寝ている間に無自覚無双 ~怠惰に生きたい転生貴族、楽するために開発したオートスキルで知らないうちに国を救っていたようです~ 作:片沼ほとり
アークライト王国から遠く離れた、とある場所。卓上の燭台が薄い影を壁に揺らしている。
窓のない石造りの部屋に一人。男は椅子に深く身を預け、紅茶を一口含んだ。
「アークライトへの楔を失った、か」
作戦は潰えた。子供たちは奪い返され、操っていた駒もすべて手放した。
それでも男の顔に焦りはない。駒を捨てただけのこと。代わりはいくらでもある。
――そもそも、子供をかき集める作戦など手段の一つに過ぎなかった。
騎士団の網を掻い潜るため、男は早くから内側に楔を打っていた。老騎士ミッシェル。第一王女の懐刀さえ操っておけば、捜査の動きは手に取るようにわかる。
一つ潮目になったのは、王国がアーティファクト「審判の蒼玉」の解析を始めたことだった。
元を辿ればあのアーティファクトは、かつて帝国がアークライトに流したものだ。
嘘を見抜くその効果は紛れもないが、洗脳された人間を見分けることはできない。精神魔術を操る男にとって実に都合の良い道具だった。
しかし、研究が始まった。誰かが真理にたどり着けば、洗脳が明らかになるのは自明。
だから、誘拐事件の決行を早めた。
準備は不十分だったと言える。やはり計画は失敗した。
だが、自分が前線にまで出て、まさか一切の収穫なしに終わるとは予想していなかった。
その理由を思い出しながら、男は笑みを深める。
「だが、それ以上に面白いものが見つかった」
その存在こそ、男が暗がりから戦いぶりを監視した――黒仮面だ。
ミッシェルを操った。それが解除されれば、アウロラさえも操った。そして最後に、男は黒仮面を乗っ取ろうとし……。
「弾かれた、か」
あの男の精神には入り込む隙が無かった。初めからびっしりと埋まっているかのように。
だが、誤算ではなかった。むしろ納得があった。
思い出すのは、あの黒仮面の戦いぶりだ。恐怖も、迷いも、判断の遅延もない。常に最短、常に最適。あれは意識を持った人間の動きではない。
男はよく知っている。意識を抜かれた体がどう動くのかを。
だからこそ、男には真実が手に取るようにわかる。
「あの黒仮面もまた、操られている」
黒仮面自身が優れた魔術師なのは間違いない。捕らえるのは容易ではない。
それでもあの体は、ただの器に過ぎない。ならば、狙うべきは、器を操る術者の方だ。
精神魔術で不完全でも取り入るだけなら、心を乱せばいい。しかしあれほど深く入り込むには、器のことをよく理解し、心を許してもらう必要がある。
男はもう、答えを知っていた。
操ったミッシェルを通じて、騎士団の内側はのぞき放題だった。第一王女アウロラはかねて黒仮面の正体を追い、幾人かに容疑をかけていた。
その一人が名門の少年――アレン・クライネル。
そしてその少年には、幼い頃からただ一人影のように付き従ってきた付き人がいるという。しかも彼女は、まさに昨日現場にいた。
決定的だった。
男は最後の一口を飲み干し、静かにその名を口にする。
アークライトを影から操る、真の黒幕。次のターゲット。
「フィオナ・メイトランド」
紅茶の湯気が、薄暗い部屋の中に音もなく消えていった。