「一条君だよね?」
「確か、櫛田だよな?」
「うん!覚えててくれたんだ!」
登校途中、不意に背後から甘い声がかかった。
振り向くと、そこにいたのは一年Dクラスでも特に人気の高い女子――櫛田桔梗だった。
この学校は全寮制だ。
中学までのように家の方向が違うから会わない、なんてことはない。
良くも悪くも、好きな相手とも嫌いな相手とも、こうして簡単に鉢合わせする。
「一条君はポイント、大丈夫?」
「……悪いが、俺に余分なポイントはない。貸してくれって話なら無理だぞ」
「ち、違うよ! ただ心配しただけ!」
「ああ……悪い」
櫛田という女子を観察しながら歩みを進める。
いつの間にか、櫛田は自然な顔で俺の隣を歩いていた。
傍から見れば、仲良く登校しているようにしか見えないだろう。
こういう距離の詰め方が、こいつの強みなのかもしれない。
「一条君ってさ……堀北さんと仲いいよね?」
「堀北と?いや別に仲良くはないと思うが……」
「うそ。私が話しかけても全然ちゃんと答えてくれないのに、一条君が話しかけると返してくれるもん」
確かに、隣の席だからよくわかる。
堀北は櫛田にかなりの頻度で話しかけられていたが、返事はせいぜい「興味ないわ」か「必要ないわ」くらいのものだった。
櫛田は、本気で堀北と仲良くなりたいのか。
それとも、別の理由があるのか。
「だったら櫛田、俺が堀北との仲を取り持ってやろうか?」
「え? それは嬉しいけど、どうやって?」
「今日の放課後、堀北と勉強会をするんだが、クラスで成績の悪い三人がいるだろ」
「須藤君と池君と山内君?」
「そうだ。前回はコミュ障の堀北に代わって俺が誘ったんだが、効果がなくてな」
「それで、勉強会に参加させてあげる代わりに、その三人を誘ってほしいってことだね?」
「話が早くて助かる」
櫛田は快く了承し、そのまま学校へ向かって足を速めた。
美少女と並んで登校する、なんてささやかな願いは叶わなかったが、あの三人は櫛田の頼みなら高確率で来るだろう。
「けど、堀北に櫛田も来るって伝えたらどうなるか…胃が痛え…」
そんなことを考えながら、堀北がいるであろう教室に向かった。
◇
「嫌よ」
「……だよな」
速攻断られた。
伝えるのが面倒だった俺は、昼休みに「作戦会議」と称して堀北を食堂へ呼び出した。
その言葉に多少は引っかかったのか、堀北は一瞬だけ迷った末に了承した。
「何でそんなに櫛田のことを嫌がるんだよ……」
「私は仲良しごっこをするために勉強会を開くんじゃない、赤点を取ってしまうどうしようもない生徒を救うために開くのよ」
「つまりあれか。成績のいい櫛田は必要ないし、むしろ邪魔だと?」
「あなたも理解しているなら、櫛田さんには必要ないと伝えてきてくれる?」
そんなこと言えるわけないだろ。
あの三人を誘って来てくれると言ったのは、櫛田があの勉強会に参加するからだ。
それで櫛田がいないとなると、櫛田だけじゃない、あの三人すらも勉強してもらえない可能性が出てくる。
「堀北。あの三人を誘って連れてこられるのは櫛田だからだ。俺たちが声をかけても来なかった連中だぞ?」
「それは…」
「それに、櫛田がいないとわかれば、勉強会そのものに参加しない可能性だってある。ここは受け入れるべきだと俺は思うが?」
「……なら、邪魔だけはしないように伝えてちょうだい」
堀北はそう言って食事を終えると、トレーを持って立ち上がった。
自分で言えよ、と心の中でつぶやいたが。
だが俺は講師役じゃない。勉強を教えるのは堀北だ。
ここで余計なことを言えば、「教えるのも私、雑用も私。じゃああなたは何をしているの?」と返されるのが目に見えていた。
俺はため息をつきながら、後を追うように立ち上がった。
◇
勉強会は、はっきり言って失敗だった。
堀北の言い方が強く、須藤が反発しそのまま解散という思い描いたような流れだった。
予想通りといえば予想通りの結末だった。
男子三人が図書室を出ていき、その後を追うように櫛田も出ていく。
取り残されたのは、俺と堀北だけだった。
「あれだけのことで根を上げるのならば、やっぱり私の考えは間違ってないわ。どうしようもない愚か者は退学すべきだわ」
「堀北。お前、本当にそれでいいと思ってるのか?」
静まり返った図書室で、俺の声だけが妙に冷たく響いた。
手元にあるノートをパタンと閉じ、視線を目の前の黒髪の美少女に向ける。
堀北は不愉快そうに眉をひそめ、冷徹な瞳で俺を射抜いてきた。
「何が言いたいの? 事実を言ったまでよ。彼らは自らの無知と怠惰のせいで危機に瀕しているの。それを救おうと手を差し伸べた私に対して、あの横柄な態度……。救う価値などないわ」
「価値があるかないかを決めるのは、まだ早いと思うがな」
俺は椅子の背もたれに体重を預け、小さく息を吐き出した。
彼女の言うことは正論だ。
学校でも社会でも、やる気のない人間を切り捨てるほうが楽な場面は多い。
だが、ここは高度育成高等学校だ。
本当に切り捨てていいのかと疑問が生じる。
「お前は『赤点を取るどうしようもない生徒を救うために開く』って言ったよな。それは建前か? それとも本気か?」
「……どういう意味かしら」
「本気で救う気があるなら、相手の感情を逆撫でするような言い方はしないはずだ。と言っているんだ。お前の目的は『勉強会を開くこと』じゃないはずだ。『彼らの赤点を回避させ、Dクラスの足を引っ張らせないこと』だろう。目的と手段が入れ替わってるぞ、堀北」
「くっ……」
堀北の顔が悔しそうに歪む。
彼女は優秀だが、他人の気持ちを考えることに関しては、あの赤点三人衆並みに壊滅的だった。
「須藤たちが悪いのは百も承知だ。だけどな、あいつらを動かすには『正論』じゃなくて『動機』が必要なんだよ。だから俺は櫛田を巻き込んだ」
「その結果がこれじゃない。結局、櫛田さんと仲良しごっこで勉強会をしても無駄だったのよ」
「それはお前が直球でプライドをへし折ったからだろ。……まぁ、俺も櫛田を連れてくれば万事解決だと甘く見ていたところはある。そこは悪かった」
俺が素直に認めると、堀北は少しだけ毒気を抜かれたように視線を落とした。
長い黒髪が揺れ、横顔に影を落とす。
「……じゃあ、どうすればいいのよ」
ぽつりと漏れたその声は、弱音に近かった。
いつも自信に満ちている堀北が、初めて見せた綻びだった。
「まずは、あいつらの生態を知ることだな」
俺は立ち上がり、鞄を肩にかける。
「今日のところは解散だ。お前も少し頭を冷やせ。俺も俺で、ちょっとあいつらの様子を見てくる」
「待ちなさい、一条君。あなた、何か策でもあるの?」
「さあな」
そう言い残し、俺は図書室を後にした。
廊下に出ると、窓の外はすっかり茜色に染まっていた。
スマホを取り出し、連絡先を開く。
さっき別れたばかりの櫛田の番号を見つけ、通話ボタンを押した。
俺は櫛田桔梗の番号をタップし、通話ボタンを押した。
呼び出し音が一度鳴るか鳴らないかのうちに、甘く弾んだ声が耳に届く。
「あ、一条君? どうしたの?勉強会、あんなことになっちゃって私、心配で……」
「悪いな、櫛田。せっかく協力してくれたのに、あんな形になって」
「ううん、私は大丈夫だよ! それより須藤君たち、すごく怒ってたから……。一条君も巻き込んじゃってごめんね?」
受話器の向こうの櫛田は、あくまで俺を気遣う声を出していた。
あの場にいたなら、少しくらい堀北への不満を漏らしてもおかしくない。
だが、そうはしない。
「いや、俺は気にしてない。それより、今から少し話せないか? あいつらをもう一度机に向かわせるための作戦を練りたい。お前の力が必要なんだ」
一瞬の沈黙。
ほんの僅か、スピーカーの向こう側の空気が冷えたような気がした。
「……うん!いいよ!一条君の頼みだもん、私にできることなら何でも手伝うよ!」
次の瞬間には、いつもの明るい声に戻っていた。
俺は待ち合わせ場所を決め、通話を切った。
◇
待ち合わせ場所は、ケヤキモール裏手の小さなカフェだった。
夕方のこの時間は学生の姿も少なく、ひっそりとしている。
席に着いて数分後、櫛田は明るい声とともに現れた。
「一条君、お待たせー!」
手を振りながら小走りで近づいてくる櫛田は、制服姿のままだった。
相変わらず非の打ち所のない笑顔で、周囲の空気を一瞬で明るくする華がある。
櫛田はカウンターでカフェラテを注文し、トレーを持って俺の正面に座った。
「いや、俺も今来たところだ。急に呼び出して悪かったな」
「ううん、全然! 一条君から連絡もらえるなんて思ってなかったから、ちょっとびっくりしちゃったけど……嬉しかったよ?」
上目遣いでそんなことを言ってくる。
男なら勘違いしてもおかしくない破壊力だ。
だが、俺はそれを額面通りには受け取らない。
「早速本題なんだけど、さっきの勉強会のことだ」
俺が切り出すと、櫛田は少し困ったように眉を下げて、頼んだカフェラテのグラスを両手で包み込んだ。
「須藤君たちのことだよね……。やっぱり、堀北さんの言い方が少しきつかったのかなぁ。私、間に入ってうまく取り持てればよかったんだけど、力になれなくてごめんね」
「いや、櫛田のせいじゃない。むしろお前がいてくれなきゃ、あいつらは最初から来てもくれなかった。本当に感謝してる」
俺が真剣な声で言うと、櫛田は小さく首を振った。
「でも、このままだとまずい。次の試験で赤点を取れば退学だ。あの三人がいなくなればDクラス全体の損失になるし、クラスの空気も悪くなる」
「そうだよね……。私、須藤君たちに退学になってほしくないな。みんなで一緒に卒業したいもん」
綺麗な瞳を潤ませて、本気で心配そうに言う櫛田。
────大した演技力だ。ここまでくると、もはや才能と言っていい。
前提として俺は無償の奉仕、そんなものは俺は存在しないと考えている。
もし無償の奉仕をしてる人がいるのであれば、それはただの何も考えてないやつか、正真正銘の馬鹿だ。
人間誰しも助ける理由は、自分に見返りを求めて助ける。それが欠如している人間はいない。
人は誰だって、見返りを求めて誰かを助ける。
形が露骨かどうかの違いでしかない。
そして奉仕には、必ずストレスが伴う。
櫛田はそれを理解したうえで、なお人に手を差し伸べている。
だからこそ、俺は櫛田を頼る。
いや、頼るだけじゃない。
こいつの善意を、最大限利用させてもらうつもりだ。
「そこで相談なんだけど。須藤たちをもう一度勉強会に引っ張り出すために、お前の影響力を貸してほしい」
「私の影響力?」
「ああ。あいつらが堀北を嫌うのは、愛想のない態度と遠慮のない物言いだ。特に須藤は、自分の頭が悪いことを自覚してるからこそ、そこを真正面から突かれると反発する。だから前提を変える。堀北主催じゃなく、櫛田主催にしてしまえばいい」
櫛田はストローを咥えたまま、少し考える素振りを見せた。
「だけど……堀北さんはどうするの? 彼女が教えてくれないと、私だけの知識じゃあの三人の点数を引き上げるのは難しいと思うな」
「そこは俺が説得する。お前は三人を集める。勉強を教える実務は堀北にやらせる。形としては『櫛田の勉強会に、堀北が補助として同席する』でいい。これなら須藤たちの反発も抑えられる」
この役回りが面倒なのはわかっている。
だが、櫛田は断れない。
俺の考えが正しければ、こいつはこの提案を受ける。
「なるほどねぇ……。一条君、凄く考えてくれたんだね」
櫛田は感心したように微笑んだ。
完璧な笑顔だった。
だが、その瞳の奥に一瞬だけ宿った冷たい光を、俺は見逃さなかった。
「俺だって、ボランティアでやってるわけじゃないからな。Dクラスが自滅して、ポイントが入らない学校生活は嫌なだけだ。お前がこの提案を受けてくれるなら、俺が堀北をまた連れてきてみせる」
俺は頭を下げて、櫛田に頼み込む。
これに関しては嘘はない。
俺がこうすれば彼女は断ることができないと俺は知っている。
「ふふ、一条君って、見た目よりずっと熱いところがあるんだね。分かった、私、須藤君たちに声をかけてみる!」
「助かるよ、櫛田。お前がいてくれて本当に良かった」
「もぉ、大袈裟だなぁ。じゃあ、明日までにみんなに話しかけてみるね!」
席を立つ櫛田を見送りながら、俺は背もたれに深く寄りかかった。
まずは第一関門突破、といったところか。
次は堀北の説得。
それ自体は難しくない。
俺の目的はその先にある。
俺もカフェを出ようと立ち上がったところで、スマホが震えた。
画面には、先ほど別れたばかりの堀北からメッセージが届いている。
『明日の昼休み、また食堂へ来なさい。今日の勉強会の件で、少し確認したいことがあるわ』
手間が省けたな。
こっちから連絡する必要がなくなった。
堀北もさすがに、今日の件で思うところがあったのだろう。
俺は『了解』とだけ返し、スマホをしまった。
◇
互いに質素な食事を注文し、テーブル席に向かい合って座る。
Dクラスは今月ゼロポイントだ。
次の支給も怪しい以上、節約は避けられない。
「それで昨日の件なのだけれど」
「ああ。もちろん作戦は考えてきた」
「聞かせてもらおうかしら」
昨日、櫛田と話した内容を堀北に説明する。
堀北は食事を進めながら、こちらを見ようともしない。
だが、耳だけはしっかり傾けているらしく、要所で質問を挟んできた。
「話はわかったわ。また櫛田さんに頼らないといけないと思うと気が重いけれど」
「俺たちじゃあいつらは来ない。まだそんなこと言ってるのか」
「だから、こうして受け入れているじゃない」
「これで受け入れてる扱いなのかよ……」
◇
そして放課後。
櫛田のおかげで、勉強会には昨日と同じ面子が揃っていた。
雰囲気も昨日とは大きく違う。
基本的に教えるのは堀北だが、言い方には昨日ほどの棘がない。
感情を削ぎ落とし、必要なことだけを淡々と教えている。
少なくとも、「こんな問題もわからないの?」などと余計な一言を挟むことはなかった。
「じゃあ今日はここでお開きにしよっか!」
櫛田がそう締めると、勉強組の三人は「疲れたー」だの何だの言いながら帰り支度を始めた。
図書室に残ったのは、俺と堀北だけ。
だが堀北に話しかける気配はなく、俺も一瞥すらくれずに図書室を出た。
この時間、校内に残っている生徒は少ない。
勉強するなら自室でもカフェでも図書室でもいい。
施設が充実しすぎていて、わざわざ教室に残る人間のほうが珍しい。
いつもは喧騒に包まれている校舎も、今は静かだった。
夕日が廊下を赤く染めている。
「はぁ……うっざ……」
誰もいないはずの校内に、そんな声が響いた。
俺はこの校内を見て回るうちに、監視カメラのない場所があることに気づいていた。
声がした方向は、確かその一つだ
「あぁー、ほんっとウザい。堀北のやつ、お高く止まってんじゃねえよ。なんで私が、あんなやつのためにこんなことしなきゃいけないんだよ」
この声は……櫛田だ。
太陽のような笑顔で話しかけ、悩みを吹っ飛ばしてくれるような女子。
それは表用の姿というだけだ。
俺は櫛田のことを尊敬していた。
やりたくもないことを率先して行い、困ってる人がいれば助け、笑顔を振り撒く。
そんな櫛田に尊敬していた。
「死なないかなぁ、堀北のやつ。本当に死んでくれたらこんな思いもしなくて済むのになぁ」
「随分と物騒な話してるな、櫛田」
突然現れ声をかけてきた俺に即座に振り向いた。
櫛田の顔色は青ざめていたが、即座に俺を睨みつける眼光へと変貌した。
俺は今も櫛田を尊敬している。
それは本当のことで今も変わらない。
俺は最初から櫛田の考えがわかっていた。
櫛田は堀北が嫌いで、嫌悪していると。
だから堀北に近づき、仲良くなり信頼を得てから殺すつもりだったことも。
「一条くん……どこまで聞いてたの?」
「櫛田の気持ちわかるぞ、堀北マジでお高く止まっててウザいよな」
櫛田は俺を探るように問いかけてくる。
俺は気にした様子もなく、そのまま櫛田のほうへ歩み寄った。
「チッ…最初っからってことね」
「最初から聞いてたとしても、最後の聞いてればあんまり関係ないと思うけどな」
俺が櫛田の前に立った瞬間、逆に壁際へ押し込まれた。
まるで逃がすつもりなどないと言わんばかりに。
押し返すこともできた。
だが、ここはあえて従っておく。
「どうした、櫛田」
「取引をしない?一条くん」
「取引?」
「私がこれからもあなたに尽くしてあげる」
顔を突き出し、俺の眼前に迫ってきた。
櫛田の整った容姿、長いまつ毛、妙に色っぽい唇。
全てが甘い蜜だった。
━━━━だから俺は。
「んっっ!?」
櫛田の唇を奪った。
その整った容姿で眼前まで迫られてたんだ。
奪うなという方が難しい。
櫛田は一瞬、抵抗しなかった。
だがすぐに我に返ったように、俺を突き飛ばす。
背中が扉にぶつかり、鈍い金属音が響いた。
櫛田は口元を手で押さえたまま、狼狽えたように後ずさる。
そして、鋭い眼差しで俺を睨みつけた。
「な、何すんのよっ!?」
「何って、キスだろ」
「はっ!?はあああああああ!?アンタいきなりそんなことして許されると思ってんの!?」
「あれはお前がキスしたいから顔を近づけたんじゃないのか?」
「そんなわけないでしょ!!」
櫛田は俺との問答に痺れを切らし、俺にまた近づき最大限の警戒を持って俺を見据えていた。
もちろん、櫛田が本気で俺とキスしたがっていたなんて思っていない。
あいつが顔を寄せたのは、自分の容姿が武器になると知っているからだ。
交渉の場で男の判断を鈍らせるには、とても有効だと言える。
だが、俺に取っては好都合だ。
櫛田みたいな可愛い女にキスできたこともそうだが、それ以上に大きいものがある。
こいつを自分の側に置ければ、これからの学校生活はずっと楽になる。
最初から櫛田には目をつけていた。
俺はずっと思っていたのだ。
━━━━こいつが欲しい、と。
だから俺は櫛田にストレスを与え続けた。
嫌いな堀北と関わるのが嫌なのはもちろんのこと。
堀北のプライドの高さを勉強会で見せつけること。
一度失敗した勉強会をもう一度開催するために櫛田を酷使すること。
そして櫛田主催にすることで、絶対に逃がさないようにすること。
これらの多大なストレスによる爆発、これを狙っていた。
だから俺はすぐ櫛田の後をつけた。
俺は櫛田に近寄った、櫛田は警戒しているため、後ろにゆっくりと下がって行くが、反対側の壁まで追いやられ逃げ場がなくなった。
逃げ場の失った櫛田に、俺は顔を近づけた。
「俺に尽くしてくれるんだよな?」
「はぁ!?そういう意味で言ったんじゃない!!」
「自慢ではないが、俺は容姿は良い方だ、勉強もそこそこできる、運動もそこそこできる」
「だからなんなのよっ!」
「お前の彼氏としてどうだ、って話だ」
「アンタ、マジで何言ってんの!?」
俺は櫛田の綺麗な髪に触れ、そのまま頬をそっと撫でた。
指先に、そこだけ熱を持っているのが伝わってくる。
櫛田は俺の容姿について、否定はしなかった。
まあ、実際悪くはないのだろう。
お母様の遺伝と美容センスのおかげだな。
「俺はお前の本性、わりと嫌いじゃない」
いや、違うな。
「むしろ、そういうところも含めて気に入ってる」
櫛田は俺の手を払いのけ、俺のことを強く睨んでいた。
俺は櫛田から離れ、櫛田の今の表情を見て満足し、立ち去ることにした。
階段を下りながら、口元がわずかに緩むのを自覚する。
これで櫛田は、もう俺を無視できない。
計画は順調に進んでいると言えるだろう。
◇
「なんなのよ、あいつ……!!」
私は腹立ちまぎれに、さっきまであいつが立っていた場所を思いきり蹴りつけた。
じんっ、と足先が痛む。けれど、それでも気は晴れない。
失敗した。
裏の顔を見られたこと自体は、まだいい。
取り返しようはいくらでもあるから。
でも、よりにもよって一条に見られた。
それが最悪だった。
堀北とまともに話せる数少ない相手だから、少し近づいてみただけだった。
まさか、あんな危険な男だなんて思わないじゃない。
きっと最初から見抜かれていた。
私が堀北を嫌っていることも、追い詰めればいつか爆発することも。
だから一条は、わざと私にストレスをかけ続けたんだ。
そして、私が耐えきれなくなる瞬間を待っていた。
「堀北も一条も……絶対に退学にしてやる」
吐き捨てるようにそう言ってから、私は自分の髪に触れた。
あいつに触れられた場所を、確かめるみたいに。
そのまま頬をなぞり、最後に唇へ指先を落とす。
奪われた感触が、まだ消えていない。
『そういうところも含めて気に入ってる』
その言葉が頭の中で何度も反復する。
忘れたいのに、忘れられない。
嫌な思い出のはずなのに、消えてくれない。
「うざい! うざい! うざい!!」
そこには微かに、あいつの熱が残っている気がして。
それがひどく不快で、ひどく腹立たしかった。