寝ている間に無自覚無双 ~怠惰に生きたい転生貴族、楽するために開発したオートスキルで知らないうちに国を救っていたようです~ 作:片沼ほとり
リリアナ・ブランフォードは戦いを知らない。
魔力は乏しい。戦うことなんてできない。研究一筋、頭脳だけで生きてきた。
今夜誘拐されかけたときだって、魔術すら使わない男たちに、なすすべもなかった。
だが、そんなリリアナが見ても、黒仮面の戦い方が常軌を逸していることは容易に読み取れた。
「何、あれ……」
先ほどまでのピンチもすっかり忘れて、リリアナはポツリと声を漏らす。
――黒仮面が来て、状況が一変した。
先ほどまでシエルを圧倒していたミッシェルが、今度は防戦一方に追い込まれていた。
黒仮面は素手。媒介はなし。それでも、多彩な魔術がミッシェルの剣を寄せ付けない。
かと思えば、時にはその剣の間合いに踏み込み、意表を突く。まるで赤子を弄ぶように。
いや、それだけではない。
戦いの合間を縫い、三人の男に囲まれて苦戦していたフィオナを遠隔魔術で支援していた。おかげでフィオナはまた、男たちを気絶させることが出来た。
あまりにも正確な状況判断、あまりにも最適な行動。
分析しようにも、速すぎる。追いつかない。目も、理解も。
何が起きているか理解できなくても、これが常人の領域ではないことだけはわかる。
リリアナは困惑しながらも、隣のフィオナに目を向けた。そして……。
「……え」
思わず小さく息を漏らし、すぐに引っ込めた。
黒仮面の姿を見るフィオナは、普段のからかうような飄々とした態度とはまるで違う、真っ直ぐな目を黒仮面に向けている。安心しきった、信頼しきった顔だった。
(フィオナさん……?)
その表情を見れば自然と思い出す。つい今日アレンから聞いたばかりの話を。
黒い姿で暗躍する正体不明の実力者、それが黒仮面だと。そしてもう一つの話が――。
ドスン、という鈍い音が思考を断ち切った。
気づけば、ミッシェルの体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちていた。
殺してはいない。最小限の一撃で、意識だけを刈り取ったのだ。
「ミッシェル!」
シエルがミッシェルの元に駆け寄る。その間も、リリアナはじっと黒仮面を見ていた。
その仮面の奥は見えない。引っかかることもある。
だけど今は、それより先にやることがある。
リリアナは、ミッシェルに取りすがるシエルへ目を向けた。そして、意を決して立ち上がる。
「シエル様、いいですか」
「……リリアナさん?」
「この方はおそらく操られています。精神魔術で」
「……っ!」
倒れたミッシェルのそばに膝をつき、手をかざした。
そして感じる。魔力の深層に異質な何かが食い込んでいる。
「気を失っている今なら抵抗がありません。私の知識で、その縛りを解けるかもしれない……いえ、解いてみせます」
精神魔術のことなら、誰よりも考え抜いてきた。理論上は可能なはずだ。
だけど、自分ひとりの力では届かない。精神構造を読み解くことはできても、楔を断ち切るだけの魔力がない。協力者が必要だ。
「なので誰か……フィオナさん、手を貸して――」
言い終わる前だった。
黒仮面が、無言でミッシェルの傍らに膝をつき、その額に手を当てた。
「……っ」
リリアナは息を呑んだ。自分が心の中で思い描いていた、まさにその動作だった。
「えっと……お願いできますか?」
黒仮面はうなずいた。フィオナを見ると、落ち着き払った様子でこちらを見つめていた。
信じよう。リリアナは倒れた騎士の反対側に屈み込んだ。
――間近で改めて読み解くと、先ほど感じた違和感の正体がはっきりした。
ミッシェルの接続面の深層に、異物のように食い込んだ術式がある。外から接続面に割り込み、意識を縛りつけるもの――精神操作の楔だ。
「黒仮面さん。私が場所を示します。そこに魔力を、糸を通すように流してください」
仮面は答えない。けれど、ミッシェルの額にかざされた手から、糸のように細い魔力が、寸分の狂いもなく深層へ伸びていった。
(まさか……精神魔術もわかるの?)
ならば自分は、彼の進む道を照らすだけでいい。
「そこ……その結び目を、ほどいてください」
リリアナが楔の構造を読み上げ、黒仮面の魔力が一本ずつ縛りを解いていく。二人の呼吸は、不思議と合っていた。初めて会ったはずなのに。
そして――最後の楔が解けた。
「……っ。シエル、様……? 私は、一体……」
開いたミッシェルの目に、もう殺意の気配はない。焦点が戻り、戸惑いだけが残っている。
「ミッシェル!」
シエルが恩師に取りすがった。
「ご無事で……ああ、本当に……!」
ミッシェルは自分の手を見つめ、それからシエルを見て、痛ましげに顔を歪める。
「私は……シエル様に、剣を向けたのですな」
「いいのです。あなたのせいではありませんわ。操られていたのですから」
シエルは恩師の手を握り、首を振った。それから、はっと顔を上げてリリアナを見る。
「リリアナさん、ありがとうございます」
「いえ、私だけの力じゃありません」
そう言ってリリアナは隣を見た。
――そこには、もう誰もいなかった。
「え……」
黒仮面の姿が、どこにもない。
あれほど近くにいたのに、気配も足音もなく、夜に溶けるように消えていた。
「黒仮面様!?」
シエルが弾かれたように立ち上がり、暗い路地を見渡す。
「どこへ……ああ、黒仮面様……」
行き場をなくした手を胸の前で握りしめるシエル。その横顔には、安堵と、置いていかれた寂しさが滲んでいた。
なぜ黒仮面が去ったのかはわからない。
だが一つ、思い至ったことがある。フィオナと黒仮面の関係だ。
「フィオナさん」
「なんでしょう」
「……あの人と、ずっと一緒にいたんだね」
フィオナがほんの一瞬だけ目を見開いた。それから、ゆっくりと微笑む。
「……ええ。ずっと、おそばに」
やっぱり。
その言葉と、緊迫した場に似合わない柔らかい表情で、推測が確信に変わる。
思い出すのは、アレンが「フィオナに彼氏が出来たのかも」と相談してきたことだ。毎晩どこかに出かけているらしい、と。
あの時はまさかと思っていたけど、今になってわかった。
フィオナは――黒仮面と親密な関係になっていたのだ。夜、アレンに内緒で会うくらいには。
相思相愛なのか、片想いなのか、そこまではわからない。だけど少なくとも、フィオナが黒仮面に惹かれているのは確かだ。
どんどんと記憶が結びついていくリリアナに、フィオナが耳打ちしてくる。
「このことは誰にも秘密にしておいてくださいね」
「……わかった」
黒仮面は騎士団も探している重要人物。どんな経緯で知り合ったのかとか、聞きたいことはいろいろある。だけど聞いてはいけないのだろう。
(アレンくんに何て言おう……)
リリアナの見立てでは、アレンも少なからずフィオナを想っている。そしてフィオナもアレンへの愛を表では表明しているが、裏では黒仮面とも関係を持っていて……。
(私より一つ下なのに、すごいなあ)
――なんたる魔性の女、フィオナ。恋愛経験皆無のリリアナの頭脳には処理が重すぎる。
そうしてリリアナが思考を放棄しようとした、その時。
――ピー、ピー。
澄んだ電子音が鳴り響いた。シエルが腰の通信機に手をやる。
「はい、シエルです。……お姉様!?」
相手はアウロラらしい。
リリアナの位置からは断片的な声しか拾えないが、シエルの表情がみるみる引き締まっていく。
「術者の位置が……はい。ですが、お一人で向かわれるのは……っ、お姉様!」
通信は、一方的に切れたようだった。シエルが唇を噛み、振り返る。
「お姉様が、此度の事件の術者――ミッシェルを操った者の居場所を突き止めたそうですわ。お一人で向かう、と」
「お一人で……!?」
思わずリリアナは声を上げた。
ミッシェルほどの騎士を、人格ごと操る精神魔術師。それを相手に、たった一人で。
「ワタクシは周辺の救援を、と命じられましたわ。ですが……」
「シエル様。周辺の混乱と騎士団の指揮は、この私が引き受けます」
凜々しい声でそう申し出たのはミッシェルだった。
「ですが、まだ体が……」
「これだけの数の誘拐が同時に起きているのです。今この街には、全体をまとめる者が要りましょう。それは、私の務めにございます。懸念があるならば、再び私が操られる可能性ですが……」
「大丈夫です。楔はすべて断ち切りましたので」
リリアナは確信を持って言った。ミッシェルはうなずく。
「アウロラ様は、シエル様を危険から遠ざけたいのでしょう。ですが、相手は精神魔術を操る者。剣の腕がどれほど上であろうと、意味をなさぬ搦め手にございます」
「……」
「恥ずかしながら、私は抗えなかったようです。アウロラ様が飲まれる可能性も否定できませぬ」
ミッシェルが己の手を見下ろした。ほんの少し前まで、その手はシエルへ剣を向けていた。
「……わかりましたわ。周辺はお任せします」
その時には、リリアナはもう前に出ていた。
「私もご一緒させてください。相手が精神魔術師なら、私の知識がまた役に立つはずです」
今夜、自分の研究が人を救えると知った。なら、できることをする。
「リリアナさん……心強いですわ」
「では、私も」
フィオナが当然のように歩み出る。シエルはすぐにうなずいた。
「皆様の無事を祈っております。どうか、ご無理だけは」
ミッシェルに見送られ、三人は夜の街を駆け出した。
たった一人で戦っているであろう、アウロラのもとへ。