魔法戦士養成学校の万能戦士   作:駄文亭

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第19話 戻り方

 翌朝、アルマニアとグンヒルダの席には、二人の名前を記した木片だけが残されていた。

 

 本人たちは、講義室にいない。

 

 戦神マイリーの神殿にある施療院へ呼び出されていた。

 

 白い漆喰の壁に、薬草と煮沸した布の匂いが染みついている。

 

 長椅子には腕を吊った兵士や、頭へ包帯を巻いた職人が並び、神官たちが傷の具合を確かめていた。

 

 治癒の祈りを受けた者も、まだ順番を待っている者もいる。

 

 傷が塞がれば、その場で元の生活へ戻れるわけではないらしい。

 

 グンヒルダは、その列から少し離れた診察台へ座っていた。

 

 右肩を固定していた布は、もうない。

 

 膝の上には、使い慣れた工具袋が置かれている。

 

「持ってきたんですか?」

 

「今日は実地だって聞いたからね」

 

「神殿で、何を削るつもりです?」

 

「あたしの手が戻ったか、確かめるのさ」

 

 グンヒルダは工具袋の口を開いた。

 

 小槌、たがね、やすり、拡大鏡。

 

 ひと月分の仕事を始められそうな道具が、隙間なく収まっている。

 

「誰が、戻ってよいと言ったんです?」

 

「今から言わせる」

 

「誰に?」

 

「あんたに」

 

 アルマニアは、嫌な予感がして振り向いた。

 

 昨日の神官戦士が、診察室の入口に立っている。

 

 鎖帷子も剣もなく、今日も白い上衣とマイリーの聖印だけを身につけていた。

 

 その手には、二人の名前を書いた木片がある。

 

「本日の課題だ」

 

 木片が裏返される。

 

 そこには、短い一行が加えられていた。

 

 グンヒルダを、工房へ戻せるか。

 

「戻せます」

 

 本人が即答した。

 

「まだ、何も見ていません」

 

「痛みはない。指も動く。工具も持てる」

 

「昨日は、長く使わないよう言われていました」

 

「昨日の話だよ」

 

「一晩で、そこまで変わります?」

 

「だから確かめるんだろ」

 

 グンヒルダは診察台から下り、右腕を肩の高さまで上げた。

 

 動きに迷いはない。

 

 指を開き、握る。

 

 目に見える震えもなかった。

 

「ほら」

 

「一度、動きました」

 

「誰の口癖を真似してるんだい」

 

「一度できたことと、任せられることは違うそうです」

 

「使いどころが腹立たしいね」

 

 神官戦士が木片をアルマニアへ渡した。

 

「昨日、紙の上にいた兵士は、傷を治して門へ戻ることを望んだ。お前は、元の場所へ戻す必要はないと答えたな」

 

「はい」

 

「今日は、本人が目の前にいる。言葉だけで同じ答えを出せるか、確かめろ」

 

「あたしは門番じゃないよ」

 

「違いはあるか」

 

「山ほどあるね」

 

「ならば、それも二人で確かめろ」

 

 グンヒルダの工具袋が、アルマニアへ押しつけられた。

 

「工房まで持て」

 

「自分で持てるでしょう?」

 

「復帰できるか確かめる前に持たせて、悪くなったら、あんたの失敗だ」

 

「持てないなら、復帰できないのでは?」

 

「あたしが持てないんじゃない。あんたが持たせられないんだよ」

 

 アルマニアは答えに詰まり、工具袋を抱えた。

 

 神官戦士が小さく笑う。

 

「二人とも、よく起きているようだな」

 

     ◇

 

 学院へ道具を納めている宝石工房は、神殿から歩いて半刻ほどの場所にあった。

 

 石造りの一階には作業台が並び、天窓から差す光が、研磨粉の舞う空気を白く見せている。

 

 壁際では、足踏み式の研磨盤が止まっていた。

 

 水桶の隣には、切削途中の水晶や、金属の台座、欠けた留め具が収められた木箱が積まれている。

 

 グンヒルダの作業台だけが、何日も前の姿で残されていた。

 

 途中まで磨かれた水晶。

 

 細い銅の輪。

 

 赤い蝋で印をつけた、ひびのある原石。

 

 誰かが勝手に続きを仕上げないよう、布がかけられている。

 

「触られていませんね」

 

「あたしの仕事だからね」

 

 グンヒルダは少しだけ嬉しそうに言い、布を外した。

 

 その手が、作業台の上へ伸びる。

 

「待ってください」

 

 アルマニアは工具袋を抱えたまま、手首をつかんだ。

 

「何だい」

 

「何から確かめるつもりです?」

 

「仕事ができるか」

 

「それでは、失敗した時に仕事を壊します」

 

 作業台にある水晶は、練習用の石ではない。

 

 学院の魔術師が発動体へ使うため、工房へ持ち込んだものもある。

 

 手が滑れば、石だけではなく、依頼人の財産と信用まで損なう。

 

「練習台は?」

 

「棚の下」

 

 アルマニアがしゃがむと、欠けた色硝子を入れた箱があった。

 

 宝石として売ることはできない。

 

 工具の扱いや、石留めの練習に使うものらしい。

 

 アルマニアは、その中から親指の爪ほどの青い硝子を一つ選んだ。

 

「これを、銅の輪へ入れてください」

 

「子供の練習かい?」

 

「十四歳に診られているのですから、諦めてください」

 

「そこは関係ないだろ」

 

 グンヒルダは椅子へ座り、右手で小さなやっとこを持った。

 

 硝子をつまむ。

 

 銅の輪へ載せる。

 

 四つある爪を、小槌で順に倒す。

 

 乾いた音が四度響いた。

 

 硝子は傾かず、爪にも傷がない。

 

「どうだい」

 

「できました」

 

「なら、戻れるね」

 

「もう一つお願いします」

 

「見てただろ」

 

「一日働けば、四度しか槌を振らないんですか?」

 

 グンヒルダの琥珀色の目が細くなる。

 

 アルマニアは、同じ大きさの硝子と銅の輪を並べた。

 

 二つ目。

 

 これも、問題なく収まった。

 

 三つ目。

 

 小槌の音が、わずかにずれた。

 

 四つ目。

 

 やっとこの先が硝子の縁を擦った。

 

 傷はつかなかった。

 

 だが、グンヒルダの右手が止まる。

 

「続けますか?」

 

「当たり前だよ」

 

「指が震えています」

 

「このくらい、仕事をしていれば誰だって——」

 

「普段のグンヒルダも?」

 

 返事がなかった。

 

 右手の震えを隠すように、グンヒルダは小槌を強く握った。

 

 五つ目の硝子をつまむ。

 

 やっとこが、細かく揺れる。

 

 銅の輪へ載せる前に、硝子が落ちた。

 

 革を敷いた作業台へ当たり、鈍い音を立てる。

 

 割れてはいない。

 

「練習台です」

 

 アルマニアは言った。

 

「本物なら?」

 

「落としてない」

 

「いま落としました」

 

「本物なら、もっと集中する」

 

「集中し続けられますか?」

 

「できる」

 

「何刻?」

 

「やってみなけりゃ分からない」

 

「分からない状態で、誰の石を使うんです?」

 

 グンヒルダの右手から、小槌が作業台へ置かれた。

 

 投げつけなかっただけ、まだ冷静なのだろう。

 

「治せばいい」

 

「何をです?」

 

「この震えを」

 

「治癒の祈りは、残っている傷を癒やします。使いすぎた手を、いくらでも働ける手へ変えるものではありません」

 

「やってみなけりゃ分からないだろ」

 

「そのために神へ願うんですか?」

 

 アルマニアは、胸元へ手を置いた。

 

 聖印はない。

 

 神聖魔法には、発動体も身振りも必要ない。

 

 この場で神聖語を唱えれば、祈りを捧げることはできる。

 

 何のために願うのか。

 

 昨日、黒板へ書かれた問いが浮かんだ。

 

 グンヒルダの傷を癒やすため。

 

 違う。

 

 いま目の前に、新しい傷はない。

 

 痛みを消し、震えを押さえ、仕事へ戻すため。

 

 それは、休むべき身体をもう一度働かせるために、神の力を求める願いだった。

 

「僕は、祈りません」

 

「プリーストだろ」

 

「だからです」

 

「あたしが戻りたいと言ってる」

 

「昨日の兵士も、門へ戻りたいと言っていました」

 

「あたしの工房だよ。あたしの仕事だ」

 

「だから、壊させたくありません」

 

 琥珀色の目が、アルマニアをにらむ。

 

「あたしの手が治ってないって言いたいのかい?」

 

「治っている途中です」

 

「同じだよ」

 

「違います。戻れないのではありません」

 

 アルマニアは、作業台へ置かれた小槌を取り上げた。

 

 自分の手で持ってみる。

 

 重くはない。

 

 だが、どの角度で振り、どれほどの力で爪を倒せば石を傷つけないのか分からない。

 

「僕が代わりに打てば、たぶん壊します」

 

「たぶんじゃない。確実に傷をつけるね」

 

「では、誰かが代わりに仕上げれば?」

 

「石の癖を見ていない。どこまで削ったかも、次にどの面を出すつもりだったかも知らない」

 

「グンヒルダなら分かります?」

 

「あたしの仕事だよ」

 

「右手を使わなくても?」

 

 グンヒルダの目が、作業台へ向いた。

 

 赤い蝋で印をつけた水晶。

 

 途中まで倒された台座の爪。

 

 研磨盤の横へ並べられた三本のやすり。

 

 彼女は、左手で一つずつ指した。

 

「その水晶は、印の内側に細いひびがある。先に角を落とせば割れる。平らな面を出してから、最後にそこを避けて削る」

 

「はい」

 

「台座は右の爪が薄い。次に倒すのは左じゃない。奥を先に締める」

 

「はい」

 

「やすりは真ん中を使うな。目が潰れてる。右の細い方で形を整えてから、左で仕上げる」

 

 アルマニアは紙を取り出し、言われた順に書き留めた。

 

「これなら、別の職人へ渡せます」

 

「あたしが仕上げるはずだった」

 

「最後の仕上げは、グンヒルダが戻るまで待てますか?」

 

「納期がある」

 

「全部、今日ですか?」

 

「違う」

 

「待てないものだけ、誰かにつないでください。待てるものには、触るなと書きます」

 

 橋を完全に直せなくても、専門家が戻るまで通行をつなぐことはできた。

 

 仕事を奪うのではない。

 

 途切れさせない。

 

 そして、今のグンヒルダにもできる仕事がある。

 

「石を見ることは?」

 

「できる」

 

「どれくらいなら?」

 

「一日中だって」

 

「右手は使いません」

 

「拡大鏡くらい持てるよ」

 

「台へ固定します」

 

「そこまでしなくても」

 

「何刻?」

 

「……一刻」

 

「半刻ごとに休みます」

 

「短い」

 

「では、今日は戻しません」

 

「分かったよ。半刻だ」

 

 グンヒルダは不満そうに言い、作業台の上へ残った硝子を左手で集めた。

 

 右手は使わない。

 

 代わりに、アルマニアが拡大鏡の台を運び、角度を合わせる。

 

 グンヒルダが石を見る。

 

 ひび、欠け、削る順番を伝える。

 

 アルマニアが書く。

 

 自分では判断できない箇所が出るたび、聞き直す。

 

「だいたい、こうですか?」

 

 三つ編みが飛んできた。

 

「だいたいで、他人へ渡すんじゃないよ」

 

「起きていますね」

 

「仕事だからね」

 

「では、正確にお願いします」

 

 半刻で、六つの仕事が仕分けられた。

 

 すぐ別の職人へ渡すものが二つ。

 

 グンヒルダの手が戻るまで待つものが三つ。

 

 傷が深く、加工そのものを中止すべきものが一つ。

 

 小槌は一度も振らなかった。

 

 それでも、止まっていた仕事は動き始めていた。

 

     ◇

 

 神官戦士は、半刻が終わる頃に工房へ来た。

 

 作業台の前には、六枚の札が並んでいる。

 

 グンヒルダは椅子へ座ったまま、右手を膝の上へ置いていた。

 

「判定を聞こう」

 

「元の仕事へは、まだ戻せません」

 

 アルマニアは答えた。

 

「小槌とやっとこを使う細工は、五つ続きませんでした。長柄戦槌も、工具袋も持たせません」

 

「ならば、工房へ戻すのは失敗か」

 

「いいえ」

 

 六枚の札を示す。

 

「石の検品と、工程の指示なら任せられます。半刻ごとに休み、右手を使わず、書き手と運び手をつけます」

 

「ずいぶん条件が多いね」

 

 グンヒルダが言った。

 

「一つでも守らなければ、神殿へ戻します」

 

「誰が見張るんだい?」

 

「午前は僕です」

 

「午後は?」

 

「休みです」

 

「勝手に決めるな」

 

「診る者がいません」

 

「一人で休めるよ」

 

「では、自分で右手を使わないと約束してください」

 

「信用がないね」

 

「小槌を握って、治せと言った人です」

 

 グンヒルダは口を閉じた。

 

 神官戦士が、六枚の札を一枚ずつ読んでいく。

 

「戻すか、戻さないか。その二つから選ばなかった理由は?」

 

「傷を負う前と同じ場所へ、同じ役目で戻る必要がないからです」

 

「本人が望んでも?」

 

「戻りたいという願いは聞きます。でも、できるか、任せられるかは別に確かめます」

 

「治癒を願わなかった理由は?」

 

 アルマニアは、隣に座るグンヒルダを見た。

 

 治癒の祈りを使えば、痛みが和らぐかもしれない。

 

 震えも、一時は止まるかもしれない。

 

 だが、それで明日も働けるとは限らない。

 

「奇跡が必要な傷を見つけられなかったからです」

 

「本人は求めた」

 

「僕は、グンヒルダを働かせるために、マイリーへ力を願えません」

 

「神が、そう望まぬと断言するのか」

 

「いいえ」

 

 アルマニアは首を横へ振った。

 

「僕が、その願いを正しいものとして差し出せません。休ませるべき手だと分かっているのに、使えるようにしてほしいとは願えません」

 

 神官戦士は、すぐには答えなかった。

 

 グンヒルダも、何も言わない。

 

 研磨盤の水滴が、石の受け皿へ落ちる音だけが続いた。

 

「よい」

 

 神官戦士は、ようやく言った。

 

「祈らないことも、術者の判断だ。ただし、恐れて力を惜しむことと混同するな。必要な傷を前にした時は、迷わず願え」

 

「はい」

 

「グンヒルダ」

 

「何だい」

 

「判定に異論は?」

 

「あるよ。半刻は短すぎる」

 

「そこだけか」

 

 グンヒルダは右手を見た。

 

 五つ目の硝子を落とした手。

 

 それから、六枚の札へ目を移す。

 

「……仕事へ戻れないわけじゃない。それは、認める」

 

「アルマニアへ、任せられるか」

 

「石を触らせなければね」

 

「触りません」

 

「あたしの言ったとおり、一字も落とさず書くこと」

 

「字が細かくても、文句を言わないでください」

 

「読む者のことを考えな」

 

「では、二人で書きます?」

 

「右手は使わせないんだろ」

 

「左手があります」

 

「仕上がりが悪くなる」

 

「読めれば十分です」

 

 二人の言い争いを聞きながら、神官戦士は実習記録を開いた。

 

 昨日まで、プリースト技能の欄には新しい段階がなかった。

 

 今日は、アルマニアが一度も奇跡を使わなかった日に、その一行が加えられた。

 

 プリースト、二レベル。

 

「祈っていませんよ」

 

「祈りの数を数える技能ではない」

 

「新しい奇跡を使えたわけでも」

 

「覚えるのは、これからだ」

 

 神官戦士は記録を閉じた。

 

「今日は、神へ何を願わないかを、自分で選んだ。次は、願うべき時に選べるか確かめる」

 

 アルマニアは、グンヒルダの工具袋を持ち上げた。

 

「神殿へ戻りますよ」

 

「工房へ戻してくれたんじゃなかったのかい?」

 

「半刻、終わりました」

 

「もう少しくらい」

 

「約束です」

 

「相棒に融通がない」

 

「相棒が、約束を守らないからです」

 

 グンヒルダは椅子から立ち、作業台へ布をかけた。

 

 右手ではなく、左手を使って。

 

「次は、あんたが祈る番だってさ」

 

「必要なら祈ります」

 

「必要じゃなければ?」

 

「別のことをします」

 

「何を?」

 

 アルマニアは、六枚の札が置かれた作業台を見た。

 

 治す。

 

 休ませる。

 

 元の場所へ戻す。

 

 選べるのは、その三つだけではない。

 

「その人が、今できる仕事を探します」

 

「見つからなければ?」

 

「戻れるまで、つなぎます」

 

 グンヒルダは、少しだけ笑った。

 

「なら、ちゃんと持ちな」

 

 工具袋の革紐が、アルマニアの肩へかけられる。

 

「あたしが戻るまで、落とすんじゃないよ」

 

「重いんですよ、これ」

 

「仕事は重いものさ」

 

 二人は並んで工房を出た。

 

 ギンとニンが、朝から待っていたように屋根から舞い降りる。

 

 一羽はアルマニアの肩へ。

 

 もう一羽は、空いているグンヒルダの左肩へ止まった。

 

 右肩には、まだ誰も乗らなかった。

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