寝ている間に無自覚無双 ~怠惰に生きたい転生貴族、楽するために開発したオートスキルで知らないうちに国を救っていたようです~ 作:片沼ほとり
「それでは、私たちはこれで失礼する。またどこかで会おう」
去っていく二人の背中を、シエルはずっと見ていた。生徒たちが歓声をあげ、先生が「では自由行動です」と言い、周りが動き出しても、足が向かなかった。
(……速かった、ですわね)
目を閉じれば、まだ姉の姿が鮮明に浮かぶ。
一閃、二閃。三、四、五体目が倒れるまで、十秒もかからなかった。
小さい頃から手合わせを繰り返してきた。しかしアウロラが騎士団に入ってから、また一段と差を広げられてしまったような気がする。
ようやく歩き出したシエルは、石畳をゆっくり進みながら、ひたすらそのことだけを考えた。
同じ光属性魔術、同じ血筋。それなのに、なぜあれほどの差が生まれるのか。
速さだけではない。一撃ごとに魔力が無駄なく剣に乗り、急所を正確に捉えている。
(今のワタクシは……)
シエルは腰に据えた短剣を抜いた。そうして魔力を込め、近くに生えた雑草を払う。
スパッと一閃し、草がパラパラと落ちる。切れ味は良好。
だが、姉の戦いを見た後では、児戯のように遅い。
(……魔力効率が悪い、でしたわね)
剣を振るったからか、思い出してしまった。昨日のアレン・クライネルの言葉だ。正直、まだ消化しきれていない。
魔力効率という点では、あの決闘でこちらの方が消耗が早かったのは事実だ。それは認める。
では、どうすれば――。
「肩の力を抜いた方がいい、ですか……」
思わず声に出してしまい、シエルはハッとする。近くを歩いていた生徒が振り向いたが、目が合うと慌てて前を向いた。
(独り言はお行儀がよろしくありませんわね)
気を取り直して、また歩く。そしてアレンの言葉を反芻する。
魔力効率。肩の力を抜く。言うのは簡単だが、具体的にどうするかは難しい。
しかし、アレンが自分の持っていないものを持っているのもまた事実。
(そんな能力がありながら、あの態度なのが癪なのですわ)
また思い出してしまった。授業中に机に突っ伏して爆睡する姿。
決闘が終わった後、「叱られ続ける関係も悪くないな」と呑気に言ってのけた顔。
そして――自分が渾身の一撃を放ったのに、ただ半歩ずれただけで受け流した、あの余裕。
あんな人間に。言われたのだ。
足が止まっていた。気づいたら、石壁の前に立っていた。
「絶対にあなたを超えてみせますわ!」
叫んでいた。石壁に短剣を突きつけながら。
周囲がしんとした。振り向く生徒が二人、三人。目が合う。
シエルはゴホンと咳払いをして歩き出した。目が合った生徒たちと逆向きに。
そうして気恥ずかしさを振り払うように周囲を見渡して――ふと思う。
(……そのアレン・クライネルはどこに?)
姉とミッシェルがいたときはちゃんと後ろで話を聞いていた。だが、自由行動になってからは?
生徒たちの顔を一望する。
先生に質問している者、友達同士で壁を触っている者、座り込んでメモを取っている者。
しかし、アレン・クライネルの姿も、フィオナの銀髪も、どこにもない。
「……また、サボっていますの?」
広いダンジョンとはいえ、初心者コースは見通しの良い一本道。いない人間はすぐにわかる。
二人とも、初心者コースの中にはいない。
自由行動とはいえ、許されているのはダンジョン内での行動だけだ。
「……アレン・クライネル!」
外でサボっているであろう二人を連れ戻すべく、シエルはダンジョンの入り口へと向かった。
*
初心者コースの入り口まで戻ってきたシエルは、足を止めた。
外に出れば二人が見つかると思っていた。しかし、その手前で目に入ったものがある。
初心者コースの入り口のすぐ近くには、様々なコースへの入り口がある。
もちろん一年生は立ち入ってはいけないと言われているのだが……あろうことか上級コースを見れば、その先の通路の床に積もった薄い砂埃に、二人分の足跡が残っていた。
(……まさか)
ダンジョンに入るときにはなかったはずの足跡を見て、嫌な予感が走った。
上級コースには、初心者コースとは比較にならない魔物がいる。アウロラが先ほどのデモンストレーションで通してみせた、あのレベルの魔獣が出現する場所だ。
今日、安全が保証されているのは初心者コースだけ。上級コースの魔物は駆除されていない。
この足跡がアウロラとミッシェルのものなら何の問題もない。
だが、二人は公務に戻っているはず。アレンとフィオナのものである可能性が高い。
(先生に報告すべきですわね。でも……)
あのサボリ魔が何のつもりで上級コースに立ち入ったのかはわからないが、何かあっても自分勝手な行動をしたアレンの自己責任。そう割り切って先生に報告するのが普通だろう。
――だが、とシエルは考える。
初心者コースの奥にいる先生のところまで戻り、説明し、先生がここに来るまでの時間。
それだけで何分かかる? 今この瞬間に、あの二人が強力な魔獣と遭遇していたら?
(お姉様なら、どうなさいますの?)
考えるまでもない。すぐに見つけて、連れ戻す。もし魔獣に襲われていれば、助ける。
シエルは上級コースに足を踏み入れた経験がある。姉と共にではあるが、数度。敵に出くわしても、速さを活かし、交戦せずに引けば問題ない。
「……まったく世話が焼けますわね!」
自分がいる以上、この学年の生徒はすべて立派な卒業生にしてみせる。犠牲者が出るなんてもってのほかだ。
そんな使命を胸に、シエルは上級コースへと踏み込んだ。
*
上級コースに入ると、空気が変わった。魔力の濃さが初心者コースとは段違いだ。
照明も薄暗く、石壁の隙間から漏れる淡い光だけが頼り。アウロラと来た時もこんな雰囲気だっただろうか――いや、あの時はアウロラがいたから、緊張こそすれ心細くはなかった。
「アレン・クライネル! いるなら返事をしなさいまし!」
声を張る。反響がダンジョンの奥へと消えていくが、応答はない。
砂埃の上に残る二人分の足跡をシエルは追う。
足跡は迷いなく一本道を進んでいる。まるで行き先がわかっているかのように。
しかし、しばらく進んだところで地面が変わった。砂から、湿った土と苔へ。足跡が消えた。
(……これでは追えませんわね)
ここから先は通路がいくつも枝分かれしている。どちらに進んだのか見当がつかない。
「仕方ありませんわね」
魔獣の気配に注意しながら、シエルは片っ端から通路を覗いていった。
左。誰もいない。右。行き止まり。さらに奥の分岐を右。暗い空洞に人の気配はない。
焦りが少しずつ募る。探す範囲が広がるほど、自分も入り口から離れていく。
速さを活かせば逃げ切れるとはいえ、長居は避けたい。何より、奥に行くほど二人が危険に遭っている可能性も高くなる。早く二人を見つけなければ。
そう思いながら、次の通路に足を踏み出した瞬間だった。
「――っ!?」
足元が、なかった。
苔に覆われていた地面が崩れ、暗闇が口を開ける。
落とし穴――いや、地盤そのものが脆くなっていたのか。焦りのあまり集中力を欠いていた。
咄嗟に光属性の魔力を足に集中させ、落下の勢いを殺す。
数メートル下の地面に、なんとか着地した。衝撃はあったが、怪我はない。
「……助かりましたわ」
息をつき、周囲を見渡す。薄暗い空間。天井は高く、落ちてきた穴も手が届かない高さだ。
上に戻れそうな足場は……ある。奥の方に見える。
だが――。
「グルル……」「ギギ……」「ガァ……」
暗がりの中から、いくつもの目がこちらを見ていた。
小型の魔獣だ。一体一体は大きくない。犬ほどの大きさ。
だが――数が多い。十、二十……暗がりの奥にまだいる。
こちらを取り囲むようにじりじりと距離を詰めてくる。
(……まずい、ですわね)
今のシエルでは、速さだけで振り切るのは難しい数。そう簡単に上へは戻れないらしい。
シエルは短剣を抜いた。