寝ている間に無自覚無双 ~怠惰に生きたい転生貴族、楽するために開発したオートスキルで知らないうちに国を救っていたようです~ 作:片沼ほとり
――まずい。
それが、アウロラ・アークライトを前にした僕の最初の感想だった。
ダンジョン見学のデモンストレーションで五体の災害級魔獣を瞬殺した、あの第一王女。王立騎士団の席次持ち。つまり、この国における武力の頂点に近い人物。
そんな人がなぜ学園にいるのか。そしてなぜ今、僕の目の前に立っているのか。
頭の中で、高速シミュレーションが始まる。
(授業をサボってることがクライネル家に報告される? いや、それくらいなら最悪耐えられる)
(あるいは、上級コースに勝手に入ったことが? ……いや、あれはバレてないはず)
(決闘でシエルに勝った実力を買われて、騎士団への勧誘? それは絶対にまずい)
どのパターンでも、ろくな結末が想像できない。
王国の中枢にいるような人物とは距離を置く。それが怠惰を貫くための鉄則だ。
関わったが最後、期待をかけられ、責任を負わされ、出世ルートに引きずり込まれる。前世で散々学んだ教訓である。
だから僕は、当たり障りのない挨拶だけを返すことにした。
「ダンジョン見学ではお世話になりました。あの時のデモンストレーション、すごかったです」
笑顔は崩さず、声のトーンも穏やかに。
そしてさりげなく、一歩退く。そして背中を向けた。
「それでは僕たちはこれで――」
「そう急がなくても」
目の前にアウロラが現れ、退路を断たれた。
さっき背を向けたはずなのに、光の速さで回り込まれたらしい。
――アウロラの声は穏やかだ。笑みすら浮かべている。
なのに、足がぴたりと止まってしまう。
怒っているわけでも威圧しているわけでもない。ただ、「逃がさないよ」という意志だけが、静かに、だが絶対的にそこにあった。
王族の「お願い」が実質命令であるということを、僕は身をもって理解する。
「少し時間をもらえるかな。話したいことがあるんだ」
「……はい」
何を話したいんだろう。嫌な予感しかしないが、断れない。断れる理由が見つからない。
一方のシエルはというと、僕たちから少し離れたところで腕を組んで立っている。
「お姉様からも逃げようとする胆力、相変わらずで尊敬しますわ」
「それはどうも」
「皮肉ですわよ」
「ははは。近くに空き教室があるから、そこでいいかな。フィオナさんも一緒にどうぞ」
アウロラはそう言って先に歩き出した。僕とフィオナ、そしてシエルがその後に続く。
夕暮れの廊下を歩きながら、僕は心の中で静かに嘆いた。
(第一王女に捕まるなんて、怠惰な人生最大のピンチかもしれない)
*
空き教室に入ると、アウロラが窓際の椅子に腰を下ろした。
対面に僕とフィオナが並んで座り、シエルは姉の隣に座る。
夕日が教室の床を橙色に染めている。放課後の空き教室なんて前世でもドラマチックなシチュエーションだったけど、目の前にいるのが第一王女では緊張しかない。
「改めて、アレン・クライネル君だね。話すのは初めてかな」
「はい。光栄です」
それだけ言って黙る。余計なことは話さない。ボロが出る前に切り上げてもらうのが理想だ。
だがアウロラは急かす様子もなく、穏やかに口を開いた。
「クライネル家には昔から世話になっている。騎士団にもクライネル系の魔術師が代々名を連ねているし、王政の要職にも欠かせない一族だ」
「……はぁ、そうみたいですね」
家の話だ。僕個人の話じゃない。それならまだ大丈夫。
「先日、君の父上にお会いしたよ。息子が入学したと、嬉しそうだった」
「父が?」
「ああ。自慢の息子だ、将来が楽しみだとおっしゃっていたよ」
何でだろう。僕が怠惰なことはわかってるはずなんだけど。
まあ、第一王女の手前、見栄を張らざるを得なかったのかもしれない。
「私としても、次世代のクライネル家を担う君には大いに期待しているよ」
……で、問題はここだ。
ついに来た。期待という呪いの言葉が。
ここで「期待に応えられるよう頑張ります!」などと言えば、もう引き返せなくなる。前世の僕がそうだったように。
だけど今の僕は違う。前世のような失敗はもうしないのだ!
「いやぁ、僕なんか全然ですから。卒業したら田舎に戻って、のんびり過ごすつもりです」
「……田舎に?」
「ええ。領地は弟に任せて、僕は静かに暮らしたいなと。庭で本でも読んで、たまに散歩して」
「……ふふ」
アウロラが笑った。呆れたのか面白がっているのか、判断がつかない。
「そこまで堂々と言い切る貴族は初めて見たよ。いや、嫌いじゃない」
嫌いになってほしい。好意的であればあるほど関わりが深くなりそうで怖い。
横を見ると、シエルがジト目で僕を見ていた。アウロラの前なので声は出さないが、目が「この男は……」と雄弁に語っている。
この場に長くいればいるほど、良くないことが起こりそうだ。
「それで……僕に何かお話があるのでしょうか?」
「ああ、すまないね。もう少しだけ君のことを聞かせてくれ」
そう言いながら、アウロラは懐に手を入れた。
取り出したのは――小さな青い宝石だ。
手のひらに収まる程度の大きさ。深い青色の中に、微かな光が揺らめいている。
アウロラはそれを、机の上にことりと置いた。
……何というか、独特な魔力の流れを感じる。ただの石ではなさそうだ。
しかし、アウロラは宝石について何も説明せず、僕に問いかけた。
「質問だ。この学園に来てまだ数日ではあるが……授業は真面目に受けているかい?」
「え、はい。もちろんです」
反射的に答えた。
その瞬間、机の上の宝石が、青く光った。
「……え?」
僕が困惑する間に、アウロラが口を開く。
「あの、この宝石は何なんですか?」
「このアーティファクトは特別製でね。持ち主の前で嘘をついた者がいると、青く光るんだ」
「…………」
数秒の沈黙。
アーティファクトの仕組みについてはかなり興味がある。高度な精神魔術が組み込まれているのは間違いなく、リリアナとの議論が捗りそうだ。
だけど今、もっと差し迫った問題がある。
――僕のサボりが、完全にバレた。
しかも第一王女の目の前で。国宝級っぽいアーティファクトによって。公式に。
「えーっと、僕は授業をちゃんと聞いているので、壊れてるんじゃ――」
「入学式の挨拶はちゃんと聞いていたかい?」
「……聞いていました」
蒼玉が光った。
間違いなく、しっかり機能しているようだ。
「やっぱり眠っていたんですわね」
「……何の時間なんですかこれ?」
「ふふ。面白いアーティファクトだろう? まだ機構の全容は解明されていないんだが、その効果は間違いない。非常に有用なものだ」
アウロラは意外と楽しそうだ。僕を叱るわけでもなく、完全に僕で遊んでいる。
ひとまず、僕に逃げ場がないことは確かだった。
「しかし、嘘ばかりでは効果を証明できないね。何か本当の答えを言って欲しいところだが――」
「それでは私から一つよろしいですか?」
アウロラの言葉を遮って、フィオナが手を挙げた。
「どうぞ?」
「ではアレン様にお尋ねしますね。アレン様は――私のことを大切に想っていますか?」
「……っ」
そう言ってフィオナは僕の目を覗き込んだ。
存外、真剣な声色。僕も思わず背筋が伸びる。
「もちろん、大切に想ってるよ」
僕は嘘偽りない心で答えた。
蒼玉は――光らない。フィオナが頬を緩める。
「これ、ちょっと恥ずかしいんだけど」
「でしたらアレン様も私に同じ質問をしてください」
「えっと……フィオナは僕のことを大切に想ってる?」
「はい、愛しています」
「ちょっと表現が大きくなったような」
なんて言いつつも、蒼玉は光らない。
「つまり、私たちは相思相愛ということですね」
そう言いながら、僕の腕にそっと寄りかかってくる。
アウロラとシエルが見ている前で。
「い、今はちょっと場をわきまえて……」
「私は事実を述べただけですよ」
「ちょっとあなたたち! お姉様の前ですわよ! 真面目にやりなさいまし!」
「はっはっは。仲がいいね、微笑ましいじゃないか」
火花をピリピリ散らすシエル、大らかに笑うアウロラ。これが姉と妹での器の違いか。
「あの、これって本当に何の時間なんですか?」
「いやあすまない。私も楽しくなってしまった。そろそろ本題に入ろう」
アウロラがそう言うと――その笑みが、静かに消えた。
雰囲気が変わる。それが僕たちにも伝わる。
「本題というのは――黒仮面という男についてだ」