今黒杖特捜官は、決断を迫られていた。個人単位でやれることはほぼ全てやって来た。だが一向に状況は進まない。ようやくの事で他の地脈がほどほどに集まっている地点を発見し、そこの地点にあった下水道を、聖杯から押し付けられた陣地作成スキルで工房と化す。そこまでやって各マスター連中の様子を調査してみたところ……。
「ランサーのマスターであるケイネス・エルメロイ・アーチボルトが、セイバーのマスターである衛宮切嗣の居城、文字通りの郊外の森にある城に攻撃を仕掛け、返り討ちに遭った、だと?」
これは先日滅びたアサシンがまだ元気なうちに洗脳して得た各マスターの情報を元に、各所に備えていたカメラやマイク、並行して使い魔にした小動物や昆虫など、それら全てから得られた情報を総合した結果である。これによると、アインツベルン城(仮称)に籠城したセイバー陣営に対し、ランサー陣営はランサーをセイバーに当てている間にケイネス自らが衛宮切嗣に直接攻撃を仕掛けて、彼が持っていた魔弾による攻撃を受け、ケイネスが再起不能に陥った模様なのだ。
「衛宮切嗣の切り札の魔弾は、どうやら魔術に対するほぼ完全完璧なカウンターか。僕とは相性、悪いな。……魔術や魔道具の類で受けなければ、それでいいんだろうが。
警戒して置くに越した事は無いけどなあ。監督役、何をやっているんだ。どのマスター陣も、未だに聖杯戦争を続けている。監督役が、僕の出した証拠を疑っているのか? ……それが正解に近いのかも、な」
そして黒杖特捜官はひたすらに考える。最悪の、最悪の、更に最悪の場合を想定して。そうして出した答えは、ある意味最悪の物であった。
*
下水道を改造した工房で、黒杖特捜官は買い込んだラップトップのパソコンを使い、必死に計算を繰り返していた。更にその都度、テキストエディタと日本語入力フロントエンドプロセッサを起動し、アルファベット漢字カナ混じりの妙に複雑な文章でガリガリとドキュメントを作成して行く。そうして出来た仕様書を元に今度は幾多の魔術の呪文構築を行う。
そしてしばし時間が経過した後、黒杖特捜官は顔を上げる。表情は無い。能面のごときその顔だが、内心は苛立ちと焦りで苛まれていた。かつて公安で使役されていた頃の自己精神拘束状態に戻る気はさらさら無いが、それでもあの時の感情を持たない氷の精神の強固さだけは、欲しいと思わざるを得ない。
「だが……。呪文群の構築は完了だ。ここに呪文編纂機があれば、もっとずっと容易に、もっとずっと簡便に、もっとずっと早期に素早く、もっとずっと安定した呪文を編纂できていたはずなんだが」
彼は立ち上がった。肉体的疲労は、無い。だが精神的疲労は激しい。しかし彼は、精神賦活の呪文を脳裏に呼び出しすると前頭部にインプラントした素子を介して呪力増幅杖に交霊、圧唱した。即座に効果は表れ、気分がすっきりする。
そして彼は、徐に歩き出した。行く先は、未遠川の川辺。本来この世界では大っぴらな魔術行使は、魔術の秘匿が極めて重要視されるという事情から、極めて重いタブー視をされている。しかして異世界から漂着した魂のサーヴァント化である黒杖特捜官には、その意識は薄い。まあだが、彼とてこの世界に於ける魔術師たちの法を蔑ろにするつもりは、あんまり無いのだが。
*
しばしの時を経て、黒杖特捜官は未遠川の川辺に到着。
キュキュキュキュンキュキュキュンキュンキュン!!
この世界の魔術師たちに気を遣ったか、それとも邪魔が入るのを厭ったのかは不明だが、黒杖特捜官は仕事の前に広域に人払いの呪を展開する。呪力増幅杖が騒がしく鳴り響き、そして周辺から人の姿が消えた。ライトアップされている冬木大橋の上からも、人はおろかそこを通らねば遠回りになってしまうであろう自動車の姿すらも居なくなる。
それが済むと、彼は儀式本番に入る前に、店員を催眠状態に落として偽りの身元で購入してきた旅行者用のプリペイドカード携帯電話を取り出した。そして掛ける先は、110番。
『はい、こちら110番警視庁です。事件ですか、事故ですか』
「……〇〇県冬木市の円蔵山を、これより砲撃する。これは我々●●解放戦線の本気を示すための示威行動だ。あくまでこれはデモンストレーション、砲撃後に本当の目標とこちらの要求を伝える。ただ、デモンストレーションで死人を出すのは申し訳無くてな。柳洞寺の僧侶ども、急ぎ退避させた方がいいぞ、ククク」
『な!? ちょ』
そして彼は、電話をガチャ切りして、携帯電話を捨てる。もう用済みだから、だ。あえて円蔵山の本体からは、必死の努力で焦点をずらし、あらかじめその眼に宿しておいた望遠視力で柳洞寺『だけ』を見遣る。しばし待つと柳洞寺の建物に灯りがともり、幾多の生命反応が活性化、急ぎ参道を下りて行くのが見えた。
かつて法の番人であった自負が、自身を責める。が、そのまま黒杖特捜官は呪力増幅杖に多数の呪文を圧唱させた。
キュン! キュキュキュン! キュキュンキュン! キュン! キュンキュンキュン!
魔力による砲門が、形を表して行く。その強大さにより、なまじな視力に対する施呪を施さずとも、一般人の眼にすらも、形が見える。砲身形成が完了したなら、次は弾体だ。攻撃そのものに魔力を使っては、駄目だ。自身の魔力が大聖杯に届いたなら、あくまで最悪の場合ではあるが、それを気脈扱いにして泥が伝い、サーヴァントである自身を食われかねない。それで終わるのであれば、まだいい。終わらなければ、彼自身だけが食われて、大聖杯の中身が暴走する事もあり得た。
だから、弾体は魔力で分解した重金属粒子。強圧的な電荷を持たせたソレである。ソレを、雷撃呪文の応用で亜光速にまで加速し、射出する。その威力を以てして、あの円蔵山ごと大聖杯を吹き飛ばすのだ。まったく魔力の介在しない、荷電粒子の束で。
「まだか……。まだ僧侶たちの避難は終わらないか……」
重金属粒子は今にも暴発しそうなほどの電荷を蓄積し、加速開始を待ちわびている。おそらくは命中時、放射線も発生するであろうから、充分に僧侶たちが円蔵山から離れないとならない。黒杖特捜官は祈るような気持ちで、その時を待つ。
*
そして閃光の一撃が、彼の全ての努力を無駄にした。
*
破魔の紅薔薇の一閃が、魔力で構成された砲身を貫き、限界まで電荷を貯め込んだ荷電粒子が互いの電荷の反発で互いを弾き合い、その威力が大爆発を起こす。攻撃を行った者は、爆発に巻き込まれて吹き飛ばされ、川辺の大地に叩きつけられた。
攻撃者はサーヴァントであるが故に、荷電粒子の爆発は単純な物理ダメージであるが故に、ダメージにはならない。しかしながら、大地は魔術的に地脈などが流れている場所でもあり、大地そのものも魔力の流れ的に電気工学のアース的な働きを持っている。つまりは大地そのものが、魔術的な意味合いがあるが故に、爆発の勢いで大地に叩きつけられたその者は、大ダメージを負う事になったのだ。
黒杖特捜官は、一瞬の判断で自在護符を『呪盾』にして衝撃をやり過ごした。が、直後彼は大地に叩きつけられた相手に向かい、怨念の込められた声を放つ。呪的発声……相手の精神を鷲掴みにする声で。
『……そこを動くな。ランサー……ディルムッド・オディナ』
「がっ……。く、がああぁぁ……」
もがくランサーだったが、しかし彼の耐魔力を貫く呪的発声が彼を縛る。遠くから、女の声が、悲鳴が聞こえたかに思えた。おそらくは、ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリだろう。ケイネスの婚約者だが、ランサー自身が意図せず彼女を篭絡『してしまった』のではないかと推察されていた相手。……だが、そんな事はどうでもいい。さしもの人払いと言えど、これだけの大爆発が起きればその認識を覆すのは、もはや不可能。荷電粒子砲の再構築も、無論。
つまりは、円蔵山粉砕作戦は、水泡に帰した、のだ。
だが、天空から蹄の音がする。うるさい喚き声も。
「AAAーーーurrrrrrッ!!」
「ら、ライダあああぁぁぁ!?」
「……貴様ら、か」
ランサーが天から降って来たのは他でもない。こいつらが乗せて来たのだ。黒杖特捜官は知らない事だったが、彼が僧侶たちの避難のために円蔵山への砲撃予告を警視庁に入れたが故、それが回り回って聖堂教会から監督役の言峰璃正神父に届き。彼が大聖杯を破壊しようとしている事を危険視した言峰神父は遠坂時臣と語らって、かつて第三次までの聖杯戦争で敗退マスターから受け取った預託令呪を景品に、『キャスターの討伐』を指示したのだ。
無論、璃正神父は大聖杯が汚れているやもしれぬとの思いは持ってはいた。しかし息子である綺礼からのあれ以来の報告が無い事などから、信ぴょう性が薄いのではとも思っていたのだ。そしてとりあえず、聖杯戦争遂行の危険になるキャスターを排除してから考えよう、という甘い考えに至ったのである。
二頭の牡牛に牽かれる戦車。その牡牛の蹄からは、ソレが虚空を踏む都度に雷が迸る。そしてそれを見た黒杖特捜官は呪力増幅杖を高く掲げた。
キュキュキュン!!
高速詠唱。高密度の雷撃呪文。電子ビームとでも見まごう雷の束が戦車、神威の車輪に迫る。ライダー、征服王イスカンダルは必死に戦車を操って雷撃を避けた。そう思った。
「ぬおう!? 何が……!!」
「う、うわぁっ!?」
「ち、坊主掴まれ!」
空中で戦車が、神威の車輪が転覆した。厳密にはそれを牽く二頭の牡牛、神牛が足元からひっくり返り、それに引っ張られた戦車本体が吹き飛ぶような形でひっくり返ったのだ。
ウェイバーが叫ぶ。
「そ、そうか電磁誘導!!」
「……ご明察だ」
「な、なんだそれは!? い、いや坊主放すなよ!」
そう、電磁誘導による発生磁場で、電流の流れ自体がローレンツ力により受ける力で、戦車と言うか雷を纏った神牛の蹄が持ち上げられてひっくり返ったのだ。そしてウェイバー・ベルベットを庇う形で、ライダーであるイスカンダルは大地に叩きつけられた。そのはるか向こう側に、神威の車輪が落着して、少しばかり拉げる。
黒杖特捜官は身体施術で身体能力を強化すると、ライダーらに走り寄った。
ガン! ガン! ガン! ガン!
装甲されたブーツの、激しい足音が鳴り響く。ライダーは必死に身体を起こすが、そこに蹴りが飛んだ。
「がぼぉっ!」
「ぐあっ!!」
バシャン!
ライダー主従は、仲良く吹き飛んで、川に落ちた。そしてそこに聞こえる鈴の音のような澄んだ声。
『輝ける彼の剣こそは』
『過去・現在・未来を通じ戦場に散ってゆく全ての兵たちが今際の際に懐く、哀しくも尊き夢』
『その意志を誇りと掲げその信義を貫けと糾し今常勝の王は高らかに手にとる奇跡の真名を謳う』
『其は……』
濃密な殺気。一撃で黒杖特捜官を消し飛ばさんとする怒り、憤り、そして哀しみ、嘆き。色々な物が混じり、そして放出される光。だが黒杖特捜官は、す……と左掌を掲げる。そこにあるのは自在護符。文様が表すのは、『呪盾』。
「約束された勝利の剣!!」
セイバーが振り下ろした大剣からの光の奔流が、黒杖特捜官を押し包む。押し流さんとする。だが彼は、能面の様な顔で、その内側にやりきれない怒りと憤りを抱え、ひたすら左掌の自在護符に魔力を流す。対城宝具の威力を支える反動か、自在護符が埋め込まれている左掌から、赤い、紅い、鮮血の雫が流れ落ちた。
そして、閃光が消える。黒杖特捜官は……。立って、いた。セイバーは唖然と立ち尽くす。彼女の声と、アイリスフィールの驚愕の叫びが重なる。
「馬鹿、な」
「そんな!?」
「何故だね?」
黒杖特捜官が、尋ねる。その貌は、いつもの無表情。能面の様な顔。しかして両の眼からは、血の涙が流れていた。セイバーは、答える。
「わたしは……。わたしは聖杯を信じる!!」
「そうか」
キュン! キュン! キュン! キュン! キュン! キュン! キュン! キュン! キュン! キュン! キュン!
無数の圧唱。圧唱。圧唱。圧唱。圧唱。圧唱。圧唱。圧唱。圧唱。圧唱。圧唱。呪力増幅杖の先端部から吐き出される、無数の呪弾。呪弾。呪弾。呪弾。呪弾。呪弾。呪弾。呪弾。呪弾。呪弾。呪弾。
セイバーは、騎士王は17発目までは剣で斬り落とした。18発目から29発目までは、鎧を纏ったその身体で受けたが、耐えた。セイバークラスの特典である耐魔力は、効果を発揮していない。おそらくキュンという一瞬の音節に、何音節もの長い詠唱が隠されているのだろう。そして彼女は、30発目、31発目、32発目、33発目、34発目の5発をその五体に受けて倒れる。倒れた身体を、更に呪弾が打つ、打つ、打つ、打つ。撃つ、撃つ、撃つ、撃つ。
「ま……。まだ、だ……」
「……」
よろよろと立ち上がろうとするセイバーに、黒杖特捜官は黙したまま右手の呪力増幅杖を掲げて答えと為す。ここにバーサーカーでも来てくれたなら、自分の手でセイバーにとどめを刺さずに済むのに、と彼は思った。何故かバーサーカーは、来ない。何処か他の場所に居るのだろうか。
ドスッ!
足元に突き刺さる、1本の黄金の槍。見上げると、そこには黄金と翡翠で出来た、空飛ぶ船が浮いている。そしてその玉座に座しているのは、金ピカのアーチャーである。……情報収集の結果、黒杖特捜官はソレが英雄王ギルガメッシュであると理解している。英雄王は、全ての宝物の原点を持つ、らしい。故に、インド神話の神々の財であるヴィマーナですらも、保有しているのだろう。
「ククク、その辺にしておけ。……しかし騎士王の聖剣も清冽で美しかったが。それを受けて事も無げに防ぎきる貴様には驚かせられたわ。いや、事も無げ、とまでは行かぬか?」
「……」
キュキュン!
黒杖特捜官は飛翔の呪文を圧唱。ふわりと宙に翔んだ。左掌からは、聖剣の一撃を防いだ代償か、ぼたぼたと血が垂れ落ちている。顔は、無表情だが血の涙を流し続けていた。
「貴様、最初の時はただの鼠だと思っていたが、なにどうして中々魅せてくれるではないか。褒美に我自ら相手をしてやろうぞ」
「……」
そして金ピカのアーチャーの背後の空間が揺らめき、無数の宝剣、宝槍、宝鎚、宝斧、その切っ先が突き出す。今まさに、発射準備態勢と言う所だ。それを睨みつつ、黒杖特捜官は血涙の流れるままの顔で、呪力増幅杖を構えた。