寝ている間に無自覚無双 ~怠惰に生きたい転生貴族、楽するために開発したオートスキルで知らないうちに国を救っていたようです~ 作:片沼ほとり
鬱蒼と茂る夜の森の、少し開けた場所。
煌めくような金色の長髪を持った一人の少女が、短剣を構えて魔獣に相対していた。
彼女の名はシエル・アークライト。年齢は十五歳。
魔術学園への入学を明日に控えた、アークライト王国の第二王女である。
ついさっきまで街を歩いていたので、服装は完全な私服。それでも、たとえスカートであっても、戦うための短剣はいつでも携えている。
「なかなか……やりますわね……!」
少女は息を切らせながらも、不敵な笑みを浮かべ、挑発するように言う。
その見上げた視線の先には――狼型の、五メートルはありそうな魔獣が一体。
全身が黒くて硬い毛皮に覆われた魔獣は、鋭い目でシエルを睨んでいる。
――なぜ今、第二王女であるシエルが戦っているのか。
この世界では、王族が自ら戦うことは珍しくない。
実際、シエルの姉である第一王女、アウロラ・アークライトは、国内有数の魔術師だ。
王国騎士団の十二人しかいない席次持ち、その第七席として剣を振るっている。
曰く、民を守るのが王族の務め。シエルも姉の背中を見て、そう信じ、研鑽を積んできた。
まだ若いとはいえ、シエルとて、卒業後には騎士団への入団が約束された実力者。
英才教育により戦闘経験も豊富で、突然現れた魔獣に対応するだけの力を持っている。
――とはいえ、このレベルの災害級の魔獣には、席次持ちを含むチームで対応するのが普通。
しかし騎士団に所属する人間は、上の命令がなければ動けない。それを待っていては、民への被害が避けられない。
そう判断したシエルの、まだ騎士団に入っていないからこそ出来る独断だった。
「グガアアァァァァァッッッ!」
「――っ!」
魔獣が咆哮とともに距離を詰め、爪を立てた前脚を振り下ろす。
その動きは巨体に似合わず俊敏で、身体能力だけで対処できる速さではない。
それでも、シエルは咄嗟に横へかわした。金色の髪がなびく。
シエルの足からは、チリチリと電気が散っていた。
――光属性。それがシエルが主とする魔術の属性だ。
その特徴は速さ。光を纏うことで、移動、攻撃、すべてを高速化し、速さで相手を翻弄する。これが光属性の戦闘スタイル。
シエルがいち早くここに駆けつけられたのも、この速さあってのことである。
だが――。
「はぁっ!」
いち早く魔獣の背中に回り込んだシエルが、光を纏った剣で斬りつける。しかし手応えはない。
「グギャッ!」
「……っ!」
魔獣は軽く声を漏らしただけで、すぐに反転して攻撃してきた。
シエルは動きを速め、再び距離を取る。
――シエルが持つミスリル製の短剣は、速さを活かすために軽い。
そのせいで、何度攻撃しても、魔獣の硬い毛皮には傷一つつかない。攻撃力が足りないのだ。
(魔力が減ってきましたわね……)
冷静に状況を分析し、表情が険しくなる。
このまま逃げ回っていては魔力が切れる。魔獣の速さに対応できなくなってはジ・エンド。
だから、ここが分岐点だ。選択肢は二つ。
一つは、逃げること。
魔力が十分にある今のうちなら、魔獣を振り切って逃げることは簡単だ。
ノーリスクで時間稼ぎできるのはここまで。一人で戦うこと自体分が悪い相手だったのだ。
ここで逃げたとしても、誰もシエルのことを責めないだろう。
だが――。
(そんなこと、お姉様なら考えもしませんわね)
シエルが思い描くのは姉、第一王女。努力を怠らず、気高く、常に国と民を想う姿。
ならば、逃げるという選択肢はシエルにはない。
ここでシエルが逃げれば、魔獣が街に下り、民を危険にさらしてしまうかもしれないのだ。
だからもう一つの選択肢を取ることにした。
すなわち――ここまでの戦いで得た情報を元に、最高出力でけりをつけに行く。
「民を守るのが王族の務め、ですわ!」
自分を奮い立たせ、最大の力で光を纏った。今までにないほどの輝きに魔獣の目が開く。
だが意味はない。これまでの戦いで魔獣の速さは完全に見切った。
シエルの全力の速さに、魔獣はついてこられない。
(目を狙いますわ!)
硬い毛皮に攻撃は届かない。ならば、狙うなら目しかない。
真正面に飛び込むことになるのでリスクはあるが、目を潰せばあとはどうとでもなる。
「さあ、終わりにしますわよ!」
シエルが動いた。滑るように走り、魔獣の腕に乗って駆け上がる。
今まで見せたことのない速さ、いわば切り札。魔獣は対応できない。
勢いそのまま、その両目に剣を突き立てようとしたところで……。
――シエルの体に、強い衝撃が走った。
「なっ……」
シエルの視界に星空が広がった。魔獣の手によって下から上に叩かれ、宙に放り出されたのだ。
そうしてシエルはようやく理解した。
――見誤ったのだ、と。
魔獣もまた、シエルと同じように、最高速を隠していたのだ。探り合いながらシエルを疲れさせた後、シエルの魔力切れを見て攻撃するつもりだったのだろう。
そんな知能を持った魔獣と戦ったことがなかったし、想定もできていなかった。それが敗因。
若いながらも強さを認められ、慢心があったのかもしれない。
(ああ、死ぬのですわね)
空中。攻撃に備えなければならないのに、力が入らない。最高速を出した代償だ。
死を覚悟した脳が高速回転する。世界がスローモーションで映る。だが、何も出来ない。
シエルは、今にも自分の体を貫こうとする爪を視界に捉え――。
「……え?」
次の瞬間、シエルの視界が反転した。
受けるはずの攻撃がこず、命の危機を脱し、視界が元の速さに戻る。
――気づけば、男に抱きかかえられていた。いわゆるお姫様抱っこの体勢。
助けられたのだ。シエルにも認識できないほどの速さで。
全身真っ黒の服装、黒い仮面に身を包み、素性は一切わからない。
誰だろうか。騎士団の実力者を浮かべてみるが、思い当たる人物はいない。
そんな男はシエルをゆっくりと草むらに下ろした。
「あな、たは?」
そう問いかけてみる。だが男は答えない。代わりに、魔獣の方へと体を向けた。
そうだ。今は魔獣をどうにかしなければならない。そして男は、武器を持っていなかった。
「逃げてくださいまし!」
命を救われた身だとわかっていながらも、シエルはそう叫んでいた。
何者かはわからない。だが、民だとすれば、自分が守らなければならない。
だが――。
「グガアアァァァァァッッッ!」
男は武器を持たないまま、一直線に魔獣へと駆けた。
――無謀だ。そう思った。
魔術師が戦うときは、自身の魔力を扱いやすくするための武器を持つ。
剣や杖といった特製の媒介がなければ、強力な魔術を発動することは難しい。
そのはずなのに――。
「どういうこと……ですの?」
シエルは信じがたい行動を目にした。
右、左、右。振り下ろされる凄まじい速さの連撃を、男は素手で捌ききっていた。
あんなこと、尋常ではない魔力量と、それを制御する技術がなければできない。
男の実力は王国騎士団と比べてもトップレベル。そして。
「グガアアァァァァァ……」
硬いはずの毛皮をものともせず、男の手刀が魔獣の首元に突き刺さる。
魔獣の動きが止まり、巨体が地面に倒れた。
――瞬殺。
自分があれだけ苦労した魔獣が、こうもあっさりと。
「はっ! せめて、お名前を……!」
このまま呆然としていてはいけない。シエルが再び男に名前を問う。
しかし男は、シエルの方を向くこともなく――。
「……教えても面倒だ」
「え、今なんと……? あっ!」
聞き取れないほど小さなつぶやきを残し、闇夜に消えてしまった。
……光属性を操るシエルでも追えない速さで去ったのか、それとも何か別の魔術か。
いや、そんなことはどうでもいい。
あの男は何者なのか。なぜあれほど強いのか。なぜシエルを救い、なぜ名乗らずに立ち去ったのか。シエルには何も分からない。
ただ一つわかるのは――彼に命を救われたということだ。
シエルの胸がバクバクと鳴る。命の危機は去ったはずなのに。
だとしたら、この胸の高鳴りはすなわち――。
「そんなんじゃありませんわ! ワタクシは誇り高き王女! チョロい女じゃないですのよ!」
誰にも聞かれていないと思いながら、謎の言い訳を喚き散らす。
だが、その言葉を……。
「……なぜ今までアレン様は力を隠し、どこにも属そうとしなかったのか。それは、人知れず、国でも救えない危機を救うため。すべてはこの日のためだったのですね……!」
――ただ一人、恍惚の表情を浮かべるメイドだけが、聞き届けていた。