翌朝、王都ファンの南門には、鉄帯の木箱と三つの麻袋を積んだ手車が置かれていた。
木箱には、赤い塗料でマイリーの聖印が描かれている。
「中身は砂だ。ただし、落とせば必要な薬を失ったものとして失格にする」
鎖帷子姿の神官戦士が説明する横で、グンヒルダは固定の外れた右腕を回していた。長柄戦槌まで持ってきている。
「今日は使えるよ」
「持てることと、振れることは違います」
「誰の口癖だい」
「相棒のです」
神官戦士が二本の赤い帯を投げた。
「昨日、負傷者はお前たちだと言ったな。アルマニアは左腕、グンヒルダは右腕を失ったものとして扱え」
長柄戦槌は詰所へ預けられ、二人の腕が身体へ固定される。
アルマニアは、メイジスタッフを右手だけで持った。支えにはできるが、両手で受けることも、古代語魔法の印を結ぶこともできない。
「帯は偽の傷だ。治癒を願うな」
「分かっています」
そこへミレナとシャーナシアが現れた。
ミレナは槍と深緑の外套。シャーナシアはバスタードソードと、水晶の指輪を身につけている。
「四人で、この手車を南の旧見張り所から護送しろ。荷を失わず、全員が南門を通れば成功だ」
「襲撃役は?」
シャーナシアが楽しそうに聞く。
「上級生が三人。手車の赤い札を奪いに来る」
「三人だけですの?」
「倒すことが課題ではない」
「全員を倒して帰ればよいのでしょう?」
「違う」
神官戦士はアルマニアを見た。
「お前が順番を決めろ」
「僕が全部を?」
「誰を立たせ、誰へ仕事を預けるかをだ。全部を自分でやれとは言っていない」
◇
半刻後、手車は南の旧見張り所へ下ろされた。
荷は大人一人ほど重く、赤い札は荷台の後ろに結ばれている。
神官戦士が林へ消え、鳥の声を真似た合図が二度響いた。
「では、わたくしが後ろを押さえます」
シャーナシアが剣へ手をかける。
「私は道を見るね」
「あたしは手車だ。車輪と荷が壊れたら、門まで着かない」
三人の視線が、アルマニアへ集まった。
古代語魔法と精霊魔法は、片腕を縛られて使えない。神聖魔法は使えても、治す傷は存在しない。
だが、三人にはアルマニアより上手にできる仕事がある。
「ミレナ。手車が通れて、追手に囲まれにくい道を選んでください」
「うん」
「グンヒルダ。出る前に、手車を任せます」
「任されたよ」
「シャーナシアは、まだ後ろへ固定しません」
「どういう意味ですの?」
「後ろから来るとは限りません。前を塞がれた時、突破できるのはシャーナシアです」
「つまり、最も危険な場所へわたくしを置くと」
「必要な時に、一番危険な場所を任せます」
「よろしいでしょう」
「アルは?」
ミレナが聞いた。
「僕は、空いた場所を見ます」
「また全部見るつもり?」
「全部の仕事はしません。誰の仕事が途切れたかを見ます」
ギンとニンが飛び立ち、一羽は前、一羽は後ろへ回った。
「二人にも、前と後ろを見てもらいます」
「その目を借りながら、手車を引こうとするんじゃないよ」
「右手が空いています」
「身体は一つだろ」
「分かりました」
「なら、覚えたまでは認めるよ」
四人は旧見張り所を出た。
◇
街道へ出ず、ミレナは林の下を通る古い炭焼き道を選んだ。
遠回りだが傾斜は緩く、手車の車輪が沈む泥も少ない。シャーナシアが前、ミレナとグンヒルダが荷台の左右、アルマニアが後ろについた。
「右の車輪が鳴いてる」
全員が止まる。
「軸留めが少し緩い。今なら締め直せる」
「押さえる者と締める者が必要だ」
「シャーナシア。車体を持ち上げてください」
「わたくしに修理を?」
「持ち上げるだけです。直すのはグンヒルダです」
「なら結構」
シャーナシアが引き手をつかみ、車体をわずかに浮かせた。
グンヒルダは左手だけで木栓を抜き、向きを変えて打ち直す。
ミレナは二人の外側へ立ち、槍を構えた。
アルマニアがギンの目を借りると、林の先を革巻きの槍が横切った。
「前から一人!」
アルマニアが声を上げる。
同時に背後の藪が揺れ、短槍を持った二人が手車へ走ってくる。
「前は、わたくしが開きます」
シャーナシアが車体を下ろし、剣を抜いた。
「ミレナ、後ろを止めてください。グンヒルダは修理を続けて」
「アルは?」
「赤い札を守ります」
ミレナが一人を槍で止める。回り込んだもう一人と赤い札の間へ、アルマニアは右手だけで杖を差し入れた。
短槍の柄を受け、右手が痺れる。
倒す必要はない。木栓が入るまで守ればよい。
「締まったよ!」
グンヒルダが立ち上がる。
その左手へ、追手の短槍が触れた。
「グンヒルダ、左腕!」
グンヒルダは、すぐに左腕も身体の脇へ下ろした。
「修理は?」
「終わってる。あたしは歩けるし、目も口も使えるよ」
「動けます!」
アルマニアが叫んだ。
前方では、シャーナシアが追手の槍を剣で巻き上げていた。胴は開いたが、踏み込まない。
「道は開きましたわ!」
彼女は追手の横を抜け、手車の前へ戻った。
勝てる相手を倒すより、開けた道を全員で通ることを選んでいた。
ミレナが引き手を取り、四人は再び動き始めた。
◇
炭焼き道は、手車一台分の幅しかない涸れ沢へ下りた。
「ここを抜ければ、南門まで開けた草地です」
ミレナが言った。
「追手も、横からは入れません」
「前を塞がれたら?」
「引き返せない」
「では、先を見ます」
ギンの目を借りると、沢の出口に二人、後ろに一人。三人に挟まれていた。
「前に二人。後ろに一人です」
シャーナシアが笑った。
「足止めだけでお願いします」
「分かっています」
「わたくしが突破口を開きます」
「アルマニア、残りをつなぎなさい」
「任せました」
シャーナシアは交差した二本の槍へ走った。一人目の穂先を剣で押し上げ、その下へ肩から踏み込む。返した剣で二人目の柄を払い、道の中央へ一人分の隙間を開けた。
「今ですわ!」
ミレナが手車を引く。
グンヒルダは車輪の横を歩き、沢の石へ乗り上げないよう声をかける。
「右へ半歩! 次は左の平たい石だ!」
アルマニアは後ろへ向け、メイジスタッフを構えた。
後ろの追手が迫る。二つの景色を同時に借りれば、自分の足元が消える。
アルマニアは自分の目で一人だけを見て、短槍と赤い札の間へ入った。
「後ろ、通ります!」
ミレナの声。
手車の後輪が、アルマニアの横を抜ける。
次の瞬間、追手の槍先がミレナの左脚へ触れた。
「ミレナ、脚だ!」
ミレナは、その場で左膝をついた。
「アル、先へ」
「置いていきません」
「分かってる。先に手車を隙間へ通して」
開いた道は長く保たない。アルマニアはミレナへ肩を貸す前に、手車を隙間へ押し込んだ。
「グンヒルダ、荷は動かせますか?」
「木箱を前へ。麻袋を左右へ寄せれば、一人座れる」
「シャーナシア! あと十息だけ!」
「五息で済ませなさい!」
グンヒルダの指示で、ミレナは膝をついたまま木箱を押し、アルマニアは右手だけで麻袋を引いた。
「一度に引くな! 右を動かしたら、次は左だ!」
「はい!」
「抜けたら右。草地へ真っすぐ出ないで、土手沿いを進んで。少し遠いけど、手車が傾かない」
「分かりました」
「道は、まだ私が見られる」
「任せます」
荷台の中央が空く。両腕を使えないグンヒルダは肩を差し入れ、アルマニアは右腕と背中を使って、ミレナを荷台へ座らせた。
シャーナシアが追手の槍を大きく弾いた。
「終わりまして?」
「終わりました!」
「なら、通りますわよ!」
彼女は追手の間を抜け、ミレナと荷を載せた手車を引いた。
役目が欠けた分、隊列を並べ直す。
道を見るミレナは、荷台の上。
壊れ方を見るグンヒルダは、車輪の横。
突破するシャーナシアは、手車の前。
空いた後ろへ、アルマニアが入る。
誰かの代わりになったのではない。
残った穴を、一つだけ埋めた。
◇
沢を抜けると、王都の南壁が見えた。
土手沿いの固い地面を、シャーナシアが手車を引いて上る。
「右の車輪、まだ持つよ」
グンヒルダが言う。
「ただし、門まで止まるな。止めて動かす時が、一番、軸へ負担がかかる」
「では、このまま行きます」
追手三人も沢から出て、距離を縮めていた。
シャーナシアが振り向く。
「わたくしが戻ります」
「そのまま引いてください!」
「あなた一人では三人を止められませんわ」
「止めません。遅らせます」
「大馬鹿者!」
「ミレナと荷を門へ! 僕も必ず戻ります!」
「殿下、前へ!」
「ですが——」
「アルマニアは、後ろを預かると言いました!」
「任せな! あいつは、あたしたちが戻るまでつなぐ役だ!」
シャーナシアは唇を噛み、それでも手車から手を離さなかった。
「必ず戻りなさい、アルマニア!」
「はい!」
古代語魔法も精霊魔法も使えず、治癒を願う傷も、歌うべき歌もない。
選択肢が少ないからこそ、アルマニアは迷わなかった。
先頭の短槍を杖の石突きで跳ねる。ニンの声に従って一歩下がると、横から来た穂先が外套をかすめた。
三人目が、手車を追おうとした。
杖を足元へ置き、飛び越えさせる。一歩遅れれば、それでよい。
杖を越えた追手の顔の前を、ギンが横切った。
「ギン、戻って!」
攻撃ではない。翼で一瞬だけ視界を塞ぎ、アルマニアも一歩ずつ門へ下がる。
右の脇腹へ、短槍の布が当たった。
「脇腹、負傷!」
深手として扱い、アルマニアは脇腹を押さえて歩幅を狭めた。
手車の車輪が、南門の敷石へ乗った。
「三人と手車、門内です!」
追手の槍が背後から伸びる。
ギンとニンが同時に鳴いた。
二人が知らせた方向へ身体をずらし、最後の一歩を踏み出す。
革靴が、南門の敷石を踏んだ。
「終了!」
三本の短槍が止まった。
外套の赤は、昨日落ちなかった血と違い、洗えば消える偽物の傷だった。
それでも、門の内側には四人と一台が揃っていた。
◇
神官戦士は木箱の留め具と麻袋を確かめた。赤い札も残っている。
「なぜ、シャーナシアを最初から最後尾へ置かなかった」
「後ろに敵がいない時まで、突破役を後ろへ縛る必要はないからです」
「なぜ、手車を自分で直さなかった」
「直せません。グンヒルダが壊れ方を知っていました」
「グンヒルダは両腕を失った」
「手が使えなくても、知識まで失ったわけではありません」
「なぜ、負傷したミレナも、荷も置かなかった」
「グンヒルダが、荷を残したまま一人乗せられる配置を示したからです」
「なぜ、自分の傷へ祈らなかった」
「傷は偽物です」
「では、本物なら?」
「待てない傷なら、すぐ願います。待てるなら、門を通ってからです」
「最後に、お前は何をした」
アルマニアは、手車の周りに揃った三人を見た。
「順番を決めました」
「何の順番だ」
「誰の仕事を、いつ使うかです」
「それだけか」
「最後に空いた場所だけ、僕が入りました」
神官戦士が実習記録を開く。
祈る前に、連れて帰ること。
誰を立たせるかは、何をして帰るかで決める。
願うべき時には、すべてを知るまで待たない。
ただし、祈りへすべてを預けない。
傷を治すことと、罪を許すことは同じではない。
その下へ、最後の一行が加えられた。
誰が傷ついても、残った役目を並べ直し、全員を帰すこと。
「できた、ですか?」
アルマニアが尋ねる。
「今日の隊列なら、任せられる」
神官戦士が答えた。
「一度だけだよ」
「分かっています」
「次は傷も、道も、敵も変わる」
「それでも、誰へ任せるかを考えます」
グンヒルダは満足そうに頷いた。
「なら、よろしい」
「そこは、グンヒルダが決めるんですか?」
「相棒だからね」
神官戦士は記録の頁を閉じた。
プリースト技能の段階は増えなかった。
奇跡を一度も使わず、それでも第三期の欄へ修了の印が押される。
神官戦士科、修了。
傷つく前から帰るための隊列を作り、誰かが倒れれば役目を並べ直す。
その仕事を初めて一行ごと預けられた印だった。
◇
翌朝、学院の掲示板には新しい木札が掛けられていた。
第四期。
精霊使役科。
「使役、という字は嫌いなんだけどね」
隣で、ミレナが言った。
「精霊は従わせるものではありませんから」
「うん。力を貸してくれるか、話を聞くところから始めるの」
中庭を抜けた風が木札を揺らす。ギンはアルマニアの頭へ止まり、ニンはミレナの肩へ降りた。
「次も、ミレナ姉さんと組むんですか?」
「もちろん」
「では決まりですわね」
「シャーナシアが決めるんですか?」
「わたくしも参加しますもの」
「精霊使いではないでしょう」
「あなたが精霊へ何を頼み、何を断られるか、見届けて差し上げます」
その後ろから、長柄戦槌を肩へ担いだグンヒルダも歩いてくる。
「あたしもだよ。昨日預けた仕事が、次の授業で壊されちゃ困るからね」
アルマニアは、新しい木札を見上げた。
これまで学んだのは、自分が何を選ぶかだった。
次に向き合うのは、選んだ力が、いつでも自分へ応えてくれるとは限らない世界である。
風は吹く。
水は流れる。
火は燃え、土は支える。
だが、それらはアルマニアのためだけに存在しているのではない。
第四期は、頼むことから始まる。