魔法戦士養成学校の万能戦士   作:駄文亭

13 / 16
第11話 誰も仕掛けていない

 森には、錠前がなかった。

 

 取っ手も、蝶番も、壁に刻まれた注意書きもない。

 

 足元へ積もった落ち葉は、踏むたびに形を変える。

 

 昨日までなかった枝が道を塞ぎ、昨日まで渡れた小川が道をのみ込む。

 

 誰かが作った仕掛けなら、作った目的がある。

 

 森にあるものは、人間へ何も説明してくれない。

 

「では、今日の目的を答えなさい」

 

 王都の北に広がる森の入口で、茶色い外套を着た講師が言った。

 

 その前には、学院から参加した生徒たちが二人ずつ並んでいる。

 

 一泊二日の野外実習。

 

 古い炭焼き小屋の跡まで歩き、そこで一晩を過ごし、明日の昼までに学院へ戻る。

 

 道中に置かれた三本の赤い布を見つければ評価へ加えるが、持ち帰れなくても失格にはならない。

 

 講師は、そこまで説明してからアルマニアを指した。

 

「炭焼き小屋へ着くことです」

 

「半分です」

 

 昨日、似たような答えを口にした。

 

 水門を直すことではなく、水を通すこと。

 

 ならば、今日も目的は目的地へ着くことではない。

 

「全員で一晩を越して、明日の昼までに戻ることです」

 

「よろしい。布を探すことも、地図どおりに歩くことも、そのための練習にすぎません」

 

 講師の目が、アルマニアの左右の肩へ移った。

 

 ギンとニンが、同じ角度で首を傾ける。

 

「鴉だけが先に着いても、あなたが着いたことにはなりません」

 

「分かっています」

 

「本当に?」

 

 今度は、隣に立つグンヒルダが尋ねた。

 

 背丈ほどある長柄戦槌を背負い、寝具と工具を詰めた荷を肩へ掛けている。

 

「二羽を先へ飛ばして、近道を見つけようとしていた顔だね」

 

「近道を見つけることは、悪くないでしょう?」

 

「見つけた道を、あたしたちが歩けるならね」

 

 グンヒルダの短い指が、地図の一点を叩いた。

 

 目的地までの道は二つある。

 

 一つは、低い谷を流れる小川沿い。

 

 距離は短いが、昨夜の雨で足場が悪くなっている可能性がある。

 

 もう一つは、東の尾根を回る古い山道。

 

 遠回りだが、地図には道がはっきりと描かれている。

 

「どちらを通る?」

 

「見てから決めます」

 

「何を?」

 

 アルマニアは答えに詰まった。

 

 道の広さ。

 

 水の深さ。

 

 崩れた場所がないか。

 

 いくつか思いつくが、それだけで足りるかは分からない。

 

「分かりません。現地で、見るべきものから教わります」

 

 グンヒルダが歯を見せて笑った。

 

「昨日より、いい答えじゃないか」

 

     ◇

 

 ギンとニンを飛ばせば、道に迷う心配は少なかった。

 

 ギンが木々の上から地形を見る。

 

 ニンが少し先の曲がり角を確かめる。

 

 アルマニア自身は、地図と方角を見ながら歩く。

 

 三つの視界を順番に使えば、小川まで最短の道を選べる。

 

 けれど、歩き始めて四半刻もすると、グンヒルダが足を止めた。

 

「アルマニア。あんたの右足に、何がついてる?」

 

「右足?」

 

 靴底を見る。

 

 黒い泥へ、細かな草の種がいくつも刺さっていた。

 

「泥と、種です」

 

「どこでついた?」

 

 振り返る。

 

 落ち葉の道が、木々の間へ続いている。

 

 どこへ足を置いたかまでは覚えていない。

 

「分かりません」

 

「空から道を見るのもいいけどね。歩いてるのは、あんたの足だよ」

 

「先はギン、周りはニン、自分の足元は僕、ですね」

 

「覚えてたじゃないか」

 

「覚えていることと、できることは違うので」

 

 グンヒルダは満足そうにうなずいた。

 

 それから二人は、見つけたものを口にしながら歩いた。

 

 倒れたばかりの若木。

 

 樹皮へ残る獣の爪痕。

 

 水を含んで柔らかくなった斜面。

 

 人の靴跡。

 

 グンヒルダは傷や折れ目を見ることに慣れていた。

 

 枝が古く折れたものか、新しく折れたものか。

 

 道へ落ちた鉄片が、荷車の部品か、道具の欠片か。

 

 そうしたことなら、アルマニアより早く見分ける。

 

 だが、獣の足跡が何日前のものか尋ねると、彼女も首をひねった。

 

「あたしは、鉄と石なら仕事にしてる。でも、森の全部を知ってるわけじゃないよ」

 

「グンヒルダにも、分からないんですね」

 

「当たり前だろ。分からないことを数えられない職人が、一番危ないんだ」

 

 彼女は足跡を踏まないように避けた。

 

「だから、今日は一緒に覚えるのさ」

 

     ◇

 

 昼前に、二人は小川へ着いた。

 

 谷の底を縫うように、細い水が流れている。

 

 膝より低い石を選べば、向こう岸へ渡れそうだった。

 

 地図に記された道は、そのまま川沿いを上っている。

 

「思ったより、水が少ないですね」

 

 昨夜は王都でも強い雨が降った。

 

 道が水没していることまで考えていたが、この深さなら川原を歩ける。

 

 尾根を回るより、ずっと早い。

 

 グンヒルダは、長柄戦槌の石突きを川底へ入れた。

 

 泥の深さを確かめ、次に流れの強さを見る。

 

「足は取られなさそうだね」

 

「では、こちらから行きましょう」

 

 川原へ下りようとして、アルマニアは足を止めた。

 

 水辺の低い枝へ、枯れ草が絡みついている。

 

 自分の腰に近い高さだった。

 

「どうした?」

 

「ここまで、水が来ています」

 

「昨夜の雨だろ」

 

「それなら、どうして今はこんなに少ないんでしょう」

 

 雨がやんでから、すでに半日は過ぎている。

 

 水が引いたとしても不思議ではない。

 

 それでも、何かが気になった。

 

 アルマニアは川原へ下りず、その場へしゃがんだ。

 

 枝に絡んだ枯れ草は、まだ湿っている。

 

 水際の泥には、小さな蹄の跡がいくつも残っていた。

 

 川へ下りた跡ではない。

 

 斜面の上へ向かい、同じ方向へ重なっている。

 

 水面では、泡が一つ流れてきた。

 

 それを目で追う。

 

 次の泡は来ない。

 

 先ほどより、石へ当たる水音が小さくなっている。

 

「水が、減っています」

 

 グンヒルダも川へ目を向けた。

 

「見てる間にも?」

 

「はい」

 

 風が谷の上から吹いた。

 

 湿った土と、青い葉をすり潰したような匂いがする。

 

 どこか遠くで、小石が一つ転がった。

 

 それまで鳴いていた小鳥の声が、いつの間にか聞こえなくなっている。

 

 アルマニアは地図を開いた。

 

 小川は、北西の山腹から流れ込んでいる。

 

 ギンが上空で見た方角には、雨雲がまだ残っていた。

 

 上流で雨が続いているのに、下流の水が減っている。

 

 水が消えたのではない。

 

 どこかで止められている。

 

「ギン。上流を見てください」

 

 肩から一羽が飛び立った。

 

 黒い翼が、谷の上へ消えていく。

 

「ニンは?」

 

「ここに残します」

 

「二羽で見た方が早いだろ」

 

「僕たちの周りを見る目がなくなります」

 

 アルマニアは、自分の目を閉じなかった。

 

 ギンとのつながりを強めながらも、片方の意識は川と斜面へ残す。

 

 木々の上を飛ぶ感覚。

 

 谷が細くなり、流れが曲がる。

 

 その先で、茶色い水面が不自然に広がっていた。

 

 折れた木。

 

 崩れた土。

 

 絡み合った根。

 

 それらが谷を塞ぎ、濁った水を溜めている。

 

 倒木の隙間から、細い水が噴き出した。

 

 土の壁が、わずかに動く。

 

 アルマニアはギンの目を離した。

 

「上へ行きます」

 

「崩れそうなのかい?」

 

「もう崩れ始めています」

 

「荷物は?」

 

「持てる分だけです。川原から離れてください」

 

 グンヒルダは問い返さなかった。

 

 工具袋を身体の前へ回し、長柄戦槌を両手で持つ。

 

 二人は川へ背を向け、東側の斜面へ登り始めた。

 

 土が濡れている。

 

 一歩踏むたびに、靴の下から小石が落ちた。

 

 グンヒルダは戦槌の嘴を地面へ打ち込み、柄を支えに身体を引き上げる。

 

 アルマニアは先へ出て、根の張った場所を探した。

 

「右は柔らかいです。こちらへ」

 

「ニンを先へ出しな」

 

「ニンは後ろを見ています」

 

 振り返れば、小川はまだ細い。

 

 何も起きていないように見える。

 

 その静けさが、かえって恐ろしかった。

 

「もう少し上です」

 

 グンヒルダが登りきるのを待つ。

 

 その背を追い、アルマニアも太い木の根へ手を掛けた。

 

 低い音がした。

 

 岩を引きずるような音。

 

 谷の奥から迫り、足元の土を震わせる。

 

「伏せて!」

 

 二人は木の幹へ身体を寄せた。

 

 次の瞬間、濁った水が谷を曲がってきた。

 

 最初に見えたのは、白い泡だった。

 

 その後ろから、枝と泥と石を巻き込んだ水が川原へあふれる。

 

 先ほどまで二人が立っていた場所をのみ込み、膝ほどの岩を転がしながら下流へ走っていった。

 

 古い道標が倒れる。

 

 赤い布を結んだ杭が一本、水へさらわれた。

 

 水音は、しばらく会話もできないほど続いた。

 

     ◇

 

「あれも、実習で用意したのかい?」

 

 水が落ち着いてから、グンヒルダが尋ねた。

 

 問いかけられた講師は、炭焼き小屋跡の焚き火へ薪を一本加えた。

 

「まさか。生徒を流す実習など認められません」

 

 二人は小川沿いの道を諦め、そのまま東の尾根へ登った。

 

 泥で重くなった靴のまま遠回りし、野営地へ着いた頃には日が傾いていた。

 

 先に着いた生徒たちは、すでに天幕を張り始めている。

 

 講師は二人の報告を最後まで聞くと、アルマニアへ尋ねた。

 

「倒木を見つけたから、斜面へ上がったのですか?」

 

「いいえ。ギンを飛ばす前に、上がるつもりでした」

 

「なぜ?」

 

「昨夜の水跡がまだ濡れているのに、流れが減っていました。上流には雨雲が残っています。獣の足跡も、川から斜面へ向かっていました」

 

「鳥が鳴きやんだことは?」

 

「気づきました。でも、それだけなら猛禽か、人が近づいたせいかもしれません」

 

「土の匂いは?」

 

「崩れた場所が近くにあると思いました」

 

 講師は、もう一度尋ねた。

 

「では、ギンに何を確かめさせたのです?」

 

「逃げるかどうかではありません。どちら側へ、どこまで上がればよいかです」

 

 逃げると決めるために、答えが揃うのを待ったわけではない。

 

 正体を確かめるため上流へ近づけば、間に合わなかったかもしれない。

 

 講師は実習記録を開いた。

 

「人が作った罠には、仕掛けた者の都合があります。動かす場所があり、狙う場所があり、作った痕跡がある」

 

 筆先が、紙の上を動く。

 

「ですが、野外の危険は、正体を名乗ってはくれません。崩落、増水、獣の縄張り、風向きの変化。違和感を拾い、まだ見えていないものを考える。それが、レンジャーの危険感知です」

 

 グンヒルダが腕を組んだ。

 

「今日は、あたしが周りを見る番だったんだけどね」

 

「先に気づいたのはアルマニアでした」

 

「分かってるよ」

 

 彼女はアルマニアの肩へ、翡翠色の三つ編みを軽く載せた。

 

「だから、任せたのさ。あたしが水の仕掛けを直せても、山の水まで止められるわけじゃない」

 

「途中で質問しませんでしたね」

 

「質問してる間に流されたくないからね。あんたが止まれと言ったなら、止まる。上がれと言ったなら、上がる。今日は、それがあたしの分担だった」

 

 グンヒルダは三つ編みを引き戻した。

 

「次も任せられるかは、次の仕事を見てからだけどね」

 

「そこは、やはり一度では駄目ですか」

 

「当たり前だろ」

 

 講師が記録簿を閉じた。

 

「話は終わりです。野営地へ着いたことは、実習の半分にすぎません」

 

 周囲では、日が沈む前に火を起こそうと、生徒たちが薪を運んでいる。

 

 天幕。

 

 水。

 

 食事。

 

 夜の見張り。

 

 明日の帰路。

 

 まだ、やるべきことはいくつも残っていた。

 

「今夜を越し、全員で戻るまでが実習です。まず、自分たちの寝床を作りなさい」

 

「はい」

 

「聞いたかい、アルマニア。新しいことを覚える前に、今夜寝る場所を作るよ」

 

 アルマニアは、開かれた実習記録へ視線を落とした。

 

 自分の名の横へ、新しい一行が書き加えられている。

 

 レンジャー、一レベル。

 

 七つ目の技能は、森のすべてを知るためのものではなかった。

 

 誰も仕掛けていない危険が、姿を見せる前に立ち止まるための技能だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。