寝ている間に無自覚無双 ~怠惰に生きたい転生貴族、楽するために開発したオートスキルで知らないうちに国を救っていたようです~ 作:片沼ほとり
「――この本の第三章では、精神と魔力の接続を単一経路として扱ってるんだけど」
リリアナが本のページを開きながら話し始めた。
まだ少しぎこちないけれど、さっきまでの萎縮した様子は消えている。
「単一経路モデルか。古典的な理論だよね」
「うん。でもね、実際には並列経路が存在する可能性が高いの。著者自身も補論で示唆してるんだけど、論拠が弱くて――」
そこまでは普通だった。
リリアナの口調は控えめで、僕の反応を気にしながら言葉を選んでいる感じだった。
だけど。
「――だから私はハイマン理論の拡張モデルを当てはめて検証してるの。精神と魔力の接続が並列経路なら、精神状態が変わるたびに経路ごとの活性パターンが変わるはずで――」
突然、スイッチが入った。
さっきまで身分差に怯えていた小柄な女の子が、身振り手振りを交え、堰を切ったように語り始めたのだ。
声に熱がこもり、頬が紅潮し、ノートのメモを次々と指差しながら自分の考えを展開していく。
「――しかもハイマンのモデルに情動係数を組み込むと面白いことが起きて、感情や意図の違いが魔力経路のパターンとして外に滲み出る可能性が出てくるの! もしそうなら、外部から観測するだけで相手の精神状態が読み取れるかもしれなくて――」
(……すごい)
相づちを打ちながら、僕は目を見開いていた。
ハイマン理論の拡張モデル。かなりマイナーな論文だ。読んでいる人に会ったのは初めてだし、精神魔術と外部検出を結びつけるという発想は僕にもなかった。
リリアナの言うとおり、外部から検出できるとすれば、精神状態が魔力のパターンとして外に現れているということだ。
その仕組みを理解できれば……いや、これはオートスキルの原理にも繋がる話だ。
「――ああでも、まだ実証はできてなくて、あくまで理論上の話なんだけど……って」
リリアナが急に黙った。
僕の顔を見て、はっとしたように口を押さえる。
「あっ……ごめんなさい! 話しすぎた……私の悪い癖で、魔術の話になるとつい……」
顔が真っ赤になっている。さっきまでの勢いが嘘のように縮こまった。
「引いた、よね……みんなそうなの。こんな話、普通は興味ないし――」
「すごい」
「……え?」
リリアナが顔を上げた。
僕は――たぶん、今すごくいい顔をしている。自分でわかる。
「ハイマン理論を精神魔術の外部検出に当てはめるって発想、僕にはなかった。しかも情動係数でパターン化を試みてるんでしょ? 筋が通ってる」
「読んだことあるの……? あの論文」
「うん。でもあれを外部検出と結びつけようなんて思いつかなかった」
今度は――僕のスイッチが入る番だった。
「それでさ、外部検出を成立させるなら――精神状態が直接外に漏れるんじゃなくて、意識と魔力回路の接続面で一度パターンに翻訳されてると考えたらどうかな。同じ精神状態はいつも同じパターンを作るとすれば」
「……っ!」
リリアナの目が見開かれた。
「接続面の翻訳規則! そこを解明すれば、パターンから逆引きで精神状態を特定できる……!」
「でしょ? 外部検出の精度を上げるなら、接続面の理論化が先だっていう」
「待って、ノートに書かせて……!」
リリアナは慌ててペンを掴み、猛烈な速さでメモを取り始めた。
メモを取りながらも口は止まらず、次々と新しい疑問が飛んでくる。
僕もそれに応じる。すると僕の答えからリリアナがさらに別の仮説を組み立て、それを聞いた僕がまた新しい視点を返す。
――噛み合うのだ。驚くほど自然に。
僕にとってこんな相手は初めてだった。
リリアナは対等に知識をぶつけ合い、僕の考えを押し広げてくれる。一を聞いて十を理解するどころか、十一を返してくる。
リリアナがノートに図を描き始め、僕も隣から覗き込んで指差す。
自然と距離が近くなっているけれど、二人ともまったく気にしていない。頭の中は魔術理論でいっぱいだった。
*
「……あれ?」
ふと窓の外を見て、僕は声を上げた。
差し込んでいた日差しの角度が、さっきとまるで違う。
「もうこんな時間?」
「え、あ、うそ……」
リリアナも窓を見て固まった。
図書館の壁にかかった時計を確認する。一時間目が始まってから、三時間近くが経っていた。
「三時間……?」
「三時間……」
二人して呆然とする。体感では三十分くらいだったのに。
「めちゃめちゃサボっちゃったな……」
僕は頭を掻きながら苦笑した。帰りのHRまでまとめてすっぽかしている。
怠惰を志す僕でも、さすがにここまで大胆にサボったのは初めてだ。
「……そういえば、アレンくんはなんでこの時間に図書館にいたの? 授業中だったんじゃ……」
「うん、サボり」
「え……ええ?」
リリアナが目を丸くした。
「一時間目は自由出席なんだけど、二時間目からは完全にサボりだね。こんなに長居するつもりはなかったんだけどなぁ」
「ご、ごめんなさい……! 私のせいで……」
「だから謝らないでよ」
僕は笑いながら立ち上がった。
「そんなこと気にならないくらい、楽しい時間だったからさ」
「……っ」
リリアナが口をつぐんだ。目を泳がせ、指で髪をくるくるといじりながら。
「あ、ありがとう……私も、こんな風に話せたの、初めてで」
「リリアナさんは? 授業は大丈夫なの?」
「あ、うん。私は魔術研究の特待生として入学してるから、研究に関係する時間帯は一部の授業が免除されてるの。だから今日はこの時間、図書館で研究してたんだけど……」
「え、特待生? それはすごい」
なるほど。あの知識の深さは、魔術研究の専門家だからか。
この学園で特待生に選ばれるのは、かなり狭き門だと聞いている。それほどの実力。リリアナの分析力が本物であることは、この時間でよくわかった。
「それじゃ、僕はそろそろ教室に戻るよ。付き人も放ってきちゃったから心配してるだろうし」
「付き人……さすがは侯爵家のご子息」
「まだ身分のことを気にしてるの? 僕の付き人だって孤児出身だよ」
「え? それって大丈夫なの?」
「僕が気にしないんだからいいんだよ。それはリリアナも同じ、なんて言うと偉そうかな」
だから、僕は明るく言った。
「本当に楽しかった。また来週……いや、やっぱり今日、この後また来てもいい?」
「……うん、待ってる!」
リリアナの表情がぱあっと輝いた。
*
教室に駆け戻ると、案の定だった。
「アレン様」
帰りのHRも終わり、誰もいなくなった教室で、フィオナだけが椅子に座って待ち構えていた。
いつもの薄い微笑み――だけど、目が笑っていない。
「あ、フィオナ。ただいま」
「ただいまではありません。どこに行かれていたのですか」
「あー、うん、ちょっと図書館に」
「私を何時間も放置して、ですか?」
「……ごめんね」
「許しません」
フィオナは立ち上がると、僕を椅子に座るよう促す。
そして僕がその通りにすると――フィオナは僕の両足の間に座り込んだ。
僕の胸に、フィオナが遠慮もなく背中を預けてくる。
「ちょっとフィオナ、さすがにこれは――」
「頭を撫でてください」
「……はい」
悪いのは僕なので、言われたとおりにフィオナの銀髪を撫でてやる。
すると猫のように喉をならすフィオナ。少し機嫌が直ってきただろうか。
「私は怒っています。私がどんな気持ちで一人授業を受けていたかわかりますか?」
「ごめん、つい魔術研究に夢中になっちゃって」
「……言いたいことは山ほどありますが、時間は戻ってきません。なのでお詫びとして、こうして二人きりのイチャイチャタイムを三時間ほど要求――」
「見つけましたわよアレン・クライネル!」
二人きりの時間はすぐに終わった。
ピリピリと火花を散らせながら教室に入ってきたシエルは、僕たちの体勢を見て顔を赤くした。
「またサボリですの……って、あ、あああなたたち何をやって――」
「出て行ってください」
「……フィオナさん?」
いつも通り感情を爆発させるシエルに対し、フィオナは凍るような声で応えた。
僕すら聞いたことがないようなフィオナの様子に、シエルも思わず萎縮する。
「私は今とても不機嫌です。貴重なアレン様成分摂取タイムを邪魔されたのですから」
「あ、その……」
「そもそも、シエル様はアレン様のサボリを注意できません。決闘の約束をお忘れですか?」
「……ぐぬぬぬぬ」
「そういうわけで今は私の時間です。出て行ってください」
フィオナはシエルにぴしゃりと言い放った。
確かに、シエルは僕を注意することは出来ないはずだ。
「ふ、ふん! ワタクシもお姉様から呼ばれていますので! 失礼しますわ!」
そういうわけでシエルは出て行った。また教室が僕たちだけの空間になる。
「フィオナ、今のはやりすぎなんじゃ――」
「私はいつだって可愛い女の子です」
「女の子って怖い」
フィオナはさっきまでの雰囲気が嘘のように甘い声で言う。
本当なら、フィオナが機嫌を直すまで頭を撫でてあげたい、けど……。
「ごめんフィオナ、実はまた図書館に行かないといけないんだよね。人と約束しちゃったから」
「……人? まさか女の子じゃないでしょうね?」
「そんなんじゃなくて、すごく魔術の見識が深い先輩がいて、一緒に議論が盛り上がったんだよ。まあ女子生徒ではあるけど」
「は?」
「可愛い女の子に戻って?」
フィオナはゴホン、と咳払いをして立ち上がった。
不服そうではあるけど、僕の約束の邪魔はしないでくれるらしい。
「私が同行してもよろしいですか?」
「もちろん。すごく面白い人だよ」
僕たちは教室を出た。並んで廊下を歩き、図書館に向かう。
「それで、どんな方なのですか」
「リリアナ・ブランフォードさん。平民出身の特待生で、精神魔術の理論にすごく詳しくてさ。僕が知らない視点をたくさん持ってて、話してるとどんどん新しい発想が出てくるんだ」
「……随分と楽しそうにお話しになりますね」
「楽しかったよ。あんな会話ができたのは初めてだ」
「……そうですか」
まだ目が笑っていない。だけど実際に会えば、リリアナがどんな人かもわかってくれるだろう。
そう思いながら図書館に着き、その扉を開けた。
そして、さっきリリアナが座っていた閲覧席まで歩みを進め――。
「平民の分際で、よくもまあ堂々と貴族と同じ場所で勉強できるものだ」
僕が目にしたのは、リリアナを囲む男たちと、嘲るような男の声だった。