魔法戦士養成学校の万能戦士   作:駄文亭

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第6話 一つの卵

 古代語魔法の第三段階へ進む者へ、講師が最初に命じたのは、新しい呪文を唱えることではなかった。

 

 使い魔とする生き物を、一つだけ選ぶことだった。

 

     ◇

 

 講義室の黒板に、ファミリアと大きく書かれている。

 

 その下には、猫、鼠、蛇、蛙、梟、鷹と、小さな動物や鳥の名が並んでいた。

 

「ファミリアは、一度使って終わる魔法ではない」

 

 古代語魔法の講師は、教卓へ置いた卵の殻を持ち上げた。

 

「生まれる前、あるいは生まれて間もない小動物へ術を施し、その成長へ術者の魂を結びつける。使い魔となった生き物とは感覚を分かち、術者の目が届かぬ場所を見てもらうことができる」

 

 先日の迷宮実習で鳴らした鐘の音を、アルマニアは思い出した。

 

 木壁の向こうにいるオーク。

 

 回廊から道を見ていたシャーナシア。

 

 あのときは、相手の言葉を聞き、見えない道を想像して命じた。

 

 使い魔がいれば、その目で直接見られる。

 

「ただし、便利な道具を一つ増やす魔法だと思うな」

 

 講師が卵の殻を教卓へ戻した。

 

「腹が減れば食わせる。傷つけば手当てをする。旅へ出るなら連れていき、危険へ送り出すなら、その危険を自分も引き受ける。思っていたものと違ったからと、取り替えることはできん」

 

 生徒たちの前へ、一枚ずつ紙が配られた。

 

「自分が魂を結ぶ生き物を一つ書け。理由も添えろ。決められない者は、決められるまで先へ進むな」

 

 アルマニアは羽根筆を取った。

 

 少しだけ考える。

 

 それから、紙の一番上へ一つの名を書いた。

 

「もう決めましたの?」

 

 隣の席から、シャーナシアが紙をのぞき込んだ。

 

「はい」

 

「梟、鷹、猫、鼠と、十ほど並べると思っていましたわ」

 

「僕を何だと思っているんです?」

 

「選べるものはすべて欲しがる大馬鹿者です」

 

 否定しにくかった。

 

 シャーナシアは、紙に書かれた名を読む。

 

「鴉?」

 

「空から見られます。王都にも森にもいて、遠くからでも目立ちにくい。頭もよくて、食べるものにもあまり困りません」

 

「ずいぶん実用一点張りですこと」

 

「それに——」

 

 アルマニアは窓の外を見た。

 

 古代語魔法の訓練場と向かい合う尖塔の屋根に、二羽の鴉が並んでいる。

 

 片方がこちらを見た。

 

 もう片方も、少し遅れて首を向ける。

 

「前から、何度も僕を見に来ているんです」

 

「餌をもらえると思われているだけではなくて?」

 

「それでも、知らない相手ではありません」

 

 シャーナシアは二羽を見上げ、鼻を鳴らした。

 

「英雄の使い魔としては、少々地味ですわね」

 

「シャーナシアは何を選んだんです?」

 

 彼女の紙を見る。

 

 何も書かれていなかった。

 

「まだ決めていないんですか?」

 

「今は選びません」

 

 あまりに迷いのない答えだった。

 

「使い魔が欲しくないんですか?」

 

「欲しいかどうかで、修める技を決めるものですか。わたくしは次に、剣を鍛えます」

 

 シャーナシアは空の紙を裏返した。

 

「曲がり角の先へ目が必要なら、そこを見る者と組めばよいと、先日の実習で分かりましたもの」

 

「僕の目を借りるんですか?」

 

「あなたが正しく見ているなら、使って差し上げます」

 

「借りるとは言わないんですね」

 

「わたくしが使うのですから、使うで正しいのです」

 

 講師が二人の前で足を止めた。

 

 アルマニアの紙を取り上げ、書かれた理由へ目を通す。

 

「鴉か」

 

「はい」

 

「学院で用意できる卵はない。野生の巣を探すことになるが、勝手に持ち去るなよ」

 

「分かっています」

 

「本当に分かっている顔ではありませんわ」

 

「見るだけです」

 

「なら、わたくしも見届けます」

 

「剣を鍛えるのでは?」

 

「卵泥棒を競争相手に持った覚えはありませんもの」

 

     ◇

 

 授業が終わると、アルマニアは尖塔の下へ向かった。

 

 使い魔の卵を取るためではない。

 

 二羽が本当に巣を作っているのか、遠くから確かめるためだった。

 

 シャーナシアも当然のようについてくる。

 

「見るだけですからね」

 

「わたくしへ言うことではありません。自分へ言い聞かせなさい」

 

 尖塔は、今では倉庫として使われている古い観測塔だった。

 

 石壁には蔦が這い、屋根の縁から細い枝が何本も突き出している。

 

 巣があるのは間違いない。

 

 アルマニアが目を凝らすと、二羽のうち一羽が嘴に何かをくわえていた。

 

 授業で提出した紙だった。

 

「いつの間に!」

 

 肩から下げていた鞄を開く。

 

 帳面と筆入れはある。

 

 鴉と書いた紙だけが消えていた。

 

「使い魔にする前から、ずいぶん気が合っていますわね」

 

「返してください!」

 

 アルマニアが呼ぶと、鴉は紙をくわえたまま尖塔の反対側へ跳ねた。

 

 もう一羽が、かあと鳴く。

 

 二羽とも姿を消した。

 

「追います」

 

「見るだけでは?」

 

「紙を取り返すだけです」

 

「そういうことにしておきますわ」

 

 尖塔の扉は開いていた。

 

 中には、壁に沿って細い螺旋階段が続いている。

 

 長く使われていない石段へ埃が積もり、二人が駆け上がるたび、靴の下で白く舞った。

 

 最上階には小さな鐘と、屋根へ出るための木戸があった。

 

 木戸を押し開ける。

 

 強い風が、二人の髪と外套を巻き上げた。

 

「紙は?」

 

「あそこです!」

 

 巣から少し離れた屋根飾りへ、提出した紙が引っかかっていた。

 

 その下に、二羽の鴉がいる。

 

 だが、二羽は紙を見ていなかった。

 

 屋根の縁へ身を寄せ、しきりに鳴いている。

 

 細い枝を重ねた巣が、半分ほど傾いていた。

 

 古い屋根瓦が一枚ずれ、巣の下を支えていた枝が外れかけている。

 

 巣の中には、青緑色の殻へ黒い斑点のある卵が一つだけ見えた。

 

 風が吹く。

 

 巣が揺れた。

 

 卵が、屋根の傾斜へ転がり出る。

 

「危ない!」

 

 アルマニアは木戸から屋根へ出た。

 

「待ちなさい、アルマニア!」

 

 瓦へ手をつき、身体を低くして進む。

 

 卵は巣の縁で止まっていた。

 

 あと少し転がれば、尖塔の下まで真っ逆さまに落ちる。

 

「オークを使えば——」

 

「屋根の上で木偶を歩かせるつもりですの?」

 

 命令どおり前へ進み、瓦を踏み抜く姿が浮かんだ。

 

「やめます」

 

「賢明です」

 

 シャーナシアが塔の中から、鐘を鳴らすための綱を引き上げた。

 

「これを腰へ結びなさい」

 

「シャーナシアは?」

 

「ここで支えます。わたくしより軽く、身のこなしも速いのはあなたでしょう」

 

 自分が何でもすると言わなかった。

 

 今、屋根へ出るのに向いている者を選んだ。

 

 アルマニアは綱を腰へ巻き、ほどけないよう二度結んだ。

 

 反対側を、シャーナシアが両手で握る。

 

「落ちても、引き上げて差し上げます」

 

「落ちないように支えてください」

 

「注文の多い人ですこと」

 

 一歩進む。

 

 瓦が、かすかに沈んだ。

 

 次は屋根の骨組みが通っている場所へ足を置く。

 

 風が短外套を引いた。

 

 腰の綱が張り、身体を支える。

 

「あと二歩ですわ」

 

「見えています」

 

「なら、落ちないようになさい」

 

「それも見れば分かります?」

 

「口を動かす余裕があるなら、早くなさい!」

 

 アルマニアは巣へ手を伸ばした。

 

 まず、外れかけていた枝を押し戻す。

 

 巣の傾きが、少しだけ戻った。

 

 卵を中へ戻そうと、両手で包む。

 

 こつん。

 

 指の内側で、小さな振動がした。

 

「生きてる……」

 

「感動するのは、戻してからになさい!」

 

 もう一度、風が吹いた。

 

 古い瓦が、アルマニアの膝の下で割れる。

 

 身体が滑った。

 

 両手には卵がある。

 

 屋根へ手をつくことができない。

 

「シャーナシア!」

 

「分かっています!」

 

 腰の綱が強く張った。

 

 アルマニアの身体が、屋根の縁へ届く寸前で止まる。

 

 塔の中では、シャーナシアが綱を肩へ回し、両足を石床へ踏ん張っていた。

 

「足を立てなさい! 引き上げます!」

 

 屋根の骨組みへ爪先をかける。

 

 シャーナシアが綱を引く。

 

 アルマニアも身体を起こし、割れていない瓦へ膝を乗せた。

 

 一歩ずつ木戸まで戻る。

 

 中へ転がり込んだ途端、シャーナシアが綱を放した。

 

「この大馬鹿者!」

 

「卵は無事です」

 

「誰が卵の心配をしろと言いました!」

 

 聞き覚えのある怒鳴り声だった。

 

 シャーナシアはアルマニアの肩と腕を確かめ、怪我がないと分かってから、ようやく卵を見る。

 

「巣へ戻せませんでしたわね」

 

「もう一度行きます」

 

「今度こそ引きずり下ろしますわよ」

 

 アルマニアは口を閉じた。

 

 卵は両手の中で、まだ温かい。

 

 屋根の二羽が木戸の前へ降りてきた。

 

 一羽がアルマニアの右手をつつく。

 

 もう一羽が左手をつついた。

 

「痛いです」

 

 二羽は構わず、交互に嘴を当てる。

 

「怒っていますわね」

 

「助けたんですけど」

 

「親からすれば、卵を抱えたまま戻ってきた人間ですもの」

 

 アルマニアは卵を差し出した。

 

「返したいんです。巣まで運んでもらえませんか?」

 

 二羽は卵を見た。

 

 次に、揃ってアルマニアを見る。

 

 一羽が黒い羽根を一本抜き、卵の上へ落とした。

 

 もう一羽が、提出用の紙を木戸の内側へ放る。

 

 鴉、と書かれた文字の上へ紙が落ちた。

 

「……僕に?」

 

 かあ、と二羽が同時に鳴いた。

 

 重なった声は、一つに聞こえた。

 

「渡すつもりのようですわね」

 

「本当に?」

 

「少なくとも、返してほしい者の態度には見えません」

 

 アルマニアは卵と二羽を見比べた。

 

 夢で会った大鴉より小さい。

 

 羽の縁も光ってはいない。

 

 それでも、右と左から同じ目で見つめられると、あの二羽を思い出す。

 

「では、この卵をお借りします」

 

「それは借りるとは言いませんわ」

 

「大切に育てます」

 

「なおさら返す気がないではありませんか」

 

 シャーナシアは深く息を吐き、自分の短外套を外した。

 

 柔らかな裏地で卵を包み、アルマニアの腕へ戻す。

 

「落としたら、今度はわたくしがあなたを塔から落とします」

 

「どちらを助ければいいんです?」

 

「両方に決まっているでしょう、この大馬鹿者!」

 

     ◇

 

 講師は、二人が持ち帰った卵と、窓の外までついてきた二羽の鴉を順番に見た。

 

「勝手に持ち去ったのではないな?」

 

「巣から落ちかけたところを助けました。そのあと、この羽根と一緒に渡されました」

 

 教卓には卵、黒い羽根、少し皺になった提出用紙が並んでいる。

 

 シャーナシアの深紅の短外套は、卵を包んだままだった。

 

「わたくしが見届けました。盗んではおりません」

 

「なら、候補として預かろう」

 

 講師は卵へ耳を寄せ、殻を傷つけないよう明かりへ透かした。

 

「生きている。だが、これを得たからと、明日からファミリアを使えるわけではないぞ」

 

「分かっています」

 

「第三段階へ進むだけの術式と魔力制御を身につけることが先だ。卵があるからと、課程を急がせることもしない」

 

 アルマニアは頷いた。

 

「もし先に孵ったら?」

 

「普通の鴉として育てろ。使い魔にならなくとも、一つの命であることは変わらん」

 

「はい」

 

 講師は毛織物を敷いた籠へ卵を移した。

 

「それを理解できるなら、明日から第三段階の課題へ入る」

 

「わたくしも立ち会います」

 

 シャーナシアが言った。

 

「お前は使い魔を後回しにするのではなかったか?」

 

「ええ。ですから、わたくしは剣を使います」

 

 青紫の瞳が、アルマニアへ向く。

 

「この人が卵を理由に手を抜かぬよう、相手をして差し上げますわ」

 

「手を抜くつもりはありません」

 

「焦って無茶をするのも許しません」

 

「どちらにしても厳しいですね」

 

「当然です。これ以上、勝手にいなくなられては困りますもの」

 

 窓の外で、二羽の鴉が鳴いた。

 

 講師の籠の中から、小さな音が返る。

 

 こつん。

 

 少し遅れて、もう一度。

 

 こつん。

 

 アルマニアは卵を見た。

 

 一つの卵から聞こえたはずの音は、なぜか左右から交互に頭をつつかれたように感じられた。

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