──ゴォォォォォォォォォォンッ!!
大気が歪み、大地の底から響く超低周波の震動が、リディアン郊外の荒野を容赦なく揺さぶっていた。
亀裂の走る漆黒の地表を押し割って屹立した巨塔──超兵器『カ・ディンギル』。その尖塔から放たれる幾千の光の粒子が、円状に切り裂かれた暗雲の開口部へと収束していく。天頂に浮かぶ、昼なお白い静寂を湛える「月」。カ・ディンギルの焦点は、明確にその蒼白の天体へと合わせられていた。第一砲撃の発射に向けたエネルギー同調は、スカイタワーからの供給とタイムラグによって、もはや臨界点へ達しようとしている。
「フフ……美しき創世の産声を聴きなさい。これこそが、幾千の星霜を経て私が辿り着いた宿願の光……!」
カ・ディンギルの足元で、フィーネは両腕を天へと広げ、狂おしい悦楽に満ちた声を轟かせていた。その身体を包むのは、かつてクリスが纏っていた完全聖遺物【ネフシュタンの鎧】。だが、いま目の前に立つフィーネの威容は、クリスが使っていた頃の借り物の防具とは根本から異なっていた。肉体の細胞と聖遺物のコアが高次元で融合を果たしたその姿は、一筋の傷すら残さぬ完全なる不死の権化。
「無駄……なのが分からないのね」
先ほど翼の斬撃が胸元を断ち、響の拳がその腹部を撃ち抜いたはずだった。しかし、フィーネの肉体から吐き出された紫黒の光臨が一瞬で弾けたかと思うと、裂けた肉皮も破れた衣装も、何事もなかったかのように滑らかに再生していた。苦痛の表情すら浮かべず、血の一滴すら流さない。時間が巻き戻るかのような、完璧で無機質な「即時修復」。
「……ハッ、あはははッ! 絶望したかしら、泥と同化した出来損ないの雛どもよ!」
フィーネの冷酷な嘲笑が、荒野の焦土に響き渡る。
「あなたたちが縋り付いていたあの男……詩音の哀れな姿を思い出してみなさい! 摩耗し、砕け散った『アヴァロンの欠片』などを体に埋め込み、骨が折れるたびに重い音を立て、肉が引きちぎれるたびに生血を撒き散らす……。絶え間ない劇薬のような激痛に苛まれながら、泥に塗れて強行接続する不完全な再生! あんな地獄の拷問のような修復でしか命を繋げぬ欠陥品と、この完全なるネフシュタンの神威……雲泥の差だということが、その愚鈍な頭でも理解できたでしょう!?」
フィーネの言葉は、装者たちの胸をナイフのように深く抉った。
少し離れた泥の中に転がる、物言わぬ肉塊となった詩音の姿。
彼は、こんな完璧で圧倒的な化け物を前に、ただ一人で踏みとどまっていたのだ。全身の骨を破砕され、アヴァロンの過剰修復による不快な生血と激痛の泡を吹き出しながら、文字通り自分の肉体を磨耗し尽くして「3時間」という時間を買い叩いた。
「……黙れよフィーネ」
低く地這うような声が漏れた。クリスは、首元を引き裂くような激痛を無視して、深く腰を落とした。
その身体を包んでいるのは、泥と血で重く汚れた詩音の上着。鼻腔を突くのは、あの男が流した濃密な血の匂いと、自分を泥の中から拾い上げた時の、不器用な暖かさの残香だった。
『クリスちゃん──』
脳裏にリフレインする、あの男の無骨で静かな声。
(あいつはいつもそうだ。どれほど理不尽に殴られようと、傷つけられようと、壊れない壁としてそこに立ち、自分たちを「守るべき対象」として守る枠組みの中に囲い込んできた)
イチイバルの脚部ブースターが全爆発を起こし、クリスの身体が弾丸と化して虚空へ躍り出た。
「死ねッ! 邪魔立てする虫ケラがッ!」
フィーネが右腕を振るう。ネフシュタンの鎧から解き放たれた十数本の紫黒の光帯が、大気を薙ぎ払いながら、遮蔽物のない平原を死の網目となって埋め尽くした。触れればコンクリートすら一瞬で蒸発させる殺意の奔流。だが、クリスの視界は極限まで研ぎ澄まされていた。
「あいつが……あの自爆野郎が、己の肉体全部ぶっ壊して作った3時間だぞッ!!」
咆哮とともに、クリスは空中での常識を無視した連続機動を敢行した。背面のガトリング砲を空砲で爆発させ、その強力なノックバックの反動を利用して空間を鋭角に折れ曲がる。頬を掠める光帯が肌を灼き、鮮血が舞う。しかし、視線は一切ぶれない。死の光線が交差する、ミリ単位の死角。肉眼では捉えきれぬ攻撃の波動の「結び目」を、クリスは擦りつけ、血の煙を上げながら完璧に「すり抜けて」みせた。
「なに……っ!?」
フィーネの瞳に、初めて明確な驚愕の色が走る。ネフシュタンの完全なる防御と即時再生に甘んじ、技の出端を潰す警戒を怠っていた致命的な一瞬。光帯の網目を完全に抜け切ったクリスは、フィーネの眼前──ゼロ距離へと着地していた。
「あたしたちの時間を……詩音の命を、笑ってんじゃねぇぞクソババァァァァッ!!」
両腕の巨大なガトリング砲の砲身が、フィーネの顔面に直接めり込む。
クリスは引き金を破裂するほどの力で絞り込んだ。
──ズドバババババババババババババババッッ!!!
至近距離での零距離全弾連射。超高密度で叩き込まれた実弾とフォニックゲインの生み出す爆炎が、フィーネの頭部と上半身を丸ごと呑み込み、その巨躯を強烈に後方へと吹き飛ばした。
「なぐっ……!? この……小娘がぁぁッ!!」
爆炎の渦中から、フィーネの怒号が響く。
ネフシュタンの紫黒の光が荒狂い、砕け散った顔面の肉を瞬時に繋ぎ合わせ、復元していく。どれほどの打撃を与えようと、コンマ数秒後には傷ひとつない姿へと戻る絶望の再生力。
だが──クリスが強引に抉り開けたその一瞬の隙は、すでに次なる「戦友」へと引き継がれていた。
「させん……! 詩音が繋いだこの勝機、風鳴の誇りにかけて潰させはしないッ!」
視界を切り裂く青い光輝。風鳴翼が、音速を超える踏み込みで地表を滑空していた。手に握るは巨大化させた『天羽々斬』。翼はフィーネの再生の光が完全に傷を塞ぎ切るよりも早く、その足元──ネフシュタンの光帯が地表と接続し、エネルギーを汲み上げている支点へと刃を叩き落とした。
「『千ノ落涙』──ッ!!」
幾千の剣光が交差する。
傷がどれほど速く癒えようとも、切り刻まれた肉体と地表との接続が物理的に切断されたコンマ数秒の不全。その重量と威力を殺しきれず、フィーネの足元がグラリと大きく崩れ去った。
「くっ……脚が……!?」
「融合症例! 決めろぉぉぉぉッ!!」
叫んだのは、後方で援護の射撃を維持していたクリスだった。叫びに応えるように、泥を蹴って躍り出た影があった。
立花響……その瞳は、狂おしいまでの決意と自責の念で朱色に染まっていた。
(お兄さん……詩音さん……! あなたはいつも、一人で傷ついて……私たちの代わりに血を流して……!)
響のガングニールのアームドギアが、激しい金属音を立てて高速回転を始める。自分を盾にしようとしていた詩音。痛みを肩代わりしようとして、結局は彼一人に地獄の3時間を背負わせてしまった己の無力さ。その悔恨と、詩音を傷つけたフィーネに対する激しい憤怒が、ガングニールのフォニックゲインを過去最高値へと跳ね上げていた。
「私の……私の全部をかけて……! あなたの狂気を打ち砕くッ!!」
──ドドドドドドドッ!!
螺旋を描いて尖鋭化した貫通力特化の巨大な拳が、体勢を崩したフィーネの胸腔の真中央──ネフシュタンのコアが存在する核心へと深々と突き立てられた。
「グッ……ガ……ァッ!?」
フィーネの口から、初めて本物の苦痛を伴った紫黒の血が激しく噴き出した。完全なる再生力を誇るネフシュタンの肉体。だが、響の放った一撃の撃破エネルギーは、フィーネの肉体を突き抜け、その背後に鎮座する『カ・ディンギル』の中枢制御回路へとダイレクトに伝破していった。
──バリバリバリバリッ!!
巨塔の幾重もの光輪が嫌な火花を散らし、天へ向けて集積されていた過剰エネルギーの同調シークエンスが、激しいノイズとともに一瞬ストップする。完全無欠を誇り、高みから人間を見下ろしていたフィーネが、膝をついた。
「ハぁ……ハぁ……ッ!!」
拳を突き出したまま、息を荒らげる響。その背後で、血みどろになりながら武器を構え直すクリスと翼。冷たい泥の中に倒れ、未だ動かない詩音。彼が自分の肉体を文字通り破滅させてまで買い叩いた「3時間」という血の代償は、決して無駄などではなかった。少女たちの泥臭く、命を燃やし尽くすような抗いの連撃となって結実し、今確かに、世界の破滅を企む神の足を泥沼へと引きずり下ろしたのだった。
◆◆◆
──グラオオオオオオオオッ!!
カ・ディンギルの頂点に凝縮された黄金の光球が、ついに限界を超えて飽和した。天空の開口部、蒼白く輝く「月」を一直線に穿つべく放たれた極大の荷電粒子光線。大気を焼き焦がし、空間そのものを歪ませながら落ちる破滅の奔流。直撃すれば月を破砕し、その砕屑が地球へと降り注ぐ絶対の終焉。
「終わりだ! バラルの呪詛もろとも、この愚かな世界は灰燼に帰しなさいッ!」
血を吐きながらもフィーネが狂喜の叫びを上げる。その焦熱の光芒の直下に、ただ一人、弾むように躍り出た影があった。
「させねぇ……それだけはさせねぇ!」
雪音クリス。その背には、詩音の血と泥で塗れた大きすぎる上着が羽織られたままだった。クリスは涙と血で汚れた顔を上げ、天を突く極大の光を見つめると、自らの命の根源であるフォニックゲインを狂おしく燃え上がらせた。
(あたしを……子供扱いして拾ったくせに……! 勝手に1人で泥を啜って……壊れてんじゃねぇよッ!!)
脳裏に刻まれた、自爆野郎──櫻羽詩音のあの無骨な背中。傷ついても、骨が砕けても、何食わぬ顔で自分たちの前に立ち塞がった不壊の盾。
(今度は……あたしの番だ……!!)
クリスは両腕を天へと掲げ、自らの魂を削り出す呪われし禁忌の歌を紡ぎ始めた。
『Gatrandis babel ziggurat edenal〜』
「なっ……絶唱だと!?」
『Emustolronzen fine el baral zizzl……』
「駄目だよクリスちゃん!」
『Gatrandis babel ziggurat edenal〜』
「抗うと言うのかクリス! 無駄な事を!」
『Emustolronzen fine el zizzl……』
(あたしがこの世界を……守れば……いつかあいつが……)
フィーネの制止の叫びすら、赤色のフォニックゲインの奔流によって掻き消された。
クリスの全身から溢れ出る七色の光環が、イチイバルの全装甲を極大の概念装甲へと再構築する。カ・ディンギルから解き放たれた第一砲撃の極大照射が、クリスが展開した虹色の盾へと激突した。
天地が白光に包まれる。地表を削り、月へと届くはずだった殺戮の光芒が、クリスの命を賭した絶唱の盾にぶつかり押し留めれていく。
「があぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
絶唱の過負荷によって、クリスの皮膚から朱色の血が吹き出す。イチイバルの装甲が耐えきれずに砕け散り、肉体が焼き切られる激痛が彼女を襲う。それでも、クリスは踏みとどまり続けた。詩音が3時間耐え抜いた激痛のほんの一部でも肩代わりするかのように、歯を食いしばり、月へ向かう光の全てをその身で受けて消滅させていく。
光が収まった時、天を穿つはずだった第一砲撃は当初の射線から逸れていた。確かに月には当たったが……穿ったのは月の端……つまりは実質的に第1波は防がれたのだ。
「あ……が……っ」
抗いはしたが砲撃の直撃を受けてボロボロになったクリスの華奢な身体が宇宙から地上へと堕ちていく。ギアは損傷し立ち上がる力が無いのは明白だった。
「私の……私の創世の光が……ッ!!」
月への照射を潰されたフィーネの顔が、凄惨な憤怒と狼狽で歪む。
「よくも……よくも私とあの人の未来を邪魔したわねッ! 死ね! 死ねぇぇぇッ!!」
ネフシュタンの鎧から解き放たれた紫黒の光帯が、狂乱のままに荒野を荒れ狂う。
絶唱の反動で倒れたクリスへ、そして響へと殺意の雨が降り注ぐ。
その殺意の渦中を、一本の青い閃光が切り裂いた。
風鳴翼。
その身に無数の光帯が突き刺さり、肉を抉り、血を噴き上げさせながらも、翼の足取りは一歩も退かなかった。
「風鳴の防人として……そして、アイツの覚悟を背負う者として……!」
翼の視線は、フィーネではなく、その背後で第二砲撃の再チャージを開始しようとしている『カ・ディンギル』の基底構造へと固定されていた。どれほどフィーネの肉体を斬ろうと、ネフシュタンの超速再生がそれを無効化する。ならば叩くべきは、フィーネの野望そのものを支える巨大なシステム──この塔そのもの。
「翼さん! やめて、それ以上は身体が──ッ!」
響の悲痛な叫びを背に受けながら、翼は天羽々斬の全出力をその刃へと集約させた。肉体がきしみ、ネフシュタンの光帯が翼の肩や脇腹を深く穿ち抜く生血が飛散し、視界が赤く染まっていく。だが、翼の心中にあったのは、冷徹なまでに1つの情念だった。
(詩音……貴方は1人で、この激痛を耐えていたのだな。ならば……私に耐えられぬ道理はないッ!)
「命を捨てて……我が剣となれッ!!」
翼は突進した。フィーネの制圧射撃を己の肉体で強行突破し、ズタズタに引き裂かれながらもカ・ディンギルへととその身を飛び込ませる。
ズバババアァン
極大化したアメノハバキリの刃が、カ・ディンギルの核を内側から深々と断ち割った。
「な……なにを……やめろぉぉぉッ! カ・ディンギルが……私の希望がぁぁぁッ!!」
フィーネの絶叫が轟く。翼によって破壊された巨塔が、内部から溢れ出す過剰なエネルギーに耐えきれず、激しい爆縮を起こし始めた。
──ドドドドドドドォォォォンッ!!
天を突いていた『カ・ディンギル』が、音を立てて内側から崩壊していく。月を穿ちバラルの呪詛を破壊するというフィーネの狂気じみた目論見は、ここに完全に潰え破綻したのだった。爆炎の煙の中から、血煙とともに翼の身体が地面へと叩きつけられた。
アメノハバキリは砕け散り、彼女もまた、血の海の中でピクリとも動かなくなった。
──-
黒煙と灰が重く垂れこめる、リディアン郊外の荒野。
カ・ディンギルは完全に瓦解し、フィーネの野望は潰えた。世界は救われたはずだった。
だが──平原の中央にぽつりと取り残された立花響の周りには、地獄のような静寂だけが広がっていた。
「……あ……あ……」
響の膝が、激しく震えてガクガクと崩れ落ちる。目の前にあるのは、敗北の光景ではない。「勝利」の後に残された、絶望の廃墟だった。少し離れた場所には、3時間もの間ただ一人でフィーネの激痛を引き受け、全身の骨を粉砕されて泥の中に転がる櫻羽詩音。アヴァロンの再生すら途絶え、物言わぬ肉塊のようになった彼の姿。
「みん……な……」
その視線の先には、詩音の上着を抱き締めたまま、絶唱の負荷とカ・ディンギルの砲撃によって血を流して動かなくなった雪音クリス。そして少し先には、カ・ディンギルを相打ちで打ち砕き、全身を穿たれて血の海に倒れる風鳴翼。
「なんで……なん……ッ!?」
響は己の掌を見つめた。ガングニールの拳。自分は無傷だった。傷ひとつ負わず、血の一滴すら流していない。
自分が「みんなの代わりになる」と、「詩音さんの痛みを私が全部引き受ける」と、そう心に誓ったはずだった。詩音が自虐的に肉壁となり、傷ついていくのを止めたかったはずだった。
(なのに──自分は何ひとつ肩代わりできていなかった)
詩音は自分たちが来る前に一人で壊れ、クリスは身を挺して自分たちの盾となり、翼は命を削って敵の野望を撃ち砕いた。守られるべきだった子供たちが、対等な戦友たちが、それぞれ自分の血を流して世界を救い……自分だけが、何ひとつ背負えずに綺麗なまま残されている。
「私が……私が弱かったから……っ! 私が頼りなかったから……みんなが……詩音さんが……ッ!!」
狂おしいほどの自責と、圧倒的な無力感が、響の胸腔をドス黒い泥のように塗り潰していく。
「詩音さん……お兄さん……目を開けてよ……っ! 頼むから……私を怒ってよ……ッ!!」
泥に突っ伏したまま動かない詩音の身体に縋り付き、響は声を上げて泣き叫んだ。世界は守られた。だが、この日を境に、立花響の心の中に植えつけられた「己の無力さへの絶望」と「詩音の身代わりにならなければならないという狂信的な強迫観念」は、決して消えることのない暗い毒となって、G編における更なる泥沼の共依存へと深く、深く根を張っていくのだった。
次回!待ちに待ったエクスドライブ!詩音君は立ち上がれるのか……デュエルスタンバイ(違う)
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