魔法戦士養成学校の万能戦士   作:駄文亭

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第15話 戻るまで

 傷は、戦いが終わってから見つかった。

 

 古い墓所を離れて、四半刻ほど歩いた頃だった。

 

 グンヒルダの手から、水筒が落ちた。

 

 革張りの水筒は道の上で一度跳ね、斜面へ転がりかける。

 

 アルマニアは足で止め、拾い上げた。

 

「珍しいですね」

 

「何がだい?」

 

「グンヒルダが、持っている道具を落とすなんて」

 

「水筒は道具じゃないよ」

 

「では、もう一度持ってください」

 

 差し出しても、グンヒルダはすぐに手を伸ばさなかった。

 

 右手の指を、一度ずつ曲げている。

 

 短い指は動いていた。

 

 だが、最後まで握り込もうとすると、小さく震えた。

 

「見せなさい」

 

 茶色い外套の講師が一行を止めた。

 

 グンヒルダは顔をしかめたが、逃げはしなかった。

 

 裂けたソフトレザーを肩からずらし、その下を見せる。

 

 皮膚は切れていない。

 

 代わりに、肩から上腕へ青黒い痣が広がり始めていた。

 

「鉈が当たった時ですか?」

 

「かすっただけだよ」

 

「そのあと、戦槌でスケルトンを押さえ込んでいましたね」

 

「押さえなきゃ、アルマニアが歌えなかっただろ」

 

「理由を聞いているのではありません」

 

 講師は右手の指先へ触れ、感覚を確かめた。

 

「骨が折れている様子はありません。ですが、学院へ戻るまで、戦槌と工具の使用を禁じます」

 

 講師は応急用の布を取り出し、グンヒルダの右腕を胸の前へ固定した。

 

「歩けるよ」

 

「歩くことは禁じていません」

 

「槌も持てる」

 

「持つことと、振ることは違います」

 

 グンヒルダの眉間へ、深い皺が寄った。

 

 アルマニアは何も言わず、彼女の工具袋を取った。

 

「それは置きな」

 

「持つだけです」

 

「あたしの仕事道具だよ」

 

「使いません。落とさず運ぶだけです」

 

 グンヒルダは左手で取り返そうとした。

 

 その前に、講師が長柄戦槌を受け取る。

 

「得物は私が持ちます。工具はアルマニアに」

 

「二人とも、怪我人の扱いが雑じゃないかい?」

 

「まだ怪我人でないつもりでしたか?」

 

「歩けるって言っただろ」

 

「では、歩いてください」

 

 講師は戦槌を肩へ載せた。

 

 柄の長さに慣れず、後ろの生徒へ当てそうになって、すぐに持ち方を変える。

 

 グンヒルダが反射的に口を開いた。

 

「槌頭を後ろへ出すんじゃないよ。前へ倒して、柄の中ほどを——」

 

「指示は歓迎します。手は出さないように」

 

 今度こそ、グンヒルダは黙った。

 

     ◇

 

 尾根道を下りきる前に、細い谷があった。

 

 底には、雨水が削った茶色い流れが走っている。

 

 その上へ、二本の太い橋桁を渡し、横板を並べた木橋が架かっていた。

 

 荷車が通れる幅はない。

 

 人と馬が、一列で渡るための橋である。

 

 講師が足を止めた。

 

「昨日は、ここを通った班があります」

 

「昨日と同じ橋とは限らないね」

 

 グンヒルダは、橋の手前へしゃがみ込んだ。

 

 手では触れない。

 

 目で、橋板の隙間、桁の沈み、石積みのずれを追っていく。

 

 ギンとニンが左右へ飛んだ。

 

 一羽は対岸の欄干へ降り、もう一羽は谷の上を回る。

 

「ギンの側から、橋桁を見ます」

 

「待ちな」

 

 アルマニアは意識を伸ばしかけて止めた。

 

「何かありますか?」

 

「あんたが探す前に、何を探すか決めるんだよ」

 

 グンヒルダは顎で、橋の右側を示した。

 

「手前の桁は、石の台へきちんと載ってる。向こう側だけ、少し下がってるだろ」

 

 言われてから見れば、橋は対岸へ向かってわずかに傾いていた。

 

 だが、坂と呼ぶほどではない。

 

「ギン。右の橋桁と、石の台の間へ」

 

 黒い翼が欄干から下りた。

 

 鳥の目に、濡れた木の肌が映る。

 

 橋桁そのものは折れていない。

 

 石の上から落ちないよう、横へ打ち込まれていた木の楔が、半分ほど抜けている。

 

 先端は割れ、泥が詰まっていた。

 

「楔が抜けています」

 

「そのせいで桁が横へずれ始めてる。誰か一人なら渡れるかもしれない。全員が渡れるかは、賭けたくないね」

 

「引き返しますか?」

 

 生徒の一人が尋ねた。

 

 来た道には、まだ鎮まりきっていない墓所がある。

 

 尾根を大きく回れば別の道へ出られるが、日暮れまでに森を抜けるのは難しい。

 

 講師は、グンヒルダを見る。

 

「直せますか?」

 

「あたしの工具と、両手が使えるなら」

 

 右手を握ろうとして、また震える。

 

「今日は無理だね」

 

 その答えを口にするまで、グンヒルダはずいぶん長く橋を見ていた。

 

「では、迂回します」

 

「待ってください」

 

 アルマニアは橋の前へ膝をついた。

 

「完全に直す必要はありません」

 

「何を言ってる?」

 

「今日の目的は、橋を直すことではありません。全員で学院へ戻ることです」

 

「だからって、壊れた橋を使うのかい?」

 

「全員が一人ずつ渡る間だけ、桁が横へずれないようにできませんか?」

 

 グンヒルダは答えなかった。

 

 橋を見る。

 

 対岸の楔を見る。

 

 次に、アルマニアが持っている工具袋を見た。

 

「できる」

 

「なら——」

 

「あたしならね」

 

「手順を教えてください」

 

「駄目だ」

 

「なぜです?」

 

「あんたは、橋を直したことがない」

 

「はい」

 

「木の楔を打ち込んだことは?」

 

「天幕の杭なら」

 

「別物だよ。桁へ強く打ち込みすぎれば、乾いた端から割れる。浅ければ、人が歩いた振動でまた抜ける。見た目だけ収まっても、荷重が掛かった瞬間に飛び出すこともある」

 

「分かりました」

 

「今の話を聞いただけで、分かったって言うんじゃないよ」

 

「できないことが分かりました」

 

 グンヒルダの口が止まる。

 

 アルマニアは、工具袋を地面へ置いた。

 

「僕は、橋を直せません。でも、グンヒルダが戻ってくるまで、壊さずにつなぐ方法なら教われます」

 

「あたしが戻るまで?」

 

「学院へ報告して、職人が来るまでです。それまで荷車を通せるようにする必要はありません。僕たちが渡ったあとは、通行を止める印を残します」

 

 グンヒルダは左手で、翡翠色の三つ編みを握った。

 

 いつもなら、その先がアルマニアの首へ伸びてくる。

 

 今日は伸びなかった。

 

「あたしの代わりにならなくていい」

 

 彼女は、工具袋を顎で示した。

 

「あたしが戻るまで、壊さずにつないでおくれ」

 

     ◇

 

 最初にしたのは、楔を打つことではなかった。

 

 全員の荷を下ろし、橋から離す。

 

 太い麻縄を手前側の橋桁へ回し、道脇の樹へ掛ける。

 

 桁を持ち上げるためではない。

 

 横へずれようとする力を、少しだけ受けるためだった。

 

「張りすぎるんじゃないよ」

 

 グンヒルダは橋から三歩離れた場所へ座っている。

 

「縄で桁を引き戻そうとすれば、今度は手前が動く。たるみが消えるところまでだ」

 

 アルマニアは縄を引く生徒たちへ合図を出した。

 

 一本の縄が真っすぐになる。

 

 橋板が、かすかに鳴った。

 

「そこで止めてください」

 

 次に、工具袋から白墨を出した。

 

 グンヒルダの指示どおり、新しい楔へ線を引く。

 

 入れてよい深さ。

 

 上にする面。

 

 槌を当てる場所。

 

 記録を終えてから、アルマニアは橋へ乗った。

 

 メイジスタッフは置いていく。

 

 工具を持つ両手を空け、腰へ安全綱を結ぶ。

 

 一歩。

 

 橋板が軋む。

 

 二歩。

 

 対岸ではギンが首を傾け、楔の穴を見ていた。

 

 ニンは上空を回らせず、アルマニアの後ろへ残した。

 

 橋全体の様子を、鳴き声で知らせるためである。

 

 目を増やしすぎれば、手元がおろそかになる。

 

 アルマニアは自分の目で橋板を見て、ギンの目は必要な時だけ借りた。

 

 対岸へ着く。

 

 抜けかけた古い楔へ触れず、その隣へ新しい楔を差し入れた。

 

 小槌を握る。

 

「一度、軽く」

 

 グンヒルダの声が谷を渡った。

 

 こつん。

 

 乾いた音がした。

 

「もう一度」

 

 こつん。

 

 楔が、少しだけ木の間へ入る。

 

 三度目。

 

 音が変わった。

 

 高く跳ねていた小槌の音が、低く、短くなった。

 

 まだ、白墨の線までは指一本分ある。

 

 そこまで打てと言われている。

 

 アルマニアは小槌を止めた。

 

「どうした?」

 

 グンヒルダが尋ねる。

 

「音が変わりました」

 

「線までは入ってないよ」

 

「でも、最初より木の返りが強いです。これ以上打つと、桁の端を割るかもしれません」

 

「それで?」

 

「ここで止めて、縄を残します」

 

 グンヒルダは、橋桁と楔をしばらく見比べた。

 

「よし。それでいい」

 

 アルマニアは楔を細い縄で結び、抜け落ちないよう桁へ回した。

 

 完全な修理ではない。

 

 橋の傾きも、元には戻っていない。

 

 それでも、桁がこれ以上横へ動くのを遅らせることはできる。

 

「まず、僕が戻ります」

 

「向こうへ渡ったんだから、そのまま待てばいいだろ」

 

「一度、荷重を確かめます」

 

「誰の真似だい?」

 

「グンヒルダです」

 

 戻りの一歩を踏む。

 

 楔は動かない。

 

 縄にも、急な張りは出なかった。

 

 アルマニアがこちら側へ戻ると、グンヒルダは左手で新しい楔の位置を確かめた。

 

 右手は出さない。

 

「一度できたね」

 

「できる、ではないんですか?」

 

「調子に乗るんじゃないよ」

 

 いつもの返事だった。

 

 だが、グンヒルダは工具袋を取り返さなかった。

 

     ◇

 

 橋は、一人ずつ渡った。

 

 荷物は分け、重い物は縄で対岸へ送る。

 

 誰かが渡るたび、アルマニアは楔と桁を見る。

 

 ギンは対岸から継ぎ目を見張り、ニンは手前から橋板の沈みを確かめた。

 

 グンヒルダは最後から二人目に渡った。

 

 右腕を胸へ固定し、左手で張った縄を握る。

 

 途中で一度だけ立ち止まったが、アルマニアは手を出さなかった。

 

「手伝いましょうか」

 

「聞く前に引っ張らなかったことは褒めるよ」

 

「必要ですか?」

 

「いらない。自分で渡れる」

 

 彼女は一歩ずつ、対岸へ着いた。

 

 最後に講師が渡る。

 

 全員が橋を越えてから、手前へ残した縄を外す。

 

 渡り始める前に手前側へ。

 

 全員が渡ったあとには、対岸へ。

 

 橋の両側へ、白墨と赤い布で印を残した。

 

 人だけ、一人ずつ。

 

 馬と荷車は通すな。

 

 応急処置。

 

 学院へ報告する。

 

 まだ報告してはいない。

 

 だが、戻れば必ず伝える。

 

 その責任まで含めて、書いた。

 

     ◇

 

 王都の門が見えた時、日は西へ傾いていた。

 

 一行は赤い布をすべて持ち帰れなかった。

 

 谷沿いの近道も使わなかった。

 

 途中で墓所を仮に封鎖し、壊れた橋へ応急処置を施したため、予定より帰還も遅れた。

 

 それでも、出発した全員が同じ門をくぐった。

 

 学院へ戻ると、講師は実習記録へ順番に書き込んだ。

 

 鉄砲水の兆候。

 

 墓所の位置と、動いた死者の数。

 

 レクイエムの効果。

 

 橋の損傷と、残した楔と縄。

 

 最後に、アルマニアとグンヒルダの名を並べた。

 

「探索者科の実習は、これで修了とします」

 

「赤い布は一本、流されました」

 

「持ち帰ることより、流された理由を記録したことを評価します」

 

「橋も直していません」

 

「直したと報告される方が困ります」

 

 講師は記録簿を閉じた。

 

「何を見つけたか。何をしたか。何ができなかったか。次に誰が来なければならないか。すべてを残して、初めて探索は次へつながります」

 

 グンヒルダが、左手でアルマニアの工具袋を受け取った。

 

 中身を一つずつ確かめる。

 

 白墨。

 

 細い縄。

 

 小槌。

 

 油。

 

 どれも失われていない。

 

「橋を任せられるとは、まだ言わないよ」

 

「分かっています」

 

「あたしが横で見て、手順を一つずつ言った。あんたが一人で同じことをしていいわけじゃない」

 

「はい」

 

「でも——」

 

 グンヒルダは白墨を一本だけ抜き、アルマニアへ返した。

 

「あたしが動けない間、壊さずにつなぐ仕事なら任せる」

 

 アルマニアは白墨を受け取った。

 

「次も、ですか?」

 

「次に何を壊すつもりだい?」

 

 翡翠色の三つ編みが、左手で投げられる。

 

 いつものようにアルマニアの首へ回ったが、締める力はなかった。

 

「何も壊しません」

 

「よろしい」

 

     ◇

 

 翌朝。

 

 学院の掲示板から、探索者科の札が外されていた。

 

 代わりに、新しい木札が掛けられている。

 

 第三期。

 

 神官戦士科。

 

 アルマニアが読んでいると、隣へ翡翠色の三つ編みが垂れてきた。

 

 グンヒルダの右肩は布で固定されている。

 

「神殿へ行かなくていいんですか?」

 

「行ってきたよ。治癒の祈りで肩の痛みは引いた。けど、使い続けた手の震えが止まるまでは休めだってさ」

 

「では、今日は休んでください」

 

「あたしが治療を受ける側だと、あんたが何をしでかすか見ておかないとね」

 

「神官戦士科で、しでかす前提なんですか?」

 

「治せるから傷ついてもいい、なんて言い出したら、左手でも三つ編みは投げられるよ」

 

 アルマニアは木札を見上げた。

 

 神聖魔法は、傷ついた仲間を立たせることができる。

 

 だが、立てることと、立たせてよいことは同じではない。

 

 治せることと、戦場へ戻してよいことも違う。

 

 探索者科で最後に任されたのは、専門家の代わりになることではなかった。

 

 専門家が戻るまで、途切れた仕事をつないでおくことだった。

 

 次に学ぶのは、傷ついた仲間を立たせる方法ではない。

 

 いつ立たせ、いつ退かせ、いつ戻ってくるまで待つべきかだった。

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