寝ている間に無自覚無双 ~怠惰に生きたい転生貴族、楽するために開発したオートスキルで知らないうちに国を救っていたようです~ 作:片沼ほとり
シエル・アークライトは、夜の王都を一人で歩いていた。
任務ではない。アウロラからは「派手に動くな、一人で動くな」と釘を刺されている。
誘拐事件の捜査に加わったとはいえ、今のシエルにできるのは学園での報告くらいのものだ。
(ですが、見回りくらいは構いませんわよね)
最前線に立てなくても、ただ報告を待つのは性に合わない。だから時々、こうして夜の街に異常がないか確かめて歩く。
――それに。
頭に浮かぶのは、人知れず現れて人を救い、名乗らず消えていく黒仮面。
あの方なら、騎士団の目が届かないこんな夜にこそ現れるのではないか。
(……って、何を考えていますの!)
あくまでパトロールだと自分に言い聞かせ、雑念を振り払って角を曲がる。
その時だった。街灯の下を、見覚えのある銀色の髪が横切った。
「……フィオナさん?」
声をかけると、人影が立ち止まって振り返る。やはりフィオナだった。
制服でもメイド服でもない、夜目に沈む地味な外出着姿は新鮮だった。それでも目を引く美貌、スタイルの良さが際立っていた。
「あら、シエル様」
驚いた様子もなく、いつもの薄い微笑み。
しかし意外だ。アレン・クライネルは一緒じゃないらしい。
「こんな時間に一人出歩くなんて、危ないですわよ」
「シエル様こそお一人のようですが?」
「自分の身くらい自分で守れますわ」
「では私も問題ない、ということで」
事もなげに言うフィオナ。考えてみれば、シエルはフィオナがどれくらい強いかを知らない。
とはいえあの学園にいる以上、そこらの一般人より強いのは間違いないだろうが。
「何にしろ、なぜ一人で出歩いているのかは聞いても?」
「ただの夜の散歩ですよ。それでは私はこれで」
「お待ちなさい」
フィオナが首を傾げる。なぜ呼び止めるのか、といった具合に。
特に用はないが、昨今の誘拐事件のこともある。フィオナを一人にするのははばかられた。
「少し付き合いなさいまし。聞きたいことがありますの」
「……はあ、私でお答えできることでしたら」
二人は並んで夜の街を歩き出した。パトロールという目的もあるので、シエルは人気のない道を選びながら進む。
しばらく無言が続いたあと、シエルは思い切って口を開いた。
「前から訊いてみたかったのですけれど……なぜ、あんな男に仕えていますの?」
「あんな男、とおっしゃいますと?」
「アレン・クライネルのことに決まっていますわ」
つい言葉に棘がこもる。
「授業中は堂々と居眠り、何事も最低限しかせず、隙あらば昼寝の場所を探す。なぜあんな怠け者に、それほどの情熱を持って仕えられますの?」
「愚問ですね。アレン様は、世界で一番お優しい方ですから」
フィオナは即答した。いつも通り淡々と、一切の揺らぎもなく。
「優しいかどうかは知りませんが、それ以前の問題でしょう。怠惰の権化ですわよ」
「ふふ。私にだけわかればいいのです。それが愛というものでしょう?」
「……愛は盲目、ですか。あんな男のどこがいいのか、ワタクシにはわかりませんわ」
少し言いすぎかとも思ったが、フィオナはやはり平然としていた。
フィオナは少し間を置き、いつもの薄い微笑みとは違う、どこか奥から出てくる声で答えた。
「私は八歳の時、アレン様に命を救われました」
「……え?」
「孤児院の散歩中に魔獣に襲われて、逃げ切れず殺されかけたところを。そしてアレン様は、孤児の私をクライネル家に迎え入れ、今でもそばに置いてくださっています」
初耳だった。フィオナが孤児だったことも、アレンがそれを迎え入れたことも。
クライネル家にとって、たとえ使用人だとしても、孤児を雇うことには抵抗があったはずだ。
「あの日がなければ、今の私はいません。ですからアレン様は、私にとっての『前提』なのです。すべてを捧げるのは当然でしょう?」
「前提……」
「ええ。シエル様にとって、王族であることや、アウロラ様の存在が前提であるのと同じです」
シエルは、思わず黙り込んだ。
――確かに、そうだ。生まれた時から王族で、物心ついた時には姉の背中を追っていた。アウロラがいなければ、今の自分はない。
「……なるほど。そう言われると、わからないでもありませんわ」
「それはよかったです」
フィオナがやわらかく微笑む。
しかしふとシエルは思う。なぜフィオナは今、こんなことを自分に話したのだろう、と。
そんな疑問を察したのか、フィオナはシエルの目を覗き込みながら口を開く。
「羨ましいですか?」
「……は?」
フィオナの口の端がくいっと上がった。
「私とアレン様は相思相愛です。例のアーティファクトでも証明されたこと、シエル様も覚えていらっしゃいますよね?」
「お、覚えてはいますけれど……」
「二人で暮らしていますから、邪魔をする者は誰もいません。毎朝アレン様を起こして、朝食を作って、美味しいと言っていただいて、頭を撫でていただいて、夜は……ご想像にお任せします」
「なっ……!? い、いったい何を、どこまで……っ!」
「ふふ、冗談ですよ」
「どこからどこまでがですの!?」
フィオナは答えず、楽しげに微笑むだけ。本当にこの女は。
「耳まで真っ赤ですよ。可愛らしい反応をなさるのですね」
「可愛らしくありませんわ! 羨ましくもありません! 変な話をしないでくださいまし!」
「女の子らしい恋バナですよ。シエル様も、愛の力とやらを感じられているそうではないですか」
笑みを浮かべながらそう言うフィオナを見て、ようやくフィオナの真意がわかった。
過去を話したのは、こうやってシエルをからかうため。
のみならず、フィオナ・アレンの関係をシエル・黒仮面と対比するため。
まだ黒仮面の正体すら掴めていないシエルを揶揄したのだろうが……。
「確かに、ワタクシも同じかもしれませんわね。命を救われた身ですもの」
「ほう」
フィオナは意外そうに相槌を返した。素直に認めると思っていなかったのだろう。
「一度目は入学前の夜、魔獣に殺されかけた時。二度目はダンジョンで魔獣に囲まれた時。どちらも、どこからともなく現れて、ワタクシを助け、名乗らずに消えていきましたの」
「……」
「それだけではありませんわ。二度目に会った時、あの方はワタクシの手を取って……魔力の流れを、変えてくださいましたの」
フィオナは静かに聞いている。否定も茶化しもしない。それが、不思議と話しやすかった。
「『誰かの真似をする必要はない。君は、他の誰でもない君だ』――そう、おっしゃって」
言葉にしただけで、胸の奥が熱くなる。
「お姉様の真似ばかりだったワタクシに、自分でも気づけなかった戦い方を見出してくださった……恩人ですわ」
「恩人、ですか」
フィオナがこてんと首を傾げる。
「恩人止まりでよろしいので?」
「なっ……なんですのその聞き方は! 恩人は恩人ですわ!」
また赤くなりかけた顔を必死に抑える。
だが、続くフィオナの問いは――シエルの核心をまっすぐに突いた。
「では一つ。シエル様にとって、アウロラ様と黒仮面様は、どちらが大事なのですか?」
「……それは」
すぐには答えられなかった。比べたことなどなかった。
(お姉様はお姉様、黒仮面様は黒仮面様)
だが言われてみれば――この二人は、同じ方を向いてはいない。
「……お姉様は、ワタクシの前提ですわ。お姉様がいなければ今のワタクシはいない。戦いの心得も、王族としての在り方も、すべてお姉様から学びましたもの」
「ええ」
「でも、黒仮面様は……」
言葉を探す。
「お姉様が『王族としてあるべき姿』を見せてくださったのなら――黒仮面様は、『ワタクシ自身の姿』を見つけてくださった方ですわ」
口にして、自分で少し驚いた。
「どちらが大事かと言われれば……どちらも、ですわ。ただ」
少し俯き、それから顔を上げた。
「お姉様には、追いつきたい。……でも黒仮面様には、追いついて、隣に立ちたいのですわ」
言ってしまってから、はっとした。
恩人だの、そういう感情ではないだの、さっき言ったばかりなのに。
「……今のは、忘れなさいまし」
「いいえ。覚えておきます」
「忘れなさいと言っているでしょう!」
フィオナは、くすりと笑っただけだった。
シエルは真っ赤な顔のまま、夜空に向かって声を張る。
「とにかく! ワタクシは黒仮面様にふさわしい女性になってみせますわ! いつか必ず、あの方の隣に立てるように!」
「叶うといいですね。その恋」
「だから恋路ではありませんわ!」
シエルが声を張り上げた――その直後だった。
「「……っ!」」
その魔力の気配を感じ取ったのは、同時だった。
シエルは周りを見る。行き交う人々の様子は変わらない。気づいたのは、限られた者だけ。
「フィオナさん」
「ええ」
ともに声を落とす。先ほどまでの微笑ましい会話の雰囲気は、もうどこにもなかった。
感じる。一つ、二つ――いや、もっと。複数の魔力が、息を殺してこの一帯に潜んでいる。
(雑なゴロツキの魔力ではありませんわ。これは――統制されている)
誘拐事件。その四文字が頭に浮かぶ。
ここ数ヶ月、王都を騒がせてきた連続誘拐。シエルも見習いとして捜査の端に連なっている。
だが騎士団は、今夜の動きを何一つ掴んでいない。巡回の増員も警戒の通達もなかった。
つまり――敵が、先に動いた。
(後手に回りましたわ。それも、完全に……!)
シエルは短剣の柄に手をかけた。迷いはなかった。
「フィオナさん、夜の散歩は終わりですわ。すぐに安全な場所へ――」
「お断りします」
「……え?」
「ここで逃げるようでは、アレン様に顔向けできませんから。ご一緒しますよ」
フィオナはいつもの薄い微笑みを浮かべている。だが、その目だけは笑っていなかった。
一般人を巻き込む。フィオナの安全。単独行動。いろんな懸念が浮かぶ。
だが、シエルはその目を信じた。今は非常事態だ。
「足手まといになったら見捨てますわよ」
「そちらこそ」
シエルは駆け出し、フィオナもそこに並ぶ。
飄々とした返事とは裏腹に、フィオナの身のこなしに無駄はなかった。外出着の裾を翻す。
(このメイド……やはり、ただ者ではありませんわね)
言葉を交わさずとも目的地は共有していた。魔力の気配の元、右手の路地へ。
そこでは――数人の男が、ぐったりとした人影を一つ、馬車の荷台へ押し込もうとしていた。
手足を縛られ、口を布で塞がれ、それでも必死に身をよじる、小さな体。
被せられた外套がずれ、街灯のわずかな明かりに、栗色の髪がこぼれ落ちた。
――シエルは息を呑んだ。
話したことはない。だが、平民から特待生に選ばれた少女として、強く記憶に残っている。
「リリアナ・ブランフォード……!?」