スカイタワー上空を埋め尽くしていた大型ノイズの群れが、朱色のフォニックゲインに呑み込まれて消滅した。
雲が切り開かれた空から散らばる炭素の結晶が、午後の光を反射してチラチラと虚しく光り輝いている。
「ハぁ……ハぁ……ッ」
全弾を撃ち尽くした雪音クリスは、変身を解除すると同時に膝をついた。その肩には、いまや血と汗でさらに重くなった櫻羽詩音の大きすぎる上着が、不格好に揺れている。
「クリスちゃん! 大丈夫!?」
「触るなッ! ……ゼー、ゼー……あたしに気安く近づいてんじゃねぇ……っ」
駆け寄ろうとした立花響の手を激しく払いいのけながらも、クリスにはもう二人を拒絶して逃げ出すだけの体力を残していなかった。翼は大剣を消し去ると、警戒を怠らない鋭い視線で周囲の損壊状況を見渡す。
——キィィィィィィッ!!
その時、激しいタイヤの摩擦音を響かせて、1台の大型SUVがスカイタワーの瓦礫を押し切るようにして滑り込んできた。運転席のドアが勢いよく開き、降り立ったのは天羽奏だった。
「みんな無事か!? ……時間が無いから早く乗れ! そこの小娘もだ!」
「奏さん……!? どうしてここに……」
「はぁ!? なんであたしまで!」
響が目を見開く。適合係数を失い二課の保護下で待避していたはずの奏が、なぜ自分たちの出撃に合わせるように車両を用意して現れたのか。
「詩音から……あいつが出撃する前に連絡があった。『スカイタワーでの戦闘が終わり次第、全員を拾って二課本部へ急行しろ』って」
奏はハンドルを握る手にぐっと力を込め、厳しい表情で後部座席をあごでしゃくった。
「乗れ!! 詳しくは 状況は走りながら説明する!」
◆◆◆
疾走するSUVの車内。ギアを解除した装者が奏の運転する車に乗り込んだ。後部座席では息を荒らげるクリスを響が介抱し、助手席の翼は窓の外へ視線を向けながら静かに集中を高めていた。
「詩音さんは……どうしたんですか? 1人で黒幕向かったって言ってましたけど……」
響の悲痛な問いかけに、バックミラー越しに響の顔を見つめた奏が、重い口調で口を開いた。
「詩音は……今、リディアンにいる。あいつは最初から分かってたんだ……このノイズの襲来そのものが、巨大な罠だったってことを」
「罠……? どういうことなの奏!」
翼が低く問い詰める。奏はアクセルを踏み込み、車体をさらに加速させながら言葉を続けた。
「スカイタワーを狙う大型ノイズ……あれはタワーを破壊するためだけに来たんじゃない。お前達装者を本部から分断して目を逸らす為の囮だ。お前達の出撃の後に旦那は動いていた。とはいえ空飛ぶ大型ノイズに対処出来るのは装者だけ……。だから敵の狙いに乗っかる事にしたんだ」
「あたしたちの出撃を……利用したってのかよッ!?」
後部座席で身体を起こしたクリスが、憎々しげに歯を剥き出しにした。
「そうだ……そして、アタシ達のホームグラウンド……『本部地下深層』にある聖遺物が黒幕の了子さん……いや、フィーネの狙いだ」
奏の瞳に、冷たい怒りと恐怖が宿る。
「詩音の話ではあそこに眠る超兵器……『カ・ディンギル』の起動のために、フィーネは最初からすべてを仕組んでいたらしい」
◆◆◆
「カ・ディンギル……?」
響の問いかけに奏は詩音とのやり取りを思い出しながら状況を説明する。
「それが敵の黒幕の了子さん……いや、フィーネの狙いだ。その起動の為にはデュランダルが必要でフィーネは必ず二課の地下……アビスに取りに来る。僕が司令の到着までフィーネの足止めをする。奏は響ちゃんと翼……あと多分来てるクリスちゃんを回収して本部へ車で向かって。でもギアの無い奏が戦場に出たら殺される。動くならノイズが完全に撃破されてからだ」
「撃破に手間取れば?」
「僕が死に物狂いで時間を稼ぐ。少なくとも装者が疲労抜かずで戦場を移動して勝てる敵とは思わないで」
「馬鹿野郎! それじゃあ詩音が!」
「それに……フィーネの手元にはソロモンの杖がある。ノイズを使役されれば司令でも対処出来ない。僕がやるしか無いんだよ!」
「…………だが!」
「もし奏が3人を回収できたら移動の為の体力を温存させるだけじゃない。休息に充てる時間が作れるかもしれない。それに……フィーネの本当の狙いを識っているのは僕だけ。そしてこの事実を知る人物は少ない方が良い。だから司令には話せない」
詩音は奏に把握している限りのカ・ディンギルの狙いと必要な材料の情報を奏に託した。
「この戦いが終わったらアタシとデートしろ。たまにはアタシだって少女に戻りたいんだぞ?」
「わかった。必ず勝って見せるさ」
◆◆◆
「…………っとコレがカ・ディンギルの概要と目的だ。分かったらそこにある食料を食ってさっさと休め。詩音の稼いだ時間を無駄にするなよ」
「奏……」
翼は気付いていた。詩音が嘘をついていて奏も察している事に。だから休めと言ったのだと。
「古代の遺物であり、巨大な荷電粒子砲……。フィーネの真の目的は、世界征服なんて生ぬるいものじゃない。カ・ディンギルを完工させ、その極大照射を……『月』へ向けて放つこと……かよ」
車内に息をのむ音が重なった。
「詩音は、それを止めるために1人でフィーネの懐へ飛び込んだ。……『俺が時間を稼ぐ。装者を集めて本部へ向かわせろ』って……あいつ、あのボロボロの体のままで……!」
奏の言葉が途切れる。ハンドルを握る指先が、白くなるほど強く締め上げられていた。戦えない自分への悔しさと、死に場所を探すように一人で傷つきに行く男への歯痒さが、奏の胸を締め付けていた。
「二課本部自体が……すでに敵の要塞になっちまってるってことかよ」
クリスは詩音の上着を強く引き寄せ、膝の上で拳を固く握りしめた。
自分の知らぬところで、自分を利用し、投げ捨てたフィーネが世界の全てを壊そうとしている。そして、自分に居場所を突きつけたあの自爆野郎が、また一人でその破滅の前に立ち塞がっている。
「上等だ……。連れてけよ、そのカ・ディンギルってとこへ……! あたしが……全部ぶち壊してやるッ!」
「ああ……行こう。詩音を……そしてこの世界を、フィーネの狂気から救い出すために!」
翼の決意に満ちた声に応えるように、奏はアクセルを底まで踏み込んだ。漆黒のSUVは黒煙の上がる市街地を切り裂き、決戦の地——カ・ディンギルと化した二課本部へと一直線に突き進んでいく。
◆◆◆
リディアン音楽院の郊外に広がる、無機質な平原。かつて平和だったその平地は今、フィーネが召喚したノイズの群れと空間歪曲の痕跡によって、草木も生えぬ漆黒の荒野へと変貌していた。
「お前が必ず立ちはだかるとは思っていたがここにいたとはな……」
冷酷な笑みを浮かべるフィーネの前に、血みどろの男が一人、風に破れた上着をなびかせて姿を現した詩音。その手には二刀化したアロンダイトが握られ、首元や手首からはすでにアヴァロンの過剰修復による不快な生血が滴り落ちていた。
「言っておきます……貴女の企みごと、ここで僕が折り砕きます櫻井先生……いや、フィーネ!」
「広大な平原で、単身で私に挑む愚かさ……。遮蔽物すらないこの場所で、あなたが何秒保つかしら?」
フィーネの手から放たれた無数の光帯が、遮るもののない平地の空を切り裂き、詩音の肉体を容赦なく穿った。
◆◆◆
詩音とフィーネの戦いから1時間が経過した。
「正直驚いたぞ詩音……もう少し賢く立ち回り距離を測ると思ったがただの1度として退避を選ばないとはな?」
「下がれば貴女はすり抜けてしまう。僕がここで止められなければ貴女によって今の二課は蹂躙される。なら僕に回避の選択肢はありませんよ?」
平原の地面は、詩音の撒き散らした赤い血と、砕けたアロンダイトの破片で埋め尽くされていた。身を隠す障害物すら存在しない平地での戦闘は、詩音にとって一方的な虐殺と同義だった。フィーネの広域攻撃と中型ノイズの集中砲火が、寸分の狂いもなく詩音の全身を削り取っていく。
「ハぁっ……ぐ、ぁ……っ!!」
両脚の骨が砕け、肉芽と血煙を噴き上げながらも、詩音は泥を這い、アヴァロンの肉体修復が強行されるたびに立ち上がった。狙いはフィーネの撃破ではない。平原の中央に座すカ・ディンギルの制御基体へ肉体ごと突撃し、フォニックゲインの同調シークエンスを物理的に遅延させること。ただそれ一点のみ。
「なぜ倒れない!? なぜそこまでして邪魔をするッ!?」
フィーネの顔が不快感と苛立ちで歪む。手足を斬り落としても、首を折っても、遮蔽物のない平地を血みどろのまま前進してくる壊れない盾という意思。その不気味な執念によりカ・ディンギル起動のカウントダウンが遅れ続けていた。
開戦から2時間経過した。この頃にはフィーネはどう詩音を退けるかは考えず、詩音の意思と自由を奪わねば埒が明かないと理解した。
「認めてあげるわ詩音……貴方との戦いで私の敗北は無い。でも貴方はその土俵で勝負してすらいない。なら手段を変えようかしら」
平原の風が、焦煙と濃厚な血の匂いを運んでいく。詩音の視界は己の血で真っ赤に染まり、まともな思考すら吹き飛んでいた。腕が吹き飛べばアヴァロンが強引に肉を繋ぎ、胸が凹めば肋骨が軋みを上げて再生する。それは命を救う処置ではなく、終わりのない激痛を肉体に縛り付ける拷問機構そのものだった。
「僕にあるのは……使い道だけだ……! 彼女達に……余計な傷を負わせないために……僕が貴女を止める。それだけが僕の役目だッ!」
炭化していく肉体を強引に動かし、詩音はへし折れた大剣の残骸をフィーネの足元へ叩きつけた。
◆◆◆
戦闘開始から3時間経過した頃に状況は動いた。
「何秒持つかと問うたがアレは訂正しよう。お前は健闘した。だが……もはや限界だ。お前を診てきた私が断言しよう」
静寂が、赤く染まったリディアン郊外の平地に降り立った。
「ハぁ……っ、ハぁ……ッ……」
抉れ飛んだ土と爆縮の痕跡が広がる平原の中心。詩音は、完全な物言わぬ肉塊となって崩れ落ちていた。全身の骨は砕かれ、アヴァロンの再生能力すら限界を迎えてピチピチと虚しい火花を散らすだけ。物理的に指一本動かすことすら不可能な完全な「敗北」だった。
「……3時間。たった1人の出来損ないに、私の貴重な3時間を奪われたか……」
フィーネは血みどろの詩音の頭部を踏みつけ、吐き捨てるように冷たく見下ろした。だが、その表情には焦りが滲んでいた。この「死ねない男」一人が泥沼の足止めを行ったことで、カ・ディンギルの完全起動までに決定的なタイムロスが生じたのだ。
「だが…………コレで残る障害は弦十郎のみ!」
フィーネは詩音を一蹴りすると、顧みることなく平原の奥、そびえ立つカ・ディンギルの中央制御部を目指し歩き出した。
◆◆◆
倒れ伏した詩音の耳に、遠くから激しいエンジン音が近づいてくる気配が届いた。奏が運転する大型車両が、響、翼、クリスを乗せてこのリディアン郊外の平原へ向けて猛スピードで急行してくる。
(……3時間、稼いだ……ってフィーネは言った)
薄れゆく意識の中、詩音は冷たい平原の土に顔を埋めたまま、静かに最後の思考を落とした。
(あとは……頼んだ……)
装者が倒れた詩音の元に辿り着いたのは詩音が開戦して4時間後の出来事であり、
え〜……3時間稼いだのは良かったのですが、指一本すらまともに動かせない程にボロ雑巾にされました。ちなみに奏さんが回収した装者の到着が4時間(日没)後になった理由はフィーネさんが召喚していたノイズの一部が道を破壊していた為に迂回しなければならなかった為。
代わりに装者はある程度の休養は得られました。次回より最終決戦です!
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