私は死んだ
なぜかは分からないがその確信だけがこの胸中を支配していた。にもかかわらず。【私はまだ生きていた】
うめき声を上げ、私は硬く冷たい土の床に手をつけ、脱力感と空腹感によって重たい身体に力を込めてどうにかそのばで上体を起こした
まず視界に広がったのはボロボロの木箱だった。蓋は開いていて、そこには杖や刀剣の類が無造作に収められている
なぜこんなものがあるのか疑問を抱きながら、周囲を見渡せば似たような武器の他にいかにも芝居の小道具として使えそうな金属、非金属を問わず鎧や兜に帽子に服といったものから、本、硬貨、荷車、樽、と言った何に使うのか、どんな意図で集めているのかも見当もつかないものが無造作に積まれていた
一体なんだここは、と私は呟く。だが口から出たのは【おおよそ自分の声とは思えない獣の鳴き声】だった
驚愕に目を見開き、慌てて立ち上がれば視点が記憶している自分のものよりもはるかに低い…例えるなら成人男性よりも頭半分ほど上だった視界が小学校低学年くらいの子供の目線くらいには低くなっていたのだ
自分を次々に襲う現実を前に、当惑することしかできない私は、そこで自分の体のさらなる異常に気づいてしまう
【肌の色が違う】のだ。人間出ないことが一目でわかる。絵の具の緑のような均一の緑色だったのである
わなわなと体が恐怖で震えてあることを理解しながら、視線を落とせばそこに映るのは中年太りを経験して目立つようになった腹ではなく。貧困層で過ごす少年のような痩せ細った体だった
あり得ない。起きるわけがないと現実を拒絶する私は。立っていることができずにそのままその場にへたり込んでしまい、その時背後にあった木箱に背中をぶつけてしまう
鈍い痛みに顔を顰めた直後、私の目の前に、木箱から一部が欠けた手鏡が落ちてくる
落ちて来たそれを、私は震える手で拾い上げる。そしてそこに映る己の素顔を見た瞬間、私の混乱と恐怖は最高潮へと引き上げられた。なぜなら………………
そこに映っていたのは前世の日本人中年男性である私の顔などではなく。毛の一本も生えてはいない……最近の創作物に出て来そうなゴブリンそのものと言っていい醜悪な………引き攣った顔が映っていたのだ
今度こそ私は絶叫を上げた。洞窟内を私の絶叫がこだましていく中、手鏡をその場に落とした私は、ただただこの地獄のような全てが夢か何かで、目覚めれば元通りであることを願い、ひたすらに絶望の悲鳴をあげ続けることしかできなかった
どれほど叫んだのだろうか。喉の痛みと渇きを感じながら、叫ぶことに疲れ果てた私は、いつまで経っても目覚めることのない現状に、何もすることができなかった
そうしていると、洞窟の奥から下品な笑い声が複数聞こえてくるのがわかった。ふと見上げれば洞窟の奥がほのかに明るくなり始め、その明るさは徐々に強く、そして近づいて来ているようだった
他の誰かが来たのか? と疑問に思った直後。洞窟の奥から手鏡に映った自分と相違ない小人……即ちゴブリンが数匹、先頭のものが持っている松明の灯りに照らされてこちらに近づいて来ていた
その時、私は自分が置かれた現状を、現実をこう理解した
本来であれば、あのような醜悪な存在たちを【同類、隣人】だなどと当然のように受け止めることなど不可能なはずなのに、今の自分はそれが当然だと受け止めることができてしまった。つまり…人間としての自分が拒絶した現実の一部を、平然と受け止めてしまったのだ
この事象を説明する唯一の方法……それを私は知っている。前世でも散々見聞きして来たある単語で簡単に説明できてしまうのだ
長々と語ったが。言いたいことは簡単で私はこのよくわからない場所に、あるいは世界と言い換えてもいいかもしれない…に転生したのだという事実を理解したのだ
「ドウシタシンイリ? ナンデコンナトコロデシケテルンダ?」
ただぎゃっきゃっだとかげひ、だとか唸って鳴き声あげてるだけのはずなのに、まるで翻訳機を通したかのように言語として読み込めてしまった事実に、先肌の自分の理解が正しかったことを認識しつつ、私は咄嗟に少し探し物があったのだと嘘をつきつつ起き上がる。理解してしまえば、多少残るが大部分の混乱や恐怖は消え去り、先ほどに比べれば軽やかに私は立ち上がる
立ち上がって目の前のゴブリンの集団を観察すると、どうやらこの場所に物をしまいに来たらしく、色々な物を雑多に抱えている
「ソウカ、コッチハザコイセンリヒンソウコダカラナ、ナニヲトッテイッテモオコラレハシナイダロウガ、シンイリノアイダハアマリカッテナコトハシナイホウガイイゾ」
と、先輩らしいゴブリンがそう私に説明してくれたことに礼を述べる。その間にゴブリンたちは乱暴に木箱の中やその辺のものの山に抱えていた物をしまい、割れ先にと私の背後に…洞窟の奥へと駆けて行く
「ソレヨリメシノジカンダ! ハヤクイカナイトウマイトコロヲゼンブトラレチマウゾ?」
そう笑いかけてくれたゴブリン…他と混ざるから先輩と名付けておこう…に促されるままに洞窟の奥へと向かう
いくつか分かれ道を先輩の先導のままに進んで行くと、やがて洞窟を抜け、かつては誰かが住んでいたであろう森の囲まれた小さな廃村が現れる
廃村ないにはざっと見て100近いゴブリンたちが屯していて、皆が思い思いに談笑したり、何かを焼いた肉に齧り付いていた
「ツイテル! マダニクヲクバッテルゾ!」
と、はいさんの広場を指差した先輩が駆け出す。私もそれに釣られて走り出し、程なくして広場のゴブリンの列の最後尾に並ぶ。そこで私は期待にそわそわしている先輩に尋ねた。一体何の肉を焼いているのか、と
「ナンダ、オマエナニモキイテイナイノカ? キョウハ【ニンゲン】タチヲツカマエタカラオトコノルヤキダ!」
ご馳走だぞ!!!!と満面の笑みで笑いかけてくれた先輩の言葉は耳をすり抜ける。私は…今聞かされた言葉の意味が理解できず、震える唇でもう一度尋ね。そして不思議に思われながらも同じ回答が出てくる
冗談ではなかった。なぜ人間を食わなければならないのか、何故、何故私が人間を食わなければならないのか。何故自分は人間を殺して贖罪としている事実に【驚いているのか】、何故自分は今【そう思ってしまったのか】
再び体がふらつき、その場に倒れそうになだだしまったのを何とか止めようとして、ふらふら多数は後ずさった私を先輩が心配して声をかけてくれたが。それに何かを返すよりも先に。頭の中をぐるぐると駆け巡る何故と、吐きそうな肌の耳痛と胸の痛みにたまらずその場から走り出してしまった
ただただこの現実から逃げ出したくて、この頭の中の思考と胸の痛みから逃げ出したくて、またと呼び止めてくれた先輩の言葉すらも振り払い、私は森の中へと消えていった