魔法戦士養成学校の万能戦士   作:駄文亭

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第7話 一本の糸

 翌朝、アルマニアが古代語魔法の訓練場へ入ると、卵はすでに籠ごと運び込まれていた。

 

 毛織物の下には、湯で温めた石が置かれている。

 

 卵の横には学院の飼育係が座り、砂時計を返しながら、石の温度を確かめていた。

 

 窓の外では、二羽の鴉が並んで室内を見張っている。

 

「おはようございます」

 

 アルマニアが籠へ近づくと、飼育係が片手で遮った。

 

「見るだけだ。触るなよ」

 

「冷えていないか確かめようと」

 

「それを確かめるために、私がいる」

 

 伸ばしかけた手を引っ込める。

 

 卵は、毛織物のくぼみへ静かに収まっていた。

 

 昨日のような音は聞こえない。

 

「生きていますか?」

 

「今朝も動いた。温度も問題ない。お前が見ていない間も、きちんと生きている」

 

「分かっています」

 

「本当に分かっている顔ではありませんわね」

 

 背後から、聞き覚えのある声がした。

 

 シャーナシアが、刃を潰した訓練剣を肩へ担いで立っている。

 

 深紅の短外套は、昨日卵を包んだため、まだアルマニアの腕にあった。

 

「返そうと思っていたんです」

 

「洗ってからになさい。屋根の埃まみれですもの」

 

「では、今日も借ります」

 

「なぜ、そうなりますの?」

 

 シャーナシアが取り返そうと手を伸ばす。

 

 アルマニアが外套を背へ隠すと、訓練剣が持ち上がった。

 

「卵の前で騒ぐな」

 

 古代語魔法の講師が入ってきた。

 

 二人は同時に口を閉じる。

 

 講師は卵を一度だけ確かめると、訓練場の中央へ歩いた。

 

 床には、銀色の線で小さな魔法陣が描かれている。

 

 その中心に置かれていたのは、鴉の卵と同じほどの大きさに削られた木の卵だった。

 

「ファミリアの術で結ぶのは、鎖ではない」

 

 講師は木の卵を拾い、表面へ刻まれた細い溝を見せた。

 

「使い魔を操り人形にするのでも、術者の命令だけを聞く生き物へ変えるのでもない。互いの感覚が行き来する道を、二つの魂の間へ作る」

 

 アルマニアは、窓の外の二羽を見た。

 

 一羽が右へ首を傾ける。

 

 もう一羽も、少し遅れて同じ向きへ傾けた。

 

「二羽と結ぶことはできますか?」

 

「できん」

 

 講師は即答した。

 

「一人の術者に、一体の使い魔だ。二本の道を同時に作れば、どちらから届いた感覚かも分からなくなる。お前は右目と左目で別々の文字を読み、同時に理解できるのか?」

 

「練習すれば——」

 

「できないものを増やす前に、一本を正しく結べ」

 

「今、十種類ほど試せないか考えましたわね?」

 

「二種類です」

 

「減ればよいという話ではありません!」

 

 講師は咳払いを一つし、木の卵を魔法陣へ戻した。

 

「本物の命へ術を施す前に、感覚の通り道を作る部分だけを練習する。この溝へ魔力を流せ。強すぎれば木の器が割れ、弱すぎれば途中で途切れる」

 

 アルマニアはメイジスタッフを握った。

 

「木の卵と感覚を共有するんですか?」

 

「木に感覚はない。向こうから何も返らぬ道を作るだけだ。だが、自分から流す魔力を細く保てなければ、生き物とは結べん」

 

 講師がシャーナシアを見た。

 

「お前はアルマニアの前へ立て」

 

「剣を使ってよろしいのですね?」

 

「そのために来たのだろう。ただし、アルマニアを斬るな」

 

「承知しています。集中を少々、確かめるだけですわ」

 

「その言い方が不安なんですが」

 

 シャーナシアは訓練剣を正眼へ構えた。

 

 アルマニアと木の卵の間に立つ。

 

「わたくしを気にせず、術を完成させなさい」

 

「目の前で剣を構えている人を、気にするなと?」

 

「敵のいない場所でしか使えぬ魔法など、戦場では役に立ちません」

 

「ファミリアは戦場で生み出す魔法ではない」

 

 講師が訂正した。

 

「だが、風が吹いた、鳥が鳴いた、腹が減ったという程度で術式を崩すようでは困る。シャーナシア、お前の役目は斬ることではなく、余計なものを見ても術を保てるか確かめることだ」

 

「わたくしが余計なものですの?」

 

「今はな」

 

 シャーナシアの眉が吊り上がった。

 

 その怒りが自分へ向く前に、アルマニアは魔法陣の前へ進んだ。

 

     ◇

 

 一度目。

 

 アルマニアはメイジスタッフの石突きを床へ置き、左手で古代語の印を結んだ。

 

「全知全能にして万能なるマナよ。我が声を道とし、我が意志を糸となせ——」

 

 杖の先に青白い光が生まれる。

 

 光は細く伸び、木の卵へ刻まれた溝へ触れた。

 

 一筋の光が、螺旋を描きながら卵の表面を走る。

 

 強く流してはいけない。

 

 消えないよう、押しつけてもいけない。

 

 相手へ届く細さを保ち、途切れさせず、最後まで——。

 

 視界の端で、シャーナシアが動いた。

 

 訓練剣が左から振られる。

 

 アルマニアは反射的に杖を両手で持ち上げた。

 

 剣と杖がぶつかる。

 

 乾いた音と同時に、木の卵へ伸びていた光が消えた。

 

「失敗だ」

 

 講師が告げる。

 

「今のは斬られます」

 

「止めるに決まっているでしょう?」

 

 シャーナシアは、アルマニアの肩へ触れる寸前だった訓練剣を引いた。

 

「あなたは剣を防ごうとして、術の身振りをやめました。魔法ではなく、杖を選んだのです」

 

「何もしなければ、剣が当たります」

 

「だから、わたくしが止めます」

 

「それを信じろと?」

 

「わたくしが、病み上がりを本気で斬るとでも?」

 

 第2話でミレナへ言った言葉だった。

 

 あのときのアルマニアは、シャーナシアが加減できるか少し疑っていた。

 

 今も、少しだけ疑っている。

 

「その顔は何ですの?」

 

「次をお願いします」

 

「今、失礼なことを考えましたわね?」

 

     ◇

 

 二度目。

 

 光の糸が、木の卵へ伸びる。

 

 シャーナシアの剣が上がった。

 

 今度は見ない。

 

 古代語の一音一音へ意識を置き、溝を走る光だけを追う。

 

 足音が近づいた。

 

 外套を風が押す。

 

 剣が振り下ろされ——。

 

 ぴたりと止まった。

 

 頭の上、髪へ触れるか触れないかの場所だった。

 

 アルマニアは身をすくめたが、左手の印は崩さなかった。

 

 光が、木の卵の半分まで進む。

 

 こつん。

 

 訓練場の隅から、小さな音がした。

 

 アルマニアの目が、籠へ向いた。

 

 卵が動いている。

 

 もう一度、こつんと殻の内側から音がした。

 

「孵るんですか?」

 

 問いかけた瞬間、光の糸が揺れた。

 

 木の卵へ刻まれた溝から外れ、床へ落ちるように消える。

 

「失敗だ」

 

 講師の声がした。

 

 アルマニアは本物の卵へ駆け寄った。

 

「今、動きました」

 

「見ていた」

 

 飼育係は落ち着いたまま、卵へ耳を寄せている。

 

「殻にひびはない。温度も変わっていない」

 

「でも、中で——」

 

「生きているから動く。孵化が始まったら知らせる」

 

「僕も見ていた方が」

 

「お前が見て、何ができる?」

 

 答えが出なかった。

 

 温め方は飼育係の方が知っている。

 

 孵化の兆候は講師が見極められる。

 

 アルマニアが籠の横へ座っても、殻の中の雛を早く育てることはできない。

 

「心配することと、役に立つことは別ですわ」

 

 シャーナシアが背後に立っていた。

 

「昨日、屋根へ出た人に言われたくありません」

 

「あれは、わたくしたちにしか助けられない場面でした。今は違います」

 

 言い返そうとして、やめた。

 

 そのとおりだった。

 

「けれど、もし訓練中に孵化が始まったら?」

 

 アルマニアは飼育係を見る。

 

「知らせると言っただろう」

 

「聞こえなかったら?」

 

「わたくしが聞きます」

 

 シャーナシアが言った。

 

「あなたは術式だけを見なさい。卵に異変があれば、わたくしが止めます」

 

「剣も振るうんでしょう?」

 

「剣を振りながら、音を聞くくらいできます」

 

「二つ同時にしていませんか?」

 

「剣を振るうのも、あなたを見張るのも、卵の音を聞くのも、すべて同じ仕事です。あなたが余計なことをせず、術を完成させるようにするための」

 

 見事な言い分だった。

 

 だが、今この場で卵の音を任せるなら、シャーナシア以上に確かな相手はいない。

 

「分かりました。お願いします」

 

「最初から、そうなさい」

 

 得意そうに胸を張る。

 

 講師は魔法陣の中央へ、木の卵を置き直した。

 

「三度目だ」

 

     ◇

 

 アルマニアは杖を構えた。

 

 籠を見ない。

 

 窓の外の二羽も見ない。

 

 目の前にあるのは、木の卵へ刻まれた一本の溝だけだった。

 

「全知全能にして万能なるマナよ。我が声を道とし、我が意志を糸となせ——」

 

 杖の先から、青白い光が伸びる。

 

 細すぎず、太すぎず。

 

 自分の魔力を押しつけるのではなく、向こうへ届く道だけを作る。

 

 光が溝へ入り、木の卵を巡り始めた。

 

 シャーナシアが踏み込む。

 

 右から剣が来る。

 

 見えた。

 

 それでも杖を上げない。

 

 訓練剣は頬の横で止まり、風だけを残して引かれた。

 

 次は足元。

 

 アルマニアの爪先へ触れる寸前で、刃が止まる。

 

 光は切れない。

 

 卵の半分を越えた。

 

 窓の外で、二羽の鴉が鳴いた。

 

 翼が硝子を叩く。

 

 籠から、こつんと音がした。

 

 アルマニアは見なかった。

 

 異変があれば、シャーナシアが止める。

 

 彼女が何も言わないなら、今は自分の仕事を続ける。

 

 光が、木の卵の頂を回る。

 

 細い溝の終わりが近づく。

 

 シャーナシアの足音が消えた。

 

 どこから剣が来るのか分からない。

 

 確かめたい。

 

 だが、それは自分の仕事ではない。

 

 最後の古代語を唱える。

 

 光の糸が溝を一周し、最初の一点へ戻った。

 

 木の卵全体が、淡い青に光る。

 

「完成だ」

 

 講師の声と同時に、喉元へ冷たいものが触れた。

 

 シャーナシアの訓練剣だった。

 

「わたくしの勝ちですわ」

 

「これは勝負だったんですか?」

 

「あなたは魔法を完成させました。わたくしは剣を届かせました。両方の勝ちでよいでしょう」

 

「珍しく譲りますね」

 

「二人で鳴らした鐘ということにしたでしょう? あれと同じです」

 

 アルマニアは光る木の卵を見た。

 

 一本の細い光が、自分と卵を結んでいる。

 

 強く引けば壊れる。

 

 手を離せば途切れる。

 

 それでも、必要な分だけ魔力を流し続ければ、確かに向こうへ届く。

 

「今の感覚を忘れるな」

 

 講師が木の卵を持ち上げた。

 

「お前は術を完成させる間、卵の世話を他人へ任せた。身を守ることも、シャーナシアへ任せた。だから一本の道を最後まで結べた」

 

「一人では、使えない魔法なんですね」

 

「安全な場所と時間を作る者がいなければな。魔術師が一人で修めた呪文でも、使える状況は仲間が作る」

 

 シャーナシアが訓練剣を鞘へ戻した。

 

「わたくしがいれば、どのような魔法でも使わせて差し上げます」

 

「頼もしいですが、僕が魔法を使うたび剣を喉へ当てるのはやめてください」

 

「集中が続いているか、最後まで確かめただけです」

 

 講師は木の卵から光が消えるのを待ち、記録板へ印をつけた。

 

「練習は合格だ。だが、本物の命からは、こちらへ感覚が返ってくる。今日作った一本の道を、明日は卵へ結ぶ」

 

 アルマニアは籠を見た。

 

「明日?」

 

「孵化が始まる前に術を施さねばならん。今夜は飼育係と交代で見張れ。殻へひびが入ったら、すぐに私を呼べ」

 

「はい」

 

「わたくしも残ります」

 

 シャーナシアが当然のように言った。

 

「剣の訓練は?」

 

「昼のうちに済ませます。あなた一人へ卵を任せれば、心配のあまり一晩中抱えていそうですもの」

 

「抱えません」

 

「先ほど二度、触ろうとしましたわ」

 

「一度です」

 

「回数の問題ではありません!」

 

     ◇

 

 日が沈むと、訓練場は静かになった。

 

 暖炉の薪が弾ける音と、砂時計の砂が落ちる音だけが続いている。

 

 アルマニアは籠の右側へ座っていた。

 

 左側には、剣の手入れを終えたシャーナシアがいる。

 

「交代で見るのではなかったんですか?」

 

「今は、わたくしの番です」

 

「僕も起きています」

 

「なら、眠りなさい」

 

「眠れません」

 

「役に立たない心配はやめたのでしょう?」

 

「やめたとは言っていません。任せただけです」

 

 シャーナシアが、呆れたように息を吐いた。

 

「では、わたくしが見ています。あなたは明日の術を頭の中で復習なさい」

 

 アルマニアは目を閉じた。

 

 一本の道。

 

 自分から伸ばし、卵へ結ぶ細い糸。

 

 明日は、その向こうから別の命の感覚が返ってくる。

 

 右手の側で、小さな音がした。

 

 こつん。

 

 アルマニアは目を開けかけ、止めた。

 

「異常はありませんわ」

 

 シャーナシアの声を信じ、もう一度目を閉じる。

 

 すると今度は、左手の側から音がした。

 

 こつん。

 

 一つしかない卵を挟み、二人は同時に目を開けた。

 

「……今の音」

 

「左右から聞こえましたわね」

 

 毛織物の上で、青緑色の卵がわずかに揺れた。

 

 殻に、まだひびはない。

 

 窓の外では、二羽の鴉が闇の中から籠を見つめていた。

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