魔法戦士養成学校の万能戦士   作:駄文亭

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第17話 誰を立たせるか

 神殿で左腕に異常がないと確かめられた翌朝、アルマニアは学院の南門へ呼び出された。

 

 神官戦士科と書かれた木札の下に、ミレナが立っている。

 

 赤みがかった栗色の髪を編み、苔色の上衣へソフトレザーを重ね、背には深緑の外套。片手には、使い慣れた槍があった。

 

「腕、見せて」

 

「もう治っています」

 

「治ったと思ってるんじゃなくて?」

 

「神殿で診てもらいました」

 

「なら、よし」

 

 ミレナは袖の上から左腕を軽く押し、アルマニアが顔をしかめないことまで確かめた。

 

「昨日は、グンヒルダを一度死なせたんだって?」

 

「誰から聞いたんです?」

 

 南門の柱にもたれていたシャーナシアが、深紅の短外套を翻した。

 

「事実を伝えただけですわ」

 

「最初の一度だけです」

 

「一度で十分でしょう」

 

「二度目は連れて帰りました」

 

「わたくしが四歩も下がらせてあげたからです」

 

「今日は三歩にします」

 

「一歩も譲る気はありません!」

 

「朝から元気だね、二人とも」

 

 ミレナが笑った。

 

 双鴉の泉から救い出されて以来、ミレナはアルマニアが野外へ出るたび、荷物と帰る時刻を何度も確かめた。

 

 今日も水袋と靴紐を見ているが、止めようとはしない。自分も槍を持ち、実習へ同行するつもりだった。

 

「三人とも来たな」

 

 昨日の神官戦士が、門の外から声をかけた。

 

 鎖帷子の上に外套を羽織り、左腕には丸盾をつけている。腰の剣には、厚い革が巻かれていた。

 

「今日は王都の南にある演習林を使う。課題は退却だ」

 

「また逃げるのですか?」

 

 シャーナシアが不満そうに聞いた。

 

「前へ出る訓練なら、毎朝しているだろう」

 

「前へ出る訓練に、終わりはありませんわ」

 

「退く訓練をしなければ、人生の方が先に終わる」

 

 神官戦士は取り合わず、革袋から二本の赤い帯を取り出した。

 

 一方には腕、もう一方には脚を示す印が描かれている。

 

「演習林の奥で、斥候隊が敵と遭遇した。任務は、得た情報を学院まで持ち帰ること。シャーナシアは剣を持つ腕へ負傷。ミレナは片脚へ負傷。アルマニアは無傷だが、治癒の祈りを使えるのは一度だけとする」

 

「実際には、まだ祈れます」

 

「残った精神力を、すべて治癒へ使える戦場ばかりではない。帰路で別の魔法が必要になるかもしれん。最後の一度を、誰へ使うか選ぶ訓練だ」

 

 男は赤い帯を二人へ渡した。

 

「負傷は芝居だ。マイリーへ偽りの傷を治せとは願うな。治癒を使うと決めた相手の帯だけを外せ。その結び目が、今日の奇跡だ」

 

「神へ芝居をさせるわけにはいきませんものね」

 

 シャーナシアは納得すると、右腕を身体へ縛りつけた。

 

 剣を抜くことはできないが、歩くことはできる。

 

 ミレナは左膝と足首を短い革紐でつないだ。

 

 一歩は踏み出せるが、普段の歩幅では進めない。

 

「ちょっと、きつくない?」

 

「傷は、都合よく歩幅を選んでくれん」

 

「分かってるけど」

 

 ミレナが左足を引きずり、地面の具合を確かめる。

 

 神官戦士は小さな書板をシャーナシアへ渡した。

 

「これが敵情だ。三人と書板が南門へ戻れば成功。俺は追撃役を務める。二つ目の鐘から追う」

 

「追撃役を倒しても?」

 

「構わん」

 

 昨日と同じ答えだった。

 

 シャーナシアが、右腕を縛ったまま胸を張る。

 

「アルマニア。わたくしを立たせなさい」

 

「まだ始まってもいません」

 

「始まってから迷うより、先に決めておくべきです。わたくしが剣を使えれば、追手など近づけませんわ」

 

「私も、それがいいと思う」

 

 ミレナが言った。

 

「殿下を治して。道は私が教えるから、肩を貸してくれれば歩けるよ」

 

 アルマニアは二人を見た。

 

 シャーナシアを立たせれば、追手を正面から止める剣が戻る。

 

 追撃役を止め、その間に逃げられるが——。

 

「誰が、ミレナ姉さんへ肩を貸すんです?」

 

「アル」

 

「僕の両手が塞がります」

 

「なら、わたくしが追手を倒します」

 

 シャーナシアが答える。

 

「倒したあと、また別の追手が来たら?」

 

「それも倒しますわ」

 

「何人来ます?」

 

「知りません」

 

「僕も知りません」

 

 アルマニアは、神官戦士へ顔を向けた。

 

「追手の数は?」

 

「教えん」

 

「帰路は?」

 

「演習林を抜ける道は三本ある。どれを使うかも自分たちで決めろ」

 

 シャーナシアを立たせれば、目の前の追手には勝てるかもしれない。

 

 だが、ミレナを支えるアルマニアは杖を使えず、隊も進まない。追手が一人とも、倒せる相手とも限らなかった。

 

「ミレナ姉さんを立たせます」

 

「アル」

 

「理由を聞きましょう」

 

 シャーナシアの青紫の瞳が、まっすぐアルマニアへ向く。

 

「一番傷が重いからではありません。ミレナ姉さんを立たせれば、三人とも自分の足で動けます」

 

「わたくしは戦えませんわ」

 

「歩けます。書板も持てます。後ろも見られます」

 

「追手は?」

 

「僕が止めます」

 

「アルマニア」

 

 ミレナの声が低くなった。

 

「私を治すなら、私が後ろへ立つよ。アルより、槍の扱いにも野外にも慣れてる」

 

「だから、前をお願いします」

 

「道なら、アルにも読めるでしょう?」

 

「少しは。でも、三本の中から今一番確かな道を選べるのは、ミレナ姉さんです」

 

 アルマニアは、ミレナの左脚を縛る赤い帯へ手をかけた。

 

「姉さんの代わりに、僕が完璧な野伏になる必要はありません。僕は、姉さんが道を見る間だけ後ろをつなぎます」

 

 結び目を解く。

 

 今日一度だけの治癒が、使われた。

 

 ミレナは自由になった左脚を見下ろしていた。

 

 すぐには何も言わない。

 

「位置へ」

 

 神官戦士の声が飛んだ。

 

 最初の鐘が、演習林へ響いた。

 

     ◇

 

 先頭はミレナ。

 

 中央は、書板を持ったシャーナシア。

 

 最後尾はアルマニア。

 

 ギンとニンは木々の上を飛んでいた。

 

 二羽の目を借りれば、追手の位置を早く知ることができる。

 

 しかし、枝葉の下にある獣道の固さも、雨のあとに崩れやすくなった斜面も、上空から見ただけでは分からない。

 

 ミレナは足元へ目を配り、迷わず西の道を外れた。

 

「そちらは、南門から離れますわ」

 

 シャーナシアが言う。

 

「西の道は広すぎる。追手も走れるよ」

 

「東は?」

 

「昨日の雨で沢が増えてる。渡る場所を探す間に追いつかれる」

 

「なら、この道は?」

 

「古い炭焼き道。少し遠回りだけど、途中から尾根へ上がれる」

 

 説明しながらも、ミレナの足は止まらない。

 

 自分より優れた者が、いま役目を果たしている。

 

 ならば、自分が見るべきものは別にある。

 

 二つ目の鐘が鳴った。

 

「来ます」

 

 ギンの目に、木々の間を走る人影が映った。

 

 ニンの目には、前を行く二人の背中が見えている。

 

 異なる二つの景色が、同時に頭へ流れ込む。

 

 アルマニアは追手の位置だけを確かめ、二羽との感覚を浅くした。

 

 これから杖を使う。

 

 二つの空を見ながら、一つの身体で戦うことはできない。

 

「あと、どれくらいです?」

 

「尾根まで百歩」

 

「殿下、前を」

 

「あなたの背後を見てあげようと思いましたのに」

 

「前を見て、ミレナ姉さんへ危険を伝えてください。後ろは僕が見ます」

 

「命令するようになりましたわね」

 

「実習中です」

 

「よろしい。ミレナ、右の根が浮いています!」

 

「見えてるよ」

 

「なら、返事をなさい!」

 

「はいはい」

 

 枝を踏み折る音が、すぐ後ろで響いた。

 

 アルマニアは振り向き、メイジスタッフを横へ構える。

 

 神官戦士が、丸盾を前へ出して迫っていた。

 

 鎖帷子を着ているとは思えない速さだった。

 

「追いついたぞ」

 

「二人とも、止まらないで!」

 

 アルマニアは杖の先を男の胸元へ向けた。

 

 勝つ必要はない。

 

 一撃を当てる必要もない。

 

 こちらへ入れば杖が当たると示し、踏み込む前に止まらせる。

 

 神官戦士の剣が、杖の先を払った。

 

 アルマニアは逆らわず、半歩下がる。

 

 追手も半歩進む。

 

 もう一度、杖を間へ差し入れる。

 

 剣が上から落ちてきた。

 

 杖の中央で受ける。

 

 腕ではなく、腰と足で衝撃を逃がす。

 

 神官戦士の剣が消えた。

 

 盾が前へ出る。

 

 押し込まれる。

 

 アルマニアは杖を盾へ当てたまま、斜め後ろへ下がった。

 

 正面から押し返せないなら、押される方向を選ぶ。

 

 根をまたぎ、倒木の脇を抜ける。

 

「アル!」

 

 ミレナの声が、遠くから聞こえた。

 

 振り向かない。

 

「前を見てください!」

 

「でも——」

 

「ミレナ」

 

 普段の呼び方を捨てた。

 

「道を見るのは、あなたの役目です」

 

 返事がない。

 

 代わりに、シャーナシアの声が飛んだ。

 

「戻れば、治された意味がなくなりましてよ!」

 

「分かってる!」

 

 ミレナの足音が、再び遠ざかる。

 

 その音を聞き、アルマニアも下がった。

 

 剣を受ける。

 

 流す。

 

 間合いを作る。

 

 十歩下がる間に、肩へ一撃を受けた。

 

 次の十歩では、腿を打たれた。

 

 どちらも痛い。

 

 それでも、足は動く。

 

 杖も握れる。

 

「まだ、戦列に残るか」

 

 神官戦士が問う。

 

「残りません」

 

 アルマニアは即答した。

 

「僕の役目は、勝つことではありません」

 

 杖を大きく横へ振る。

 

 追手が一歩下がった。

 

 その隙に身体を返し、尾根へ向かって走る。

 

 前方に、赤い布が見えた。

 

 シャーナシアはすでに線を越え、左手で書板を掲げている。

 

 ミレナは線の手前に立っていた。

 

「戻ってきたら失敗でしょう」

 

 アルマニアが叫ぶ。

 

「戻ってない。ここで待ってるだけ!」

 

「同じです!」

 

「違うよ!」

 

 ミレナが一歩だけ前へ出る。

 

 その後ろ襟を、シャーナシアの左手がつかんだ。

 

「あなたまで線の内側へ入りなさい」

 

「アルが、まだ」

 

「自分の足で来ていますわ」

 

 ミレナが唇を噛んだ。

 

 アルマニアの後ろでは、神官戦士が再び距離を詰めている。

 

 あと六歩。

 

 五歩。

 

「左へ!」

 

 ミレナの声が飛んだ。

 

 アルマニアは考えるより先に左へ跳んだ。

 

 右側を、革巻きの剣が通り抜ける。

 

 着地。

 

 足がもつれる。

 

 転びかけた身体を杖で支え、そのまま二歩進む。

 

 赤い布を越えた。

 

「そこまで」

 

 神官戦士が剣を止める。

 

 アルマニアはすぐに振り向いた。

 

 追手が止まったことを確かめる。

 

 書板がある。シャーナシアも、ミレナも線の内側にいる。

 

「全員、帰還しました」

 

 息を切らしながら言う。

 

 ミレナが駆け寄ろうとした。

 

「先に書板を」

 

 アルマニアが止める。

 

「怪我を見せて」

 

「先に、任務の確認です」

 

「アルマニア」

 

 低い声だった。

 

 アルマニアは黙って両腕を上げた。

 

 ミレナが肩と腿を確かめる。

 

 革を巻いた剣で打たれた場所は痛むが、骨にも関節にも異常はなさそうだった。

 

「歩ける?」

 

「はい」

 

「めまいは?」

 

「ありません」

 

「吐き気は?」

 

「ありません」

 

「本当に?」

 

「姉さんが大丈夫と言う時よりは、信用できます」

 

 額を指で弾かれた。

 

「余計なことを覚えたね」

 

     ◇

 

 神官戦士は、三人を赤い布の前へ座らせた。

 

「なぜ、ミレナを選んだ」

 

「全員を動かすためです」

 

「野伏を優先して治せばよいということか」

 

「違います」

 

 アルマニアは首を横へ振った。

 

「今日の任務が、敵情を持ち帰ることだったからです。砦を守る任務なら、シャーナシアを立たせたかもしれません。道が一つしかなく、ミレナ姉さんを担いでも進めるなら、別の選び方もありました」

 

「ならば、決まりは?」

 

「誰を治せば、今の目的へ一番近づけるかを考えます」

 

「最も傷の深い者ではなく?」

 

「命に関わる傷なら、その人です。でも、二人の命にすぐ危険がないなら、傷だけを見て決めません」

 

「最も強い者でもなく?」

 

「強い人を立たせても、その場から動けなければ帰れません」

 

 神官戦士は頷き、シャーナシアへ目を向けた。

 

「異論は?」

 

「ありませんわ」

 

 シャーナシアは、ようやく右腕の帯を解いた。

 

「わたくしを治していれば、追手を倒せたとは思います。ですが、それは別の課題です。今日はアルマニアが正しい」

 

「ずいぶん素直ですね」

 

「勝敗をごまかすほど落ちぶれてはいません」

 

 次に、男はミレナを見る。

 

「お前は、なぜ自分を治すなと言った」

 

「私なら、怪我をしていても道を教えられるからです」

 

「それだけか」

 

 ミレナは答えなかった。

 

 アルマニアには分かっていた。

 

 自分が傷ついても、疲れても、年下より先に助けられることを嫌がる。

 

 頼れるお姉さんでいようとする時ほど、ミレナは自分を後回しにする。

 

「僕を、後ろへ立たせたくなかったんですよね」

 

「……アルなら、そう言うと思ったから」

 

「僕が言う前に、僕の役目まで決めないでください」

 

「心配するなっていう方が無理だよ」

 

「心配しても、前へ進んでくれました」

 

 ミレナが顔を上げる。

 

「途中で戻ろうとしましたけど」

 

「戻ってない。待ってただけ」

 

「赤い線の外で」

 

「足が少し出ただけだよ」

 

「三歩ほど出ていましたわ」

 

「殿下は、どちらの味方なんです?」

 

「正しい方です」

 

 シャーナシアが胸を張った。

 

 ミレナは頬を膨らませたが、やがて息を吐いた。

 

「分かった。次も前を見る」

 

「はい」

 

「でも、後ろから声がしなくなったら戻るからね」

 

「それは戻ってください」

 

「なら、ちゃんと返事をすること」

 

「分かりました」

 

「あと、実習中にミレナって呼ぶのはいいけど、終わったら姉さんへ戻すこと」

 

「そこは大事なんですか?」

 

「大事です」

 

 即答だった。

 

 神官戦士が、実習記録を開く。

 

 プリースト技能の欄へ書かれたのは、治癒魔法の成功ではなかった。

 

 全員が自分の足で動ける一人を選び、専門家の仕事を奪わず、自分は空いた最後尾をつないだことだった。

 

「今日は、覚えたまでですか?」

 

 アルマニアが尋ねる。

 

「そうだ」

 

「できたとは?」

 

「一度の正解で、戦場の負傷者を選べると思うな」

 

 グンヒルダと同じ答えだった。

 

 神官戦士は記録の最後へ、一行を書き加えた。

 

 誰を立たせるかは、何をして帰るかで決める。

 

 アルマニアは、その言葉を読み返した。

 

 隣では、ミレナが赤い帯をたたんでいる。

 

「帰ろう、アル」

 

「南門までが実習です」

 

「分かってるよ」

 

 ミレナは先に立ち、演習林を下り始めた。

 

 三歩進んだところで、振り返る。

 

 手は差し出さなかった。

 

「道は私が見る。後ろは任せてもいい?」

 

 アルマニアはメイジスタッフを握り、頷いた。

 

「任せてください」

 

 今度のミレナは、前を向いたまま歩き始めた。

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