魔法戦士養成学校の万能戦士   作:駄文亭

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第23話 返事を決めない

 第四期の最初の実習場は、教室ではなかった。

 

 王都ファンの南を流れる小川だった。

 

 川幅は六歩ほど。前夜に雨は降っておらず、水は澄んでいる。深いところでも大人の腰までは届かないように見えた。

 

 対岸には、白い布を巻いた杭が一本立っている。

 

 アルマニアたちの前には、小さな木箱と、二十歩ほどの麻縄が置かれていた。

 

「箱の中身は、乾燥させた薬草と火口だ」

 

 精霊使いの講師は、川岸の石へ腰を下ろしたまま言った。

 

 白髪の混じった髪を短く切り、革の上衣には金属の留め具を一つも使っていない。足元には杖が置かれているが、手に取る様子はなかった。

 

「箱を濡らさず、四人全員で対岸の杭へ触れろ。橋を架けてもよい。縄を使ってもよい。精霊へ力を借りてもよい」

 

 シャーナシアが川を見渡した。

 

「それだけですの?」

 

「それだけだ」

 

「わたくしが箱を持って跳べば終わりますわ」

 

「四人全員で、と言った」

 

「では、一人ずつ抱えて渡ります」

 

「川へ入る前に、水の精霊へ道を尋ねろ」

 

 シャーナシアは、いかにも面倒そうにアルマニアを見た。

 

「だそうですわ」

 

「シャーナシアも尋ねてよいんですよ」

 

「わたくしは精霊語を話しません」

 

「では、ミレナ姉さんも——」

 

「アルがやって」

 

 ミレナは笑っている。

 

 ただし、助けるつもりの笑顔ではなかった。

 

 深緑の外套を脱いで箱の横へ置き、ショートスピアの石突きで地面の固さを確かめている。

 

 グンヒルダは長柄戦槌を肩から下ろし、麻縄を指でしごいた。

 

「水に濡れたら少し縮むね。傷んじゃいないけど、身体へ直接巻くなら当て布がいるよ」

 

「まだ渡り方は決めていません」

 

「だから、決める前に調べてるんだろ」

 

 アルマニアは、メイジスタッフを右手へ持ち替えた。

 

 左手を空ける。

 

 ソフトレザーに金属は使われていない。精霊へ呼びかけるための条件は満たしている。

 

 ギンとニンは、川岸に立つ二本の柳へ一羽ずつ止まった。

 

 まず、自分の目で川を見る。

 

 左手側は、白い小石が川底まで見えていた。流れは速く、細かな波が絶えず立っている。

 

 正面は、水面が穏やかだった。ただし、川底は青黒く、深さが分からない。

 

 右手側には大きな岩があり、その後ろだけ水が丸く淀んでいる。

 

 どこも渡れそうで、どこにも危険がある。

 

 アルマニアは目を閉じ、精霊語で呼びかけた。

 

「この川にいる水の精霊たち。僕たちは向こう岸へ渡りたい。通るべき道を教えてください」

 

 水音が近くなる。

 

 目を閉じているのに、川面のきらめきが見えた。

 

 小さな光が寄り集まり、ほどけ、また別の場所で結ばれていく。人の顔も、指差す腕もない。それでも、正面から少し左へ外れたところに、ひときわ強い流れがあった。

 

 冷たい何かが足首へ巻きつき、対岸へ引く。

 

 真っすぐに近い。

 

 最も強く、最もはっきりした返事だった。

 

 アルマニアは目を開けた。

 

「分かりました」

 

「何が?」

 

 ミレナが聞く。

 

「あそこです。一番強く応えてくれました」

 

 アルマニアは川へ入った。

 

 一歩目は、足首までだった。

 

 二歩目で、膝まで沈んだ。

 

 三歩目を置いた瞬間、川底の小石が靴の下から一斉に逃げた。

 

「アル!」

 

 身体が横を向く。

 

 冷たい流れが両脚の間へ入り、足をさらった。

 

 倒れるより先に、ソフトレザーの襟が後ろへ引かれた。

 

 シャーナシアが片手でアルマニアを岸へ放り戻す。

 

 アルマニアは尻から草地へ落ちた。

 

「何が道ですの!」

 

「今、確かに——」

 

「アルマニア」

 

 ミレナの声が低くなった。

 

「水の精霊は、何て言ったの」

 

「向こう岸への道は、あそこだと」

 

「言葉で?」

 

 アルマニアは答えかけて、止まった。

 

 聞こえたのは水音だった。

 

 見えたのは、強く集まる光だった。

 

 感じたのは、足首を引く冷たさだった。

 

 どこにも、人が渡るための道だという言葉はなかった。

 

「……いいえ」

 

「じゃあ、何が分かったの?」

 

「あの場所で、水の精霊が強く応えました」

 

「それだけ?」

 

「それだけです」

 

 川岸に座った講師は、助け起こそうとも、叱ろうともしなかった。

 

「最初の失敗だ」

 

「精霊は、嘘をついたんですか?」

 

「精霊が、いつ道を教えた」

 

 アルマニアは濡れた脚衣を見下ろした。

 

「僕が、返事を決めました」

 

「そうだ。お前は道を欲しがった。強い反応を見つけた。二つを勝手につなげた」

 

 シャーナシアは眉を寄せる。

 

「ずいぶん紛らわしい返事ですこと」

 

「質問した側が、欲しい意味を足したの」

 

 ミレナが言った。

 

「水が一番強く動くところは、水にとって通りやすいところだよ。人が歩きやすい場所とは限らない」

 

 グンヒルダが長柄戦槌の柄で、足元の石を軽く叩いた。

 

 高い音が一つ鳴る。

 

「石だって、叩けば音は返すよ。でも、高い音がしたから絶対に割れない、なんて言い出したら、そいつは職人じゃない」

 

「精霊使いも同じですか?」

 

「そこはミレナに聞きな」

 

「同じだよ」

 

 ミレナはしゃがみ、濡れたアルマニアの脚衣を絞った。

 

「感じたものと、自分が考えた意味を分けるの。分けたあとで、他に見えるものと合わせる」

 

「もう一度、尋ねてもよいですか?」

 

 講師が川を示した。

 

「それを決めるのは、水ではない」

 

 川は変わらず流れている。

 

 失敗したアルマニアを笑いもせず、次の問いを待ってもいない。

 

 アルマニアは岸へ座り直した。

 

 今度は目を閉じる前に、何を知りたいのかを考えた。

 

 向こう岸へ渡る道。

 

 それは、人間が欲しい答えである。

 

 水に分かるのは、水の動きだ。

 

「この川にいる水の精霊たち。君たちの流れが速い場所と、弱まる場所を知りたい。僕たちの足を取られにくいところを探すために、力を貸してください」

 

 すぐには何も変わらなかった。

 

 アルマニアは待った。

 

 一度目は、呼びかけた直後に最も強いものへ飛びついた。

 

 今度は、川全体の水音を聞く。

 

 左手側では、白い小石へぶつかった水が細かく跳ねていた。

 

 正面の青黒い場所では、表面こそ静かだが、底へ沈むような冷たさがある。

 

 右手の岩の後ろでは、流れが輪を作って同じ場所へ戻っている。

 

 さらに上流。

 

 川が緩く曲がるところに、細く長く、力の弱まる帯があった。

 

 だが、一つではない。

 

 静かな場所は、いくつもある。

 

 アルマニアは目を開けた。

 

「流れが弱い場所は三つあります」

 

「渡る場所は?」

 

 シャーナシアが聞く。

 

「まだ分かりません」

 

「今度は、ずいぶん頼りない返事ですわね」

 

「今のところ、分かったのは水の流れだけです」

 

 ミレナが小さく笑った。

 

「うん。それでいいよ」

 

「ギン。上から、上流の曲がりを見てください」

 

 黒い翼が柳から離れた。

 

 アルマニアは川へ入らず、その場へ膝をついたままギンの目を借りる。

 

 上空から見ると、水の色が違っていた。

 

 正面の静かな場所は、岸近くから急に濃い青へ変わっている。流れが弱いのではなく、深いため表面が乱れていない。

 

 右手の岩の後ろは浅いが、対岸まで続かない。岩を過ぎれば、再び速い流れへ出る。

 

 上流の曲がりには、白っぽい帯が斜めに伸びていた。

 

 砂と細かな砂利が積もっている。

 

「上流に、浅そうな帯があります。こちらの岸から、対岸へ斜めに続いています」

 

 アルマニアは自分の目へ戻った。

 

「浅そう、ですか?」

 

 グンヒルダが聞く。

 

「上からは、川底が白く見えました」

 

「じゃあ、浅いと決めたわけじゃないね」

 

「はい。見えたのは、白い川底です」

 

「少しは覚えたようだ」

 

 グンヒルダは長柄戦槌を担ぎ直した。

 

 四人は上流へ移動した。

 

 ミレナが岸の草を分ける。水際に生えた細い草は、すべて下流へ寝ていたが、白い帯の始まりだけは揺れが小さい。

 

 ショートスピアの石突きを水へ入れる。

 

「一歩目は脛。二歩目は膝くらい」

 

「向こうまで同じですか?」

 

「ここからじゃ分からない。だから、私が先に確かめる」

 

「一人では行かせません」

 

「さっき流された人が言う?」

 

「流されたからです」

 

 ミレナは言い返そうとして、口を閉じた。

 

 第三期の最後に、彼女は道を見る役を引き受けた。

 

 アルマニアは、道を見る者を一人で危険へ出すつもりはなかった。

 

「順番を決めます」

 

 四人がアルマニアを見る。

 

「最初はミレナ。渡れる場所を確かめてください」

 

「うん」

 

「シャーナシアは、こちらで縄を持ってください。ミレナが足を取られたら引き戻す」

 

「わたくしが先ではなくて?」

 

「流れに耐える力は、岸に残す方が使えます」

 

「よろしいでしょう」

 

「ミレナが対岸へ着いたら、縄をあの柳へ回します。そのあと、シャーナシアに渡ってもらいます」

 

「それから?」

 

「対岸ではシャーナシアが縄を支え、こちらでは僕が支えます。グンヒルダは箱を背負って渡ってください」

 

「あたしが三番目かい」

 

「足場の石に異常があれば、教えてください。箱を運べて、石の状態も見られるのはグンヒルダです」

 

「両方いっぺんにはできないよ」

 

「渡る前に見て、渡っている間は箱をお願いします」

 

「なら、任された」

 

「僕は最後に渡ります」

 

 麻縄をミレナの胸の下へ回し、外套を畳んだ当て布を挟む。

 

 シャーナシアは余った縄を腰へ回し、両足を開いて立った。

 

「いつでもよくてよ」

 

 ミレナが川へ入る。

 

 槍の石突きで一歩先を探り、白い帯の上へ足を置く。

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 三歩目で、砂利がわずかに崩れた。

 

「止まって」

 

 ミレナは足を戻した。

 

 水の流れが、崩れた場所だけ細く速くなる。

 

 アルマニアにも分かった。

 

 水は危険だと言ったのではない。

 

 ただ、空いた隙間へ流れ込んだ。

 

「半歩、上流へ」

 

 アルマニアが言う。

 

「そこは流れが弱いです」

 

 ミレナが槍で確かめる。

 

「川底も固い。そっちへ移るね」

 

 彼女は斜めに川を横切り、対岸へ着いた。

 

 縄が柳の幹へ回される。

 

 次にシャーナシアが渡った。剣を鞘へ収め、片手で縄をつかみ、水を割って進む。

 

 流れが膝へ当たっても、歩幅さえ変えない。

 

「これなら、最初からわたくしが全員を運べたのではなくて?」

 

「道が分かったから、そう言えるんです」

 

「次は箱ごと放り投げますわよ」

 

「中身が薬草です」

 

「濡れなければ合格でしょう」

 

「壊したら失格だと思います」

 

「思う、ではなく聞いておきなさい」

 

 講師は答えなかった。

 

 グンヒルダが木箱を背負う。

 

 渡る前に、長柄戦槌の柄で水面から出た平たい石を叩いた。

 

 一つだけ、鈍い音が返る。

 

「その石は踏まない方がいい。中に割れ目があるよ」

 

「見ただけでは分かりませんでした」

 

「水にも分からないさ。流れるのに、石の中身まで知る必要はないからね」

 

 グンヒルダは長柄戦槌を岸へ残した。

 

 両手で縄を握る。

 

 精霊魔法は使えない姿勢だが、今の彼女に必要なのは魔法ではなかった。

 

 白い帯を一歩ずつ進み、鈍い音のした石だけを避ける。

 

 箱は一度も水面へ触れず、対岸へ渡った。

 

 最後に、アルマニアが縄をつかんだ。

 

 両手が塞がる。

 

 もう精霊へ呼びかける身振りはできない。

 

 ギンとニンが上空を旋回しているが、その目も借りなかった。

 

 自分の足元を、自分の目で見る。

 

 一歩目。

 

 二歩目。

 

 最初に道だと思った強い流れが、すぐ下流にある。

 

 冷たさが足首へ巻きついた。

 

 今度は、それを対岸へ導く手とは考えなかった。

 

 水は、ただ流れている。

 

「右足を半歩、上流へ」

 

 対岸のミレナが言う。

 

 アルマニアは従った。

 

「次は真っすぐですわ」

 

 シャーナシアが縄を張る。

 

「最後の石は踏むんじゃないよ」

 

 グンヒルダが箱を下ろしながら声をかける。

 

 アルマニアの靴が最後の浅瀬を抜けた。

 

 四人で、白い布を巻いた杭へ触れる。

 

 木箱の蓋を開けると、薬草も火口も乾いたままだった。

 

     ◇

 

 講師は橋を渡らず、川下の飛び石を使って対岸へ来た。

 

 シャーナシアの視線が険しくなる。

 

「最初から、あちらを使えばよかったのでは?」

 

「実習にならない」

 

「尋ねなければ教えないという点では、精霊とよく似ていますわね」

 

「私は、人間が何を聞きたがるか知っている。精霊は知らない」

 

 講師はアルマニアへ向き直った。

 

「水の精霊に、道は分かったか」

 

「分かりません」

 

「何を教わった」

 

「流れが強い場所と、弱い場所です」

 

「それだけか」

 

「はい。それをミレナの地形判断と、ギンの目で見た川底へ合わせました。グンヒルダが石の割れ目を見つけ、シャーナシアが縄を支えてくれました」

 

「精霊は役に立たなかったか」

 

「役に立ちました。でも、渡る場所を決めたのは水の精霊ではありません」

 

「誰だ」

 

「僕たちです」

 

 講師は頷いた。

 

「精霊の反応を、人間に分かる意味へ置き換える。それが精霊使いの仕事の一つだ」

 

 川面を、小さな葉が流れていく。

 

 岩へ当たり、向きを変え、淀みで一度回ってから下流へ消えた。

 

「だが、置き換える時には、術者の願いが混ざる。自分の欲しい答えを先に決めれば、精霊の声を借りて自分へ命じることになる」

 

「精霊を従わせたつもりで、自分の思い込みに従っていたんですね」

 

「今日のお前は、そうだ」

 

「修了には、ほど遠いですね」

 

「初日に修了しようとするな」

 

 グンヒルダがアルマニアの肩を叩いた。

 

「まずは、覚えただね」

 

「まだ、できたではないんですか?」

 

「一度やり直しただけで、人へ任せられると思うかい?」

 

「思いません」

 

「なら、よろしい」

 

 ミレナが濡れた脚衣を指差した。

 

「帰ったら着替えてね」

 

「もう乾き始めています」

 

「水の精霊に乾かしてもらう?」

 

「水へ頼む仕事ではないと思います」

 

「少しは分けられるようになったね」

 

 シャーナシアが腕を組む。

 

「明日は、わたくしにも分かる頼み方をなさい。あなた一人だけ黙って目を閉じていると、待たされている側は退屈ですわ」

 

「精霊語を覚えますか?」

 

「あなたが通訳なさい」

 

「返事を決めずに、ですか?」

 

「当然でしょう。わたくしへ都合の悪い部分を省いたら、川へ投げ込みますわよ」

 

 ギンとニンが、そろって鳴いた。

 

 アルマニアには、その声の意味が分かる。

 

 しかし、それも三人で積み重ねてきたから分かるのであって、鴉の一声が人間の言葉に聞こえるわけではない。

 

 第四期の最初の記録には、技能の段階ではなく、三つの短い文が残った。

 

 感じたものと、考えた意味を分けること。

 

 精霊が答えられることだけを頼むこと。

 

 返事だけへ、人の命を預けないこと。

 

 水は、アルマニアたちが去ったあとも流れ続けた。

 

 頼まれたからではない。

 

 そこに川があり、水の精霊が暮らしているからだった。

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