魔法戦士養成学校の万能戦士   作:駄文亭

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第14話 歌が届くまで

 歌は、歌い始めればすぐ届くわけではなかった。

 

 まして、相手が死者ならなおさらだった。

 

 一泊二日の野外実習を終えた一行は、昨日来た道を使わず、東の尾根を回って王都へ戻ることになった。

 

 谷の水は夜の間に引き始めていたが、川原には泥と流木が残っている。

 

 鉄砲水を避けた翌日に、同じ場所へ下りる理由はない。

 

「赤い布は、置いていくのですか?」

 

 地図を見ていた生徒が尋ねた。

 

 三本の布を見つけることも、野外実習の課題に入っている。

 

 茶色い外套の講師は、先頭を歩いたまま答えた。

 

「布を回収するために、危険な道へ戻りたい者は?」

 

 誰も手を挙げなかった。

 

「よろしい。では、目的を答えなさい」

 

「全員で、学院へ戻ることです」

 

 今度は、アルマニアだけでなく何人もの声が重なった。

 

 講師が頷く。

 

「布を見つけられなかった理由は、帰ってから記録へ残します。危険を避けたことと、課題を忘れたことが同じにならないように」

 

 アルマニアは地図へ細い線を引いた。

 

 昨日歩いた谷沿いの道。

 

 増水した場所。

 

 倒木が水をせき止めていた位置。

 

 上空から見ただけの場所には、そう分かる印もつける。

 

 ギンとニンの目を借りれば、地図にないものまで見つけられる。

 

 けれど、見たものが正しい形で次の者へ伝わらなければ、自分だけが知っている危険で終わる。

 

「その線、少し曲がってないかい?」

 

 横からグンヒルダが地図をのぞき込んだ。

 

「尾根が曲がっています」

 

「あんたの線が曲がってるんだよ」

 

「歩きながら書いているので」

 

「なら、学院へ着いてから清書しな。読めない記録を残すくらいなら、今は道を見ておくれ」

 

 アルマニアは筆をしまった。

 

「はい」

 

「ずいぶん素直だね。朝、変なものでも食べた?」

 

「夢で世界がほどける歌を教わりました」

 

「聞いたあたしが悪かったよ」

 

 グンヒルダは頭を振り、前へ向き直った。

 

 その三つ編みが、いつもよりアルマニアの近くで揺れていた。

 

     ◇

 

 尾根道は、古い炭焼き集落の跡を通っていた。

 

 人が住まなくなってから長いらしい。

 

 石を積んだ炉は苔に覆われ、屋根の落ちた小屋から若木が伸びている。

 

 道の両側には、腰ほどの高さの石が幾つも並んでいた。

 

 ただの境界石にしては、間隔が揃いすぎている。

 

「墓標ですね」

 

 アルマニアが言った。

 

「古い共同墓地でしょう。踏み荒らさないよう、道の中央を歩きなさい」

 

 講師が足を緩める。

 

 昨日の雨は、尾根の斜面も削っていた。

 

 道の先では土が崩れ、一本の墓標が横倒しになっている。

 

 その下から、白いものがのぞいていた。

 

 獣の骨ではない。

 

 泥に汚れた、人の指だった。

 

「止まりな」

 

 グンヒルダが、アルマニアの胸へ腕を出した。

 

 一行の足が止まる。

 

 白い指が動いた。

 

 土をかく。

 

 骨だけの腕が地面から抜け出し、倒れた墓標を押した。

 

 石が転がる。

 

 くぼんだ地面から、錆びた鉈を握る骸骨が起き上がった。

 

「スケルトン! 全員、道の南側へ下がりなさい!」

 

 講師の声が飛ぶ。

 

 崩れた墓所の奥でも、土が動いていた。

 

 一体だけではない。

 

 別の墓標の脇から頭蓋骨が現れ、その後ろでも枯れ枝の折れる音がした。

 

 生徒たちが荷を抱え、尾根の広い場所へ下がる。

 

 グンヒルダは背負っていた長柄戦槌を下ろした。

 

 頭上の枝を見る。

 

 左右の墓標と道幅を確かめ、柄を短く持った。

 

 大きく振り回せる場所ではない。

 

 それでも、墓所から道へ出るには、彼女の前を通らなければならなかった。

 

「アルマニア。何ができる?」

 

 講師に問われ、アルマニアはメイジスタッフを握った。

 

 古代語魔法なら、一体を攻撃できる。

 

 杖を構えれば、グンヒルダの横へ立てる。

 

 マイリーへ祈ることもできる。

 

 選べる手は多い。

 

 けれど、土の中では、さらに二つの骨の手が動いていた。

 

 一体を倒している間に、次が出てくる。

 

「レクイエムを歌えます」

 

 講師の目が細くなった。

 

「起きてから、四つの音しか確かめていません」

 

「最後まで覚えています」

 

「効くとは限りません」

 

「分かっています」

 

「歌が死者へ届くまで、同じ旋律を崩さず続ける必要があります。その間、あなたは戦えない」

 

 墓所から、二体目が立ち上がった。

 

 片腕がない。

 

 それでも残った手で土をつかみ、道へ這い上がろうとしている。

 

「どれくらいです?」

 

「四つの節を歌い終えるまで」

 

 すぐには効かない。

 

 効いても、何が起きるか分からない。

 

 歌っている間、アルマニアは目の前の敵を殴ることも、魔法を唱えることもできない。

 

 グンヒルダが、戦槌の石突きを地面へ置いた。

 

「歌いな」

 

「でも——」

 

「あたしが何を覚えたか、聞くんじゃなかったのかい?」

 

 彼女は両手の位置を確かめる。

 

「槌を振ることを覚えた。条件が悪くても、前へ出た一体を止めることはできる」

 

 琥珀色の目が、墓所から離れない。

 

「だから、ここは任せな」

 

 アルマニアは、メイジスタッフを地面へ置いた。

 

 両手を空ける。

 

 息を吸った。

 

     ◇

 

 最初の節は、ただの歌だった。

 

 低く、静かな声が尾根道へ流れる。

 

 スケルトンは足を止めない。

 

 錆びた鉈を振り上げ、グンヒルダへ踏み込んだ。

 

 戦槌の柄が鉈を受ける。

 

 乾いた音。

 

 グンヒルダは押し返さず、半歩だけ身体をずらした。

 

 骸骨の足が泥へ滑る。

 

 そこへ石突きを差し込み、道の外へ転がした。

 

「次!」

 

 片腕のスケルトンが、倒れた一体を越えてくる。

 

 アルマニアの声が、わずかに強くなった。

 

「こっちは見るな!」

 

 グンヒルダの声が飛ぶ。

 

「歌を止めたら、最初からだよ!」

 

 アルマニアは目を閉じなかった。

 

 けれど、前へ出ようとした足は止めた。

 

 二つ目の節へ入る。

 

 ギンとニンが頭上を回っていた。

 

 二羽の目を借りれば、墓所の奥まで見える。

 

 何体が起き上がろうとしているか。

 

 どこから回り込もうとしているか。

 

 知りたい。

 

 意識を伸ばしかけ、アルマニアはやめた。

 

 三つの視界を扱いながら、初めての呪歌を崩さず歌えるとは限らない。

 

「ギン、ニン。左右だけ見てください」

 

 歌の切れ目へ短く命じる。

 

 二羽が分かれた。

 

 自分の視界へつながず、鳴き声だけを聞く。

 

 右から一声。

 

 左から二声。

 

 ニンの側で、何かが動いた。

 

「左です!」

 

 講師が短い杖を構え、道を外れた骨の手を踏み止めた。

 

「歌を!」

 

 アルマニアは三つ目の節へ入った。

 

 喉が乾く。

 

 夢の中では、死者たちは立ち止まってくれた。

 

 現実のスケルトンは、そんなに素直ではない。

 

 グンヒルダの肩を、錆びた鉈がかすめる。

 

 ソフトレザーの表面が裂けた。

 

 血は見えない。

 

 それでもアルマニアの声が揺れた。

 

「続けな!」

 

 グンヒルダは片腕のスケルトンへ戦槌の柄を押しつけ、墓標との間へ挟んでいる。

 

 もう一体が起き上がれば、受け止めきれない。

 

 助けなければ。

 

 魔法なら。

 

 杖なら。

 

 その考えを、息と一緒に吐き出す。

 

 いま、自分が空けた場所にはグンヒルダが立っている。

 

 グンヒルダが空けた場所で、歌えるのは自分だけだった。

 

 四つ目の節を歌う。

 

 声を大きくはしない。

 

 骸骨たちへ振り向けとも、ひざまずけとも命じない。

 

 土の下にあった静けさを、同じ音で繰り返す。

 

 雨が降る前まで、墓所に眠っていた時間。

 

 炭焼きの火が消え、集落から人が去り、木々だけが墓標の間で育った長い時間。

 

 戻るべき場所は、道の上ではない。

 

 歌が、四度目の終わりへ届いた。

 

 錆びた鉈が止まった。

 

 スケルトンの頭蓋骨が、ゆっくりとアルマニアへ向く。

 

 眼窩には、何もない。

 

 それでも、歌を聞いていると分かった。

 

 骨の足が一歩下がる。

 

 もう一体も、墓所の方へ身体を向けた。

 

「届いた……」

 

「まだ止めるんじゃないよ!」

 

 グンヒルダの声で、次の節を続ける。

 

 スケルトンたちは、歌から離れようとするように後ずさった。

 

 一体が崩れた土の穴へ戻る。

 

 もう一体も、その後を追う。

 

 だが、片腕のスケルトンだけは、倒れた墓標と戦槌の柄に挟まれて退けなかった。

 

 逃げようと骨の足を動かし、何度も石へぶつける。

 

 先ほどまでの鋭さはない。

 

「道を開けます!」

 

 アルマニアが歌の間から叫んだ。

 

「余計なことをするんじゃない!」

 

 グンヒルダが戦槌を引いた。

 

 自由になったスケルトンが、彼女へ腕を伸ばす。

 

 グンヒルダは柄の中ほどを握り、半歩下がった。

 

 足を置く。

 

 腰を回す。

 

 背中から肩、肘へ力が流れ、槌頭が短い弧を描いた。

 

 鉄が胸骨へ打ち込まれる。

 

 骨の身体が宙へ浮き、墓所の土へ叩き戻された。

 

「逃げ道を作るのと、こっちへ来る道を作るのは違うよ!」

 

 グンヒルダは戦槌を構えたまま怒鳴った。

 

 アルマニアは返事の代わりに歌った。

 

     ◇

 

 動く骨がすべて墓所へ戻っても、歌は止められなかった。

 

 歌が続いている間だけ、死者は奥へ退いている。

 

 講師の指示で、生徒たちが崩れた入口へ倒木を渡した。

 

 その上へ石を積む。

 

 完全に封じることはできない。

 

 専門の神官が来るまで、道へ出る時間を遅らせるための仮の処置だった。

 

 アルマニアは歌い続けた。

 

 石を運べない。

 

 倒木を支えられない。

 

 地図へ印をつけることもできない。

 

 今できることは、一つだけだった。

 

 喉が痛み、息が浅くなる。

 

 それでも、最後の石が置かれるまで同じ旋律を繰り返した。

 

「よし。止めなさい」

 

 講師の声を聞き、アルマニアは歌を終えた。

 

 急に静かになる。

 

 墓所の奥で、骨の触れ合う音がした。

 

 だが、積んだ石は動かない。

 

 アルマニアは、その場へ膝をついた。

 

 ギンとニンが左右の肩へ降りる。

 

 グンヒルダが水筒を差し出した。

 

「少しずつ飲みな。いきなり流し込むと、むせるよ」

 

 言われたとおり、一口だけ含む。

 

 冷たい水が、焼けた喉へ染みた。

 

「鎮められたでしょうか」

 

「いいえ」

 

 講師が、仮に塞いだ墓所を調べながら答えた。

 

「レクイエムが、彼らを退かせました。ですが、眠りへ戻ったとは確認できません」

 

「では、失敗ですか?」

 

「全員が無事で、墓所から距離を取る時間も作れた。それを失敗とは呼びません」

 

 講師は地図を開いた。

 

「ただし、終わってもいません。位置、数、墓所の状態、仮に置いたものを記録し、学院と神殿へ伝えます。専門家へ引き渡すまでが、今日の仕事です」

 

 アルマニアは立ち上がろうとした。

 

 足に力が入らない。

 

 翡翠色の三つ編みが、腕へ回った。

 

 今度は首ではない。

 

 グンヒルダが髪をつかみ、彼の身体を支える。

 

「地図は、あたしが持つよ。あんたは見たものを言いな」

 

「書けます」

 

「読める字で?」

 

「……お願いします」

 

「よろしい」

 

 グンヒルダは地図を膝へ載せた。

 

 先ほど、アルマニアが歩きながら引いた曲がった線の横へ、墓所の印をつける。

 

「スケルトンは?」

 

「起き上がったのが三体。土の中で動いていたものが、少なくとも二体です」

 

「見たのは自分の目?」

 

「三体は。残りは音と、出ていた骨の手です」

 

「なら、そう書くよ」

 

 確かめたこと。

 

 推測したこと。

 

 まだ分からないこと。

 

 グンヒルダは、一つずつ分けて記した。

 

 最後に、アルマニアが歌ったレクイエムについて書き加える。

 

「効果あり、と」

 

「僕へ任せられますか?」

 

「何を?」

 

「アンデッドが出た時の、レクイエムを」

 

 グンヒルダは筆を止めた。

 

「今日は届いた。一度できたところまでは認めるよ」

 

「やはり、まだですか」

 

「当たり前だろ。あんた自身、何が起きるか分からなかったじゃないか」

 

 彼女は、破れた肩の革を指で確かめた。

 

「でも、届くまで歌い続けることは任せられる」

 

 アルマニアは顔を上げた。

 

「違うんですか?」

 

「全然、違うね」

 

 グンヒルダが笑った。

 

「歌で全部片づけるのは、まだ任せられない。あたしたちが前に立っている間、途中で別のことへ飛びつかず、歌をつなぐ。それなら、次も任せるよ」

 

 墓所へ置いた仮の封鎖を、朝の光が照らしていた。

 

 アルマニア一人では、死者を倒せなかった。

 

 グンヒルダ一人でも、起き上がるすべてを押し戻せなかった。

 

 歌が届くまで、槌が道を塞いだ。

 

 槌が道を塞いでいる間、歌は止まらなかった。

 

 八つ目の技能で初めて任された仕事は、死者を眠らせることではない。

 

 仲間が作ってくれた時間を、最後までつなぐことだった。

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