寝ている間に無自覚無双 ~怠惰に生きたい転生貴族、楽するために開発したオートスキルで知らないうちに国を救っていたようです~   作:片沼ほとり

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第15話:愛しの黒仮面様

 魔獣に囲まれたシエルは考える。戦略はシンプルだ。

 奥に見える足場まで駆け抜け、上に戻る。そのために、道を塞ぐ魔獣を斬り開いていく。

 全部倒す必要はない。進路上の敵だけ片付ければいい。

 

「――はぁっ!」

 

 光を纏い、踏み込んだ。

 最初の一体に斬りかかる。短剣が魔獣の首筋を捉え――浅い。硬い毛皮に弾かれた。

 返す刀でもう一振り。今度は脇腹に入る。だが、まだ動いている。

 三振り目で、ようやく一体が倒れた。

 

(……三振り)

 

 一体に三振り。その間にも周りの魔獣がじりじりと距離を詰めてくる。

 すぐに次の一体。踏み込み、斬り、斬り、斬る。倒れる。また次。

 確実に数は減っている。だが、足場までの距離は思うように縮まらない。一体を仕留める間に、別の個体が回り込んで進路を塞ぐ。

 

(お姉様なら――)

 

 頭の中に、さっきの光景がちらつく。

 あれだけ大きな魔獣をも、一閃で一体を倒すあの剣。速く、無駄のない、完璧な動き。

 同じ光属性。同じ血筋。同じように速さを纏っている。そのはずなのに。

 

「はぁっ!」

 

 また一体。斬り、斬り、斬って倒す。横から飛びかかってきた別の個体を蹴り飛ばし、進む。

 型通りに構え、型通りに踏み込み、型通りに振っている。教わった通りだ。

 なのに――何かが違う。何が足りないのか、何が間違っているのか。それがわからない。

 

(どうすれば、お姉様のように――)

 

 考えている余裕はなかった。このペースでは魔力が先に尽きる。

 目の前の敵を倒しても、暗がりからまた新しい個体が現れるからだ。

 

(全部倒すのは無理。道を作って駆け抜けたいのに、一体ごとに時間がかかりすぎますわ)

 

 わかっている。わかっているのに、どうにもできない。

 短剣に光を集中させ、渾身の一振りを放つ。今度こそ一撃――。

 だが結局、毛皮を深く裂いただけで、倒しきれなかった。もう一振り追加して、ようやく沈む。

 

 姉なら。姉なら一閃で仕留めている。

 

(……集中しなさい、ワタクシ!)

 

 そう自分に言い聞かせる。それなのに、剣を振るうたびに姉の残像が重なる。

 自分の動きに、姉の動きが被さって、その差だけが浮き彫りになる。

 

(……何が足りないんですの)

 

 焦りではない。もっと根深い、自分の剣そのものへの違和感。

 その思考が――一瞬だけ、シエルの注意を奪った。

 

「グガッ!」

「――っ!?」

 

 背後。死角から飛びかかった魔獣に、気づくのが遅れた。

 振り返ったときにはもう、牙がすぐそこまで迫っている。

 間に合わない。短剣を構える余裕すらない。

 

 ――噛みつかれる。そう覚悟した、その瞬間……。

 

 魔獣が横に吹き飛んだ。

 

「……え?」

 

 目の前にいたはずの牙が消えている。代わりに、シエルの横を、黒い影が通り過ぎていた。

 いや、通り過ぎたのではない。シエルの前に立っている。

 その黒い姿。黒い仮面を身に纏い、素顔は一切見えない。

 

 心臓が跳ねた。

 

(この姿は――)

 

 あの夜と同じだ。森で魔獣に殺されかけたとき、どこからともなく現れて命を救い、名乗りもせずに消えた――あの黒仮面。

 

 ――また、助けられた。

 

 周囲の魔獣たちが、黒仮面の存在に気圧されたように数歩後退する。動物の本能が、目の前の存在を危険だと判断したのだろう。

 束の間の静寂。シエルは声を絞り出した。

 

「あなたは……あの夜の……! お名前を教えてくださいまし!」

 

 だが、応答はない。

 

「なぜここに? ワタクシを助けに来てくださったのですか?」

 

 それにも答えない。仮面の奥の目がこちらを見ているのかすら、わからない。

 代わりに、黒仮面は低く、呟くように言った。

 

「……やっぱりな」

「……?」

 

 意味がわからない。

 だがその言葉は、シエルに向けられたというよりも、何かを確認するような独り言に聞こえた。

 

 そして、黒仮面が動いた。シエルに向かって、まっすぐに。

 

「っ!?」

 

 反射的に身構えた。だが攻撃ではない。

 黒仮面はシエルの横を通り過ぎ、背後に立った。

 そして後ろから――シエルの両手に自分の両手を重ねた。

 

「な――」

 

 頭が真っ白になった。魔獣のことも、姉のことも、全部吹き飛んだ。

 後ろから包み込むような体勢。背中に黒仮面の体温が触れている。

 重ねられた手は大きくて、シエルの手をすっぽりと覆っている。

 

(て、手を……)

 

 シエル・アークライト、十五歳。国の宝として大切に育てられた第二王女。

 男性と手を繋いだことなど――ない。

 

「な、なにを、なさって……っ!」

 

 声が裏返る。顔が、耳の先まで熱い。

 振りほどこうとしたが、黒仮面の手はびくともしない。そもそも体に力が入らない。

 

(落ち着きなさいワタクシ! これは何かの、そう、きっと戦術的な……!)

 

 必死に自分に言い聞かせる。だが心臓がうるさすぎて思考がまとまらない。

 

「こ、こういうのは、その、順序というものが……!」

 

 何の順序だ。自分でも何を言っているのかわからない。

 だが、黒仮面はシエルの錯乱など意に介さず――。

 

「――っ!」

 

 体の内側で何かが動き、シエルの体がピクリと跳ねた。

 魔力だ。自分の魔力が、今まで感じたことのない流れ方をしている。

 いつもは短剣に集中させていた魔力が、腕を通り、手のひらへ、そして指先へと――外へ向かって流れ出そうとしている。

 黒仮面が、シエルの体内の魔力の流れそのものに干渉しているのだ。

 

(何を、して……)

 

 他人の体内の魔力を動かすなんて、どれほど高度な技術なのか。

 しかし困惑する暇もなかった。指先に集まった魔力が臨界に達し――。

 

 シエルの両手から、白い閃光が放たれた。

 

 

「――っ!!」

 

 

 耳をつんざくような轟音。

 光が扇状に広がり、前方の魔獣たちを呑み込んでいく。

 三振りかけても一体がやっとだった魔獣が――十体近く、まとめて吹き飛んだ。

 

 光が収まった後には、焦げた匂いと、静寂だけが残った。

 

「…………え?」

 

 気づけば、黒仮面は手を離していた。背中から体温が消える。

 名残惜しさが一瞬よぎったが、それどころではなかった。

 シエルは自分の両手を見つめる。指先がまだ微かに光っている。残り火のように。

 

 今のは――何だったのか。

 

「あなたが、今の魔術を……?」

 

 振り返り、背後の黒仮面に問いかける。

 あれほどの威力。この人が自分の手を介して放ったのだと、そう思った。

 

 だが、黒仮面は静かに首を横に振った。

 

「……違う。君の力だ」

「ワタクシの……? ですが、あんな魔術を放てたことは一度も――」

「体内の魔力の流れは、人によって違う。君の魔力は外に放つ方が自然に流れる。だが、それを剣に乗せようとばかりしていたせいで、流れが制限されていた」

 

 低い声は、やはり呟くようで、抑揚がない。

 だが、一つ一つが、シエルの中の何かに触れた。

 

「ワタクシが……近接ではなく、魔術攻撃の方が……?」

 

 杖といった媒介すら使わず、あれほどの力が出た。その意味がシエルにはわかる。

 なぜ姉のように戦えないのか。なぜ魔力の消耗が激しいのか。違和感が氷解していく。

 

 黒仮面はシエルの言葉を聞くと、うなずきながら言葉を返した。

 

「誰かの真似をする必要はない。君は、他の誰でもない君だ」

「……っ!」

 

 その言葉は、シエルの心の中にすっと入っていった。

 

 ――ずっと姉と同じ戦い方を目指してきた。剣を握り、光を纏い、速さで斬る。それが自分の道だと疑わなかった。

 それはまるで、姉という理想像に、自分を無理矢理当てはめるようなものだった。

 だけど――。

 

「……もう一度、自分で」

 

 黒仮面は、まだ暗がりに蠢く魔獣たちの方を見て言った。

 

「全部まとめて吹き飛ばすつもりで、全力で」

「は、はい!」

 

 シエルは前を向いた。暗がりの奥から、新たな魔獣たちがじわじわと近づいてきている。十体以上。その奥にも、まだ光る目が見える。

 短剣は鞘に収めた。代わりに、両手を前に構える。

 さっきの感覚を思い出す。魔力を剣に込めるのではなく、体の外へ。指先を通して、放つ。

 

(誰かの真似をする必要はない)

 

 黒仮面の言葉が頭の中で反響する。

 

(ワタクシは――ワタクシの力で)

 

 全身の魔力を集める。腕を通り、手のひらへ、指先へ。

 さっきは黒仮面に導かれた。今度は自分の意志で。

 

 その流れは驚くほど自然だった。

 まるで生まれた時からこうするべきだったかのように、魔力が迷いなく指先に集まっていく。

 

「はあぁぁっ!!」

 

 白い閃光が空間を埋め尽くした。

 

 ――さっきとは比べものにならない。光が広がり、広がり、暗がりの奥まで突き抜けていく。

 前方の魔獣が消し飛ぶ。十体、二十体――暗がりに潜んでいたはずの個体まで、光の奔流に呑まれていった。

 轟音が空間を揺らし、やがて収まる。静寂が戻ってきた。

 

 シエルは荒い息をつきながら、目を見開いた。

 目の前には、何もいなかった。あれだけいた魔獣が、一体残らず。

 さらには、それだけの威力を放っておきながら――。

 

(魔力が……それほど減っていない……?)

 

 剣を振るっていた時は、一体ごとに確実に魔力が削られていた。

 なのに今、何十体もの魔獣を一掃してなお、体の中にはまだ十分な魔力が残っている。

 

 これが――自分の本当の力。姉の真似ではなく、自分だけの。

 

 込み上げてくるものがあった。喜びなのか、驚きなのか、それとも――今までの自分への悔しさなのか。よくわからない。

 でも、確かなことが一つ。

 

「できましたわ……!」

 

 声が震えていた。この喜びを、この感謝を、伝えなければ。そうして振り返ると。

 

「え……」

 

 黒仮面の姿が、どこにもない。

 

 さっきまで確かにそこにいた。声を聞いた。手の温もりを感じた。

 なのに――また、消えてしまった。幻のように、あの夜と同じように。

 名前も、顔も、何も知らないまま。助けてくれて、導いてくれて、そして消える。

 

 シエルはしばらく、黒仮面が立っていた場所を見つめていた。

 頭の中では「君は、他の誰でもない君だ」と、あの低い声がこだまする。

 

 ――胸が痛い。

 

 この気持ちに、もう嘘はつけなかった。

 

 

「……黒仮面、様」

 

 小さく呟いた声が、静まり返った空間に溶けていった。

 

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