薬師寺涼子の怪奇事件簿 ✕ シャム猫 First Mission【ドラよけお涼とシャム猫の怪奇事件簿】 作:クリリ☆
【警視庁の女王陛下】
朝8時10分。
警視庁本庁舎の慌ただしい空気の中、泉田準一郎(いずみだ じゅんいちろう)が自身のデスクに到着すると、タイミングを見計らったように後輩の貝塚さとみが近づいてきた。その手には湯気の立つマグカップが握られている。
「おはようございます、泉田さん。モーニングコーヒーをどうぞ」
「おはよう、貝塚さん。ありがとう」
泉田は礼を言い、受け取ったマグカップから一口すする。コクのある温かい苦味が口内に広がり、朝の冷えた身体に染み渡っていく。慌ただしい一日の始まりにおける、ほんの束の間の安らぎだった。
――が、その平和な時間は、デスクの上の内線電話が鳴り響いたことで一瞬にして崩れ去る。貝塚が素早く受話器を取り上げた。
「おはようございます、こちら刑事部参謀……ええ。はい、はい、分かりました」
幾度か相槌を打った後、受話器をそっと戻した貝塚が、同情を含んだ視線を泉田へ向けた。
「泉田さん。薬師寺警視が大至急、お部屋に来るようにとのことです」
「……」
泉田は思わず小さくため息をついた。「大至急」という言葉が彼女の口から出るとき、大抵ロクでもない事しか起きない。
「了解です……」
泉田は一気に飲み干すにはまだまだ熱すぎるコーヒーを、覚悟を決めて喉奥へと流し込んだ。胃の腑が熱を帯びるのを感じながら、マグカップをデスクに置く。
「ごちそうさまでした。それではちょっと行ってきます」
「お疲れ様です、お気をつけて……」
貝塚の見送る声に手を軽くあげて応えながら、泉田は諦観混じりの足取りで執務室のドアを開け、廊下へと踏み出した。
コンコン、とドアを軽く叩いてから、泉田は警視室の中へと足を踏み入れた。
「おはようございます、警視」
部屋の奥、まるで高級ホテルのスイートルームかのような豪華なデスクにどっかりと腰掛けていた薬師寺涼子(やくしじ りょうこ)が、入ってきた泉田をジロリと鋭い視線で見据える。
「遅いわよ泉田くん。一体何時だと思ってるの?」
「ええと、8時20分です……まだ勤務時間前だと思いますが?」
「何言ってるのよ。私が勤務時間いっぱい存分に動けるよう、あなたは私が来る前からここで待機してなきゃダメでしょう」
相変わらずのメチャクチャで理不尽な言い分だが、ここで下手に反論すれば火に油を注ぐだけだということは、長年彼女の部下を務めてきた泉田の身体に骨身に染み込んでいる。
「……すみません。下の部屋でコーヒーをいただいていたものですから」
「ふうん……。つまり泉田くんは、私よりもコーヒー(と、それを渡した女)の方が大事だって言うのね?」
「いえ、そんなつもりじゃ……」
泉田はタジタジになりながら頭をかく。
――しかし、彼女的には単に理不尽な不満をぶちまけているわけではない。
性格が歪みに歪み切っているため素直に言葉にすることはないが、彼女は彼女なりに泉田準一郎という男に好意を寄せており、不器用なりにかなり積極的なアプローチを繰り返している。
しかし、彼女のあまりに高圧的な態度と、泉田の筋金入りの鈍感さが最悪の相乗効果を生み出し、その真意が泉田に伝わる気配は微塵もない。
今の「コーヒー」を巡るトゲのあるやり取りも、後輩の貝塚さとみから笑顔でコーヒーを受け取っていた(であろう)泉田に対する、涼子流の嫉妬と独占欲の強さの表れだったのだが、当の泉田は「今日も朝から不機嫌だな」程度にしか受け止めていないのだった。
【女王陛下の華麗なる「お仕事」】
「それじゃあ行くわよ、泉田くん」
「はい」
言われるがままに涼子のあとに続いて警視庁を出た泉田だったが、連れてこられたのは事件現場ではなく、都心有数の高級ブランド店が立ち並ぶショッピング街だった。
涼子は店に入ると、一着何十万、時には百万円を超えるようなハイブランドの服やバッグを、値段のタグすら見ずに気に入ったそばから手当たり次第に指さしていく。
「これと、これ。あっちの新作もお願い」
「かしこまりました、薬師寺様!」
店員たちが恭しく頭を下げ、素早く商品をまとめていくのを横目に、泉田は大量の紙袋を両手に抱えながら、おずおずと声をかけた。
「あの……警視。今は一応、勤務中ですよね……?」
「何言ってるのよ、これも立派な『業務』の一環よ。私が気分良く仕事をするために必要なものを、私費で調達してるんだから、文句を言われる筋合いはないわ」
「は、はあ……」
涼子はポケットから光沢を放つ黒いカード――選ばれし者しか持てない最高級のブラックカードを提示し、事もなげに会計を済ませる。たった一店舗での買い物の総額が、自分の月給の何ヶ月分……いや、下手をすれば何年分になるのだろうかと、泉田は遠い目になった。
薬師寺涼子は、日本最大の警備会社『JACES(日本警備保障)』の社長令嬢であり、筆頭株主でもある。そこから上がる個人的な収益だけでも年間数億円に上る超資産家だ。
しかもJACESは、警視庁の上層部がこぞって再就職する格好の天下り先でもある。それゆえ、たとえ警視総監であろうと彼女にだけは絶対に頭が上がらない。
階級こそ「警視」に過ぎないが、権力と資金力、そして何よりその苛烈な性格において、彼女は実質的に警視庁の頂点に君臨する『女王陛下』だった。
【アルテミス強奪事件】
「とりあえず、今日はこれくらいにしておくわ」
「はぁ……助かった……」
ようやくショッピングの手が止まり、泉田は心底ホッと胸を撫で下ろした。
両手では抱えきれないほどの大量の手荷物だったが、すべてJACESの専用配送サービスで涼子の自宅マンションへ直送の手配を済ませると、ようやく両手が自由になり、身軽さを取り戻した。
「それじゃ、この後は『シャム猫』との会食よ」
「シャム猫……? なんですか、それは。ペットショップでも行くんですか?」
「そんな訳ないでしょ。『アルテミス強奪事件』を影で解決した、対テロリストに特化した国防の要というべき存在よ」
「アルテミス強奪事件……?」
泉田は一瞬首を傾げた。涼子は過去に起きた大事件や怪奇現象に対し、自分の感性で『〇〇事件』と勝手なネーミングをつけ、周囲の人間にもその呼称を当然のように強要する癖があった。
「忘れたの? 今から約一年前、国防の最終決戦兵器『アルテミス』を、『アジアの虎』の首謀者・海藤俊介が強奪して、東京を火の海にしかけた事件があったじゃない」
「ああ、あの事件ですか。……ですが警視、私の記憶では、あのアルテミス強奪事件を解決して都民を救ったのは、対テロ特殊部隊の『マイティードッグ』だったと思いますが?」
「表向きはね」
「表向き……?」
「そうよ。テレビや新聞でちやほやされているマイティードッグの影で、泥をかぶって実質的に事件を終わらせたのが『シャム猫』なのよ」
「そうだったんですか」
泉田が感心したようにうなずくと、涼子は歩みを止め、サングラスの隙間から冷ややかな視線を泉田に向けた。
「なお、シャム猫の存在は国家の最高機密(トップシークレット)だからね。むやみやたらに外で口にすると、人知れず消されちゃう恐れがあるから注意しなさい」
「ちょっと、冗談でも怖いこと言わないでくださいよ」
「別に、冗談じゃないわ」
いつもの意地悪な軽口のようにも聞こえたが、いつの間にか涼子の瞳は真剣そのものだった。泉田の背筋に、思わず寒気が走る。
「それにしても、そのシャム猫と会食だなんて、一体どんな用件なんですか?」
「詳細は私も聞かされていないわ。ただ、何やら『私に直接会わせたい人物がいる』とのことよ」
「警視に会わせたい人物……?」
泉田は首を傾げた。警視庁刑事部参謀であり、JACESの筆頭株主でもある薬師寺涼子にわざわざ直接引き合わせたい人物とは、一体何者なのだろうか。
「国防の要であり、対テロの最終切り札であるシャム猫からの呼び出し……。少なくとも、ただの和やかなお食事会で終わるとは到底思えないわね。気を引き締めていくわよ、泉田くん」
「はい、警視!」
涼子は不敵な笑みを浮かべると、ハイヒールの音を響かせて歩き出した。その背中に漂う圧倒的な存在感と緊張感に、泉田もまた表情を引き締め、そのあとに続く。
不穏な予感を孕んだまま、二人は約束の場所――指定された都内の高級ホテルへと向かうのだった。
続く☆