魔法戦士養成学校の万能戦士   作:駄文亭

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第28話 四人目

 学院西庭の白樺に、細い緑の布が結ばれていた。

 

 風向きを見るための目印ではない。

 

 枝の周りを巡る風の精霊へ、ここで呼びかけると伝えるための印だった。

 

 白樺から十歩ほど離れた芝生には、麻縄で大きな輪が作られている。

 

 輪の外には小さな砂時計、赤い布、記録板。

 

 さらに、四つの白い石が一列に並んでいた。

 

「先に言っておく」

 

 精霊使いの講師が、四人を見回した。

 

「今日は憑依しない」

 

 アルマニアは、わずかに肩の力を抜いた。

 

 隣にいたミレナが、その変化を見逃さない。

 

「そんなに心配してたの?」

 

「していません」

 

「顔に書いてあるよ」

 

「今日はしないと聞いて、予定を確認しただけです」

 

「その言い方をするときは、たいてい心配してるよね」

 

 シャーナシアが二人の間から、麻縄の輪をのぞき込んだ。

 

「では、何をするのです? 輪の中へ立ち、入ったつもりになって出てくるのなら、子供の遊びと変わりませんわ」

 

「入ったつもりにもならない」

 

 講師は、輪の中へ片足を入れた。

 

「これは魔法円ではない。精霊を閉じ込める力も、術者を守る力もない。誰がどこまで近づくかを、人間同士で決めるための印だ」

 

 靴先で麻縄を押しても、何も起こらない。

 

「精霊憑依を解くとき、外にいる者が術者を引っ張り出すことはできない。半精霊になった身体を縄で縛ることも、腕をつかんで止めることもできん。無理に精霊を追い出せば、術者まで壊す」

 

 グンヒルダが眉を寄せた。

 

「なら、あたしたちは見てるだけかい?」

 

「見る。知らせる。決められた合図を送る。異常があれば中止を命じる。だが、最後に自分と精霊を分けるのはミレナだ」

 

 講師は、記録板をミレナへ渡した。

 

 四つの欄がある。

 

 迎える精霊。

 

 頼むこと。

 

 終える条件。

 

 戻る理由。

 

「全部埋めろ。曖昧な言葉が一つでもあれば、契約も許可しない」

 

 ミレナは最初の欄へ、迷わず羽根筆を走らせた。

 

 西庭の白樺を巡る、風の精霊シルフ。

 

「何度、返事を受け取った?」

 

「この学院へ来てから、七度です。母の森にいる精霊とは違います。でも、呼びかけた時の気配は分けられます」

 

「アルマニア」

 

 講師に呼ばれ、アルマニアも白樺へ意識を向けた。

 

 まだ呼びかけてはいない。

 

 葉を揺らす風の中に、どこか弾むような気配がある。

 

「風の精霊はいます。ですが、ミレナ姉さんが言う相手と同じかは、僕には分かりません」

 

「それでいい。分からないものまで保証するな」

 

 二つ目の欄。

 

 ミレナは少し考えてから書いた。

 

 最初の憑依では、力を借りない。

 

 輪の中に留まり、呼びかけへ答え、終える合図で分かれる。

 

「魔法は?」

 

「使いません」

 

「移動は?」

 

「しません」

 

「普通の武器が通じるか、試しますの?」

 

 シャーナシアの問いに、ミレナが顔を上げた。

 

「試しません」

 

「せっかく半精霊になるのでしょう?」

 

「戻る練習で、攻撃を受ける練習まで混ぜません」

 

「よろしい」

 

 なぜか、シャーナシアが満足そうに頷いた。

 

「欲張りな誰かへ聞かせたい答えですわね」

 

 アルマニアは黙って記録板を見た。

 

「聞こえてるよ、アル」

 

「何も言っていません」

 

「顔に書いてあるもの」

 

 三つ目の欄には、細かな条件が並んだ。

 

 砂が落ち切る前。

 

 赤い布が上がった時。

 

 四つの音が止まった時。

 

 自分の名と、帰る人数を答えられなくなった時。

 

 風の精霊が別れを望んだ時。

 

「四つの音とは何です?」

 

 シャーナシアが尋ねる。

 

「まだ決めていません」

 

「決めていないものを、条件へ書きましたの?」

 

「だから今から決めるんです」

 

 ミレナは、アルマニアを見た。

 

「一定の間隔で、同じ音を四つ。何度も続けられる?」

 

「声で数えますか?」

 

「私が風と混ざっている間、人の言葉を同じように聞けるとは限らない。意味より、途切れない音の方がいい」

 

「木を叩くなら、あたしがやるよ」

 

 グンヒルダが小槌を上げる。

 

「一つの音は出せる。でも、風に紛れない音かは試さないと分からないね」

 

「鐘を用意させますわ」

 

「大きすぎます。周りの精霊まで驚かせます」

 

 アルマニアは、白樺の葉が擦れる音を聞いた。

 

 高い音。

 

 低い音。

 

 短い音を四つ。

 

「一つ、使えそうな物があります」

 

 三人の視線が集まる。

 

「宿舎へ取りに戻ります」

 

「まさか」

 

 ミレナが先に気づいた。

 

「今日は、使う理由があります」

 

     ◇

 

 アルマニア一世の赤い紐が、ようやく外された。

 

 鉄板入りの胴を抱え、アルマニアは四本の弦を順に弾く。

 

 高い音から低い音へ、一つずつ。

 

 もう一度。

 

 同じ四つの音が、一定の間隔で西庭へ流れた。

 

 風に運ばれても、葉擦れとは混ざらない。

 

「音は悪くない」

 

 グンヒルダが、胴の留め具を見ながら言った。

 

「楽器職人が見たからです」

 

「そこは分けるようになったね」

 

「僕が弾いているところも評価してください」

 

「四つ鳴らしたところまでは認めるよ」

 

 ミレナは目を閉じ、音を聞いた。

 

 四つ。

 

 短い間。

 

 また四つ。

 

「これなら分かると思う」

 

「思う、ですか?」

 

「憑依したあとの私で聞いてないんだから、分かるとは言えないでしょう」

 

 少し前までなら、アルマニアはその言葉へ不安を足していた。

 

 聞こえなかったら。

 

 返事がなかったら。

 

 戻れなかったら。

 

 けれど今は、ミレナが分けたところまでを記録した。

 

「憑依前のミレナには、四つの音を同じ一組として聞き分けられる」

 

「うん。それで書いて」

 

 講師が、四つの白い石を指した。

 

「その音は、何を意味する」

 

「終える時間です」

 

「それだけか」

 

 ミレナは石を一つずつ手に取った。

 

「シャーナシア」

 

 一つ目を置く。

 

「グンヒルダ」

 

 二つ目。

 

「アルマニア」

 

 三つ目。

 

 四つ目を持った手が止まった。

 

「ミレナ姉さん」

 

 アルマニアが言った。

 

「分かってるよ」

 

 ミレナは四つ目を置いた。

 

「四人の名前。全員で帰るための合図です」

 

「なら、最後の欄を読め」

 

 講師に言われ、ミレナは記録板へ目を戻した。

 

 戻る理由。

 

 そこには、こう書かれていた。

 

 三人を連れて帰るため。

 

「三人ではありません」

 

 アルマニアが言った。

 

「今いるのは、私を除けば三人でしょう」

 

「なぜ、除くんです?」

 

「私は連れて帰る側だから」

 

「それなら、姉さんが戻らなくても、僕たち三人が帰れば成功ですか?」

 

 ミレナの緑の目が、アルマニアを見た。

 

「そんなわけないでしょう」

 

「でも、そう書いてあります」

 

「精霊憑依は、使わなければ皆を帰せない時だけ使うの。最初から危険を引き受けるのは私だよ」

 

「危険を引き受けることと、帰る人数から自分を外すことは別です」

 

「同じことになる時もある」

 

「その時に選ぶことまで、今決めないでください」

 

 アルマニアの声が、少しだけ強くなった。

 

 双鴉の泉を隠す壁。

 

 返事のない水。

 

 見つけた時には衰弱し、立つこともできなかった自分。

 

 ミレナは、あの壁を越えた先からアルマニアを連れて帰った。

 

 だから今度は、自分が帰れないことを最初から代償へ入れようとしている。

 

「姉さんは、僕に言いました」

 

 アルマニアは続けた。

 

「姉さんは道を見る。僕は皆を見る、と」

 

「言ったね」

 

「姉さんが皆に入らないなら、僕へ任せた仕事が一人分足りません」

 

 ミレナが口を開きかける。

 

 その前に、シャーナシアが腕を組んだ。

 

「わたくしも認めませんわ」

 

「殿下まで」

 

「あなたが道を作り、わたくしがそこを通ったあと、道を作った者だけが消える。それを勝利と呼ぶつもりはありません」

 

「必要なら、誰かが残らなければならないこともあります」

 

「必要になってから決めなさい。訓練を始める前から、自分を損失へ数えて帳尻を合わせるのは決断ではありません」

 

 グンヒルダは、四つの石を指先で一直線へ揃えた。

 

「四人で受けた仕事だ。一人欠けて三人で戻ったら、仕事は終わってないよ」

 

「でも、あたし一人が残れば三人は助かる、なんて時が絶対にないとは言わない」

 

 琥珀色の目が、ミレナをまっすぐ見る。

 

「その時に払うものと、最初から数えないものを一緒にするな」

 

 三人とも、ミレナが危険を引き受けることそのものは否定しなかった。

 

 自分たちのために使うなとも言わない。

 

 ただ、帰る予定から勝手に一人を減らすことだけを許さない。

 

 ミレナは、四つ目の石を親指で押した。

 

「私が戻らなかったら、アルはどうするの?」

 

「僕にできることを全部探します」

 

「それをやめなさいって教えてるでしょう」

 

「では、今やるべき一つを選びます」

 

「何を?」

 

「帰ってきてほしいと伝えます」

 

「それで戻れるなら、苦労しないよ」

 

「戻すとは言っていません。伝えるだけです」

 

 精霊と分かれるのは、ミレナにしかできない。

 

 アルマニアの歌も、シャーナシアの命令も、グンヒルダの手も、彼女を人の身体へ引き戻す力にはならない。

 

 それでも、外から届くものが何もないわけではない。

 

 四つの音。

 

 四人の名前。

 

 帰る場所に、自分も含まれているという知らせ。

 

 ミレナは記録板から、三人という字を削った。

 

 その上へ、四人と書く。

 

「私はミレナ」

 

 声に出して確かめる。

 

「四人で帰るため、ここで精霊と分かれる」

 

 講師が首を横へ振った。

 

「長い」

 

「大事なところなんだけど」

 

「人と精霊の境で、いつもと同じように考えられると思うな。名前。人数。別れの言葉。それだけにしろ」

 

 ミレナは言い直した。

 

「私はミレナ。四人で帰る。ここで別れよう」

 

「誰に言う」

 

「私と、迎えた精霊の両方へ」

 

「それでいい」

 

     ◇

 

 契約の確認は、憑依より先に行われた。

 

 ミレナは短槍を麻縄の外へ置き、両手を空ける。

 

 金属鎧は身につけていない。

 

 風の精霊へ働きかける言葉と身振りを、途中で止めなくてよい状態を作る。

 

「役目を確認する」

 

 講師が言った。

 

「シャーナシア」

 

「中止を決め、赤い布を上げます」

 

「ミレナが続けると言ったら?」

 

「理由を聞きます。答えがなくても続けようとするなら、中止させます」

 

「命じれば戻せると思うな」

 

「分かっています。決めた合図を送るところまでです」

 

「グンヒルダ」

 

「砂時計と、輪と、ミレナの身体を見る。異変があっても勝手に触らない。見えたことをそのまま言う」

 

「アルマニア」

 

「四つの音を絶やしません。精霊の反応を感じても、ミレナ姉さんの考えだと決めません。呼びかけられたら、受け取ったものだけを答えます」

 

「魔法は?」

 

「頼まれない限り使いません」

 

「治癒は?」

 

 アルマニアは一瞬だけ迷った。

 

「憑依中の身体へ、勝手に使いません。解除後に傷を確認してからです」

 

「よし」

 

 最後に、講師はミレナを見る。

 

「戻るのは誰だ」

 

「ミレナです」

 

「何人で帰る」

 

「四人」

 

「始めろ」

 

 アルマニアが、アルマニア一世の弦を弾いた。

 

 四つの音。

 

 短い間を置き、もう一度。

 

 ミレナが風の精霊語で呼びかける。

 

「まだ、身体へは迎えない」

 

 人間の言葉でも、三人へ伝えた。

 

「今日は、互いに終わり方を確かめたい。私が名を告げ、四つの音を聞き、別れを頼んだら離れてほしい。あなたが先に離れたい時は、私の言葉を待たなくていい」

 

 白樺の葉が、一斉に裏返った。

 

 緑の布が枝から持ち上がる。

 

 風は輪の中へ入り、ミレナの足元を一度巡った。

 

 髪が持ち上がり、外套の裾が揺れる。

 

 それ以上、近づかない。

 

「受け取ったものは?」

 

 講師がアルマニアへ尋ねる。

 

「風の精霊が、ミレナ姉さんの周りへ留まっています。呼びかけへ返事はあります」

 

「契約を受けたか?」

 

「僕には分かりません」

 

「ミレナ」

 

「終える合図を待っているように感じます。でも、まだ私の判断です」

 

 講師が頷いた。

 

 グンヒルダが砂時計を返す。

 

 細い砂が落ち始めた。

 

 シャーナシアは赤い布を手に、ミレナの正面へ立つ。

 

 アルマニアは四つの音を繰り返す。

 

 一つ目。

 

 シャーナシア。

 

 二つ目。

 

 グンヒルダ。

 

 三つ目。

 

 アルマニア。

 

 四つ目。

 

 ミレナ。

 

 砂が半分ほど落ちたところで、講師がシャーナシアへ合図した。

 

 赤い布が上がる。

 

「ミレナ、終わりなさい」

 

 命令は短かった。

 

 ミレナは目を閉じない。

 

 四つの音を聞きながら、自分の名を口にした。

 

「私はミレナ。四人で帰る。ここで別れよう」

 

 足元を巡っていた風が、もう一度だけ外套を揺らした。

 

 白樺へ向かって抜けていく。

 

 持ち上がっていた緑の布が、枝へ戻った。

 

 四つの音は、そこで止まる。

 

「返事は?」

 

 講師が尋ねた。

 

「別れの言葉で、風は離れました」

 

「契約は?」

 

 ミレナはすぐに答えなかった。

 

 先ほどまで風が触れていた両手を開き、残った感覚と自分の考えを分ける。

 

「同じ合図と条件で、もう一度身体へ迎えることへ応じる意思を感じました」

 

「分からないことは?」

 

「憑依したあとも、同じように別れられるか。四つの音が届くか。私が四人を思い出せるか」

 

「よし。分からないまま残せ」

 

 講師は記録板へ、契約確認済みと書き加えた。

 

 精霊憑依そのものは、この日にはまだ許可されない。

 

 役目を入れ替えず、同じ手順をさらに繰り返す。

 

 砂時計を返す。

 

 四つの音を鳴らす。

 

 赤い布を上げる。

 

 名を告げる。

 

 四人で帰ると決め、精霊へ別れを頼む。

 

 二度目は、講師が途中でアルマニアの弦を押さえた。

 

 音が三つで止まる。

 

 ミレナは四つ目を待たなかった。

 

「音が欠けました。中止します」

 

 赤い布が上がる前に、自分から別れを告げる。

 

 三度目は、シャーナシアが赤い布を上げなかった。

 

 砂が落ち切る前に、グンヒルダが声を上げる。

 

「時間だよ」

 

 ミレナは、その報告だけで中止した。

 

 誰か一人が失敗しても、続ける理由にはしない。

 

 合図が足りない時ほど、安全だという意味を足さない。

 

 返事のない場所で学んだことが、今度は自分の身体へ精霊を迎える手順へつながっていた。

 

     ◇

 

 すべての確認が終わると、ミレナは四つの白い石を拾った。

 

 一つ目をシャーナシアへ渡す。

 

 二つ目をグンヒルダへ。

 

 三つ目をアルマニアへ渡し、四つ目を自分の上衣の隠しへ入れた。

 

「なくさないでくださいね」

 

「アルに言われたくないな」

 

「僕は物をなくしません」

 

「代わりに、増やすものね」

 

 アルマニア一世へ視線が向く。

 

「今日は必要でした」

 

「うん。今日はね」

 

「では、明日も」

 

「勝手に改良しなければ、持ってきていいよ」

 

「改良の必要はありません」

 

 机の下から木槌が鳴れば、三度だったかもしれない。

 

 だが、ブラウニーは宿舎にいる。

 

 代わりにグンヒルダが、鉄板入りの胴を指で叩いた。

 

「今夜、開けたら分かるからね」

 

「開けません」

 

「眠る?」

 

 ミレナが尋ねる。

 

「眠ります」

 

「よろしい」

 

 講師が、実習記録を閉じた。

 

「次は、実際に迎える。今日決めたこと以外はするな」

 

 アルマニアの技能は上がらなかった。

 

 ミレナも、新しい力をまだ一度も使っていない。

 

 それでも、精霊憑依の計画書には大きな修正が一つ残った。

 

 帰還する者。

 

 三人ではなく、四人。

 

 四人目の名は、ミレナ。

 

 人と精霊の境を越える前に、必ず連れて帰ると決めた一人だった。

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