寝ている間に無自覚無双 ~怠惰に生きたい転生貴族、楽するために開発したオートスキルで知らないうちに国を救っていたようです~ 作:片沼ほとり
第18話:リリアナ・ブランフォード
三日も経つと、学園生活にも少しずつ慣れてきた。
もちろん僕の怠惰も進化している。優しそうな先生なら堂々と居眠りをしたり、こっそり魔術書を読んだり。そうでなければ魔術でバレないように工夫しつつ、やっぱり眠ったり……。
残念ながら授業のレベルはあまり高くなく、クライネル家の蔵書でとっくに知っていることばかりだった。この点は今後に期待だ。
あと不思議なことと言えば、授業で居眠りした後、先生や生徒からすごい目で見られることがあるくらいだ。
化け物を見るような目、みたいな? なぜかフィオナは真反対に目を輝かせていたりする。
居眠りというのは、この学園ではそれくらいあり得ないことなのかもしれない。
だけど僕はめげない。怠惰に生きる、そう決めたのだから。
そして今日、イグニール先生の魔術学の時間がやってきた。
第一回の授業で分かったとおり、この授業は出席自由。僕にとっては天国のような時間である。
そういうわけで……。
「フィオナ、一緒にサボろう」
「もちろんです。今日はどこでお昼寝にしますか?」
当然のように話がまとまりかけた、その時だった。
「ちょっと待ちなさいまし」
聞き覚えのある凜とした声が割り込んできた。
振り向くと、案の定シエルだ。今日も美しい金髪をなびかせ、腕を組んで立っている。
「アレン・クライネル。あなたはともかく、フィオナさんはサボってはいけませんわ」
「え? なんで?」
「あなたはすでに魔術学の内容を高いレベルで理解しているのでしょう。ですがフィオナさんは違います。学ぶことがある人間がサボるのは怠惰ではなく、ただの愚行ですわ」
「拒否します。アレン様のいるところに私ありです」
毅然と言い切るフィオナに、シエルはむっと眉をひそめる。
まあ、一理ある。フィオナは優秀だけど、この学園の授業は高度だし、得るものはあるだろう。
「確かにフィオナも、この学園の授業で学ぶことはあると思うよ」
「ではフィオナさんに授業を受けるよう言ってくださいまし」
「でも、出るか出ないかはフィオナの自由だよ」
「自由ではありませんわ!」
シエルの目がキッと光った。そして、迷いのない動作でフィオナの耳を掴む。
「いたたたっ」
「さあ行きますわよ! あなたまでサボリ魔に染まっては困りますの!」
「アレン様、私は常にアレン様と共に――」
「フィオナさん」
シエルの声が、一段低くなった。
「あなたがだらしない姿を見せれば、傷つくのはアレン・クライネルの名前ですわよ」
その一言で、フィオナの抵抗がぴたりと止まった。
「……わかりました。アレン様、行ってまいります」
「うん、いってらっしゃい」
耳を引っ張られながら連行されていくフィオナと、それを凜々しい顔で引っ張っていくシエル。なかなかシュールな光景だ。
フィオナが最後にこちらを振り返り、物悲しそうな顔でひらひらと手を振った。まるで戦地に赴く兵士の見送りみたいだ。大げさだなあ。
やがて二人の姿が廊下の向こうに消え、教室には僕一人が残された。
「しかし、みんな真面目だなぁ」
しみじみとそう思う。
シエルだけではなく、他の生徒も全員が教室に移動したらしい。前世の大学ではありえない出席率だ。僕はサボるけど。
「さて、自由時間をどう使おうかな」
一人きりの教室で、僕は伸びをした。
ここで寝てもいいけど、居眠りなら授業中だってできる。せっかくなら有意義に使いたい。
そこでふと思いつく。
「そうだ、図書館に行ってみよう」
入学したてで、まだそういった施設は利用していなかった。だけど今がタイミングだろう。
クライネル家の蔵書は五年かけて全部読んでしまった。だけど王都一の学園の図書館なら、実家にはなかった魔術書がたくさんあるはずだ。考えただけでワクワクする。
「退屈な授業時間は居眠りして過ごし、自由時間を楽しい魔術研究に使う……最高の怠惰!」
僕は鼻歌混じりに教室を出て、図書館へと向かった。
*
図書館は校舎の東棟にあった。重厚な扉を開けた瞬間、思わず足を止める。
「……すごいな」
吹き抜けの天井まで届く巨大な本棚が、壁一面にずらりと並んでいる。
クライネル家の書庫だって相当な蔵書量だと思っていたけれど、規模が違う。
それに、ここの空気は好きだ。紙とインクの匂い、ひんやりとした静けさ。こういう場所は前世から馴染みがある。
棚の間を歩きながら背表紙を眺めていく。
属性魔術、錬金術、魔術史、結界理論――しばらくは退屈しなさそうだ。
そうして棚の間を奥へ奥へと進んでいくと、閲覧席が見えてきた。
がらんとした空間に、テーブルと椅子が整然と並んでいる。授業の時間なので誰もいない。
――ただ一人を除いて。
奥の窓際の席に、栗色の髪の女子生徒が一人座っていた。
分厚い本を食い入るように読んでいる。こちらから表情が窺えないほどに顔を近づけながら。
そして机の上には何冊もの本が積まれ、ノートにはびっしりとメモが書き込まれていた。
すごい集中力だ。僕が近づいてきたことにもまったく気づいていないらしい。
制服の襟元のリボンは青色。一年生の赤色とは違い、その色は二年生であることを示している。
ふと、彼女が読んでいる本の表紙がちらりと見えた。
――『精神魔術の応用理論』。
精神魔術。意識と無意識の境界、精神への魔術的干渉。
まさに僕の専門分野だ。オートスキルの基盤となる技術体系。
クライネル家にはなかった本。そしてあの本をこれだけ真剣に読んでいるということは、精神魔術に深い興味があるということだ。声をかけてみたい。
……いきなり声をかけたら、ナンパみたいにならないかな?
いや、ここは図書館だし、読んでいる本について話しかけるのは自然なことだ。たぶん。
(というか、フィオナに怒られそうだ。『アレン様が女性にお声がけとは……私という者がありながら』とか言いそう)
フィオナの顔が脳裏に浮かぶ。いや、フィオナは僕の母親じゃないんだから、そこまで気にする必要はないはず。やっぱり声をかけたい。
魔術の話を対等にできる相手というのは、僕の周りにはいなかった。
フィオナは優秀なメイドだけど、魔術研究の話となると方向性が違う。クライネル家の書庫を全部読んでしまった今、新しい視点をくれる相手に飢えていた。
せっかく学園に来たんだ。好きな魔術を共有できる友達が欲しい。ただそれだけのことだ。
よし。僕は歩き出し、意を決して声をかけた。
「すみません、その本についてなんですが――」
「ひやぁっ!?」
――女子生徒が、椅子ごと跳び上がった。
持っていた本が宙を舞い、慌てて両手でキャッチする。
積み上げていた本の山が崩れかけ、それも必死に押さえる。
「あ、ごめんなさい。驚かせてしまって」
「い、いえっ! こちらこそ失礼しましたっ!」
彼女は胸に本を抱きしめたまま、息を整えている。よほど集中していたらしい。
改めて見ると、可愛らしい女の子だった。体は小柄で、大きな目をぱちぱちとさせながら、僕を見上げている。
そして――僕の制服を見て一年生だとわかったはずなのに、慌てて座り直し、背筋を伸ばした。
「失礼しました……申し遅れました、リリアナ・ブランフォードと申します」
「僕はアレン・クライネルです。よろしくお願いします」
「ク、クライネル!? あいたっ」
リリアナは再び体を跳ねさせ、今度は膝がテーブルにぶつかり、本の山が再びぐらつく。
……この反応、やっぱり。
「こ、侯爵家の方だとは存じ上げず! 平民の身分で図書館を使わせていただいてすみません! すぐに立ち退きますので!」
「いやいやいや、待ってください。声をかけたのは、少しお話ししてみたかったからです」
「……え?」
本を片付けようとするリリアナを慌てて止めた。本当に帰ってしまいそうだった。
「この本、精神魔術の専門書ですよね。珍しいなと思って」
「……精神魔術にご興味がおありなんですか?」
「はい。僕も好きな分野なんです」
すると彼女は少しだけ表情を緩めた。好きな分野が同じだとわかって警戒心が薄れただろうか。
「それと、リリアナさんは僕より一つ上の先輩ですよね。先輩に敬語を使ってもらうのは気が引けますし、自然に話していただいて大丈夫ですよ」
「え……ですが、侯爵家のご子息様に対して、平民の私がそのような――」
「実のところ、身分が高いからどうとか、僕も苦手なんです。だから、お願いできませんか?」
下手に出る僕の態度に、リリアナはまだ戸惑っている。自分の耳を疑っているような顔だ。
……まあ、この世界の貴族社会を考えれば、珍しいのかもしれない。
実際、僕が社交界に顔を出さなかった理由の一つもこれだ。身分がどうとか、家柄がどうとか、そういう窮屈なやり取りが苦手だった。
前世だって、上司と部下、先輩と後輩、そういう立場の壁が人間関係をややこしくしていた。
せっかく生まれ変わったのだから、そんなものは取っ払いたい。
「……では、アレン、様?」
「いやいや」
「……じゃあ、アレンくん、って呼んでもいい?」
リリアナが恐る恐る、といった様子で言った。
声は小さいけれど、僕の目をちゃんと見ている。勇気を振り絞ったことが伝わってきた。
「もちろん」
僕がそう答えると、リリアナの肩から少しだけ力が抜けた。
「……でも私も、貴族の方に敬語を使われるのも、恐れ多くて」
「じゃあ、お互いに気軽な口調で話す、というのはどうです?」
「……わかった、やってみる。よろしく、アレンくん」
「うん、よろしくね」
リリアナは小さくうなずいた。まだぎこちないけれど、さっきまでの萎縮は和らいでいる。
よし、これでいい。
身分とか家柄とか、そういうことを気にせずに話せる関係。こういう関係が僕は好きだ。
「それで、その本なんだけど」
僕はリリアナの手元の『精神魔術の応用理論』に目を向けた。
ここからが本題だ。せっかく出会えた精神魔術の同志、話したいことは山ほどある。
「精神魔術のどのあたりを研究してるの?」
「えっと、主に精神と魔力の接続理論を……って、長くなっちゃうけど、いい?」
「むしろ聞きたい」
そう答えると、リリアナの目がわずかに輝いた。
――これが、すべての始まりだった。