読者に貰ったCDを聴いてみたのだが…さて?
今回の仕事は…疲れた。精魂使い果たした。編集者に原稿渡した後は、文机に突っ伏してしまった。もー何もしたくなかったし、もーどこかに行く体力も気力もなかった。かと言って神経は高ぶったままで、眠れそうにもなかった。酒でも飲むか…と思った所で、マリコが声をかけてきた。
「もう今日は余力ゼロ、って感じね」
うん駄目…リセットどころのレベルじゃない…どうしよう…。
「じゃあ音楽でも聴く?あんたの愛読者って人から、CDが送られて来てんの」
CD?ふむ、音楽聴く位ならまあ、出来ない事もないかね。マリコが一緒に入っていた手紙を読んでくれた。
「『先生の"私は休むのが下手"、楽しく読ませていただいております。そこでその一助として、私がリセットに愛聴しているアルバムを贈らせていただきます。デンマークのロイヤルハントというバンドの、"パラドックス"という一枚です』」
そいつは有難い…次のエッセイのネタになるかもしれない。
「『ただこれはヘヴィメタルに属するもので、発売は1997年ですが』…」
え?1997年って私が生まれるか生まれないかの年じゃない!しかもヘビメタって…そんな五月蝿い音楽でリセット出来るはずないよ!その上そんな昔の代物、結構な値段なんじゃないの!?
「まあまあ…『この作品は発売当初にメディアの評価がやたら高くて(私は妥当だったと思いますが)、やたら売れて、何度も再販されているので中古盤がダブついてて、安ければ数百円でも買えるんです。それにメタルといっても、キーボードを主とした音作りは美しく流麗で、メタル初心者でも抵抗なく聴ける作品です』」
…そうなの。それならいけるかな…。マリコは読み続けた。
「『これはコンセプトアルバムで、テーマは反キリスト教です、しかしデモーニッシュな表現に逃げず、いぎたなく罵るわけでもない。文学作品としても高評価されるべき一枚です』」
おいおい、それ褒め過ぎなんじゃないの?いくらなんでも…
「それがねえ…『褒め過ぎと思われるかもしれませんが、このアルバムには一切の隙がないのです。ただただ美しい旋律に乗せて、救いなき物語が綴られます。悲痛な程に』だとさ」
へえ、凄いじゃん。でもデンマークのバンドってことは洋楽でしょ?私外国語のヒアリングなんて出来ないよ。
「『これは日本で最初に発売された盤で、ボーナストラックという名の蛇足はありませんが、訳詞が最悪なので原詞と並べた拙訳、それに解説を同封します』って。これ」
マリコが、学生が書くレポートくらいの枚数のものを渡してくれた。はあ…熱心な人もいるもんだね?
「『原詞はEncyclopaedia Metallumというサイトにほぼ完全なものがあったので、それを参考にしました。メタラーにとっては必須の、ガイドブックのような所です』だって」
そう…で、マリコ何やってんの。
「ちょっと気になるから、そのサイト調べてる」
そうか、まあ自由に調べて下さい…と思った私だが、
「じゅうきゅうまんきゅうせんごひゃくななじゅうさん!?(※)」
突然の彼女の大声に驚いた。何よ、その19万9千いくらって。
「いやその…ここに掲載されてるバンドの数」
約20万?ヘビメタの?バンド数だけで20万近く!?声の大きさよりも、今度は数に驚いた。数の多さにもだが、それだけデータを集めたサイトに脱帽する。
「このバンドまだ活動中なんだって。でもそのアルバムが30年前だから、かなりのオジさんバンドだねえ…それで作品のユーザーの感想…いやこれはもう評論だわ…3件ついてる。中身は…どれもベタ褒め」
だとすると、これってもしかして、本当に名盤…なのかも……知れないなあ………。
「いや~…ヘビメタの人って、聞いてはいたけどオタクなんだ…熱心というか、執念深い」
そうだね…この読者の人も…仮にD氏と呼ぼうか。手紙の内容や自筆の訳詞に解説、立派にオタクだ。
「でも論より証拠でさ、まずは聴いてみたら?『このアルバムは全曲聴かないと意味がありません。繰り広げられる組曲、あるいは群像劇には、一本の芯が通っているからです。まあ…全部で50分弱ですが』って書いてあるけど」
50分!50分かあ…いいか。でもまずジャケ絵から語ろう。教会のステンドグラスと磔にされてるキリストのシルエット。その前には黄色と黒の、立入禁止のテープが張られている。なるほど、これだけで「何かがある」とは思わせる。うまい見せ方だ。
それでもヘビメタには門外漢だから、D氏の訳詞と解説を読みながらCDを聴いた。…そして己の無知と先入観を、嫌と言う程に思い知らされた。
宗教戦争に兵士として駆り出され、それでも自我を失わない者。
形骸化し、毒を垂れ流す権威を打倒しようとする者達。
一生を信仰に捧げたが、何も得られなかった者。
幾星霜と求道してきても、まだ自分の立場が見つからない者。
宗教指導者に見捨てられ、その相手に復讐する者。
植物状態と見られていても、その実意識も感覚も鮮明な者。
それに、復活したがまた磔にされるキリスト。
歌詞の内容が解ると、曲の魅力は三倍増しになる…さてしかし、キリスト教で彼らは救えるだろうか?誤解を恐れず言えば…無理。彼らの問答はそうなのだ。だから反クリスチャニズムの物語になっているわけだ。そして実際、和訳されていてもその言葉のつらなりは、これ以上の表現はないと思わせる程のものだった。
荘厳にして壮麗にして華麗、そして哀愁も湛えた豪華絢爛なメロディ。D氏の言葉も借りれば一切の隙もなく、ただただ美しい旋律と共に、救いなき物語が綴られて行く…ああっ!音楽を文章で表すって、なんてもどかしいんだろう!
所詮フィクションだと言われればそうだが、ヘビメタで「アクマガー」とか歌ってる連中だって、フィクションを演ってるんじゃないか?
だが反キリストの立場にあっても、彼(彼ら)は希望を捨てない。最後に「神は死んだ」と歌いつつ、続けて「神よ永遠なれ…今一度」と歌う。そして余韻の恍惚感の豊潤さと言ったら…!
CDが終わり訳詞の上に落ちていた涙で、自分が泣いているのを知った。歌詞こそ悲痛だが、時に攻撃的、時に情動的、時に憐情的な、荘厳な美旋律がそれを相殺する。つまりは…悲しくて泣いたのではない。純粋に感動して、私は泣いていたのだ。
感涙しやすい人間なのは自覚していたが、よりによってヘビメタの、30年も前のCDに、気付かぬ内に泣かされたとは。音楽、いや「人が創った表現そのもの」に感動して泣くというのは、本当にあるんだ…。
私の預かり知らぬ所で、そんな前にヘビメタは、いやヘヴィメタル界は、無知な初聴きの人間が泣いてしまうレベルに、これ程までに美しい作品を生み出せる土壌に至ってたのか!
音楽と文章の違いはあっても、表現でお金貰ってる私にそんな物が書けるか?…いや書きたい。いいやいつか書いてやる!…このアルバムは、疲れ切った私に安らぎと衝撃と高揚感を与え、発奮までさせてくれた。
「また泣いちゃったのね」
思えば、私の様子を逐一見ていたマリコが言った。
「でも今日は、その事でからかう気はないよ」
D氏に感謝。佳き形でリセット&リブートできましたよ…もう一回聴こうかな…。
(※2026年7月28日現在)