「お兄ちゃん……帰ろう? お兄ちゃんの居場所はここじゃ無いよ?」
「調……切歌……っ!」
「詩音……」
クリスちゃんが僕の服をぎゅっと掴んだ。その手が震えているのが何となくわかる。
「お兄ちゃん……ボロボロじゃない……!」
「あのキテレツ! お兄ちゃんには手を出すなと言ったのが分からないんデスか!」
2人は僕の傷を認知すると怒りを顕にしていた。
「なんであいつらがキレてんだ? 仲間割れか……?」
「お兄ちゃんがこんな目に遭うならあいつの策に乗るべきじゃな無かったデス! マリアもセレナもどうして止めてくれなかったのデスか!」
切歌ちゃんが大鎌を地面に引きずりながら、悲痛に満ちた声を漏らす。アメリカのF.I.S研究所で、血まみれになりながら自分たちを庇ってくれた「お兄ちゃん」という姿が彼女達にとっての僕の姿。
「そもそもマムが日本に押し付けた時にもっと引き留めれば良かったデス!」
「切ちゃん……今怒っても仕方無いよ。もうこうなったら早くフロンティアの封印を解こう。そうすれば私達の目的は果たされる」
あの日の記憶と、いま目の前にいる僕が二課の犬としてボロボロに使い潰されているように見えるのか切歌ちゃんが胸を激しく押さえる。
「二課の奴らは、あなたを何だと思ってるの……? 傷つかない神様みたいになったら都合良く扱って! 今度は生身のままこんな危険な場所に放り込んで……! やっぱりお兄ちゃんはアタシ達と共に帰るべきなんデス!」
「んだとぉ!」
切歌の言葉に、クリスが血走った目で睨み返す。
「ふざけんな……っ! テメェらが詩音を……! テメェらがこんな真似をするから……っ!」
「違うよ。私達はお兄ちゃんを迎えに来ただけ」
静かに、しかし冷徹な足取りで前に歩み出たのは、月読調だった。彼女は手に持っていたシュルシャガナの大鋸を解除し、光の粒子の中に消していく。そして、血まみれになり、生身の傷に耐えながら詩音を守ろうと身構える少女たちを一瞥すると、ふっと切なげに瞳を伏せた。
「調……お前は何をする気だ……」
僕は警戒を解かず、血の滲む唇を動かした。調は詩音の数歩手前で足を止めると、まっすぐにその泥まみれの顔を見つめた。怒りでも、敵意でもない。そこにあったのは、冷たい檻の中に囚われた愛しい動物を見るような、痛切なまでの慈愛だった。
「お兄ちゃん……もう、十分だよ? お兄ちゃんは私達と帰って昔みたいに平和な世界に帰るべきなの。でももう酷い事は起こり得ない。だってフロンティアが起動すればその必要すら無くなるの」
「……なにを……」
「アメリカにいた頃、私たちを護るためにお兄ちゃんが流した血の数なんて数え切れない。……だから、私たちはお兄ちゃんを解放したかったの。二課という名の冷たい実験場から、あなたを私たちの手で連れ戻して、本当の『家族』として守りたかった。それだけだよ?」
調はゆっくりと、ためらいなく、傷だらけの僕に向けて右手を差し出した。白く何の汚れも知らないその手のひらが、血と泥にまみれた詩音の目の前に差し出される。
「なのに、二課の奴らはあなたを再び縛り付け、こんなボロボロの泥沼に引きずり下ろした。神様になれなくたっていいのデス、完璧な盾になれなくたっていいんデスよ、お兄ちゃん」
切歌ちゃんの声が、静かなロビーに優しく、けれど逃れられない呪縛のように響く。
「さあ一緒に帰ろうよ。私たちのところへ……F.I.Sの本当の居場所へ。私たちが、今度はあなたを絶対に離さないから」
「……っ……!」
その言葉は、詩音の心の最も柔らかい、そして最も腐敗した「罪悪感」の芯を正確に抉り取った。生身のままこうして仲間たちを危険に晒しているという現実。自分がここにいるせいで、翼は単身でネフェリムを追い、響やクリスは血を流して傷ついている。
「私達にとって本当は世界の救済なんてどうでも良いのデス」
もし自分が彼女たちの前から消え去れば——2人の言う通り、彼女たちの側から離れれば、この残酷な連鎖は終わるのではないかという甘美な絶望。
詩音の足元が揺らぎ、血塗れの手が、わずかに調の差し出した手の方へと引き寄せられかけた。
「──っ! お兄さん……ダメ……っ!!」
その瞬間、背後から狂おしいほどの力で僕の腰にしがみついたのは、響ちゃんだった。
「響ちゃん……?」
「行かないで……! どこにも行かないで、詩音さんっ……!」
響ちゃんの瞳から、大粒の涙と血が入り交じって床へと落ちる。彼女の細腕は、折れそうなほど強く詩音の衣服を掴み、二度と離さないと言わばかりに震えていた。
「この人が……詩音さんがどこに行こうと、たとえ地獄の底だろうと、私たちのそばに縛り付けておくのは……私たちらから離すな……っ! あたしはこの人を……絶対に渡さない……っ!」
「お兄ちゃんから離れろ!」
「がっ……」
切歌ちゃんの斬撃がクリスちゃんを刻んだ。クリスちゃんもまた、這いずるようにして僕の足にしがみつき、調を狂気的な眼光で睨みつけた。
「ふざけたこと言ってんじゃねぇよ……! そいつはあたし達の……! テメェらの人形じゃねぇんだよっ……!!」
二課の少女たちが剥き出しにする、狂愛と独占欲の鎖。そして、詩音を救い出し、自分たちの歪んだ愛の巣へ連れ戻そうと手を差し出し続ける月読調。
【Anty-Linker】の煙の残滓が立ち込める廃病院のロビーで、傷だらけの男を巡る狂気の引力が、いよいよ最高潮へと達しようとしていた。
少し更新を空けるかもしれません。書きたいものが溜まっているのでもしかしたら整理するかもしれません。
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