「お姉さんにも、分かるように説明しようか」
ミレナの両手が、アルマニアの肩へ置かれている。
強く押さえられているわけではない。
逃げようとすれば逃げられる。
ただし、逃げたあとの方が怖い。
「自分用のリュートを作ろうと思います」
アルマニアは正直に答えた。
ミレナの笑顔が、少しだけ柔らかくなる。
「楽器が欲しいの?」
「はい。呪歌の実習では講師の竪琴を借りましたが、いつまでも借りられるとは限りません。野外へ持ち出せて、少しくらいぶつけても壊れない物が必要です」
「それなら、学習計画と言っても嘘ではありませんわね」
シャーナシアが、机の横に立てかけられた細い木材をつまみ上げる。
「ですが、これはリュートのどこへ使うのです?」
「胴の内側を支える横木です」
「自分で作れますの?」
「一からは無理です。吟遊詩人科の物置に、胴の背が割れた練習用のリュートがあります。廃棄する予定だったので、講師から譲っていただけることになりました」
グンヒルダが目を細めた。
「いつの間に話をつけたんだい?」
「昨日、学院へ戻ってからです」
「ブラウニーを連れて帰って、契約の記録を出して、宿舎の炉棚を用意したあとに?」
「はい」
「寝る前に?」
「寝る前です」
ミレナの指が、肩へ少しだけ沈んだ。
「何刻くらい前?」
「そこは、リュートの説明に必要ですか?」
「あとで必要になるから、覚えておいてね」
逃げ道は閉じられた。
アルマニアは机の上へ、書きかけの図面を広げた。
丸みを帯びたリュートの胴。
短い棹。
弦を留める駒。
胴の背には、木とは別の材料を示す斜線が引かれている。
グンヒルダの指が、その部分で止まった。
「これは?」
「鉄板です」
「何のための?」
「補強です」
「どんな衝撃を想定してる?」
「落とした時や、荷へ積んだ時。それから、戦闘中に攻撃を受けた時です」
部屋が静かになった。
机の下から、木槌が三度鳴る。
分からない。
ブラウニーにも、楽器の図面へ戦闘の話が混ざった理由は分からないらしい。
「歌っている間は、武器を持てません」
アルマニアは説明を続けた。
「レクイエムは、届くまで歌い続けなければならない。もし前を守っている人が抜かれたら、リュートの背を向けて一撃を受けられます」
「そのあと、どうするの?」
ミレナが尋ねた。
「歌を続けます」
「弦を身体へ向けたまま?」
「……持ち直します」
「敵は待ってくれる?」
「待ちません」
「前を守る人が抜かれた時、続けるべきなのは歌かな」
墓所でレクイエムを歌った時、グンヒルダが前へ立った。
槌が道を塞いでいる間、アルマニアは歌を続けた。
もしグンヒルダが倒れ、次のスケルトンが目の前まで来ていたら——
「退くべきです」
「うん」
「でも、一撃を受けられれば、退く時間が作れます」
ミレナは、すぐには否定しなかった。
グンヒルダが図面を持ち上げ、灯りへ透かす。
「鉄板を入れれば、確かに木だけよりは丈夫になる。ただし、重くなるよ。音も変わる。留め方が悪ければ、板は無事でも胴が割れる」
「そこは、楽器職人へ相談します」
「鉄板は?」
「鍛冶工房へ頼みます」
「あたしに作らせる気じゃないんだね」
「グンヒルダは宝石職人です。留め具と縁の処理だけ、見てほしいです」
「そこまでなら見るよ。音は見ない。鉄板も打たない」
「はい」
アルマニアは、図面の余白へ書き加えた。
音は楽器職人。
鉄板は鍛冶職人。
留め具はグンヒルダに検品を頼む。
その下へ、ミレナが指を置いた。
「睡眠は?」
「僕です」
「誰へ任せるかを聞いてるんじゃないよ」
「自分で取ります」
「なら、それも書いておこうか」
アルマニアは渋々、睡眠と書いた。
シャーナシアが図面をのぞき込み、満足そうに頷く。
「よろしいのではなくて? 歌い、魔法を使い、剣も受ける。あなたらしい楽器ですわ」
「殿下は煽るんじゃないよ」
「褒めたのです」
「なお悪い」
◇
練習用のリュートは、楽器職人の作業台へ置かれていた。
胴の背は三枚の木片に分かれ、乾いた接着剤が白く残っている。
表の響板にも細かな傷はあったが、棹は曲がっていない。弦巻きも、二本を替えれば使えるという。
「鉄を入れたいと言った生徒は、お前が初めてだ」
灰色の髪を後ろで束ねた楽器職人が言った。
「やはり、無理ですか?」
「無理なら、先に帰している」
職人は、鍛冶工房から届いた薄い鉄板を指先で弾いた。
低い音が鳴る。
「響板の裏へ入れれば、音が死ぬ。背へ直接留めても、木が鉄へ引かれて割れる。だから、細い横木を渡し、革を挟んで、その上へ載せる」
アルマニアが削っていた木材は、その横木だった。
見本どおりに一本を削り、二本目からは自分で木目を選んだ。
取得経験倍化があっても、刃物を持つ手が二本になるわけではない。
一度削れば、人より多くを学べる。
しかし、削る前の木材が勝手に横木へ変わることはなかった。
夜の木杯と布は、ブラウニーが片づけてくれる。
床を掃く時間も、少し減った。
空いた時間を、アルマニアは横木へ使った。
一本。
二本。
三本。
削るたび、刃が木目へ逆らう感触を覚えた。
薄くしすぎた一本は、指で押しただけで折れた。
同じ失敗から二倍を学べても、折れた木は二本へ増えない。
「これは使えません」
アルマニアが自分で赤い紐を結ぶ。
グンヒルダは、何も言わずに頷いた。
四本目ができる頃には、アルマニアの指先へ細かな切り傷が増えていた。
楽器職人は三本を選び、一本を戻した。
「太さは足りる。だが、端が合っていない。これは直せ」
「使えないほどですか?」
「いまなら直せる。胴へ留めてからでは遅い」
アルマニアは、戻された一本を受け取った。
グンヒルダの言葉と同じだった。
覚えた。
できる。
任せられる。
横木を一本削れたからといって、楽器一つを任せられたわけではない。
音を決める位置は職人が測った。
鉄板は鍛冶職人が曲げた。
留め具の縁へ指や革紐を切る尖りがないか、グンヒルダが一つずつ確かめた。
アルマニアが任されたのは、割れた背板を外し、横木を仕上げ、革を切り、職人の印に合わせて組み立てるところまでだった。
自分の楽器だからこそ、できない工程まで自分の手柄にはしない。
五日目の夕方、最後の弦が張られた。
リュートは、以前より少し厚くなっていた。
背の木板の内側には、胴へ沿って曲げた鉄板が隠れている。外から見えるのは、縁を守る黒い金具と、革を通す四つの留め具だけだった。
持ち上げる。
重い。
普通のリュートなら片手で抱えられるところを、これは腕全体で支えなければならない。
アルマニアは椅子へ座り、胴を膝へ載せた。
弦へ指を置く。
火を囲んだ夜に覚えた、旅人の歌を弾いた。
四つ上がり、四つ下りる。
軽やかな音ではなかった。
鉄板を抱えた胴から、低く、少しくぐもった音が返る。
けれど、音は潰れていない。
一つ目の音が、次の音まで残る。
泥の中を歩く足へ合わせた、遅い歌にはよく合った。
グンヒルダが靴の踵で拍子を取る。
ミレナも二つ目の節から加わった。
シャーナシアは歌わなかったが、最後まで席を立たなかった。
曲が終わる。
楽器職人が弦の余韻を聞き、短く頷いた。
「リュートとしては、できた」
「盾としては?」
「それを私へ聞くな」
グンヒルダが、すぐに口を挟んだ。
「あたしにも聞くんじゃないよ。これは盾職人が作った盾じゃない。鉄を仕込んだ楽器だ」
「一撃を受けられるかだけでも」
「なら、人が持たずに試す」
作業台の端へ厚い革と砂袋が積まれた。
その上へ、弦を傷めない向きでリュートを固定する。
シャーナシアが、壁に立てかけられていた木剣を取った。
「わたくしが?」
「一度だけだよ」
「加減は?」
「木箱を壊さない程度」
「ずいぶん曖昧ですわね」
「あんたに分かる頼み方を考えるのが難しいのさ」
シャーナシアは不満そうに眉を寄せた。
それでも、木剣を両手で構える。
踏み込み、振り下ろす。
乾いた打撃音へ、鉄の低い響きが重なった。
リュートは砂袋の上で跳ねたが、割れなかった。
留め具も抜けていない。
アルマニアは駆け寄り、弦を鳴らした。
音程がわずかに下がっている。
弦巻きを直せば、また同じ音へ戻った。
「成功です」
「一度、木剣を受けて壊れなかった」
グンヒルダが訂正する。
「剣も、角度も、置き方も変われば分からない。これで盾を名乗るんじゃないよ」
「もしもの時に、盾にもなるリュートです」
「話を聞きな」
シャーナシアが、鉄の入った背を指で叩いた。
「名前は決めましたの?」
「はい」
アルマニアはリュートを抱き上げた。
「アルマニア一世です」
「なぜ、自分の名前をつけますの?」
「自分のために作った最初の一つですから」
「一世ということは、二世も作る気かい?」
「改良点は、すでにいくつか」
グンヒルダが額を押さえた。
ミレナは笑顔だった。
「アル。昨日は何刻、寝たの?」
「完成の話をしている時に必要ですか?」
「いま必要になったよ」
◇
その夜、アルマニアはアルマニア一世を宿舎へ持ち帰った。
机の脇には、ブラウニーの炉棚がある。
三本の薪で囲んだ中へ、空の木杯と乾いた布を入れる。
もう一つ、完成したばかりのリュートを置いた。
「木杯を洗い、布を畳んでください。それから、このリュートの木の部分だけ、乾いた布で拭いてもらえますか。弦と金具には触れないでください」
机の下から、木槌が一度鳴った。
いいえ。
「リュートを拭く仕事は、したくない?」
二度。
「どこか分からないところがありますか?」
一度。
「危ないから?」
二度。
アルマニアは、ブラウニーへ伝えた約束を思い出した。
火のついた炉。
薬。
武器。
魔法の品。
赤い印をつけた物。
それらには、頼まれても触れない。
「これは、武器ですか?」
二度。
「楽器でもあります」
二度。
「どちらですか?」
三度。
分からない。
アルマニアはしばらく考え、工具箱から赤い紐を出した。
リュートの革帯へ結ぶ。
「分かりました。これは触らなくてよいです」
二度。
ブラウニーは木杯と布だけを片づけた。
鉄板入りのリュートには、近づきもしない。
アルマニアは寝台へ入る前に、改良案を一つだけ書くつもりだった。
背の鉄板を少し薄くする。
革帯の位置を変える。
音の抜けをよくするため、横木を——
気づけば、窓の外が白み始めていた。
◇
翌朝、アルマニアはアルマニア一世を背負い、第四期の講義室へ入った。
鉄板の重みが、革帯を通して両肩へ食い込んでいる。
いつものメイジスタッフ。
ソフトレザー。
腰の短剣。
工具と記録板。
そこへ、鉄板入りのリュートが加わった。
「ずいぶん大荷物ですわね」
シャーナシアが振り返る。
「野外で持ち替えられるか、確かめます」
「目が赤いですわよ」
「木屑が入っただけです」
答えながら、アルマニアは空いた椅子へ向かった。
その足が、机の脚へ引っかかる。
身体が傾いた。
リュートをかばい、メイジスタッフを離す。
杖が床へ落ちる前に、ミレナがつかんだ。
もう一方の手で、アルマニアの胸を支える。
「アルマニア」
普段の呼び方ではなかった。
「何でしょう」
「何刻、寝たの?」
「少しは」
「何刻?」
「……半刻ほど」
ミレナは、アルマニア一世の革帯を外した。
「ブラウニーが家事をしてくれたので、時間はありました」
「家事が減っても、夜は長くならないよ」
「取得経験倍化で、製作の経験も——」
「疲れが半分になる特技じゃないでしょう」
返す言葉がなかった。
第二期の野外実習でも、同じことを教わっている。
学べる量が増えても、身体が一度に動ける量は増えない。
眠っている間に小さな経験が入っても、眠らずに動ける時間まで増えたわけではない。
ミレナは、赤い紐へ気づいた。
「これは?」
「ブラウニーが、武器だと判断しました」
「精霊から見ても?」
「楽器でもあるとは言っています」
「でも、触らない方を選んだんだね」
「契約で、武器には触れないよう頼みましたから」
ミレナはアルマニア一世を背負った。
ずしりと身体が沈み、緑の目が細くなる。
「重い」
「鉄板が入っています」
「知ってるよ」
「返してください」
「今日一日、没収します」
「ミレナ姉さん」
「お姉さんだからね」
「実の姉ではありません」
「いまさら?」
ミレナは杖だけをアルマニアへ返した。
「今日は精霊使役科です。楽器も盾も使いません。必要なのは、精霊の返事を聞く耳と、立ったまま眠らない身体」
「立ったままは眠りません」
「さっき、机へ倒れかけたでしょう」
「あれは荷の重心が」
「荷を選ぶのも野外の仕事だよ」
グンヒルダが、アルマニア一世の背を軽く叩いた。
「物としては、よくできてる」
「では——」
「今日持っていく物としては、間違ってる」
シャーナシアが腕を組む。
「せっかく完成したのですから、持たせて差し上げればよろしいのに」
「殿下が代わりに背負います?」
「なぜ、わたくしが?」
「なら、黙っててください」
ミレナはアルマニア一世を講義室の前にある保管棚へ置いた。
赤い紐は外さない。
完成した楽器を否定したわけではなかった。
使う日を選べない持ち主から、一日だけ預かった。
アルマニアが一つの楽器を作った経験は、確かに二倍になった。
それでも、一つ作っただけで楽器職人にはならなかった。
鉄板を仕込んでも、盾の技術が増えたわけではない。
空いた時間をすべて埋めても、一日にできることは増えなかった。
その日、技能の段階は一つも上がらなかった。
代わりに、第四期の実習記録へ一行が加えられた。
頼む仕事だけでなく、自分が引き受ける仕事にも範囲を決めること。
自分のためのリュート、アルマニア一世。
もしもの時には盾にもなるよう鉄板を仕込んだ、紛れもない逸品である。
そして完成した翌朝、姉を名乗る者によって、危険物として没収された。