薬師寺涼子の怪奇事件簿 ✕ シャム猫 First Mission【ドラよけお涼とシャム猫の怪奇事件簿】 作:クリリ☆
【シャム猫撤退】
ナオミは倉庫の外で待機していた補佐役のイッペーの車へと向かい、静かに眠る少女を後部座席に乗せた。
アクセルを踏み込み、夜の首都高へと車を走らせながら、バックミラー越しに少女の姿を確認したイッペーが尋ねる。
「この子、どうしたんですかナオミさん?」
「どうやらテロリストたちに誘拐されていたみたいなの。身元が分かるまで、彼女の身柄は私たちが保護するわ」
「分かりました。……それにしても、相変わらずギリギリのスケジューリングですね」
「ふふ、急いで。本番まであと30分もないんだから」
車は夜の街を滑るように駆け抜け、ラジオの放送局であり、同時に『シャム猫』の隠された拠点でもあるビルへと到着した。
二人は手早く少女を抱え上げると、関係者以外立ち入り禁止の控え室へ運ぶ。硬めのソファに優しく横たえ、ブランケットをかけてやる。
安らかな寝息を立てるオレンジ色の髪の少女を見届けたナオミとジュンは、すぐさま台本を手に取り、生放送へ向けた準備へと意識を切り替えた。
【深夜のラジオ放送】
そうして時計の針がてっぺんを指した瞬間、スタジオに『ON AIR』の赤ランプが点灯し、深夜12時ジャストにラジオの生放送がスタートした。
「こんばんは! というわけで今夜のテーマは『猫特集』。皆さん、今日投稿するラジオネームには必ず『猫』をつけて送ってくださいね!」
「さっそく一通目のお便りが届いているわ。ラジオネーム『ヤニ猫』さんから」
「ヤニ猫さん、ありがとうございます!」
「『ニャーは煙草が大好きニャ。でも妹が身体を気遣って禁煙しろってうるさいニャ。自分でもやめようと思ってるけど、どうしても吸っちゃうニャ。どうすれば禁煙できるか教えてほしいニャ?』……だって」
お便りを読み上げ、二人は思わずクスッと顔を見合わせた。
「いやあ、すっかり猫になりきってますね」
「本当ね。これは次からのリスナーのお便りのハードルが上がっちゃうかも。で、ナオミは禁煙するにはどうすればいいと思う?」
「そうねえ。今の喫煙量を10として、いきなり0にするのはやっぱり難しいと思うのよね。だから、一日に吸う本数を徐々に減らしたり、ニコチンの軽い銘柄に変えたりして、段階的に0へ近づけていったらどうかな? ジュンは何か良いアドバイスある?」
「そうね! 例えばだけど……煙草に火をつけたら、毎回自分の腕に根性焼きして火を消すっていう『自分ルール』を作るのはどうかしら? 怖くなって絶対火をつけられなくなると思うわ!」
「いやいや、それはちょっと極端すぎるでしょ! もし本当に試してヤニ猫さんの腕が根性焼きの跡だらけになっちゃったら、ジュンのせいだからね?」
「えー、愛煙家の勲章じゃない!」
「そんな訳ないでしょ!」
深夜特有の軽快でテンポの良い雑談を交えながら、二人は届いたリスナーからのお便りを次々と紹介していった。先ほどまで日本転覆を謀るテロリスト相手に拳を振るっていたとは誰も思わない、和やかな時間がスタジオの中に流れていく。
「それではここで一曲お届けします。ラジオネーム『猫猫(マオマオ)』さんからのリクエストで、緑黄色社会で『花になって』」
軽快なイントロがスタジオ内に流れ出し、マイクのオンエアランプが静かに切り替わる。
二人はヘッドホンを外すと、ふうと息を吐いて背もたれに深く体を預けた。曲やCMを挟みながら、その後もテンポよくお便りを読み上げ、深夜の電波を彩っていった2時間の生放送は、あっという間にフィナーレを迎えたのだった。
「――以上、お相手はジュンと!」
「ナオミでした! それじゃあみんな、おやすみなさい!」
カフが下ろされ、無事に放送終了のサインが出る。スタジオ内の緊張が一気にほぐれ、時計の針はすっかり深夜2時を回っていた。
【記憶喪失の少女】
放送を終えた二人は、少女が眠る控え室へと向かった。
静かにドアを開けて室内へ足を踏み入れると、その微かな気配に反応したのか、ソファの上で少女がゆっくりと身を起こした。長いまつ毛が揺れ、綺麗な瞳が薄っすらと開かれる。
「良かった、気がついたのね」
ジュンがホッと胸を撫で下ろし、優しい笑みを向けた。
「……ここは、どこ……?」
「ここは、とあるラジオ局の控え室よ。私はジュン、隣にいるのがナオミ。……ねえ、あなたのお名前は?」
「名前……?」
ジュンに問いかけられ、少女は不思議そうに首をかしげた。そして自分の胸にそっと手を当て、記憶を辿るように少し考え込んでから――ぽつりと呟いた。
「……分からない」
「えっ?」
「私……自分の名前も、それに……それ以外も、何も思い出せない……っ」
少女は混乱したように頭を抱え、小さな体をきゅっと丸めてしまった。
思わぬ言葉に、ジュンとナオミは驚いて顔を見合わせる。
「……いわゆる、記憶喪失ってヤツかしら」
「身体に目立った傷もないし、頭部を強く打った痕跡もないわ。……もしかしたら、テロリストに拘束されていた精神的なショックで、一時的な記憶障害を起こしているのかも」
精神的なショックによる一過性の健忘症――ナオミの推測にジュンもうなずく。だが、このまま怯えさせるわけにもいかない。ジュンは腰を落として少女と目を合わせ、柔らかい声で話しかけた。
「でも、呼び名がないとちょっと不便よね」
「そうね。名前を思い出すまでの間、何か呼び名をつけましょうか」
二人でうーんと顎に手を当てて少し考える。やがて、ナオミが何かを思いついたように手をポンと叩いた。
「『モナミ』っていうのはどうかしら?」
「モナミ?」
「ええ。フランス語で『私の友達』とか『愛しい人』って意味があるの。柔らかくて素敵な響きでしょ?」
「モナミ……うん、すごく可愛い! 決まりね!」
ジュンがニッコリと微笑み、少女――モナミの目をまっすぐに見つめた。
「そういうわけだから、記憶が戻るまではあなたの名前は『モナミ』よ。よろしくね、モナミ!」
「……モナミ……。うん……ありがとう、ジュンさん、ナオミさん」
自分の新しい名前を確かめるように呟いたモナミの表情に、ほんの少しだけ安らぎの色が灯っていた。
【穏やかな日々】
それから数日間、幸いにもシャム猫に新たな出撃命令は下りず、三人は穏やかな日々を過ごしていた。
モナミはジュンとナオミがシェアするマンションへと身を寄せた。
二人は空いた時間を見つけてはモナミを街へ連れ出し、新しい洋服を買い揃えてやったり、話題のカフェで色鮮やかなスイーツを並べて女子会に興じたりと、心休まる時間を共有した。
最初はどこか遠慮がちで硬かったモナミも、二人の温かさに触れるにつれて次第に心を開くようになっていった。そしてある日、助けてもらったせめてものお礼にと、二人に手料理を振る舞うと言い出したのだ。
キッチンに立ち、レシピ本と睨めっこしながら包丁を握る手つきは、どこかたどたどしく危なっかしい。だが――食卓に運ばれた料理を一口口にした瞬間、ジュンとナオミは目を丸くして顔を見合わせた。
「な、何これ……すっごく美味しいんだけど!?」
「ええ……まるで一流レストランの料理みたい。レシピ本通りに作っただけで、どうしてこんな味が出るの……?」
まるで一流シェフが腕を振るったかのような絶品の仕上がり。当のモナミは「口に合いましたか……?」と少し首をかしげて微笑むばかりだったが、その隠れた才能(?)に二人はすっかり胃袋を掴まれてしまっていた。
そんな賑やかで平和な日常が続いていた、ある日のこと。
補佐役のイッペーから「モナミちゃんの身辺調査について、少し分かったことがあります」と連絡が入る。
二人はモナミに「ちょっと仕事の打ち合わせに行ってくるから、お留守番頼むわね」と言い含め、拠点であるラジオ局へと向かうのだった。
【モナミの謎】
会議室。普段のラジオ番組の打ち合わせとは一変し、重く張り詰めた空気が場を支配していた。
「で、モナミについて分かった情報って何かしら?」
ジュンが真剣な面持ちで切り出す。補査役のイッペーは手元の資料に目を通しながら、慎重に言葉を選んで切り出した。
「まず、AIを活用して18歳未満の日本国民全員の顔画像データと照合を行いました。……ですが、該当するデータは一切検出されませんでした」
「データなし……? つまり、モナミはこの国の国民ではないってこと?」
「普通に考えればそうなります。ですが、一方で非常に奇妙なデータの一致が見つかったんです」
「奇妙な一致?」
「モナミちゃんの指紋、そしてDNA情報がある人物と『100%完全に一致』しました」
「……ちょっと待って。DNAが一致したなら、それがモナミなんじゃないの?」
「それが――データ上の該当人物は、今も別の場所で普通に生活しているんです」
「どういうこと……?」
首をかしげる二人に対し、イッペーは静かにノートパソコンの画面を彼女たちの方へと向けた。モニターには、一枚の証明写真風の画像が表示されている。
「彼女の名前は、薬師寺涼子(やくしじ りょうこ)。警視庁に所属する27歳の警視であり……アジア最大の警備会社『JACES』の社長令嬢でもあります」
「薬師寺……涼子……?」
モニターに映し出されていたのは、息をのむほどに美しく、どこか高貴な雰囲気を漂わせた大人の女性だった。
だが、その顔立ちはあまりにもモナミに似ていた。というより――モナミがそのまま順調に成長したら、きっとこんな美しい顔立ちになるのだろうと思わせる骨格。そして何より、あの印象的で鮮やかなオレンジ色の髪が瓜二つだったのだ。
「どういうことよ、これは……!? 全く同じDNAを持った人間が、年齢違いで二人存在するなんて!」
「考えられる可能性は大きく分けて二つあります。一つは……モナミちゃんが、薬師寺涼子の複製(クローン)人間であるという可能性」
「クローン……!? もう一つは?」
「薬師寺涼子には実は一卵性双生児の姉妹が存在し、10年近くコールドスリープ(冷凍睡眠)されていたという可能性です」
「そんな……クローン人間に、コールドスリープだなんて。SF映画じゃないんだから……」
「ですが、誕生して間もない複製人間であるか、あるいは長期間の冷凍睡眠による影響だとすれば……モナミちゃんが一切の記憶を失っていることの辻褄が合ってしまうんです」
イッペーの淡々とした分析に、ジュンとナオミは言葉を失い、深刻な表情で沈黙した。
テロ組織『アジアの虎』の影、そして暗躍するクローン技術と警視庁のキャリア警視。点と点が不気味に繋がり始めている。
「……どうやら、直接その『薬師寺涼子』って人に会ってみるしかなさそうね」
暗がりの中、二人はモニターの中で冷たい微笑をたたえる薬師寺涼子の顔を、ただ静かに見つめ続けていた。
続く