寝ている間に無自覚無双 ~怠惰に生きたい転生貴族、楽するために開発したオートスキルで知らないうちに国を救っていたようです~ 作:片沼ほとり
「ちょっと待ってて。取ってくるから」
家に着き、リビングに入ると、アレンはそう言って自室に向かった。
残されたフィオナは、ソファに座ることもできず、その場に立ったまま両手を握っていた。
いつもならお茶の一つでも用意するところだが、どうにもそんな気になれない。
アレンからの贈り物。それだけで、こんなにも落ち着かなくなってしまう自分が恥ずかしい。
やがてアレンが戻ってきた。手には布で包まれた、少し大きめの箱を抱えている。
「はい、これ」
テーブルの上に箱が置かれる。
フィオナは一度深呼吸をしてから、丁寧に布を外し、蓋を開けた。
「――白い、ボディスーツと……マスク?」
箱の中には、美しい白のボディスーツと、同じく白い安眠マスクが収められていた。
触れてみると、指先に馴染むような柔らかさがあり、微かに魔力の脈動を感じる。
これは、アレンが身に着けていたものと同じ――。
「アレン様、これは……」
「うん。僕が着てるのと同じ仕組みのやつ。フィオナ用に作ってみたんだ」
アレンは得意げに、あくまで軽い調子で説明を始めた。
「魔力をゲル化して加工した特製素材。着る人の意思に応じて、形も色も性質も変わる。寒ければ防寒になるし、暑ければ通気性が上がる。寝るときに着れば最高のパジャマになるよ」
「自由自在に……そんな機能があったのですね」
「うん。一応、何かあったときのためにね」
そもそもそんな素材、フィオナは聞いたことがない。アレンの発明力に感服するばかりだ。
しかもそれは、何かあったときのため。学園でも、その他の場所でも、いつでも黒仮面として活動できるようにするため。
いつでも戦えるように、アレンはずっと準備をしていたのだと、フィオナは理解した。
「それからこっちのマスクは安眠用。空気の温度や酸素濃度を整えて、魔力の吸収効率を上げてくれる。寝るときに着ければ、短い睡眠でもしっかり回復できるよ」
「なるほど、顔を隠すためだけではなかったのですね」
「別に隠す必要はないと思うけど……あ、もちろん両方ともフィオナに合わせて作ってるよ」
「私に、ですか?」
「うん。僕とフィオナじゃ体型も違うし、あと色も白の方がフィオナに合うかなって。せっかく良いものが作れたから、フィオナにも気持ちよく使ってほしくてさ」
何でもないことのように言うアレン。フィオナは唇を引き結んだ。
アレンが自分のために色を選び、一から作ってくれた。その事実がじわりと胸に広がっていく。
「ペアルック、ですね」
「え?」
「アレン様が黒で、私が白。お揃いです」
「まあ確かに。そうとも言えるね」
特に意識していなかったのか、アレンは苦笑いする。
こういうところは他の女の子には見せないでほしい、とは言えないけれど。
「使い方は直感でわかると思う。スーツに魔力を流せば、自分が思い描いた形に変わってくれるから。フィオナならきっとうまく扱えるよ」
箱の中の白いスーツを、両手で持ち上げる。
柔らかくて、温かい。アレンの魔力が染み込んでいるようだった。
「大切にします。アレン様の信頼に応えてみせます」
「大げさだなあ。気に入ってくれたならよかったよ」
アレンは屈託なく笑った。
フィオナは白いスーツを胸に抱き、静かに頭を下げた。
*
クライネル家、その浴室にて。
フィオナが湯船に体を沈める。一日の疲れがゆっくりと溶けていくようだった。
この家の浴室は、王都の外れにある小さな家にしては広い。クライネル家の所有する別邸というだけのことはある。
フィオナは肩まで湯に浸かり、長い銀髪を湯の外に流した。
湯気の向こうに、脱衣所に置いてきた白いスーツがぼんやりと見える。
(アレン様からの、プレゼント……)
湯の中で、思わず自分の頬に手を当てる。
今日は色々なことがあった。
三時間放置されたりもしたが、その後のことを思えばすべて許せる。
あのアーティファクトで証明された。アレンはフィオナのことを大切に想っている、と。
相思相愛だと、フィオナはその場で冗談めかして言った。
(……冗談、では決してないのですが)
少なくとも、フィオナの方は。
湯の中で膝を抱え、顔の半分を水面に沈める。
ぶくぶくと泡が立つ。子供っぽい仕草だと自覚しているが、誰も見ていないのだから構わない。
そして帰った後には、プレゼントをくれた。
自分のために色を選び、一から作ってくれた。お揃いの装備。ペアルック。
これはもう、付き人という立場を通り越して……なんて考えてしまうのも仕方がないと思う。
だが。
(それは、許されないことです)
フィオナは水面から顔を上げ、天井を見た。
湯気が渦を巻いている。その向こうには何も見えない。
――主人と従者。その関係は、クライネル家に仕える者として守るべき一線である。
もちろんアレンはそんな身分の壁を気にしない人だ。今日だって、平民出身のリリアナに対して「身分なんて関係ない」と言い切っていた。
だが、アレンが気にしないからといって、世界がそれを許すわけではない。
クライネル侯爵家の長男。四大貴族の跡取り。
いずれアレンは、家にふさわしい相手を妻として迎えることになる。もちろん一人ではなく、複数。それは家の繁栄のためだ。
この世界では魔力は血に宿る。強い魔力を持つ家系同士が結ばれれば、子は両親の力を受け継ぐ。
逆に言えば、血筋のはっきりしない相手との婚姻は、家にとって大きなリスクとなる。
――フィオナの魔力は高い。だが、血筋はわからない。
孤児院に捨てられていた赤子。貴族の隠し子なのか、平民の突然変異なのか、それすら不明だ。
家柄不明の孤児をクライネル家に迎え入れることなどありえない。それがこの世界の道理。
(わかっています。ずっと前から)
フィオナは湯の中で、自分の手を見つめた。
この手でアレンに触れることはできる。頭を撫でてもらうことも、腕に絡みつくことも許されている。
だけど、それ以上は――。
(……それでも)
脱衣所に目を向ける。白いスーツが、湯気の向こうでぼんやりと光っている。
アレンが、自分のために作ってくれたもの。
今日この瞬間を、この喜びを噛みしめる権利くらいはあるはずだ。
フィオナは湯船の中で膝を抱え直し、小さく笑った。
(贅沢な悩みですね。世界で一番幸せな付き人です、きっと)
だから、このプレゼントは純粋な好意として受け取ろう。
それ以上の意味を読み取るのは、身の程知らずというものだ。
――そう結論づけかけた、その時だった。
(……待ってください)
ふと、思考が引っかかった。
白いスーツ。白いマスク。
アレンのものと同じ仕組みの装備を、わざわざフィオナにも用意した。
(それは本当に、ただのプレゼントでしょうか?)
フィオナの優秀な頭脳が、新たな可能性を見出して回転し始めた。