薬師寺涼子の怪奇事件簿 ✕ シャム猫 First Mission【ドラよけお涼とシャム猫の怪奇事件簿】 作:クリリ☆
【余韻に浸る暇もなく…】
モニターの中で激しい爆発を繰り返し、漆黒の海底へと消えていくアルテミス。その壮絶な最期を見届けながら、泉田は深く、長い息を吐き出した。
これから待ち受ける警察上層部への報告や、山のような書類作成、記者会見の対応など、事後処理のことを考えると今から気が重い。だが、とにかく全員が生きてこの絶望的な危機を乗り越えたのだ。
全身を包む安堵感の中、泉田の腕には依然として、スーツの上着に包まれたモナミが大切そうに抱えられたままだった。
睡眠薬の影響か、それとも特殊なポッドに長時間入れられた事で心身が衰弱しているのか、彼女はしばらく目を覚ます様子はなさそうだった。
――と、その時。
背後から氷点下を大幅に下回るような、あまりにも冷ややかな視線が突き刺さった。恐る恐る振り返ると、そこには眉をひそめ、不機嫌のどん底と言わんばかりの表情で自分を睨みつける涼子の姿があった。
「泉田くん、いつまでモナミを抱いてるの」
「えっ……あ、あっ、失礼しました……!」
泉田は慌てて謝罪した。激しい脱出劇の余韻で、モナミを抱きかかえたままだった事すら忘れていた。だが、どれほど不可抗力であろうとも「薬師寺涼子」という女王の嫉妬心に妥協はない。たとえ相手が自分自身のクローンであろうとも、自分以外の女性に泉田が触れていること自体、彼女にとっては容赦がならない出来事なのだ。
泉田は冷や汗を流しながら、潜水艦の壁際に設置されたクッションベンチへ、慎重にモナミを横たえた。
これで何とか追及を免れたか――そう胸を撫で下ろしたのも束の間、涼子は腕を組み、ツカツカと迫ってきた。
「それにしても、モナミを抱き上げる時、エッチな目で見てなかったかしら?」
「い、いえ! 断じてそんな目では見ておりません!」
全力で否定する泉田。だが、ここで持ち前の生真面目さと余計な配慮が裏目に出てしまう。
モナミは涼子の思春期頃の容姿そのものだ。ここで「全く何も感じなかった」と切り捨ててしまっては、涼子自身のプライドを損なってしまうのではないか――そんな余計な思考回路が働いてしまったのだ。
「いや……でも、その……警視にも、あんな風に可愛らしい時代があったのかなと、ほんの少しだけ思ったような……」
言った瞬間、潜水艦内の温度が急降下した。
「何よ。それじゃまるで、今の私は可愛くないみたいじゃない!」
「あっ、いや! 決してそういう訳では……!」
涼子の瞳に危険な業火が灯る。慌てふためく泉田の醜態に、傍らのジュンとナオミは呆れつつもクスクスと笑いを漏らし、イッペーと石動少佐は関わらないようにと、静かに遠くの方を見つめていた。
【立つ鳥跡を濁さず】
無事に陸上へ生還したのも束の間、霞が関の警視庁本庁舎に戻ってからの時間は、アルテミスでの死闘に負けず劣らずの怒涛の慌ただしさだった。巨大要塞の出現と激沈という、前代未聞の国家的大惨事。事態の収拾と真相の隠蔽のため、警視庁上層部や警察庁、さらには官邸までも巻き込んだ緊急会議が何重にもセットされ、大手メディアが詰めかけた記者会見場はフラッシュの嵐と怒号に近い質問で埋め尽くされた。
もちろん、世間や報道陣に向けた公的な発表において、「シャム猫」といった裏の存在が明かされることはない。表向きの筋書きはいたってシンプルに書き換えられた。
『警視庁参事官・薬師寺涼子警視の卓越した指揮と、防衛省・警察庁の精鋭(マイティードッグ)による迅速な強襲作戦により、接収された防衛要塞アルテミスは無力化・沈没処理された』
あまりにも手柄を一手に掠め取ったような発表だが、それこそが警察組織の面目を保ち、同時にシャム猫たちの存在を暗闇のなかへ隠蔽するための完璧な情報操作だった。
会見で横暴かつ堂々たる態度でフラッシュを浴び、記者たちの意地悪な質問をことごとく論破していく涼子の姿を、泉田は会見場の隅で溜息をつきながら眺めていた。
嵐のような対応が一巡し、ようやく参事官室へと戻ってきた泉田は、ふと静まり返った部屋を見渡す。
つい先刻まで部屋の隅にいたはずのジュンとナオミ、そして泉田のスーツに包まれて眠っていたモナミの姿は、すでにどこにもなかった。
警視庁へ到着し、上層部や報道陣が蜂の巣をつついたような大騒ぎになっているその隙を突き、彼女たちは風のように手際よくモナミを連れ出し、姿を消していたのだ。
「……彼女たち、本当に見事な去り際ですね。お礼の一言くらい言わせてくれても良かったのに」
ポツリと呟いた泉田に、デスクの豪華な革椅子へと深く腰掛け、高級な紅茶を口に含んだ涼子が、フッと不敵な笑みを漏らした。
「バカね泉田くん。彼女たちは闇に生きる者たちなのよ。警察のスポットライトが当たっている場所に長居するような野暮な真似をするわけないでしょう。それにしても……」
涼子はティーカップをソーサーに戻すと、遠く東京湾の方角を見つめた。
「彼女は、モナミはどう生きるのかしらね……」
【黒幕からの宣戦布告】
その日の夜。都内の雑居ビルの一角にあるシャム猫の拠点兼スタジオで、ジュンとナオミはいつものようにラジオ放送を開始していた。
軽快なオープニングトークが一段落すると、二人はリスナーから届いたお便り(メッセージ)の紹介へと移る。
「最初のお便りは……、先日もお便りをくれた『ヤニ猫』さんですね」
「『ヤニ猫』さん、いつもありがとうございます」
「『先日、久しぶりに里帰りしたニャ。そしたらお母さんが煙草を一本ちょうだいというのであげたニャ。そしたら何も言わず二本取って同時に吸い始めたニャ。酷いニャ、一本返せニャ』……だって」
思わず顔を見合わせ、クスッと笑いを漏らす二人。
「ふふ、この様子だと、禁煙は失敗に終わったみたいね」
「まあ、身体のためにも煙草はほどほどにしてほしいけど」
「それにしても、ヤニ猫さんは相変わらず猫になりきった文章ですねえ」
二人は顔を見合わせて微笑み合い、静かにヘッドフォンに手を当てた――。
「それでは、続いてのお便りは……ラジオネーム『芝の女王』さんから」
「『芝の女王』さん、ありがとうございます」
「ええっと、何々……『シャム猫に薬師寺警視、アルテミスの撃沈お見事でした。今度、直接お会いできるのを楽しみにしております……』」
そこまで口にして、ジュンはハッと息を飲んだ。
アルテミス撃沈の裏でシャム猫が暗躍していたことなど、警視庁内でもごくごく一部の人間しか知らない極秘事項だ。事前に確認して弾いておくべきだったお便りをうっかり読み上げてしまい、ジュンは冷や汗を流して激しく後悔した。
(しまった……! 事前チェックをすり抜けてたなんて……!)
だが、生放送中に引き返すことはできない。二人は瞬時にプロの顔を取り戻し、何事もなかったかのように平静を装って会話を繋いだ。
「シャム猫? さて、何のことかしら。この前やった『都市伝説 猫獣人は本当にいるのか!?』の話かしらね?」
「そうねえ。それに、ニュースでやってたマイティードッグは『ドッグ』なんだから、猫じゃなくて犬じゃないかしら?」
「ええ、きっとそうね!」
相当に苦しい苦肉の策だったが、無理やり強引に誤魔化しきると、ジュンは慌てるように次のメールに目を通した。
同時刻。カーラジオから流れるシャム猫の軽快なトークが、夜の高速道路を滑るように走る高級外車の車内に静かに響いていた。
運転席でハンドルを握る泉田と、後部座席で足を組んで優雅に揺られていた涼子。
だが、『芝の女王』というラジオネームがスピーカーから発せられた瞬間、後部座席の空気が目に見えて凍り付いた。
ミラー越しに見える涼子の顔から余裕の笑みが完全に消え去り、その瞳に僅かな不穏と戦慄の色が走る。
「まさか……『芝の女王』って……」
「どうかされたんですか、警視?」
急に真顔になった涼子の気配を察し、泉田がバックミラー越しに問いかける。涼子は腕を組み、不機嫌というよりは重々しい思考に沈む声で呟いた。
「泉田くん、警視庁の『芝庁舎』を知っているかしら?」
「芝庁舎……ですか? はい、警視庁の別館施設の一つですが……それが何か?」
「表向きはただの警察施設だけど……裏では政財界や警視庁の暗部にも通じている、得体の知れない部署よ。そして、芝庁舎を実質的に支配し、暗闇から警察組織をも動かすフィクサー、通称『芝の女王』よ」
「芝の女王……!?」
「正体は完全に謎に包まれているけれど、総理大臣をも意のままに動かせる圧倒的な権力と、一国の国家予算をも凌駕するほどの資金力を持っているとも言われているわ」
言いながら、涼子の脳裏に研究所を立ち出る際に金子博士が漏らしていた一言が蘇っていた。
『おそらく、海藤のバックで莫大な資金と設備を援助している『黒幕』が存在するはずです……』
「……点と点が繋がったわね」
涼子は低く冷ややかな声で呟いた。
「もしその『芝の女王』が裏で糸を引いているのだとしたら……モナミを作り出したあの常軌を逸したクローン技術も、巨大要塞アルテミスをこの短期間で製造させた途方もない資金源も、すべて説明がついてしまう」
「そ、そんな……! じゃあ、海藤俊介は本当にただの尖兵に過ぎなかったというのですか!?」
泉田は絶句した。あの絶対的な絶望と思われたアルテミスですら、巨大な陰謀のほんの一片に過ぎなかったというのか。
沈没間際、激痛に顔を歪ませながら海藤俊介が吐き捨てた最後の言葉――『これで全てが終わったと思うな』。
あの呪いのような言葉が指していたのは、まさしくこの見えざる巨大な闇、『芝の女王』のことだったのだ。
「それにしても警視。どうして芝の女王はわざわざ自分の存在を仄めかすような事を言ったのでしょうか? 我々に悟られない方が都合が良かったのでは?」
「あら、そんな事も分からないの」
「警視には理由が分かるんですか?」
泉田は運転しながら、ミラー越しに涼子の表情を伺う。
「そんなの決まってるでしょう。私たちに対する宣戦布告よ」
「宣戦布告!?」
「いよいよ本格的に芝の女王が動くって事よ。……上等じゃない」
沈黙を破り、涼子の口元に獰猛で美しい笑みが浮かんだ。恐怖を塗りつぶすような圧倒的な自信と不屈のプライド。涼子は紅い唇を吊り上げ、夜のハイウェイの先を見据えた。
「ここからが本番って事ね。泉田くん、気合入れて行くわよ!」
「はい、警視!」
流れる街灯の光が車内を交互に照らし出す中、二人の意識は静かに、しかしたしかに「新たなる敵」へと向けられていた。
東京湾の決戦は幕を閉じた。しかし、本当の戦いはまだ始まったばかりなのだった。
【エピローグ:モナミのファーストミッション】
それから、数ヶ月の時が流れた。
すべての事件が幕を閉じ、穏やかな日常を取り戻した中で、モナミの前には二つの選択肢が提示されていた。
一つは、過去のすべてを捨て、自分の顔も生い立ちも誰も知らない遠くの街で新たな人生をやり直す道。普通の女の子として、普通の幸せを掴む道だ。
そしてもう一つは、ジュンやナオミたちと同じように、闇の世界に潜み、日本の平和を守るために戦う道。すなわち『リコリス』として生きる道だ。
モナミは幾日も真剣に悩み、そして「私もジュンさんやナオミさんみたいな素敵な強い女性になりたい」と、自らの意思で後者の道を選んだ。
ただし、戦場で銃を握る戦闘要員としてではない。イッペーのように仲間たちを影から支える、後方支援としての役割だ。
その第一歩として、モナミは深夜ラジオ放送の機材操作とアシスタントを担当することになった。
「今日もやってきました、『ジュンとナオミのミッドナイト・トーキング』の時間です!」
防音効果のある密閉されたスタジオで、ヘッドフォンをつけたジュンがマイクに向かって軽快に語りかける。
いつものように二人の息の合ったトークが展開され、番組が一段落したところで、ジュンがミキサーブースのモナミへと視線を向けた。
「それでは、すっかり番組の常連さんですね。ラジオネーム『ヤニ猫』さんからのリクエスト曲をお届けします。忘れらんねえよで、『なんもねえ』」
ジュンの合図に合わせ、モナミは少々緊張した手つきながらも正確にミキサーのフェーダーを押し上げた。
スピーカーから流れ出したのは、飾り気のない不器用な歌詞と、泥臭くも胸を打つ魂の叫びをそのままメロディに乗せた熱いロックナンバーだった。
曲が順調にスタジオ内と電波に乗って流れ始めたのを確認し、ブースの向こうからジュンとナオミが「グッジョブ」とばかりにサッと親指を立てて見せる。
それを見たモナミも、少し照れくさそうに、けれど誇らしげに親指を立ててみせた。
誰かの複製ではなく、一人の人間、「モナミ」として歩み始めた小さな一歩。
深夜の街へと解き放たれた音楽とともに、彼女たちの戦いの日々は続いていくのだった。
終わり
【後書き】
最終話までご覧いただき、ありがとうございました。古かったり、知名度が高い作品ではないと思うため、見てくださった皆様は本当に原作を愛されている方なんだろうなあと思います。
そして、シャム猫を書いた小説は現状、他で見ないので(薬師寺涼子は二次創作小説もある)、恐らくこれが『世界初』なのではないかと思います。インターネットで検索しても、本作しかヒットしませんね。この人跡未踏の地を踏む快感は、何とも言えぬ気持の良い物があります。
アニメの方では、薬師寺涼子の怪奇事件簿のラスボスが『芝の女王』こと『石動瑠璃子(いするぎ るりこ)』になります。今思うと、奇跡的に『石動少佐(石動 智明)』と同じ姓ですね。何か関連付けがあっても面白いかも知れませんね。次はシャム猫と石動少佐が敵対するとか。
とにかく、今回もリクエスト作品を無事に完結まで書き上げられて良かったです。読者様からのリクエストはかなり広く受け付けておりますので、ご興味のある方はご気軽にメッセージを送ってみてください。