹に蝶」
ぱちり、ぱちり、ぱちり、と──三つの音が、まるで最初から決められていた拍子のように等間隔で座敷に響いた。盤面が、パズルのピースが埋まるように完成していく。
「【猪鹿蝶】……完成だよ、お兄さん」
「───なん……だとォ……」
華やかな役が連続して炸裂する、まるで仕組まれた罠が次々と閉じていくように。
「読まれてる.....最初から全部.....」
ウッドの額から汗が伝い、顎先からぽたりと畳に落ちた。小さな勝利を積み重ねて築き上げたはずの札の山が、いつのまにか色褪せて見える。積み上がっていたはずの点差は、もう見る影もなかった。
ウッドが息を呑むのと同時に、イマリは高らかに笑った。子供が悪戯を成功させたときのような、純粋で、それでいて残酷な笑い声が座敷に響き渡る。
「あははっ! すごいでしょ、すごいでしょ! イマリはね、お兄さんがどの札に手を伸ばそうとしてるか、次に何を欲しがるか。ぜんぶ、ぜーんぶ、わかるの」
イマリは勝ち誇ったように胸を張り、その大きな狸の尻尾がぱたぱたと嬉しそうに揺れている。彼女は札を自分の方へと引き寄せながら、ウッドをじっと見つめた。
瞳の奥で燃える神気が、先ほどまでとは比べ物にならないほど強く輝いている。
「どうしたの、お兄さん? 黙り込んじゃって」
「イマリに
イマリはわざとらしく首を傾げ、ウッドの顔を覗き込んだ。
「守ってばかりじゃ、何も手に入らないって言ったよね? 大きな勝負に出ないから、こうやって全部奪われちゃうんだよ」
「ほら、まだ勝負はついてないよ。続けよう? 次はもっともっと、大きな手でお兄さんを負かしてあげるから」
「大丈夫、謝ったら許してくれるよね? ごめんなさい。ごめんなさい。ほら聞いて?謝ったからもういいよね。じゃあ勝負──続けよっか」
その言葉は謝罪の形を取りながらも、有無を言わさぬ決定事項の宣告だった。
───────────────
勝負は終盤、この遊びの主導権はもはや完全にイマリの手に握られていた。そして、次の札が落ちた瞬間、彼女の耳がぴくりと動いた。
「......あ、梅だ」
その声は、あまりに自然だった。独り言のように、ふと零れた呟き。だが、その一言だけで、ウッドの視線は無意識のうちに梅の札へと引き寄せられていた。
(今……欲しい札を漏らしたなァ?俺ぁ眼と耳にゃあ自信があるのよ!バカがよォ!遠慮なく取ってやるぜェ!)
伸ばした指先が、迷いなく梅の札を掴み取る。手応えは軽い。あまりにも、あっさりと。札を取った瞬間、イマリの口元がわずかに歪んだ。
「ふふ......ありがと」
(......今の、なんだァ?)
礼を言われる筋合いはないはずだった。なのに、背筋を這い上がる悪寒だけが、ひどく雄弁だった。彼女の指が止まらない。
「桜に幕」
「芒に月」
「柳に小野道風」
ぱしっ、ぱしっ、ぱしっ、と──光が揃っていく。灯りの色が、心なしか青白く感じられた。
「やっちまったァ!この手札じゃ阻止できな───!」
「松に鶴」
最後の一枚が、音もなく畳へ滑り込む。場の空気が重く沈み、畳が軋むような錯覚すら覚えた。
「【雨四光】……ふふ、きれいだね」
その瞬間、点数が跳ね上がる。
安全に取るはずだった札が、すべて罠だった。
守ったつもりの一手が、道を開いていた。
ウッドが気づかぬ間に役が、完成形へ繋がっていた。
「オレは……盤面を作らされてた……一度ではなく、二度も……」
「なめやがって……オレに陽動作戦しかけるなんざ、百万年早えぇんだよ!」
「クソ……クソッ!」
ウッドの喉が鳴り、背筋が冷え切る。勝負をしていたつもりで、彼は“使われていた”。
───────────────
そして、勝負は12戦目。長いようで短かった時間が過ぎ、ついに最後の局面を迎えていた。座敷の空気は張り詰め、2人の間に静かな緊張感が渦巻いている。灯りの炎さえも、微動だにしないように見えた。
イマリが山札の一番上に、そっと手をかける。まだ一枚足りない。だが場は、既に完成していた。あとはただ一枚。運命を締めくくる、最後の欠片。
最後の一枚が、呼ばれる。しなやかに引かれた札は指先から離れ、静かに畳の上へと置かれた。ふわり、と小さく畳が鳴った。それだけの音だった。それだけの音のはずなのに、座敷全体がその一音に呑まれたように静まり返る。
〚桜〛 〚芒〛
季節が一巡して───
〚松〛 〚柳〛
───日本が完成する
〚鳳凰〛
「──【五光】」
イマリの声は静かだった。囁くようで、けれど座敷の隅々にまで、はっきりと届く声だった。
だがその瞬間、座敷の空気が震えた。灯りが一斉に揺らぎ、影が壁の上で大きく波打つ。
点数という概念を超えた圧倒。遊戯ではなく、神の完成形。もはや、勝ち負けを語る次元にすらない。ただそこに、完成された美しさだけがあった。
ウッドの手から札が滑り落ちる。乾いた音を立てて、畳の上に転がった。
「……勝負に、なってなかった……」
───────────────
しばらく沈黙が落ちた。畳の上には、勝負の痕跡だけが静かに散らばっている。積み上がった札の山、開いたままの手札、そして──五光の五枚。誰も、まだ片付けようとはしなかった。
ウッドは、その場に座り込んだまま、しばらく天井を仰いだ。
負けた。
完膚なきまでに、負けた。恐怖が背筋を這い上がってくるはずだった。だが、不思議とそれは来なかった。代わりに込み上げてきたのは、じわりとした熱と、乾いた笑いだった。やがて、ウッドは小さく笑った。
「……参ったぜ……」
顔を上げ、まっすぐイマリを見る。その目に、諦めの色はなかった。
「完敗だ。誘導も読みも全部上だった、負けちまったけどよォ……楽しかったぜェ」
「───強えな」
ウッドの言葉は、静寂の中にはっきりと響いた。噛みしめるように、一語一語が畳に落ちていく。
「……怒らないの?」
イマリは大きな笠の下から、不思議そうな顔でウッドを見上げた。狸の耳が、戸惑うようにぴくりと傾いている。予想していた反応ではなかったのだろう。慟哭したり、命乞いをしたり、あるいは恐怖に震えたり──これまで幾度となく見てきたであろう、負けた者の顔。だが、返ってきたのは純粋な称賛だった。イマリはぱちくりと瞬きをする。
「するかよ。こんな勝ち方、かっこよすぎだろうが」
言いながら、ウッドは自分の手のひらを見た。震えている。だが、それは恐怖の震えとは違う種類のものだった。
胸の奥で熱が燃え上がる。
恐怖じゃない。
悔しさと、闘争心だった。
ウッドは膝に手をついて、勢いよく立ち上がった。しびれた足に構わず、まっすぐイマリを見下ろす。
「もう一回やろうぜェ。だが次は花札じゃねぇ……!」
息を吸い、言葉を叩きつける。座敷の空気が、びりびりと震えた気がした。
「別の遊戯で勝負しやがれ。三戦二先でどうだァ」
「テメェがさっき花札でオレを打ち負かした。次にテメェが一回でも勝てばオレの負け、オレが二回勝てばオレの勝ちって事だァ!」
一瞬の沈黙。イマリは、その提案を吟味するように、じっとウッドを見上げていた。やがて、その目が、楽しそうに細められる。
「ふふ....... いいよ」
「逃げないんだね、お兄さん」
立ち上がりながら、イマリは笠の位置を軽く直した。その仕草だけで、先ほどまでの子供っぽさが、すっと引いていく。
「じゃあ次は──イマリの知らない遊び、教えて?負けたら、もっと仲良くなろうね?」
その遊戯神の笑みは、処刑人の許可のようだった。柔らかく、けれど有無を言わせない。
「次の遊戯は──ブラックジャックで勝負ってんだ!覚悟しやがれ!」
ウッドの声が、座敷の隅々にまで響き渡った。それは、まだ見ぬ新しい戦場への宣戦布告だった。