魔法戦士養成学校の万能戦士   作:駄文亭

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第1話 双鴉の夢

 アルマニアは、夢の中でも眠っていた。

 

 こつん。

 

 こつん。

 

 硬い何かが、左右から交互に頭をつついている。

 

「……痛い」

 

 こつん。

 

「痛いです」

 

 こつん、こつん。

 

「痛いって言ってるでしょう!」

 

 頭を押さえて飛び起きる。

 

 目の前に、二羽の大鴉がいた。

 

 普通の鴉よりも二回りは大きな黒い鳥が、右と左からアルマニアを見下ろしている。羽は闇よりも黒く、その縁だけが青白く光っていた。

 

 足元には浅い水が広がっていた。

 

 けれど、波紋の下に底はない。星も月もない暗闇が、どこまでも沈んでいる。

 

 アルマニアは自分の身体を見下ろした。

 

 頬はこけ、腕は細い。救い出される直前の、暗い旧区画で衰弱しきった姿だった。

 

「ここは……」

 

「ようやく起きたか」

 

 右の大鴉が、錆びた鐘を鳴らすような声で言った。

 

「人の子は、よく眠る」

 

 左の大鴉が、澄んだ鐘のような声で続けた。

 

 二羽は大きく翼を広げ、揃って胸を張った。

 

「我が名は、運命の告知者、凶兆の大鴉アルケナが眷属、ギンギル」

 

「同じく、ニンギル」

 

「……どちらが、どちらですか?」

 

「我がギンギルだ」

 

「我がニンギルだ」

 

 二羽が同時に答えた。

 

 アルマニアには、やはり見分けがつかなかった。

 

「それで、そのギンギルとニンギルが、どうして僕の頭をつつくんです?」

 

「呼んでも起きぬからだ」

 

「なかなか起きぬので、少し面白くなった」

 

「面白がらないでください」

 

 抗議したところで、二羽とも悪びれた様子はない。

 

 右の大鴉が首を傾けた。

 

「さて、人の子アルマニアよ。よくぞ、かの泉を飲み干した」

 

「見事に一滴も残さなかった」

 

 アルマニアの脳裏に、二羽の鴉を刻んだ石の水盤が浮かんだ。

 

 あの暗闇で、自分の命をつないだ水だ。

 

「飲まなければ、死んでいました」

 

「責めてはおらぬ」

 

「泉とは、飲まれるためにある」

 

 二羽は左右から近づき、アルマニアの顔をのぞき込んだ。

 

「かの水は、人の歩んだ日々を、ただ過ぎ去った時間で終わらせぬためのもの」

 

「痛みも、失敗も、発見も、次の技へ結び直す。その働きを、ほんのわずか助ける魔法の水よ」

 

「飲めば飲むほど、学びを受け入れる余地が魂に生まれる」

 

「もっとも、普通は柄杓で一杯ほどを分け与えるものだがな」

 

「貴様は水盤ひとつ分を、きれいさっぱり空にした」

 

「だから、仕方なかったんです」

 

「分かっておる」

 

「少し言ってみたかっただけだ」

 

 どうにも調子のつかめない大鴉たちだった。

 

 だが、二羽の眼差しが急に鋭くなった。

 

「問題は、最後の一滴よ」

 

「あれは泉の水ではない」

 

「水と交わらず、満ちた水盤の底で眠り続ける、時の霊薬」

 

「泉を最後まで飲み干した者だけが口にできる、ただ一つの雫だ」

 

 アルマニアは、あの一滴を覚えていた。

 

 二羽の石像の嘴が向かい合う、その真下。

 

 水盤の底へ残っていた、かすかに光る雫。

 

「あれを飲んだから、僕に何か起きたんですか?」

 

「これより貴様は、一つの経験から、人の二倍を学び取る」

 

「同じ教えを受け、同じだけ鍛え、同じ失敗をしても、貴様の魂には二度刻まれる」

 

「剣も、魔法も、森を歩く術も、錠を解く指先も」

 

「歌も、祈りも、人の心を読む知恵もだ」

 

「……物事を」

 

 アルマニアは息をのんだ。

 

 魔法だけではない。

 

 これから自分が学ぼうとする、すべてのことに及ぶ。

 

 胸の奥で、消えかけていた火が揺れた。

 

「何もせず、技が身につくわけではないぞ」

 

 ギンギルらしい方が嘴を鳴らした。

 

「教えを請え。手を動かせ。失敗せよ。考え、もう一度試せ」

 

 ニンギルらしい方が翼を打った。

 

「歩まぬ者から、霊薬が学びを作り出すことはない」

 

「されど歩み続けるならば、貴様は常人の倍の速さで道を進める」

 

「一つの道へ専念すれば、若くして頭角を現し、名声を得られよう」

 

「魔術だけを選ぶなら、その頂へ至る日も遠くはあるまい」

 

「魔術の、頂……」

 

 夢にまで見た言葉だった。

 

 魔術師の家に生まれた。

 

 古代語を学び、精霊の声を聞き、戦神マイリーへ祈りを捧げた。

 

 異なる魔法のすべてを知りたかった。

 

 剣も、野山を生き抜く術も、遺跡の仕掛けを見抜く技も、歌も学びたかった。

 

 できることを増やせば、何が起きても困らない。

 

 誰かが困っているとき、必ず手を伸ばせる。

 

 そう信じていた。

 

 だが——。

 

「僕は、もう少しで諦めるところだった」

 

 二羽の大鴉が、同時に首を傾けた。

 

「暗い穴の底で、僕には何もできなかった」

 

 声が震えた。

 

 夢だと分かっていても、あの暗闇が足元から這い上がってくる。

 

「古代語魔法を知っていた。精霊にも呼びかけた。マイリーにも祈った。それでも扉は開かなかった」

 

 灯りは作れても、出口は作れなかった。

 

 傷を癒やせても、食べ物は作れなかった。

 

 勇気を奮い起こしても、崩れかけた石壁を安全に壊す方法は分からなかった。

 

「僕は自分が無力だと嘆くしかなかった。いくつもの魔法を学んでも、あそこから一人では出られなかった」

 

「無力だと?」

 

 二羽の声が重なった。

 

 黒い羽が逆立ち、足元の水面が大きく揺れる。

 

「魔術の深淵をのぞいてもおらぬ身で」

 

「我らが主の業を無力と呼ぶか」

 

「凶兆の大鴉……アルケナ?」

 

「運命と時間を司る神獣、アルケナ」

 

「神々の大戦さえ予見した、運命の告知者」

 

「人は吉報を運ぶ者を愛し、凶報を運ぶ者を嫌う」

 

「されど、告げられぬ災いは避けられぬ」

 

「凶兆を知って初めて、人は運命へ抗うことができる」

 

 二羽はアルマニアを挟み、ゆっくりと歩き始めた。

 

「我らが主は、神々さえ自在に扱えなかった時の流れを見つめ、その謎の一端を解き明かした」

 

「そして、古代王国と縁のなかった神獣の大陸クリスタニアへ、古代語魔法をもたらした」

 

「ゆえに影の民は、アルケナを魔法の祖とも仰ぐ」

 

「神ならぬ人が、言葉と意志によって神の真似事を行う。その可能性を、我らが主は時の彼方まで見通したのだ」

 

「なら、魔法は何でもできるんですか?」

 

「知らぬ」

 

 あまりにあっさりと答えられ、アルマニアは目を瞬いた。

 

「知らないんですか?」

 

「我らは従者であって、答えそのものではない」

 

「答えを知らぬからこそ、問いには価値がある」

 

 二羽は再び翼を広げた。

 

 黒い翼が空を覆う。

 

 星のない闇に、無数の青白い文字が浮かび上がった。

 

「ならば試せ、アルマニア」

 

「己が身をもって、魔法は万能たり得るのかを」

 

「魔法で足りぬものがあるならば、何をもって補うのかを」

 

「そして示せ」

 

「限りある人の身に、どれほど無限の可能性が宿るのかを!」

 

 二羽が同時に羽ばたいた。

 

 暴風が巻き起こり、アルマニアは腕で顔を覆った。

 

「待ってください! どうやって試せばいいんです?」

 

「それを考えるのが貴様だ」

 

「我らは言いたいことを言い終えた」

 

「そんな無責任な!」

 

「さらばだ、泉を空にした子よ」

 

「次に会うときまで、せいぜい励め」

 

 大鴉たちは、本当に言いたいことだけを言って飛び去った。

 

 二羽の姿が闇へ溶ける。

 

 最後に、どちらかの嘴がもう一度だけアルマニアの頭をつついた。

 

「痛っ!」

 

 アルマニアは寝台の上で飛び起きた。

 

 いや、飛び起きようとして、わずかに頭を持ち上げただけで枕へ沈んだ。

 

 見慣れない白い天井がある。

 

 煮沸した布と薬草の匂いがした。

 

 窓から差し込む朝の光が、ひどく眩しい。

 

 賢者の学院分校にある治療室だった。

 

 寝台の横では、ミレナが椅子へ座ったまま眠っていた。

 

 アルマニアの片手を両手で握り、額を寝台の端へ預けている。

 

 その髪を見た途端、夢の中では遠ざかっていた記憶が戻った。

 

 崩れた壁。

 

 差し込んだ光。

 

 自分を抱き起こした腕。

 

「……ミレナ姉さん」

 

 かすれた声に、長い耳がぴくりと動いた。

 

 ミレナが顔を上げる。

 

 眠気の残っていた瞳が大きく見開かれた。

 

「アル……?」

 

「おはようございます」

 

「おはようじゃない!」

 

 抱きしめられた。

 

 アルマニアの身体が折れないよう、力を抑えた抱擁だった。

 

「心配したんだから……本当に、もう目を覚まさないかと思ったんだからね」

 

「ごめんなさい」

 

「謝るのは後。話すのも後。今は水を飲んで、食べて、眠ること」

 

「でも僕、変な夢を——」

 

「後」

 

 有無を言わせぬ声だった。

 

 ミレナは片手で涙を拭い、卓上の小さな鐘を鳴らした。

 

 その向こう、開け放たれた窓の縁に、二羽の鴉が留まっていた。

 

 二羽は揃ってアルマニアを見つめている。

 

 片方が一度、嘴を鳴らした。

 

 もう片方が、いかにも偉そうに胸を張った。

 

「……ギンギルと、ニンギル?」

 

「何か言った?」

 

「いえ。どっちがどっちか、分からないなと思って」

 

「まだ夢を見てるの?」

 

 ミレナが振り返るより早く、二羽は翼を広げた。

 

 朝の空へ飛び立ち、王都オーファンの屋根の向こうへ消えていく。

 

 治療室へ運ばれてきた薄い粥を前に、アルマニアは匙を握った。

 

 魔法は万能なのか。

 

 人は、どこまで多くのことを学べるのか。

 

 答えは、まだ分からない。

 

 ただ一つ、分かることがあった。

 

 何もせずに得られるものはない。

 

 そして、どれほど多くの道を歩めるとしても、今この瞬間に選べることは一つだけだ。

 

「まずは、食べます」

 

「うん。それが今の正解」

 

 アルマニアは、温かな粥を一口ずつ飲み込んだ。

 

 それが双鴉の祝福を受けた少年の、最初の選択だった。

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