壊れた訓練用オークが運び出された翌週。
古代語魔法の講師は、生徒たちの前へ枝を積んだ籠を置いた。
どれも腕ほどの長さに切り揃えられた、ごく普通の木の枝である。
「本日の課題は、この枝からオークを作ることだ」
ざわめきが起きた。
アルマニアも籠の中をのぞき込む。
先日の訓練場を歩いていたものは、人間ほどの大きさがあった。丸太の手足を持ち、胸には命令を刻んだ青銅板まで打ちつけられていた。
目の前にある枝とは、どう見ても同じものになりそうにない。
「あれも、これと同じオークなのですか?」
「基礎は同じだ。ただし、訓練用の三体は何年も使えるよう手を加え、命令を書き込んだ青銅板を組み込んである。お前たちが作るものは、もっと単純で、長くは保たない」
講師が一本を取り上げた。
「痛みも、恐怖も、自分で考える力もない。与えられた簡単な命令へ従うだけの木の従者だ。生き物ではない。それを忘れるな」
枝を床へ置き、杖の先で触れる。
「全知全能にして万能なるマナよ。大地より生まれし木へ仮初めの手足を与え、我が言葉に従う従者となせ——オーク」
杖が複雑な軌跡を描いた。
枝の表面へ青白い文字が走る。
木が軋み、膨れ上がった。
枝分かれした先端が二本の腕となり、裂けた根元が足となる。胴が伸び、頭らしき丸い瘤が持ち上がった。
やがて、アルマニアより少し背の低い木の人形が立っていた。
「三歩、前へ」
オークが歩く。
一歩。
二歩。
三歩。
そこで止まった。
「右手を上げろ」
右腕が上がる。
「下ろせ」
腕が下がった。
「この程度だ。長い説明は理解しない。状況を見て判断もしない。術者が何をさせるのか決め、短く命じる必要がある」
講師は並んだ生徒を見渡した。
「これより先の古代語魔法を学びたい者は、まず一体を完成させろ」
◇
最初に成功したのは、シャーナシアだった。
アルマニアが旧区画から救い出され、身体を戻している間も、彼女は先の課程へ進んでいた。
王家の紋章を刻んだ水晶の指輪を枝へ触れさせ、わずかな迷いもなく呪文を完成させた。
生まれたオークは、講師のものより少し細い。
それでも二本の足で立ち、シャーナシアの命令を待っている。
「前へ」
オークが歩く。
「止まりなさい」
ぴたりと止まった。
シャーナシアは満足そうに頷き、アルマニアを見た。
「次は、あなたですわ」
「分かっています」
「枝を眺めていても、手足は生えませんわよ」
「どこを腕にするか考えていたんです」
「その程度、呪文を唱えながら決めなさい」
簡単に言ってくれる。
アルマニアは籠から枝を一本選び、床へ置いた。
メイジスタッフの先で触れる。
頭の中には、作るべきものの形があった。
二本の腕。
二本の足。
身体を支える胴。
命令を聞く頭。
「全知全能にして万能なるマナよ。大地より生まれし木へ仮初めの手足を与え——」
枝が軋んだ。
右側が膨らみ、腕らしき形になる。
続いて左側。
足を作り、胴を伸ばし、倒れないよう釣り合わせる。
すべてを一度に意識しようとした。
「我が言葉に従う、従者と——」
右腕を作っている間に、左足の形が崩れた。
胴を支えようとして、頭へ流していた魔力が途切れる。
「なせ——オーク」
枝は立ち上がらなかった。
左右へ不格好な瘤を作り、床の上で動かなくなる。
シャーナシアが腕を組んだ。
「ずいぶん個性的な薪ですこと」
「最初から成功した人は、少し黙っていてください」
「嫌ですわ」
講師が失敗した枝を拾い上げた。
「手足を一つずつ作ろうとしたな」
「はい」
「オークは部品の寄せ集めではない。最初から一体の従者として形を与えろ。腕だけ、足だけと魔力を分ければ、最後までつながらん」
言われてみれば、講師とシャーナシアの枝は、全体が同時に変わっていた。
アルマニアのものは右腕、左腕、足と、順番に形を作ろうとしていた。
「もう一度、試しても?」
「今日はやめておけ」
「まだ精神力は残っています」
「残っているから使い切るのか? 失敗した直後に同じことをすれば、同じ癖を深く刻むだけだ。まず自分の術式を見直せ」
アルマニアは杖を下ろした。
「……分かりました」
失敗した枝を受け取り、席へ戻る。
右腕になりかけた瘤。
途中で消えた左足。
途切れた魔力の痕跡が、自分の指の中へまだ残っている。
どこで遅れたのか。
なぜ全体を保てなかったのか。
思い返すたび、失敗の感触が妙にはっきりと蘇った。
夢で双鴉が告げた言葉を思い出す。
同じ教えを受け、同じだけ鍛え、同じ失敗をしても、魂には二度刻まれる。
成功だけが二度分になるわけではないらしい。
◇
その日から、アルマニアは一本の失敗した枝を持ち歩いた。
講義では机の上へ置き、食事中も壁へ立てかけ、寝る前には枕元へ置いた。
枝を見るたび、最初の呪文を最初から組み直す。
右腕。
左足。
胴。
そう分けた時点で、また同じ失敗になる。
一つの枝が、一つの身体になる。
全体を思い描いたまま、細部へ魔力を通す。
翌日の実習では、枝が立ち上がる前に折れた。
三日目は人の形になったが、一歩目で前へ倒れた。
四日目は歩いた。
ただし、止まれと命じても壁まで歩き続けた。
五日目。
アルマニアのオークは、床の上へ立った。
左右の腕は同じ長さ。
足は胴を支え、身体の中を魔力が途切れず巡っている。
「三歩、前へ」
オークが三歩進んだ。
「止まれ」
止まった。
古代語魔法の講師が、木の人形を一周する。
腕を持ち上げ、足元を確かめ、最後に胴を指で叩いた。
「よくできている」
「合格ですか?」
「ああ」
アルマニアは息を吐いた。
喜びより先に、身体から力が抜けた。
「ですが、五日ですわよ?」
横からシャーナシアの声がした。
「何か問題でも?」
「通常、この課題にはひと月近くかかると聞いています」
「人によります」
「あなたは初日に、薪を作っていましたわ」
「個性的な薪です」
「言い直しても褒めていません!」
講師も怪訝そうに、初日の枝と完成したオークを見比べていた。
「確かに早い。以前からオークを習っていたのか?」
「いいえ」
「なら、何をした?」
「失敗したところを考えて、教わったとおりに直しました」
「それだけか?」
それだけだった。
ただし、一度の失敗を一度だけでは終わらせなかった。
アルマニアは答える前に、シャーナシアを見た。
青紫の瞳が、逃がさないと告げている。
「あとで、話します」
◇
授業の後、シャーナシアはアルマニアを中庭へ連れ出した。
石造りの回廊から離れ、誰もいない噴水の裏まで来る。
授業で作ったオークは、すでに魔力を失って元の枝へ戻っていた。
「それで?」
シャーナシアが振り返る。
「何を隠していますの?」
「隠すつもりはありません」
「では、話しなさい」
アルマニアは、双鴉の夢について話した。
泉の底へ沈んでいた最後の一滴。
運命の告知者アルケナの眷属を名乗る、二羽の大鴉。
一つの経験から、人の二倍を学び取るという言葉。
シャーナシアは口を挟まず、最後まで聞いた。
「つまり、同じだけ教われば、あなたは他人の二倍進めると?」
「本当に二倍かは、まだ分かりません。でも今回の失敗は、普通より深く残りました」
「代わりに、二倍疲れますの?」
「疲れ方は同じです」
「精神力が二倍になるわけでもない」
「なりません」
「身体が二倍丈夫になるわけでもない」
「なりません」
シャーナシアは黙り込んだ。
羨ましがられるかもしれない。
不公平だと責められるかもしれない。
アルマニアがそう考えている間に、彼女は短外套の下から新しい枝を取り出した。
「もう一度、オークを作りなさい」
「はい?」
「一度できただけでは、次もできるとは限りません。講師から借りてきました」
用意がよすぎる。
アルマニアは枝を受け取り、石畳へ置いた。
メイジスタッフの先で触れる。
右腕と左足を別々に考えない。
最初から、一体の木の従者を思い描く。
「全知全能にして万能なるマナよ。大地より生まれし木へ仮初めの手足を与え、我が言葉に従う従者となせ——オーク」
青白い文字が、枝の端から端まで走った。
木が軋み、一つの身体へ膨れ上がる。
二度目のオークが、両足で石畳へ立った。
シャーナシアは腕と足を眺め、わずかに顎を引いた。
「偶然ではないようですわね」
「疑っていたんですか?」
「確かめたのです」
彼女は丸い敷石の中へ入り、アルマニアのオークと向かい合った。
「では、あなたの従者へ、わたくしを止めるよう命じなさい」
「覚えたことと、使えることは違うから?」
「分かっているではありませんか」
「その剣で斬るつもりですか?」
「訓練剣を借りてきました」
深紅の短外套の下から、刃を潰した剣が出てきた。
「最初から、これをするつもりでしたね?」
「早くなさい。オークが枝へ戻りますわよ」
アルマニアは木の従者を見た。
自分が初めて完成させた古代語魔法の人形である。
できれば、もう少し眺めていたかった。
だが、命令を待つオークに感情はない。
「あの人を、この円の外へ押し出せ」
中庭の石畳には、噴水を囲む丸い敷石がある。
オークがシャーナシアへ向き直った。
「来なさい」
木の足が踏み込む。
二本の腕を広げ、シャーナシアを押そうとする。
彼女は退かなかった。
オークの腕が届く前へ入り、訓練剣で胴を打つ。
乾いた音が響いた。
木の従者が揺れる。
それでも命令どおり、両腕を伸ばした。
シャーナシアは半歩だけ横へずれた。
伸びきった腕を剣で押し上げ、オークの脇へ回る。
アルマニアは次の命令を考えた。
「振り向いて——」
「遅いですわ!」
訓練剣が、オークの膝裏を打った。
片足が浮く。
シャーナシアは肩からぶつかり、木の身体を敷石の外へ押し倒した。
オークが倒れる。
起き上がろうとしたところで、全身を巡っていた青白い文字が消えた。
腕が縮み、足が閉じる。
あとには、少し曲がった一本の枝が残った。
「わたくしの勝ちです」
「初めて成功した術なんですけど」
「だから何です?」
「もう少し手加減を」
「敵へ頼みなさい」
初めて杖を武器として構えた日に、聞いた言葉だった。
シャーナシアは剣を肩へ担ぎ、倒れた枝を見下ろす。
「あなたは確かに、オークを覚えました。ですが、命令を出すのが遅い。相手の動きも見ていない。魔法を知っているだけで、戦いに使えてはいません」
「これから覚えます」
「ええ。そうなさい」
シャーナシアは、アルマニアへ剣先を向けた。
「一度の失敗から二倍を学べるというのなら、わたくしが一人では経験できない失敗を与えて差し上げます」
「嫌な宣言ですね」
「感謝なさい。わたくしほど優れた相手は、他にいませんもの」
「自分で言います?」
「事実です」
胸を張る。
不公平だとは言わなかった。
泉の力を手に入れたからと、アルマニアの努力を軽くも扱わなかった。
ただ、その力を持つアルマニアより強くなると、当然のように決めていた。
「では僕も、シャーナシアが一人では気づけない失敗を見つけます」
「わたくしが失敗すると?」
「今日のオークは、左足が少し短かったです」
「なぜ先に言いませんの!」
「聞かれませんでしたから」
訓練剣が振り上げられる。
アルマニアは枝を拾い、噴水の反対側へ逃げた。
シャーナシアが追う。
二人の頭上では、いつからいたのか、二羽の鴉が回廊の屋根へ並んでいた。
片方の嘴には、巣作りに使うらしい小枝がくわえられている。
もう片方が、アルマニアの頭を狙うように首を傾けた。
学院の記録簿には、その日、新しい一行が加えられた。
ソーサラー、二レベル。