・学園パロディー
・比企谷八幡×橘ひなの
・独自設定、設定改変
・恋愛要素
・キャラクター解釈
原作、ご本人、所属団体および関係者各位とは一切関係ありません。
※本作は、作者本人がpixivおよびハーメルンに同一内容を掲載しています。
投稿時期や修正の反映状況により、軽微な表記の違いが生じる場合があります。
俺の名前は比企谷八幡。
目つきが悪いだの、腐った魚の目をしているだの、周囲からの評価は散々だが、その程度はもう慣れた。人間、同じ悪口を何度も浴びせられると、傷つくより先に聞き流す技術が身につく。これを成長と呼ぶか、諦めと呼ぶかは意見が分かれるところだろう。
それより厄介なのは、俺という人間が他人の記憶に定着しないことである。
去年、同じクラスだった男子と廊下ですれ違ったとき、真顔で「あれ、お前どこかで会ったっけ」と聞かれたことがある。一年間、同じ教室で授業を受け、体育では同じチームにもなった相手に、だ。
文化祭の実行委員を一緒に務めた女子からは、最終日の打ち上げで「えーと、ヒキタニくん、だっけ」と呼ばれた。
比企谷がヒキタニになった瞬間である。
訂正しようとしたものの、周囲が醸し出す「細かいことはいいじゃん」という空気に敗北し、俺は黙って頷いた。
極めつけは、中学最後の集合写真だった。
カメラマンの「もう少し中央に寄って」という指示で全員が詰め直した結果、端にいた俺だけがフレームの外へ押し出された。誰も気づかなかった。完成した写真を見たクラスメイトたちは「よく撮れてる」と満足げに笑っていた。
俺がそこにいないことに気づいたのは、俺だけだった。
あの写真は今も家の机の引き出しに入っている。捨てるほど腹も立たず、飾るほどの思い入れもない。たまに何かを探しているときに出てきて、そのたびに俺は、集合写真にすら所属できなかった自分の立ち位置を再確認する。
誰かが悪意を持っているわけではない。ただ単純に、俺は忘れられやすい。それだけの話だ。
そして、悪いことばかりでもない。
誰にも期待されなければ、誰にも失望されない。名前を覚えられなければ、面倒な人間関係にも巻き込まれにくい。存在感の薄さは、いつしか俺にとって鎧になっていた。
中学二年の頃、一度だけ、その鎧を自分から脱いだことがある。
相手は折本かおり。同じクラスの女子だった。
折本は誰に対しても気さくだった。教科書を忘れたやつには机を寄せ、廊下ですれ違えば名前を呼び、つまらない冗談にも笑った。当然、俺にも同じように接した。
当時の俺には、その「誰に対しても」が見えていなかった。
俺に話しかける。俺の話で笑う。たまに一緒に帰る。
それだけのことで、自分は少しくらい特別なのではないかと考えた。親切と好意の区別もつかないまま、放課後の昇降口で告白した。
折本は驚き、それから困ったように笑った。
「ごめん。そういうふうに見たことなかった」
振られたこと自体は、今なら当然だと思える。
問題は、その後だった。
翌日には、教室の隅で「あいつ、折本に告白して振られたらしい」という噂が流れていた。折本に悪意があったかどうかは知らない。ただ、彼女にとっては友達へ話せる程度の出来事で、俺にとっては二度と思い出したくない出来事だった。それだけ温度が違った。
廊下で俺を見た誰かが、名前を思い出せないまま言った。
「あれ、折本に告白したやつじゃね?」
名前ではなく、失敗だけが覚えられていた。
俺が何を思って告白したのか、何日悩んだのか、どれだけ緊張していたのか。そんなことは誰の記憶にも残らない。ただ「勘違いして振られたやつ」という便利な見出しだけが、俺本人よりも長く教室に居座った。
そこから俺は、一つの教訓を得た。
女子が話しかけてくることに意味はない。笑いかけてくることにも意味はない。親切は好意ではなく、気さくさは特別扱いではない。
勝手に意味を足さなければ、勝手に傷つくこともない。
以来、俺は会話そのものを避けたわけではない。必要なら話すし、聞かれれば答える。ただし、相手の言葉に書かれていない意味だけは、絶対に読み取らないことにした。
そうしていれば、同じ間違いは繰り返さない。
そう思っていた。
春の始業式の日までは。
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新しいクラス名簿が貼り出された掲示板の前には、毎年恒例の人だかりができていた。誰と同じクラスだとか、担任が誰だとか、周囲では歓声と悲鳴が交互に上がっている。
俺は人の隙間から自分の名前だけを確認した。
二年F組。
名簿の中に知っている名前はいくつかあったが、向こうが俺を知っている保証はない。仮に去年同じクラスだったとしても、翌年まで記憶が持ち越されるとは限らないのだ。人間関係にも年度更新というものがあるらしい。
俺は誰かに声をかけることもなく、早々に教室へ向かった。
途中、校舎脇の花壇で倒れたじょうろが目に入った。蛇口が半開きのままで、水が地面へ流れ続けている。近くには誰もおらず、細い水の筋だけが土をえぐっていた。
誰かが止めるだろうと思って通り過ぎかけた。
五歩ほど進んで、足が止まった。
このまま放っておけば、昼には花壇の端が泥だらけになる。だからといって、俺が片づける義理もない。そもそも学校という組織は、善意で穴を埋めた人間ほど、次から当然のように穴埋め要員として扱う傾向がある。
つまり、関わらないのが最適解だ。
最適解だったはずなのに、結局俺は戻った。
蛇口を閉め、倒れたじょうろを元に戻す。水を吸って傾いていた土を靴の先で寄せ、踏まれて折れかけていた花を、近くに落ちていた細い枝で支えた。
我ながら中途半端な善行である。
誰かに褒められたいわけではない。むしろ見られたら困る。こういうところを見つかると、「意外と優しいんだね」などという勝手な評価をつけられ、次から優しさを期待される。
だから、誰も見ていないことを確認してから、その場を離れた。
教室では、担任の平塚先生が黒板の前に立っていた。
「今日から一年間よろしくな。私としては、去年より平和に終わればそれでいい」
教師の新年度の挨拶として、それでいいのだろうか。まあ、生徒側も大半は「面倒事なく進級できればいい」と思っているので、ある意味では正直な担任である。
俺の席は窓際から二列目、廊下側から三番目。誰の視界にも中途半端に入り、誰の記憶にも中途半端に残らない絶妙な位置だった。出席番号順という偶然の産物だが、俺にとっては理想郷に近い。
机に鞄を掛け、窓の外へ視線を逃がす。
新しいクラスでは、すでにあちこちで会話が始まっていた。以前からの知り合いを見つけた者、新しく友達を作ろうとする者、互いの部活を確認する者。初日の教室では、誰もが自分の居場所を早めに確保しようとする。
俺はその競争に参加しない。
居場所というものは、作れば失う可能性が生まれる。最初から持たなければ、奪われることもない。実に合理的だ。
そんなことを考えていると、隣の椅子が大きな音を立てて引かれた。
長い髪をピンクと黒のツートンに染めた女子が、遠慮なく腰を下ろす。
見た目だけなら、クラスでも指折りの美人だろう。すっと通った鼻筋に、意志の強そうな目。髪色は目立つが、不思議と下品には見えない。
ただし、椅子を引く音も鞄を置く音もやたらと豪快で、繊細という言葉からは遠そうだった。
より正確に言えば、そんな目立つ女子が隣へ座った時点で、俺の中では注意報が発令されていた。
会話ができないわけではない。問題は、こういう誰にでも気さくそうな女子の言動に、こちらが勝手な意味を足してしまう危険性である。
よく笑う。距離が近い。初対面でもためらいなく話しかける。
折本かおりで一度履修済みの類型だった。同じ単元で二度赤点を取るほど、俺も学習能力がないわけではない。
彼女は鞄の中を一通り探ったあと、何かを思い出したようにこちらを見た。
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ひなの「ねえ、比企谷くんだよね」
自分が呼ばれたと理解するまで、わずかに間が空いた。
名字を一度で正確に呼ばれたことには驚いた。
だが、それ以上の意味はない。掲示板には名簿があったし、隣の席なら確認する人間もいる。ここで「俺の名前を覚えてくれた」などと感動し始めれば、中学二年生の俺と同じである。
そう自分へ言い聞かせてから、ようやく口を開いた。
「……俺か」
ひなの「隣に他の比企谷くんがいるなら、その人かも」
反射的に周囲を見た。当然いない。どうやら初手から軽くからかわれたらしい。
「いないな」
ひなの「じゃあ、比企谷くんで合ってるね」
「……よく覚えてたな」
ひなの「隣の席だし。名簿に書いてあったでしょ」
「名簿を見ただけで覚えるやつもいるんだな」
ひなの「普通、隣の席の人の名前くらい覚えるでしょ」
「その普通が俺にはあまり適用されない」
ひなの「なにそれ」
「大体、一週間もすれば『えっと、誰だっけ』になる」
ひなの「じゃあ、忘れないように何回も呼んであげる」
さらりと言ってのけるあたり、少なくともこいつにとって、人の名前を覚えることは特別な行為ではないらしい。
会話の調子は少し掴めた。
ただし、油断はしない。こういう気さくな態度は、たぶん俺だけに向けられたものではない。橘にとっては隣の席の人間へ挨拶しているだけで、そこに特別な意味など一文字も書かれていない。
「そのためだけに呼ばれるのも困る」
ひなの「面倒くさいなあ。覚えられたいのか、放っておいてほしいのか、どっちなの?」
「……適度に認識されて、適度に放っておかれたい」
ひなの「注文が細かい」
「人間関係は距離感が大事だからな」
ひなの「初対面でそれ言う人、初めて見た」
「悪かったな」
ひなの「別に悪いとは言ってないよ。変わってるとは思ったけど」
こういうとき、気の利いた男子なら冗談の一つでも返すのだろう。生憎、俺の脳内会議では『黙る』と『逃げる』が圧倒的多数を占めていた。
ひなの「橘ひなの。よろしくね、比企谷くん」
「……ウッス」
警戒しすぎた結果、口から出たのは挨拶というより、突然話を振られた人間が反射的に漏らした音に近かった。
橘は一瞬だけ目を丸くし、それから堪えきれなくなったように噴き出した。
ひなの「がはははは! なに、その返事。すごいぎこちないんだけど?」
美人然とした外見からは想像もつかない、ずいぶん豪快な笑い方だった。その落差に、俺は一瞬、虚を突かれる。
「……おう。笑い方の癖がすごいな」
ひなの「え、そっち?」
「初対面の人間からそんな豪快な笑い声が返ってくるとは思ってなかったわ」
ひなの「そんなに変かな。よく言われるけど」
「自覚はあるのかよ...」
ひなの「あるけど、別に直す気はないよ。笑いたいときに笑ってるだけだし」
「潔いな」
ひなの「でも、ちょっと引いたでしょ」ムスッ
「虚を突かれただけだ」
ひなの「本当かなあ」ニヤッ
「疑い深いな」
ひなの「で、比企谷くんはなんでそんなにぎこちないの?」
「予想外だっただけだ」
ひなの「何が?」
「初日から隣の席の人間に、まともに挨拶されることが」
ひなの「挨拶くらいするでしょ。これから一年、隣なんだから」
「そういうものか」
ひなの「そういうものだよ。もしかして、女子と話すの苦手?」
「苦手というより、警戒している」
ひなの「私、そんなに怪しい?」
「お前個人の話じゃない。誰にでも気さくな女子という存在全般に対する警戒だ」
橘は呆れたように目を細めた。
ひなの「何それ。過去に何かあった人の言い方じゃん」
「詮索するな。古傷は空気に触れると化膿する」
ひなの「重っ。挨拶しただけなのに、話が重いよ」
「だから警戒していると言っただろ」
ひなの「はいはい。じゃあ、警戒されない程度によろしくね、比企谷くん」
「……善処する」
ひなの「そこは普通に『よろしく』でいいんだけど」ジトーッ
橘はまた笑った。
おそらく、こいつは誰に対してもこうなのだろう。話しかけて、笑って、自然に距離を縮める。それを自分だけに向けられたものだと勘違いするほど、俺ももう純真ではない。
ひなの「でも、比企谷くんって思ってたより面白いね」
「それは褒めてないだろ」
ひなの「褒めてるよ。覚えやすくていいじゃん」
覚えやすい。
橘が何気なく口にしたその言葉に、今度こそ返事をし損ねた。
会話としては大事故に近かったが、なぜか彼女は楽しそうに笑っていた。
それだけの会話だった。
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だが、平塚先生が出席を取り始めても、俺の頭には小さな違和感が残っていた。
掲示板の名簿には、名字と名前が並んでいただけだ。座席表まで貼られていたわけではない。隣の席が俺だと知るには、教室に入って座席を確認してから、改めて名簿と照らし合わせる必要がある。
わざわざそこまでするだろうか。
いや、する人間もいるのだろう。世の中には初日に全員の顔と名前を一致させようとする、対人関係の初期設定に熱心な者もいる。俺には理解できないが、理解できないからといって存在しないことにはならない。
そう結論づけ、考えるのをやめようとした。
ホームルームが終わる直前、橘がふいにこちらへ顔を寄せた。
ひなの「そういえば朝、花壇にいたよね」
不意に顔を寄せられ、反射的に上体を引いた。近い。
距離が近いからといって、親しいとは限らない。そういう人間は誰に対しても近い。頭ではそう処理したのに、身体のほうは律儀に心拍数を上げていた。
そこへ花壇の話まで重なり、心臓がもう一度、不自然に跳ねた。
「……見てたのか」
ひなの「うん。廊下の窓から」
「なら先に言え。誰も見てないと思ってた」
ひなの「見られたら困ることだった?」
「困るというか、面倒になる」
ひなの「花を直しただけで?」
「そういうことをする人間だと思われると、次から期待される」
ひなの「期待されるの、嫌なんだ」
「期待は失望の予約券だからな」
ひなの「なにそれ。言い方ひねくれすぎ」
橘は呆れたように言ったが、笑わなかった。
その代わり、少しだけ目を細めてこちらを見た。からかうでもなく、評価するでもなく、何かを確かめるような視線だった。
ひなの「でも、誰も見てなくても戻ったんでしょ」
「後味が悪かっただけだ」
ひなの「それを優しいって言うんじゃないの?」
「違う。単なる自己満足だ」
ひなの「じゃあ、自己満足できるくらいには優しいんだね」ニヤッ
「勝手に結論づけるな」
ひなの「じゃあ、そういうことにしとく」ニッ
橘は満足そうに口元を緩めた。
やはり話が通じない。
それなのに、不思議と不快ではなかった。
見られたくなかった姿を見られ、勝手な評価までつけられた。普段なら警戒すべき状況である。それでも橘の言葉には、俺を決めつけて囲い込もうとする感じがなかった。
ただ、見たものを覚えている。
それだけだった。
放課後、教室を出るとき、橘は友人らしい女子に呼び止められていた。俺はその横を通り過ぎる。
ひなの「また明日ね、比企谷くん」
まさか自分に向けられた言葉だとは思わず、二歩ほど進んでから振り返った。橘はこちらを見ている。どうやら聞き間違いではないらしい。
また明日。
「また明日」は、たぶん橘にとって挨拶以上のものではない。
ここで意味を探すな。明日も俺と話したいのだ、などと都合よく解釈するな。
「……おう」
結局出たのは、さっきよりわずかに人間らしいだけの返事だった。橘は気にした様子もなく、友人の輪へ戻っていった。
俺は一人で昇降口へ向かいながら、朝からの出来事を思い返していた。
名前を呼ばれた。
見られていないと思っていた行動を見つけられた。
明日も話すことを、当然のように約束された。
どれも大したことではない。普通の人間なら、わざわざ意識することですらないのだろう。
だが俺にとっては、そのどれもが少しずつ普通ではなかった。
そして翌日の昼休み。
教室から姿を消し、誰にも教えていない駐輪場裏で弁当を広げていた俺の頭上から、聞き覚えのある声が降ってきた。
ひなの「あ、やっぱりここにいた」
俺はそのとき初めて知った。
忘れられることよりも、見つけられることのほうが、ずっと心の準備が必要らしい。
第一話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、新学期の教室で比企谷八幡と橘ひなのが出会うお話でした。
他人と必要以上に関わらず、教室でも一人でいることを選ぶ八幡。
そんな彼の隣の席になったのは、明るくて、遠慮なく話しかけてくるひなのでした。
八幡にとって、ひなのは自分の適正距離へ平然と踏み込んでくる相手。
一方のひなのにとっても、何を考えているのかわからない八幡は、なぜか放っておけない存在です。
この時点では、二人の間に恋愛感情はありません。
ただ隣の席になっただけ。
それでも、お互いのことを少しだけ気にし始めたことが、これから二人の関係を変えていきます。
次回は、教室の隣席だけだった二人の距離が、昼休みをきっかけに少し動き始めるお話です。