魔法戦士養成学校の万能戦士   作:駄文亭

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第8話 三人で一つ

 一つしかない卵から、二つの音がした。

 

 右から、こつん。

 

 左から、こつん。

 

 毛織物のくぼみで、青緑色の卵が揺れている。

 

「講師を呼びますわ」

 

 シャーナシアが立ち上がる。

 

「僕が行きます」

 

「あなたは卵を見ていなさい。今度は、それがあなたの仕事です」

 

 反論する間もなく、深紅の短外套が扉の向こうへ消えた。

 

 アルマニアは籠の前へ膝をついた。

 

 触れてはいけない。

 

 温めた石を動かしてもいけない。

 

 ただ、何が起きるかを見て、変化があれば知らせる。

 

 自分にできることが少ないからと、できないことまで始めない。

 

 右側で、もう一度音がした。

 

 殻の表面に、髪の毛ほどの細いひびが入る。

 

 それを追うように、反対側からもひびが伸びた。

 

「本当に二つ……?」

 

 卵へ顔を近づける。

 

 ひびの一方から、小さな嘴の先がのぞいた。

 

 次の瞬間、正反対の側から、もう一つの嘴が殻を押し上げた。

 

「先生! 早く!」

 

「呼んできましたわ!」

 

 扉が勢いよく開いた。

 

 シャーナシアに引かれるように講師が入り、その後ろから飼育係が湯気の立つ石と布を抱えて続く。

 

 講師は籠へ身をかがめた。

 

 二つの嘴が、殻の内側から交互に動いている。

 

「双子だ」

 

「鴉にも双子がいるんですか?」

 

「一つの卵へ二羽が育つことはある。だが、どちらも無事に孵ることは滅多にない」

 

 飼育係が新しい布を籠の周りへ詰めた。

 

「狭い殻の中で育ち、力も場所も足りなくなる。人の手で殻を割れば助けられるとは限らん。血管を傷つければ、その場で死ぬ」

 

 アルマニアは、伸ばしかけた手を膝へ戻した。

 

「では、僕は何をすれば?」

 

 講師が床へ銀粉の袋を置いた。

 

「予定どおり、ファミリアの術を使え。殻が開ききる前なら、二羽の命がどのようにつながっているか魔法で確かめられる」

 

「二羽には使えないと言いましたよね?」

 

「そのとおりだ。一人の術者が結べる使い魔は一体だけ。何が起きるか、私にも分からん」

 

 窓の外で、二羽の親鴉が激しく鳴いた。

 

 硝子を嘴で叩き、室内へ入れろと訴えている。

 

 飼育係が窓を開けると、二羽は籠の縁へ降りた。

 

 一羽が卵の右へ。

 

 もう一羽が左へ。

 

 夢の中と同じように、アルマニアを挟んで見つめる。

 

「やります」

 

「よく考えて答えなさい」

 

 講師は銀粉で籠を囲み、魔法陣を描き始めた。

 

「術式が片方だけを選べば、もう片方は普通の鴉として生まれる。二羽を別々に結ぼうとすれば、術は崩れる。途中で異常を感じたら、すぐに魔力を切れ」

 

「切れば、二羽は?」

 

「使い魔にはならん。それだけだ。孵化は飼育係へ任せる」

 

 二羽を助けるために、無理に魔法を完成させる必要はない。

 

 アルマニアの望みと、雛の命は別のものだった。

 

「分かりました」

 

 メイジスタッフを握り、魔法陣の前へ座る。

 

 シャーナシアが籠の向こうへ回った。

 

「わたくしは何を?」

 

「アルマニアの身体を見ていろ。二つの感覚が一度に返れば、本人が自分の異常へ気づけないことがある」

 

「また、この人を見張る役ですのね」

 

「不満か?」

 

「いいえ。誰より慣れていますわ」

 

 シャーナシアが正面からアルマニアを見る。

 

「魔法はあなたの仕事です。けれど、自分まで見失ったら、わたくしが止めます」

 

「お願いします」

 

 アルマニアは卵へ杖の先を向けた。

 

     ◇

 

「全知全能にして万能なるマナよ。生まれ出ずる命と我が魂を結び、目となり、耳となり、共に歩む友となす道を開け——ファミリア」

 

 杖の先に、青白い光が生まれた。

 

 昨日、木の卵へ作ったものと同じ細さを保つ。

 

 光の糸が魔法陣を巡り、籠の中へ伸びていく。

 

 殻へ触れた。

 

 その瞬間、アルマニアは暗闇へ落ちた。

 

 狭い。

 

 温かい。

 

 隣に、もう一つの温もりがある。

 

 自分の背へ押しつけられた柔らかな身体。重なって響く二つの鼓動。殻の外から呼びかける声。

 

 それを感じたのは、自分ではなかった。

 

 雛の一羽が感じている。

 

 そう理解した直後、別の暗闇が重なった。

 

 今度は、隣の背へ顔を押しつけている。すぐ近くに小さな翼があり、その向こうから青白い光が差している。

 

 二羽とも、生きている。

 

 二羽とも、互いを感じている。

 

 そしてアルマニアは、訓練場で杖を握る自分の身体まで同時に感じていた。

 

 右。

 

 左。

 

 中央。

 

 三つの場所が、一度に自分になる。

 

「アルマニア」

 

 シャーナシアの声が、三方向から響いた。

 

 目を開けているのか、閉じているのかも分からない。

 

 杖を握る指から力が抜ける。

 

「返事をなさい、アルマニア!」

 

「……聞こえて、います」

 

 答えた声が、自分の喉から出たものか確信できなかった。

 

 青白い糸が、卵の手前で揺れている。

 

 一本だったはずの光は、殻の中へ入ると二つへ分かれていた。

 

「魔力を切れ」

 

 講師が言った。

 

「術式は二つの命へ引かれている。このまま別々に結べば、道が裂ける」

 

 糸を切ればよい。

 

 二羽は普通の鴉として生まれる。

 

 それが最も安全だった。

 

 それでも、アルマニアには不思議なことが分かった。

 

 二つへ分かれた光は、別々の方向へ伸びているのではない。

 

 一羽へ触れた光が、もう一羽へも流れ、また最初の一羽へ戻っている。

 

 二つの鼓動は違う速さで打っていた。

 

 だが、どちらかが殻を押せば、もう一羽が身体をずらして場所を作る。

 

 片方だけでは、ここまで育つこともできなかった。

 

 二羽は別々の命だった。

 

 それでも殻の中では、すでに一つのものとして生きている。

 

「二本ではありません」

 

「何ですって?」

 

「外からは一本です。卵の中で分かれて、二羽を巡って戻ってくる」

 

 アルマニアは、新しい魔力を注ぐのをやめた。

 

 二本の糸を保とうとしない。

 

 一本の入口だけを支え、その先は二羽に任せる。

 

「僕が二羽を結ぶんじゃない。二羽は、もう互いにつながっている」

 

 揺れていた光が細くなる。

 

 殻の中で二つへ分かれ、二羽の間を巡り、一本へ戻る。

 

 押しつけない。

 

 引き離さない。

 

 今ある形のまま、自分へ迎え入れる。

 

「アルマニア、目を開けなさい!」

 

 シャーナシアの声がした。

 

 訓練場にいる自分の目だけを選び、開く。

 

 籠が見えた。

 

 杖を握る両手が見えた。

 

 正面から自分の肩をつかむ、シャーナシアが見えた。

 

「僕は、ここにいます」

 

「なら、最後までそうしていなさい」

 

「はい」

 

 古代語の最後の一節を唱える。

 

 魔法陣の光が籠へ集まり、卵を包んだ。

 

 二つの鼓動と、アルマニアの鼓動が重なる。

 

 一度だけ、同じ速さで鳴った。

 

「術式が閉じた」

 

 講師が、息を吐くように告げた。

 

 次の瞬間、殻が左右から割れた。

 

     ◇

 

 二羽の雛は、互いを押し出すようにして生まれた。

 

 黒というより灰色に近い濡れた羽毛を持ち、鴉とは思えないほど小さい。

 

 先に頭を出した一羽が、籠の右側へ転がった。

 

 もう一羽は左へ転がり、すぐに兄弟の方へ這っていく。

 

 二羽が身体を寄せると、ようやく鳴き声を上げた。

 

 かあ、とは鳴かなかった。

 

 きゅう、きゅうと、頼りない声だった。

 

「……鴉って、最初から偉そうに鳴くわけではないんですね」

 

「何を期待していましたの?」

 

 アルマニアが籠へ手を伸ばすと、右の雛が指をつついた。

 

 同時に、左の雛へ触れた感覚が頭の奥へ返ってくる。

 

 小さな嘴が指へ当たった感触。

 

 兄弟が人の指をつついている姿。

 

 自分が指をつつかれている痛み。

 

 三つが重なり、アルマニアは額を押さえた。

 

「痛い……」

 

「つつかれる前から痛がっていましたわよ?」

 

「つつく方の感覚も来たんです」

 

「便利なのか不便なのか、分かりませんわね」

 

 二羽の親鴉は籠の縁へ降り、雛の濡れた羽毛を嘴で整え始めた。

 

 片方がアルマニアを見る。

 

 もう片方も、少し遅れて首を向けた。

 

「名前をつけろ」

 

 講師に言われ、アルマニアは迷わなかった。

 

「右に出た方がギン。左に出た方がニンです」

 

「ずいぶん簡単に決めましたわね」

 

「長い名前は、もう知っていますから」

 

「長い名前?」

 

「ギンギルとニンギル。でも、呼びにくいのでギンとニンにします」

 

 二羽の親鴉が同時に翼を広げた。

 

 怒ったのかと思ったが、そうではなかった。

 

 一羽が錆びた鐘のような声で鳴く。

 

 もう一羽が澄んだ鐘のような声で続ける。

 

 そのまま窓から朝焼けの空へ飛び立ち、王都の屋根の向こうへ消えていった。

 

「気に入ったようですわね」

 

「どうして分かるんです?」

 

「あなたへ卵を押しつけた鴉ですもの。変わり者の考えは、変わり者同士で通じるのでしょう」

 

 籠の中では、ギンとニンが重なり合って眠っていた。

 

 どちらがどちらか、もう見た目では分からない。

 

 けれど、アルマニアには分かった。

 

 目を閉じれば、右側の温もりがギン。

 

 左側から兄弟の鼓動を聞いているのがニン。

 

 そして二羽の間へ、自分の鼓動も確かにつながっていた。

 

     ◇

 

 それから幾週かが過ぎた。

 

 ギンとニンは黒い羽根を揃え、訓練場の梁から梁へ飛べるようになった。

 

 姿も声もそっくりだったが、ギンは光るものを見つけるとすぐ近寄り、ニンはまず高い場所から周りを見る。

 

 ただし、片方が何かを見つければ、もう片方もほとんど同時に同じ方角へ首を向けた。

 

 第三段階の修了実習の日、ギンは学院の北塔へ、ニンは南の城壁へ連れていかれた。

 

 アルマニアは訓練場の中央へ立ち、目隠しをされている。

 

「始め」

 

 講師の声に、二羽へ意識を伸ばした。

 

 北塔にいるギンの目には、白い板が見えた。

 

 そこへ、助手が黒い丸を描く。

 

 南の城壁にいるニンの目には、別の白い板がある。

 

 もう一人の助手が、三角を描いた。

 

「北が丸。南が三角です」

 

「同時に見えたのか?」

 

「はい。けれど——」

 

 黒い丸を追うと、三角がぼやける。

 

 三角へ意識を向けると、丸が遠のく。

 

 二つとも見えている。

 

 だが、二つを同じ鮮明さで考えようとすると、足元にある自分の身体が消える。

 

 アルマニアは一歩よろめいた。

 

 肩をつかまれ、引き戻される。

 

「二カ所を見るために、自分の立っている場所を忘れてどうしますの?」

 

 目隠しを外すと、シャーナシアが目の前にいた。

 

 訓練剣の切っ先が、アルマニアの胸へ触れている。

 

「二つの目があっても、あなたの身体は一つですわ」

 

「分かっています」

 

「分かっている者は、敵の前で棒立ちになりません」

 

「実習中に剣を向けるとは聞いていません」

 

「見えていない場所から来る危険も分かるのが、使い魔ではなくて?」

 

 反論できなかった。

 

 講師が記録板へ印をつける。

 

「二地点の感覚を受け取れることは確認した。ただし、一度に考えられることも、動かせる身体も増えてはいない。普段は一羽ずつ感覚を借りろ。二羽へ同時につなぐのは、必要なときだけにしろ」

 

「はい」

 

「術式上も、使い魔は一体として数える。二羽を別々の場所へ置けても、二つの呪文を使えるわけではない」

 

「それも分かっています」

 

「今、少し残念そうな顔をしましたわね?」

 

「確認しただけです」

 

 北と南から、二羽の鳴き声が届いた。

 

 ほどなく、ギンとニンが訓練場へ戻ってくる。

 

 一羽がアルマニアの右肩へ。

 

 もう一羽が左肩へ降りた。

 

 二羽は同時に、アルマニアの頭をつついた。

 

「痛いです!」

 

「集中を切らした罰でしょう」

 

「シャーナシアがやらせたんですか?」

 

「使い魔へそのような命令はできないのでしょう?」

 

 彼女は得意そうに胸を張り、訓練剣を肩へ担いだ。

 

「けれど悪くありません。わたくしが前を切り開く間、あなたは二羽の目で残りを見なさい」

 

「使って差し上げる、ではないんですか?」

 

「あなたを使うのは変わりません。その範囲が少し広がっただけですわ」

 

 シャーナシアは踵を返した。

 

「次の課程は探索者科でしょう? 壁の向こうを見るだけで満足せず、自分の目でも罠を見つけられるようになりなさい」

 

「そのつもりです」

 

「なら、そこで待っています。今度は剣と魔法以外で、わたくしの役に立つところを見せなさい」

 

 深紅の短外套が、訓練場の出口へ消えていく。

 

 アルマニアは右肩のギンを見た。

 

 ギンの目を通して、左肩のニンが見える。

 

 ニンの目を通して、右肩のギンが見える。

 

 その真ん中に、自分がいる。

 

 一本だった魂の糸は、二羽の間で枝分かれした。

 

 それでも、結ばれたファミリアは一つだった。

 

 アルマニアと、ギンと、ニン。

 

 三人で一つの、アルマニアだけのファミリアだった。

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