詩音が戦い始めて4時間後……タイヤが焦げる強烈な匂いとともに、天羽奏の運転する大型車両がリディアン郊外の赤く染まった平原へと滑り込んだ。車窓の向こうに広がっていたのは、言葉を失う惨状だった。泥と血が混ざり合い、黒煙が立ち込める大地の中心。そこに、肉塊と見紛うばかりに破壊し尽くされた櫻羽詩音の体が横たわっていた。
「詩音……!?」
車が完全に止まりきるより早く、ドアを蹴り開けて飛び出したのは雪音クリスだった。詩音の大きすぎる上着の裾を泥と血で汚しながら崩れ落ちるように駆け寄り、動かない詩音の身体を抱き起こす。
「おい……ウソだろ、目を開けろよ自爆野郎! あたしを拾った時みたいに……また平気な顔して立ち上がれよッ!」
クリスの叫び声は悲痛な絶望に震えていた。視界に入る詩音の肉体はあまりにも惨酷だった。両腕の骨は不自然な方向へ折れ曲がり、胸部は陥没。アヴァロンの過剰修復が追いつかず、肉芽と不快な血の泡が破れた皮膚から溢れ出している。どんな暴力も無意味だと吐き捨てていた男が、ただの一度も見せたことのない全壊の姿だった。
「そんな……詩音さん……っ」
立花響はその場に縫い付けられたように凍りついた。詩音の痛みを自分が肩代わりするのだと、自分が盾になるのだと心に誓っていたはずだった。しかし目の前にあるのは、自分たちが追いつくまでの4時間をただ1人でフィーネの攻撃を全身で受け止め、擦り切れ破綻した不壊の盾の現実だった。激しい自責と狂おしいほどの罪悪感が、響の呼吸を塞いでいく。
「……フィーネの猛攻にここまで……泥を啜って耐えていたというのか……」
風鳴翼は握りしめた拳から血を滲ませ、溢れ出そうになる感情を冷徹な防人としての理性で必死に抑え込んでいた。風鳴の家が強いる影の宿命、そして目の前で自分たちのために命を削り切った男の姿が、翼の胸に重く歪んだ楔を打ち込んでいく。
「みんな、待て……! 詩音を刺激しちゃ駄目た!」
車から降りてきた奏が涙を堪えながら叫んだ、その瞬間——
──グラグラグラグラッ!!
天地を揺るがす猛烈な震動が平原全体を切り裂いた。詩音の肉体を力任せに破滅させ深淵へと突き進んだフィーネ。
「なんだ……? 地中からだと!?」
平地の中央引き裂かれた大地の底から、膨大な光の束とともに異様な圧迫感を放つ古代の巨塔——超兵器『カ・ディンギル』が、地表を押し潰しながら天へと聳え立っていく。暗雲を突き破り、遥か上空に浮かぶ「月」へと照準を合わせるように、牙を剥く極大の兵器。
「…………ほぅ? 辿り着いていたか装者共。存外速かっ……いや、詩音がそれだけの時間を稼いだということか。忌々しい男だ……」
「フィーネ……テメェか! テメェが詩音をこんな目に遭わせたのか!」
クリスがフィーネへと銃口を向け怒り任せに問いかける。
「肯定すればどうする?」
「殺してやる!」
「まも……れな……くて……ご……め……」
血の海に倒れ伏したまますでに意識を失いかけている詩音の口元から、途切れ途切れの、微かな呟きが漏れ聞こえた。
「……響ちゃん……クリスちゃん……翼……あと……た……む……」
全身の骨が砕かれ、死に体となってもなお、彼女たちを守るためだけにアヴァロンが強行接続する命の囁き。クリスは涙を撒き散らしながら詩音を抱き締め直し、響と翼は溢れ出る感情を殺意へと変えて、屹立する絶望の塔へと視線を跳ね上げた。
◆◆◆
天を穿つ巨塔『カ・ディンギル』の足元。紫黒の不気味な光を撒き散らす先導者、フィーネに向け、三人の装者たちが一斉に跳躍した。
「喰らい……やがれえぇぇッ!!」
雪音クリスが両肩の大型ミサイルポッドを全開にし、至近距離から極大の爆炎を叩きつける。吹き荒れる爆風の隙間を切り裂き、風鳴翼の大剣がフィーネの胸元を深々と斜めに切り割り、続けて踏み込んだ立花響の拳が、その胴体を肉肉しい打撃音とともに打ち抜いた。
「全弾命中!」
「手応えアリ!」
直撃——間違いなく致命傷のはずだった。だが巻き上がる煙の向こうから聞こえてきたのは、冷ややかな嘲笑だった。
「フフ……それが、あなたたちの全力の歌声の成果かしら? まだ詩音の方が手応えがあったわよ?」
装者たちの瞳が、絶望に大きく見開かれる。切り裂かれた胸元も、打ち砕かれた腹部も、フィーネの傷口から吐き出された紫黒の胞子のような光に包まれた瞬間、一瞬にして繋ぎ合わさっていく。血の一滴すら流すことなく、裂けた肉皮が滑らかに再生し、破れた漆黒の装束すら元通りに修復されていく。
傷が
「な……ッ! なんて再生速度だ……!?」
翼が剣を構え直しながら息を呑む。クリスは自分の手が震えていることに気づき、歯を強く噛みしめた。
かつて自分も纏っていた完全聖遺物——【ネフシュタンの鎧】……だが、クリスが知る鎧の力とは次元が違っていた。クリスが使っていた頃の鎧は、飽くまで外部から身に纏う
「私の再生に既視感を感じる……等とは思わない事だ」
そして何より——装者たちの脳裏に焼き付いて離れないのは、先ほど泥の中で動かなくなっていた男の姿だった。
詩音の持つ『アヴァロン』。それもまた再生を司る特異な聖遺物だが、詩音の肉体と同化しているのは、長き歴史の中で摩耗し砕け散った【聖遺物の欠片】に過ぎない。
「詩音のに使われたのはただの一欠片。だが私の纏っているネフシュタンは完全聖遺物……そもそもの次元が違うのよ!」
詩音の再生は、あまりにも痛々しく、不完全だった。骨が砕けるたびに湿った重い音を響かせ、肉が引きちぎれるたびに己の生血を噴き上げ、絶え間ない激痛に苛まれながら強引に肉体を繋ぎ合わせる【地獄の修復】。3時間もの間、詩音はそうやって己の命を擦り減らし、文字通り血みどろになって時間を稼ぎ続けていたのだ。
「だが立花響と詩音のデータが私を1つ上の次元へと押し上げたのもまた事実……貴様らのデータは実に有意義だった事は認めよう」
それに対して、フィーネの再生はあまりにも絶望的なほど「綺麗」で、「完璧」だった。苦痛の表情一つ浮かべず、傷ついた先から瞬く間に完治していく完全聖遺物の真威。詩音が命を賭して引き受けた3時間の血と激痛の重みと、目の前で一切のダメージを感じさせずに嘲笑うフィーネの姿——その雲泥の差、圧倒的な不条理が、装者たちの心へ残酷なまでの絶望として突きつけられた。
「理解したかしら? あなたたちが縋り付いていた詩音の泥臭い再生と、完全聖遺物である私の力の違いに」
フィーネは悠々と両腕を広げ、カ・ディンギルが放つ光を背に受けて見下ろす。
「あの男が血を流して稼いだ3時間など、私の前ではただの無駄死に同然……。何故なら私が今より宿願を果たす! さあ……絶望のままに散りなさい!」
ネフシュタンの光帯が鞭のようにしなり、圧倒的な殺意となって装者たちへ襲いかかった。
◆◆◆
——ゴォォォォォオオオオオオッ!!
大気が歪み、大地が鳴動した。圧倒的な再生能力で装者たちの連撃を冷酷に受け流したフィーネの後方で、天を突く超兵器『カ・ディンギル』が異様な黄金の燐光を放ち始める。基底部分から汲み上げられた莫大なエネルギーが、螺旋を描いて巨塔の頂点へと収束していく。空を覆う雲が磁界の歪みによって円状に切り裂かれ、その開いた中心には、昼なお白い静寂を湛える「月」が浮かび上がっていた。
「見なさい……! これこそが、何千年の時を超えて私が待ち望んだ創世の光!」
フィーネは両腕を天へと掲げ、狂おしい喜悦に満ちた声を轟かせる。巨塔の先端に凝縮された光球は、見る者の眼球を焼き切るほどに輝きを増していく。最初の1撃となるエネルギーのチャージ——、詩音を打ち破ったことで得た決定的なタイムラグによって、カ・ディンギルの起動シークエンスは阻止不能の領域へと達していた。
「な、なんてエネルギーの密度だ……!? 塔全体が……巨大な砲身になっているというのか!?」
翼が爆風に耐えながら長剣を地面に突き立て、迫り来る圧力に歯を食いしばる。
「嘘だろ……あんなの……直撃したら月どころか、地表だって……ッ!」
あまりの質量差に、クリスは息を飲むことすら忘れて巨塔を見上げ、言葉を失う。
「ふふ、ハははははッ! 怯えることはないわ、未熟な人形たちよ! これは破壊のための光ではない。私と……我が愛しき『あの人』を分かつ呪いを打ち破るための、救済の光だッ!」
フィーネの瞳が、狂気と盲目的な情念で妖しく濁る。
「人類から共通言語を奪い、相互理解を途絶させ、我らを孤独の泥沼へと突き落とした古代の檻……『バラルの呪詛』! その根源たる月をこのカ・ディンギルで穿ち、打ち砕く! 呪いが潰えれば、私は再びあの人の御許へ……統一言語の響き合う世界へと至るのだからッ!」
月を破壊するという、正気を疑う狂論。たった1人の執念とエゴのために、地球上のあらゆる生命と崩壊の危機を秤にかけるフィーネの宣言に、立花響の胸の中で激しい憤怒と恐怖が渦を巻いた。
「そんなの……そんな理由で……! 詩音さんは、お兄さんは……命を削って……ッ!!」
ボロボロになりながら時間を稼ぎ、冷たい泥の中に倒れた詩音の姿が鮮明に脳裏をよぎる。詩音が3時間もの地獄の激痛に耐え抜いたのは、この狂気の発射を食い止め、自分たちがここに辿り着くための「希望の足枷」を架けるためだったと装者達は理解した。
「さぁ……解呪の時はもうすぐだ!」
だが、焦熱の光を溜め込むカ・ディンギルのカウントダウンは、あざ笑うかのように加速していく。第一砲撃の発射まで、もはや一刻の猶予も残されていなかった。
次回の執筆でエクスドライブまではいける筈……
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