寝ている間に無自覚無双 ~怠惰に生きたい転生貴族、楽するために開発したオートスキルで知らないうちに国を救っていたようです~ 作:片沼ほとり
ダンジョン見学の翌朝。王城内、アークライト家の朝の食堂にて。
窓から差し込む朝日が、白いテーブルクロスの上に淡い陰影を落としている。
アウロラは、向かいに座る制服姿の妹シエルと、その後ろに一歩下がって立つ老騎士ミッシェルを見渡しながら、食後の紅茶が入ったティーカップを傾けた。
「シエル、お前ももう学園生だ。そして騎士団見習いでもある。わかっているね?」
「もちろんですお姉様。学園で力をつけ、いずれは騎士団の席次を担って見せますわ」
「いい返事だ。そこで今日からは、騎士団の捜査にも加わってもらう」
「……っ!」
シエルの目が見開かれる。誇らしげな、それでいて引き締まった表情。
「お任せくださいまし、お姉様。ワタクシ、ご期待に応えてみせますわ」
「ふっ、頼もしいな。では説明しよう。最近、起きている事件について」
アウロラはわずかに口角を上げ、それからティーカップをそっと置いた。
「ここ数ヶ月で、子供の誘拐が六件起きている。被害者は全員、魔力の高い家系の子供だ」
「六件……」
シエルの顔から笑みが消えた。
「末端の実行犯は捕らえているが、組織の構造がまるで見えない。被害者は全員、ガリア帝国へ送られている疑いがある」
「帝国に……ですか」
「魔力の高い子供ばかりを集めている、という時点で、軍事目的の可能性は否定できない。慎重を要する案件だ」
「ワタクシは何をすればよろしいでしょうか」
即座に身を乗り出すシエル。
その姿勢をアウロラは満足げに見た。だが、答えは慎重を期した。
「悪いが、派手に動くな。それが現段階での最重要事項だ」
「派手に……?」
「敵はこちらの動きを読んでいる節がある。今は静かに網を張る段階だ。そして、アジトの場所が割れたとき、初めて全員で動く。ただ、いつでも動ける準備と覚悟はしておいてほしい」
「……承知いたしました」
シエルが少し物足りなそうな顔をする。すぐにでも飛び込んでいきたい性分の妹を、アウロラはよく知っていた。
「シエル様」
不意に、後ろに控えていたミッシェルが、穏やかに口を開いた。
「何か変事に気づかれた折は、すぐにお伝えくださいませ。決してお一人で動かれませぬよう」
「……わかっていますわ、ミッシェル」
ミッシェルの落ち着いた声に、シエルの肩から少し力が抜ける。
昔からそうだ。アウロラの言葉では引き締まり、ミッシェルの言葉では力を抜く。シエルにとって、ミッシェルは家族と同じくらい近い存在なのだろう。
アウロラは目を細め、それを見守った。
「……ところで、お姉様」
シエルが、躊躇いがちに口を開いた。
「黒仮面の捜索の方は、進んでおりますの?」
アウロラの眉がぴくりと動いた。
――黒仮面。騎士団内での仮称だ。
入学前夜、夜の森で災害級の魔獣を単独で討伐し、シエルを救った謎の人物。素性は不明、名乗ることなく消えた捉えどころのない男。
第二王女に接触した正体不明の実力者として、当然ながら騎士団の捜索対象に上がっている。
「進展はない。あの一夜以来、姿も見せていないからな」
「いえ、お姉様。実は昨日のダンジョン見学で――ワタクシ、また黒仮面にお会いしましたの」
「なんだと?」
「上級コースに迷い込んだワタクシを、あの方が救ってくださいましたの。それだけではありませんわ。ワタクシの剣の在り方を見抜き、その大きな手でワタクシの両手を取り、魔力の流れを正してくださいましたの……」
シエルの頬がわずかに色づいていく。
魔力の流れを正す? シエルの剣術は、アウロラやミッシェルの指導によって完璧に洗練されているはずだが……。
「論より証拠ですわ。お姉様、ミッシェル、よくご覧くださいまし」
するとシエルは、両手を窓の方へ向ける。
その手のひらに光が集まり――白い閃光が一筋、食堂を駆け抜けた。
「……っ!」
アウロラが、そしてミッシェルが目を見開いた。
窓の外、庭の片隅に立てられた的、その中心が、音もなく貫かれている。
無詠唱、無媒介、両手からの精密射撃――しかも、あの威力。
剣術ではない。が、遠隔魔術を専門とする席次持ち魔術師を思い起こすような……。
「黒仮面様は、ワタクシの魔力の流れを見抜き、新しい戦い方を示してくださいましたの。その実力は本物だと、改めて確信しましたわ」
「……それで?」
シエルが黒仮面「様」と呼んでいることにはあえて触れず、アウロラは問う。
「お姉様。誘拐事件の捜査にも、黒仮面様にお力をお借りするというのは、いかがでしょう? あの方なら、必ずご協力くださいますもの」
澱みのない、確信に満ちた声。
その目の輝きに、アウロラの胃の底がちりちりと熱を持つ。
「……ミッシェル、どう思う?」
「ふむ。素手で災害級の魔獣を倒し、シエル様の魔術の流れを見抜き、道を示す。いやはや、もはや席次持ち級の実力でございますな」
「ええ、その通りですわ!」
「信頼できるかはまだわかりませぬが、やはりそれだけの実力者、正体を知らないままというのはまずいでしょう。捜査の優先度を高めるべきだと私は考えます」
ミッシェルは穏やかにそう言ってアウロラを見る。
「……そうだな。今の話を聞いて確信した。黒仮面は必ず見つけ出さなければならない」
「お姉様!」
「ただし、相手は神出鬼没で素性も分からない。次に出会ったとしても、警戒は怠らないように」
「もちろんですわ! 学園で何か手がかりを掴みましたら、すぐにお知らせしますわ」
パッと顔を輝かせるシエル。
「シエル様、そろそろご登校のお時間です」
「あら、本当ですわね! お姉様、ミッシェル、行ってまいりますわ!」
そうしてシエルは立ち上がり、軽やかに食堂を出ていった。
扉が静かに閉じる音とともに、シエルの足音が遠ざかっていく。
……アウロラは無言で窓の外を眺めていた。庭の的、その中心の小さな穴が、朝日に晒されて輝いている。
「ミッシェル。今のシエルをどう思った?」
「と、おっしゃいますと?」
「あの『黒仮面様』呼びだぞ。私が小さい頃から育ててきたシエルが、たった二回会っただけの男にあれほど心を奪われている」
アウロラはティーカップを置いた。その指には力が入っている。
「あの子はずっと私の後ろをついてきた。お姉様、お姉様と言って、私の真似をして木剣を握り、私と同じ光属性の剣の道を選んだ。稽古の後にはマントの裾を掴んで離さなかった」
「ええ、シエル様はアウロラ様を慕われて――」
「相思相愛だった」
「はあ」
「それが今はどうだ。私というものがありながら、得体の知れない仮面の男に心を奪われている」
アウロラの顔からは完全に笑みが消え、声が徐々に低くなっていく。
「しかも、手を握られたらしい」
「……ふむ」
「手を、握られたんだ」
大事なことだったのでもう一度言った。
「アウロラ様、ご令嬢のお手を取るのは、剣術の手ほどきでもよくあること。私も、シエル様にお剣の構えを教えました折は、何度もあの小さなお手を取らせていただきましたな」
「それとこれとは別だ!」
「左様ですか」
「あの子はそれだけで頬を赤らめている。完全に手玉に取られているではないか!」
テーブルをバンと叩いて立ち上がるアウロラ。
「あの子が初めて私の真似をして木剣を握った日のことを今でも覚えている。小さな手で一生懸命に柄を握って、私と同じ構えを取ろうとしていた。あの日から、私があの子を導くと決めたのだ」
「私も覚えておりますとも。アウロラ様もまた、シエル様の前では立派なお姉様であろうと、いつも以上に背筋を伸ばされておりましたな」
「だのに、その『お姉様』と慕ってくれていたシエルが、今や黒仮面様だ! シエルを導くのは、私だけでいいのに! シエルは寝取られたのだ!」
「アウロラ様、お言葉が過ぎますぞ」
「……ぐっ」
アウロラは机に肘をつき、額を抑えた。ミッシェルはただ静かに姿勢を保っている。
……やがて、アウロラは長い溜息をついた。
「すまない、取り乱した」
「いえ。私相手なら、いくらでも吐き出されてくださいませ」
「とにかく、黒仮面は一刻も早く見つけなければならない。そこでだ」
アウロラは姿勢を正し、懐から一つの宝石を取り出した。
手のひらに収まるほどの大きさ。深い青色の中に、微かな光が揺らめいている。
ミッシェルの表情が一気に変わった。
「アウロラ様、それは――」
「アークライトの秘宝、『審判の蒼玉』だ。持ち主の前で嘘をついた者がいると、青い光を灯す。知っているな?」
「もちろんですとも」
歴代の王族でも、使用を許されたのは数えるほど。機能の全容も解明されていない国宝級のアーティファクトである。
「お持ち出しの許可は?」
「今回の誘拐事件、あまりにこちらの動きが読まれていることから、スパイがいることも否定できない。そこでこれを使う」
「なるほど。捜査に関わる人間を集め、確認しようと」
「だが、黒仮面が先だ」
アウロラはキッパリと言った。ミッシェルが眉をひそめる。
「いけませんアウロラ様、これは捜査の範疇を超えております」
「いいや、超えてはいない。素性を隠した席次持ち級の魔術師が、王族に繰り返し接触しているのだ。今のうちに正体を見極めねば、国にとっての脅威になりかねん」
「しかし、許可を……」
「責任は私が取る。騎士団第七席の名にかけて」
アウロラの目は揺らがなかった。
ミッシェルはしばらくその目を見つめ、やがて深く頭を下げた。
「……承知いたしました。アウロラ様の覚悟がそこまでとあらば、私からは申し上げますまい」
「必ず見つけ出す。黒仮面を」
アウロラは窓の外、庭の的を見つめる。シエルが先ほど穿った中心の穴。あれを成し得る男の正体は――。
最有力候補は、すでに一人思い浮かんでいた。
――先のダンジョン見学でのデモンストレーション。災害級の魔獣五体を放った、あの場で、他の一年生が恐怖に震える中、あの男だけは一切動じていなかった。
入学早々にシエルに決闘を挑まれ、圧勝したという報告もある。
名門貴族の長男でありながら怠惰を貫き、その実力の底を誰にも見せない男。
「……アレン・クライネル」